【感想・ネタバレ】祭りの場・ギヤマン ビードロのレビュー

あらすじ

如何なれば膝ありてわれを接(うけ)しや──。長崎での原爆被爆の切実な体験を、叫ばず歌わず、強く抑制された内奥の祈りとして語り、痛切な衝撃と深甚な感銘をもたらす、林京子の代表的作品。群像新人賞・芥川賞受賞の「祭りの場」、「空罐」を冒頭に置く連作「ギヤマン ビードロ」を併録。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

すごい本だった。打ちのめされるとはこのこと。読まずに死ぬ事態にならなくてよかった。教えてくれた先生に心から感謝。
考えてみれば原民喜も読んだことがないのだが,絶対に読んだ方がいいな。

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2022年09月28日

Posted by ブクログ

被爆の痛みを知らず、また、忘れ、日々を安らかに生きる私たちにとって、林京子の徹底した“傷を負った者”側からの描写はあまりにも痛くて重い。まるで「被爆について、誰もがあまりにも無知に日々を過ごしすぎる」と言ってるように感じられる。または「被爆者が精神的にも肉体的にも深く負った傷を、自分のものとして受け入れることが、現代に生きるすべての人間に課された宿命である」とでも言うように。

『「どこの女学生さんじゃろか。可哀そうか。」…洋子は死んでいた…膝を抱いたまま、死んでいた。女の一人が「かわいそうに、ハエのたかって」と横顔に群がるハエを、手で払った。…太陽に向って飛んで行くハエを見おくりながら、洋子は死んでしまった、と若子は思い、「だけど、あたしには関係ない」とつぶやいて、山を降りていった。』(「祭りの場」の連作のなかの「二人の墓標」より)

いま、中高生に課題図書として、この作品を薦めるべきだろうか?
“作り物”の痛みの描写と、安っぽい共感しか得られないライトノベルしか読んだことがなく、恋愛とか「自分が興味のある身近な痛み」だけを軽く受け入れて、原子爆弾による想像を超えた痛みについては、自分の日常に直接的に関係ないというだけで無関心を装うというような隙間だらけの感受性ですべてを語ろうとする勘違いした中高生やその親にいきなりこの本を読ませることに、異論もあるかもしれない。
でも、この本の物語は、60数年前に実在した女子中学生の、率直な心から生まれたことを忘れないでほしい。

血が流れ、肉をえぐるありのままの描写を、何も知らない子どもの眼前に突きつけることは、非難されるべきではない。私たちは、現実を隠し、目をそらさせて、綺麗ごとのみで覆い包む行為こそ責めるべきだ。
(2010/8/9)

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2018年11月03日

Posted by ブクログ

長崎で被爆した経験を持つ林京子による連作。
「祭りの場」は被爆直後の様子を、「ギヤマンビードロ」は戦後数十年が経過した時点における八月九日を描いている。
林京子の描く原爆を読むとき、私は自分の身体が自分のものでなくなるような、奇妙な共振を経験する。
14歳で体験してしまったものを書き続ける、書くことによって現前化させ続ける林京子の試みに、いかなる言葉で応答しえるかを考えさせられる。

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2011年01月06日

Posted by ブクログ

林自身の長崎での被爆体験を主題とする「祭りの場」をはじめ、彼女の代表的な作品を収めた一冊。心情の襞に分け入る細やかな描写が心を打つ。なかでも「二人の墓標」は、素晴らしい作品と思われる。「ギヤマン・ビードロ」の連作からは、被爆者と被爆者でない者との関係のなかで生きようとする静かな意志が伝わる。

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2011年01月04日

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長崎の被爆を材にした作品。どれも筆者の体験に基づく。被爆者の苦しさと被爆していない者の重苦しい情がどの作品にも見られる。区別の無かった世界が「そうでないもの」と「そうであるもの」に、8月9日を境に分かれたのか。全く自分の意志ではないところで、「分けさせられた」のだから、よけいにしんどい。どれも印象的だが、「二人の墓標」が心に残る。

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2011年09月26日

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ネタバレ

内容で読んだ本だ。文章が微妙とかそういうことではなく、書かれているものがすさまじい。

上海時代の話もよかった。

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2021年12月03日

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長崎の原爆体験の小説です。
『祭りの場』『ギヤマン・ビードロ』どちらも短編集なので読みやすい。
表象不可能なまでに悲惨な内容をえがく林京子の文章の不思議な美しさ。小説の構造の巧みさ。
国語の教科書にも収録されているようだけど、この作品はもっと読まれて評価されるべきだと思う。

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2012年09月15日

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題材の重さを「静」なる事実として結晶化させる過程の副産物。客観の欠如が,かえって文章にドライブ感を与えている。

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2024年07月07日

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原子爆弾が落とされた長崎の町を生き延びた筆者が、そのときに体験したことを淡々と書き記しています(「祭りの場」)。
怒りや絶望の感情を抑え、静かな文章でつづられるからこそ、原爆の悲惨さが伝わります。
体験者が語る「被害」の詳細な描写は思わず目をそむけたくなるほどの衝撃を受けます。
正直、細かな怪我の描写は凄惨で、ページを飛ばしてしまう部分もありました。

「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」とも言われるように、この作品からは原爆を落としたアメリカへの憎しみや戦争への怒りよりも、その犠牲を悼む要素が強いようにも感じます。
戦後80年を迎えようとしている現代の私たちが、忘れてはいけない記憶がここに残されています。

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2024年06月12日

Posted by ブクログ

最初の「祭の場」は、芥川賞受賞作なので、(当時の純文学の大御所はかなり手厳しい人ばかりだったから)相当巧いに違いないと思って読み始めたら、意外に巧者とは言えない文章。しょっちゅう時間が飛び、主語が省略され過ぎてたり、文末が唐突だったり。そうか、「火花」みたいなことは前にもあったのだな、と。体験者にしか書けない世界は、実際あったことはインタビューや文献を読み込んで書いてきた作家にとっては凄い衝撃で、多少文章に難があっても、認めるしかないのだろう。
しかし、一番読みにくいのは「祭の場」で、どんどん読みやすくなってくる。それは、巧くなっているということでもあるのだが、巧さが勝つと、生々しさが薄くなりがちで、そこが文章の難しさなのかもしれない。
確かに、日本は加害者でもあったことを考えれば、被爆者の人生をたどり、思いを描く作品群は一面的かもしれないし、いかにも無辜の民であったという書き方もどうだろうかとは思う。(当時14歳だった作者にはもちろん何の罪もないが。)
しかし、戦後、復興第一で邁進した日本が忘れたかっただろう被爆者の真の姿を公にした功績は大きい。
個人的には、少女の微妙な友情を描いた「二人の墓標」、上海の日本人遊女との交流を描いた「黄砂」も良かった。
被爆者だって、一人一人違う、思いはそれぞれなのだという当たり前のことを、体験していない人間は忘れがち。
8月には読むべき作品だと思う。

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2017年07月10日

Posted by ブクログ

確かに語り継ぐことを命じられた人間の魂の記録であり、戦争の記憶が完全に消えつつある現在の日本に生きる人間が確かに継承していくべき歴史。
でも何だろう、違和感ではないのだが微妙なズレみたいな感触がある。もしかしてこれが「原爆ファシスト」と呼ばれた所以なのだろうか?
どういった文脈でそのような酷い仕打ちをこの作家が受けたのか全く分からないのだが、一方で文学に必要な要素である冷徹なまでの客観視という観点に欠けているような気がするのも確か。
結局、文学という「社会体制」は生命そのものを描き出すことは出来ないということだろうか。
極めて重い命題を突き付けてくる作品かと思います。

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2014年02月14日

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