三木清は先崎彰容氏の推薦ということで手に取ったが、大変良かった。
構成は、「習慣について」「怒について」など短い章に分かれている。
言われていることはヨーロッパの思想に似ているが、それを唐突に直感的に書いていて、背景と理由は説明してもらえないところが日本思想。
と思いつつ読み進めていたら、まさ
...続きを読むにその点を指して、
「確実なものの直観は…論理の証明を要しないのに反して、不確実なもの…こそ論理を必要とする」
とあっさり論じてくれた。
「感情は多くの場合客観的なもの、社会化されたものであり、知性こそ主観的なもの、人格的なものである」というのも、その言い換えである。
社会と論理から思想を導くヨーロッパに対して、思想が個人に由来するという捉え方もある日本人の、わかりやすい自己説明だ。
この掴んだ実感をしっかり自分の言葉で表現できるようになりたいものである。
印象に残る章やフレーズ、言葉は、読む人やその時の心理状態によって変わるだろう。
自分は、特に最後の「個性について」の美しさに圧倒された。
ここだけ読むだけでも価値がある。
この章は附録であるらしく、「大学卒業の直前…私が公の機関にものを発表した最初である」と書かれていた。
若さの持つ瑞々しさが感じられたが、まさか大学生の文章だとは驚きだ。
やはり天才。
噂の持つネガティブな意味での力について、或いはテクノロジーの発達が世界を広くも狭くもしていることなど、戦前に書かれた本著に、今のネット社会や人工知能の発展などにも通じるような問題意識が見られたのも面白かった。
いつの時代もどんな偉大な思想家も、社会問題についてはその一つか二つ前の時代との比較になるので、どれほど科学が発達しても同じような問題意識は繰り返されるだろう。
それが歴史から学ぶ意義でもある。
最後に。
以前、成功か、幸福か、と問われた経験がある。
この本を読んで、要所はその問いでなく、その二つの分離と二項対立こそが問題なのだと教えられた。
しかし、もしその分離が社会や時代からくるものであるとしたならば、果たして個人の力や意識で乗り越えられるものなのか?
自分にとって、これはマキャヴェッリに次ぐ人生の問いだ。