坂上弘の作品一覧
「坂上弘」の「百日の後 坂上弘自選短篇集」「故人」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「坂上弘」の「百日の後 坂上弘自選短篇集」「故人」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
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Posted by ブクログ
後藤明生。今だと完全にクズ扱いされる男性像だけど、この当時はまるで問題視されない「モテ自慢」の域だったのかと驚愕。そんなに昔ではないのに。
黒井千次。多人数視点の現代的な構成だが、いかにも小説的な登場人物の行動の突飛さにやや違和感を覚えるのはやはり時間の為せる技か。
阿部昭。私小説風だけど障害者の兄弟など現代にも通じるテーマを扱っていて、本書の中では一番印象的。
坂上弘。阿部昭にも通じる家族の葛藤を扱うが、近親相姦的な描写が生理的に無理。
古井由吉。現代的な視点でみると一番の問題作ではないか?男性作家による「女性」という主題の扱いがとにかく難しくなったと痛感する。
Posted by ブクログ
坂上弘は、昭和から平成ひと桁まで
一流企業でサラリーマンをやりながら、そのことをネタに書いていた人だ
「短い一年」
年功序列社会にはひとつの欠陥がある
組織が老人だらけになってしまうことの弊害だ
1980年代の日本では
多くの大人たちにとって
それはまだ漠然とした不安にすぎなかった
「巡回授業」
人間は独りだ
そうであるからこそ、コミュニケーション能力が必要とされるのだ
しかし逆のことも言える
人間が独りで生きていけないものとすれば
コミュニケーション能力の過剰ゆえに
孤立するということもありうるだろう
21世紀の今も、国際社会のなかで日本人は引き裂かれ続けている
「田園風景」
日本の敗戦によって、価値観のひっくり返る体験をした子供たちの心には
ある種のニヒリズムが植え付けられたことだろう
つまり、この世界には
本当に正しい教えなどなにひとつないということ
しかしそれは逆に言うと
この世界に、やってはいけないことなど何もないという証明でもあった
それが、戦後日本に
多くのカリスマ(良くも悪くも)を生み出した思想的背景である
ところが、そのような全能感とは、二律背反の逆説でもあって
人間は独りだと言いつつ、他人を見捨てることにためらいを感じてしまう
そういった小市民たちをも多く生み出したのである
「夏野」
アメリカの少女をホームステイに受け入れる老夫婦
他者とのコミュニケーションには粘り強さが求められるもので
ずっと日本に暮らした人にはそれがよくわからない
といった感じの話
「こなゆき」
グローバル・ビジネスの世界にあって
恋愛とトレードの見分けがつかなくなっていく
「コネティカットの女」
東京で道に迷っているアメリカ人の妊婦を助けたが
ありがとうも何にもなくて
別にいいんだけどなんかさみしい
「寒桜」
人はこうしている間にも死に向かって突き進んでいる
それは聖書を読んでいても
座禅を組んでいても同じことだろう
「向かいて聞く」
制度が無効になれば社会は自由である
が、それによってエゴと愛情の区別がつかなくなるならば
自由とは神経症そのものであるにほかならない
「土手の秋」
不自由の中にあって、人間は自由を求めるものだ
しかし自由の中にあっては、不自由を求めるものかもしれない
もしそうだとすれば
人間を惑わし、動かす原動力は寂しさである
そんなことあまり信じたくないけれども
Posted by ブクログ
古井由吉、後藤明生とともに「内向の世代」と呼ばれる作家である著者の長編作品です。
35歳の黒瀬二郎は、妻の比呂子と子どもの慎太郎との生活を捨てて、愛人のマサ子と同居しています。一方、彼の務める会社では、取引先の社員である土井が失踪し、彼の上司の占部と折衝をおこない、問題の解決を図ります。他方で二郎自身も、人員整理と組織の再編の仕事を引き受けることになります。
「それじゃ、何故、僕と一緒になったんだ」という二郎の問いかけに対して、比呂子は「あなたの言葉を信じたからよ。あなたは、わたしが別れてもいい、と言ったとき、別れれば自分が駄目になる、とおっしゃったからよ」とこたえます。比呂子は、二郎の嘆願にこたえて結婚したのであり、二人の結婚生活は「愛」が成就したものではなかったといわなければなりません。
したがって二郎の「最初の愛」は、愛人であるマサ子とのあいだに存在していることになるのですが、この「愛」は、比呂子との結婚生活や、会社で中間管理職としての役割を果たす二郎の「生活」と対比されるような、ロマンティックな輝きを帯びたものではありません。むしろマサ子との「愛」は、そうした彼の「生活」の道に生じた窪みのようなものであり、本作の二郎は彼の「生活」をあゆんでいくなかで、その窪みに落ち込んでしまったかのような振る舞いに終始しています。本作は、そうした彼の「生活」が、カタルシスを感じさせない「私小説」的なスタイルでつづられている作品であるように思います。