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Posted by ブクログ
坂口安吾は、104年前の1906年10月20日に新潟市で生まれた小説家。
『不連続殺人事件』『桜の森の満開の下』『白痴』『安吾捕物帖』『堕落論』『安吾巷談』などなど、小説をはじめ翻訳までほとんどの作品を読んで来て、やはり彼の真骨頂は、小説家としてより評論というか文明批評や社会批評の面で大いに発揮されているように思います。
そして、家は先祖代々の旧家で地主で大富豪、衆議院議員の父の13人兄弟の12番目の子として生まれた出自は、その後の彼の人生にどういう影響を及ぼしたのか、想像に難くないのは私だけでしょうか。
それから、敗戦後に『堕落論』で一世を風靡し≪無頼派≫で鳴らしたことからも、かなり長生きしたような印象を持っていましたが、55年前の1955年に脳出血でわずか48歳で亡くなったことを知って驚きました。
それで、この本はというと、随分前に読んだのでほとんど忘れかけています。ただ記憶にあるのは、きっぷのいい啖呵を切ったような日本文化論、これじゃあ何のことやらさっぱり私もわかりませんので、夜っぴて再読しなきゃ。
・・で、高校生以来の再読で何もかも判明しました。
ちょうど『不連続殺人事件』を読み返す必要があったので、ついでに本書も読んだのですが、反抗精神旺盛な高校生のときに、私がなぜ太宰治を嫌悪し坂口安吾に憧れたのか。
本質的には、ほとんどべったりロマンティシズムとセンティメンタリズムさらにニヒリズムに支配される時期にあったあの思春期に、それらをまともに体現する太宰治に一部の友人は酔いしれていましたが、私は逆にあの言い訳がましさや逡巡やめめしさに我慢ならず反動でまったく逆の、見せかけだけの雰囲気や風情や感じに惑わされることなく、実質的な生活の質をたしかめることを高らかに宣言した坂口安吾の方に魅かれたというわけです。
既成の体制・文化・価値観に対するその反骨精神は、ちょうど同じころ気になっていた史的唯物論ともあいまって、私に思考のスタイルの転換さえせまるものでしたが、根源的なイズムの違いではないということで落ち着きました。
それはさておき、いま改めて読み返してみて思うことは、生活者の視点は重要だとしても、徒手空拳ではただの独りよがりの武骨な自爆行為にすぎないのであって、根本的な批判にもなっていないのではないか、ということです。
京都の社寺仏閣なんて知らないよとか、日本美の発見などしなくていいとか言っていたって始まらないのです。
それでは、文学の「やむべからざる実質」をないがしろにしようと企む、日本浪漫派や保守反動たちとはまともに対抗できないのではないかと私などは思ってしまうのです。
民衆の心の救済を願って建立された仏像や社寺仏閣が、その実いかにして民衆を支配するため、畏怖の念を抱かすために作られた政治的道具だったか。日本美とか幽玄などという抽象的なものを現出させ、あたかもすばらしいことのように喧伝したのは、たとえば、これは法然や親鸞も優れた思想家ではありましたが、現世(生きている今)より浄土(あの世)の方がすばらしいみたいに吹聴して現実逃避させ抵抗のもとを断ったという意味でとんでもない御用坊主だったことを指摘する、などということは、そうか、坂口安吾の力量・あの時代の思索の不可能性のため、とうてい無理だったのでしょう。
本人の突っ込み不足も否めませんが、あの当時の制約や孤立無援の闘いもあって、時代の趨勢を成すとか後続応援部隊が続々ということもなく、記念碑的な文章という意味はあっても歴史的にはほとんど・・・。
Posted by ブクログ
2014/6/19再読。
安吾がすきといいながらも全然手をつけてなかったエッセイ集に手を出してみけり
なんかあれ思い出した
ひょっこりひょうたんじまの
「泣くのはいやだわらっちゃお!」
ってやつ
「文学のふるさと」すきだなぁ
「それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。」
「青春論」「欲望について」もすき
「もとより遊ぶということは退屈のシノニムであり、遊びによって人は真実幸福であり得るよしもないのである。然しながら「遊びたい」ということが人の欲求であることは事実で、そして、その欲求の実現が必ずしも人の真実の幸福をもたらさないというだけのことだ。人の欲求することろ、常に必ずしも人を充たすものではなく、多くは裏切るものであり、マノン、侯爵夫人も決して幸福なる人間ではなかった。無為の平穏幸福に比べれば、欲求をみたすことには幸福よりもむしろ多くの苦悩の方をもたらすだろう。その意味に於いては人は苦悩をもとめる動物であるかも知れない。」
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