作品一覧 2020/04/03更新 希望 試し読み フォロー 上海・ミッシェルの口紅 林京子中国小説集 試し読み フォロー 谷間/再びルイへ。 試し読み フォロー 長い時間をかけた人間の経験 試し読み フォロー 無きが如き 試し読み フォロー 祭りの場・ギヤマン ビードロ 試し読み フォロー やすらかに今はねむり給え/道 試し読み フォロー 1~7件目 / 7件<<<1・・・・・・・・・>>> 林京子の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 長い時間をかけた人間の経験 林京子 被ばく特集であげられた本である。タイトルから小説だと思っていたらそうではなく長崎の軍需工場勤労動員の時に被ばくした自分とその友人の体験を書いたものであった。被ばくの後遺症がどのように出てくるかについて自分の体験だけではなく医者へのインタビューでも書かれていたのでわかりやすい。トリニティからトリニティ...続きを読むへという短編も併設されていた。これは原爆投下実験の博物館(あるいは記念館)としての軍基地に行った体験談である。 単行本では、背表紙が薄い同色系のアイボリーピンクで書かれているので見つけづらかった。 Posted by ブクログ 祭りの場・ギヤマン ビードロ 林京子 すごい本だった。打ちのめされるとはこのこと。読まずに死ぬ事態にならなくてよかった。教えてくれた先生に心から感謝。 考えてみれば原民喜も読んだことがないのだが,絶対に読んだ方がいいな。 Posted by ブクログ 祭りの場・ギヤマン ビードロ 林京子 被爆の痛みを知らず、また、忘れ、日々を安らかに生きる私たちにとって、林京子の徹底した“傷を負った者”側からの描写はあまりにも痛くて重い。まるで「被爆について、誰もがあまりにも無知に日々を過ごしすぎる」と言ってるように感じられる。または「被爆者が精神的にも肉体的にも深く負った傷を、自分のものとして受け...続きを読む入れることが、現代に生きるすべての人間に課された宿命である」とでも言うように。 『「どこの女学生さんじゃろか。可哀そうか。」…洋子は死んでいた…膝を抱いたまま、死んでいた。女の一人が「かわいそうに、ハエのたかって」と横顔に群がるハエを、手で払った。…太陽に向って飛んで行くハエを見おくりながら、洋子は死んでしまった、と若子は思い、「だけど、あたしには関係ない」とつぶやいて、山を降りていった。』(「祭りの場」の連作のなかの「二人の墓標」より) いま、中高生に課題図書として、この作品を薦めるべきだろうか? “作り物”の痛みの描写と、安っぽい共感しか得られないライトノベルしか読んだことがなく、恋愛とか「自分が興味のある身近な痛み」だけを軽く受け入れて、原子爆弾による想像を超えた痛みについては、自分の日常に直接的に関係ないというだけで無関心を装うというような隙間だらけの感受性ですべてを語ろうとする勘違いした中高生やその親にいきなりこの本を読ませることに、異論もあるかもしれない。 でも、この本の物語は、60数年前に実在した女子中学生の、率直な心から生まれたことを忘れないでほしい。 血が流れ、肉をえぐるありのままの描写を、何も知らない子どもの眼前に突きつけることは、非難されるべきではない。私たちは、現実を隠し、目をそらさせて、綺麗ごとのみで覆い包む行為こそ責めるべきだ。 (2010/8/9) Posted by ブクログ 長い時間をかけた人間の経験 林京子 思えばかつて大田洋子『屍の街』『半人間』=原民喜『夏の花』=林京子『祭りの場』=中沢啓治『はだしのゲン』=『原爆の図』丸木位里・俊=峠三吉『原爆詩集』=井伏鱒二『黒い雨』に対して、何故?巨大な原爆に立ち向かうのにこんなにも数少ない作品でいいのかしらと疑問に思いながらも夢中になっていた頃、おそらく表現...続きを読むと告発の違いもまだ解っていなかったのでした。 それに、ほとんどの人がこういう傾向のものに何の興味も示さないことも。 「人間にハエがたかる。うじ虫がわき人間をつつく」 このとき、林京子の『祭りの場』は、私には、被爆という残虐な悲惨極まりない稀有な体験をありのままに書いている私小説としてだけでなく(それだけでも超一級の作品ですが)自立した優れた文学として揺るぎないものを感じました。 たとえエピローグが、「アメリカ側が取材編集した原爆記録映画のしめくくりに、見事なセリフがある。-かくして破壊は終わりましたー」という表現がやや直截だとしても、告発で何が悪い、当たり障りのない象徴的や芸術的昇華だけが文学じゃないんだと思ったものです。 ただこのあと、例の彼女へのわが中上健次の「原爆ファシスト」呼ばわりが元で遠ざかってしまいました。彼女の被爆者としての言及に、特権意識があるだのないだのどうでもいいことでしたが、そこは党派性をわきまえた私のことですから、やむなく中上健次の方に組したというわけです。 本書は、被爆が1945年8月に終わったわけでなく、肉体を破壊し傷つけただけでなく、心も傷つけ子孫まで傷つけ、そして人間だけでなく母なる大地をも傷つけたということを、自らを全人類の一細胞のように感じ、地球と共鳴して、被爆後65年の生の一秒一秒の検証のあかしとして書かかれています。 それにしても、14歳のいたいけな少女の被爆という体験だけでもとてつもない重荷なのに、その上にまだもうひとつ原爆と対峙するという、とんでもないことを65年間もかかえて格闘してきた林京子という人の強靭な精神には、否応なしに深く敬服せざるをえません。 Posted by ブクログ 長い時間をかけた人間の経験 林京子 被爆から数十年を経て、原爆症ではなく「老い」による死を間近に感じた著者は遍路に出立する。 それは行方をくらました友達カナの意志を遂行する道程であり、あるいは著者とは異なる戦後を歩んできた被爆者との出会いを想起させる旅でもあった。 「長い時間をかけた人間の経験」では、身体に放射能を抱え込んだまま生を歩...続きを読むむことが問題化されている。 「トリニティからトリニティへ」は、ヒロシマナガサキへの原爆投下に先立って世界ではじめての核実験が実施されたニューメキシコ州トリニティ・サイトへの旅を綴ったものである。 日本人、被爆者、被爆する前の自分、そしてまた被爆者へと著者の意識が移り変わっていく場面が印象的だった。 Posted by ブクログ 林京子のレビューをもっと見る