林京子のレビュー一覧

  • 長い時間をかけた人間の経験

    Posted by ブクログ

    被ばく特集であげられた本である。タイトルから小説だと思っていたらそうではなく長崎の軍需工場勤労動員の時に被ばくした自分とその友人の体験を書いたものであった。被ばくの後遺症がどのように出てくるかについて自分の体験だけではなく医者へのインタビューでも書かれていたのでわかりやすい。トリニティからトリニティへという短編も併設されていた。これは原爆投下実験の博物館(あるいは記念館)としての軍基地に行った体験談である。
     単行本では、背表紙が薄い同色系のアイボリーピンクで書かれているので見つけづらかった。

    0
    2023年08月26日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    すごい本だった。打ちのめされるとはこのこと。読まずに死ぬ事態にならなくてよかった。教えてくれた先生に心から感謝。
    考えてみれば原民喜も読んだことがないのだが,絶対に読んだ方がいいな。

    0
    2022年09月28日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    被爆の痛みを知らず、また、忘れ、日々を安らかに生きる私たちにとって、林京子の徹底した“傷を負った者”側からの描写はあまりにも痛くて重い。まるで「被爆について、誰もがあまりにも無知に日々を過ごしすぎる」と言ってるように感じられる。または「被爆者が精神的にも肉体的にも深く負った傷を、自分のものとして受け入れることが、現代に生きるすべての人間に課された宿命である」とでも言うように。

    『「どこの女学生さんじゃろか。可哀そうか。」…洋子は死んでいた…膝を抱いたまま、死んでいた。女の一人が「かわいそうに、ハエのたかって」と横顔に群がるハエを、手で払った。…太陽に向って飛んで行くハエを見おくりながら、洋子

    0
    2018年11月03日
  • 長い時間をかけた人間の経験

    Posted by ブクログ

    思えばかつて大田洋子『屍の街』『半人間』=原民喜『夏の花』=林京子『祭りの場』=中沢啓治『はだしのゲン』=『原爆の図』丸木位里・俊=峠三吉『原爆詩集』=井伏鱒二『黒い雨』に対して、何故?巨大な原爆に立ち向かうのにこんなにも数少ない作品でいいのかしらと疑問に思いながらも夢中になっていた頃、おそらく表現と告発の違いもまだ解っていなかったのでした。

    それに、ほとんどの人がこういう傾向のものに何の興味も示さないことも。

    「人間にハエがたかる。うじ虫がわき人間をつつく」

    このとき、林京子の『祭りの場』は、私には、被爆という残虐な悲惨極まりない稀有な体験をありのままに書いている私小説としてだけでなく

    0
    2011年09月19日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    長崎で被爆した経験を持つ林京子による連作。
    「祭りの場」は被爆直後の様子を、「ギヤマンビードロ」は戦後数十年が経過した時点における八月九日を描いている。
    林京子の描く原爆を読むとき、私は自分の身体が自分のものでなくなるような、奇妙な共振を経験する。
    14歳で体験してしまったものを書き続ける、書くことによって現前化させ続ける林京子の試みに、いかなる言葉で応答しえるかを考えさせられる。

    0
    2011年01月06日
  • 長い時間をかけた人間の経験

    Posted by ブクログ

    被爆から数十年を経て、原爆症ではなく「老い」による死を間近に感じた著者は遍路に出立する。
    それは行方をくらました友達カナの意志を遂行する道程であり、あるいは著者とは異なる戦後を歩んできた被爆者との出会いを想起させる旅でもあった。
    「長い時間をかけた人間の経験」では、身体に放射能を抱え込んだまま生を歩むことが問題化されている。

    「トリニティからトリニティへ」は、ヒロシマナガサキへの原爆投下に先立って世界ではじめての核実験が実施されたニューメキシコ州トリニティ・サイトへの旅を綴ったものである。
    日本人、被爆者、被爆する前の自分、そしてまた被爆者へと著者の意識が移り変わっていく場面が印象的だった。

    0
    2011年01月06日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    林自身の長崎での被爆体験を主題とする「祭りの場」をはじめ、彼女の代表的な作品を収めた一冊。心情の襞に分け入る細やかな描写が心を打つ。なかでも「二人の墓標」は、素晴らしい作品と思われる。「ギヤマン・ビードロ」の連作からは、被爆者と被爆者でない者との関係のなかで生きようとする静かな意志が伝わる。

    0
    2011年01月04日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    長崎の被爆を材にした作品。どれも筆者の体験に基づく。被爆者の苦しさと被爆していない者の重苦しい情がどの作品にも見られる。区別の無かった世界が「そうでないもの」と「そうであるもの」に、8月9日を境に分かれたのか。全く自分の意志ではないところで、「分けさせられた」のだから、よけいにしんどい。どれも印象的だが、「二人の墓標」が心に残る。

    0
    2011年09月26日
  • 上海・ミッシェルの口紅 林京子中国小説集

    Posted by ブクログ

    林京子といえば原爆作家、というイメージがある。被爆体験を特権化しているとして批判も受けたという林だが、彼女の作品を悲劇の物語として受容してきた側の欲望もあったのではないか。この連作短編集を読んでそんな思いをもった。
    上海の日本租界に暮らした少女時代の思い出は、運河や長屋を包む匂いと音の暖かさとともに、他方ではテロリズムと官憲による監視がもたらす緊張との間で、調停できないままに引き裂かれている。
    とりわけ鮮烈なイメージを残すのは、イタリアが降伏した日、運河に横倒しになったかつて白い貴婦人のような客船の姿、そして、軍に護衛されて出かけた遠足の先で、婦人奉仕団の開墾地で、葬られることもなくさらされる

    0
    2023年02月05日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    内容で読んだ本だ。文章が微妙とかそういうことではなく、書かれているものがすさまじい。

    上海時代の話もよかった。

    0
    2021年12月03日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    長崎の原爆体験の小説です。
    『祭りの場』『ギヤマン・ビードロ』どちらも短編集なので読みやすい。
    表象不可能なまでに悲惨な内容をえがく林京子の文章の不思議な美しさ。小説の構造の巧みさ。
    国語の教科書にも収録されているようだけど、この作品はもっと読まれて評価されるべきだと思う。

    0
    2012年09月15日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    題材の重さを「静」なる事実として結晶化させる過程の副産物。客観の欠如が,かえって文章にドライブ感を与えている。

    0
    2024年07月07日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    原子爆弾が落とされた長崎の町を生き延びた筆者が、そのときに体験したことを淡々と書き記しています(「祭りの場」)。
    怒りや絶望の感情を抑え、静かな文章でつづられるからこそ、原爆の悲惨さが伝わります。
    体験者が語る「被害」の詳細な描写は思わず目をそむけたくなるほどの衝撃を受けます。
    正直、細かな怪我の描写は凄惨で、ページを飛ばしてしまう部分もありました。

    「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」とも言われるように、この作品からは原爆を落としたアメリカへの憎しみや戦争への怒りよりも、その犠牲を悼む要素が強いようにも感じます。
    戦後80年を迎えようとしている現代の私たちが、忘れてはいけない記憶がここに残さ

    0
    2024年06月12日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    最初の「祭の場」は、芥川賞受賞作なので、(当時の純文学の大御所はかなり手厳しい人ばかりだったから)相当巧いに違いないと思って読み始めたら、意外に巧者とは言えない文章。しょっちゅう時間が飛び、主語が省略され過ぎてたり、文末が唐突だったり。そうか、「火花」みたいなことは前にもあったのだな、と。体験者にしか書けない世界は、実際あったことはインタビューや文献を読み込んで書いてきた作家にとっては凄い衝撃で、多少文章に難があっても、認めるしかないのだろう。
    しかし、一番読みにくいのは「祭の場」で、どんどん読みやすくなってくる。それは、巧くなっているということでもあるのだが、巧さが勝つと、生々しさが薄くなり

    0
    2017年07月10日
  • 長い時間をかけた人間の経験

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    表題作と、併録された「トリニティからトリニティへ」を両作とも読むことで、作者の思考する「長い時間をかけた人間の経験」が、眼前に広げられる。
    後年、トリニティの爆心地に立ち、8月9日に流れなかった涙が流れたという場面は、思いを致すに余りある。再読したい。

    0
    2016年06月05日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    確かに語り継ぐことを命じられた人間の魂の記録であり、戦争の記憶が完全に消えつつある現在の日本に生きる人間が確かに継承していくべき歴史。
    でも何だろう、違和感ではないのだが微妙なズレみたいな感触がある。もしかしてこれが「原爆ファシスト」と呼ばれた所以なのだろうか?
    どういった文脈でそのような酷い仕打ちをこの作家が受けたのか全く分からないのだが、一方で文学に必要な要素である冷徹なまでの客観視という観点に欠けているような気がするのも確か。
    結局、文学という「社会体制」は生命そのものを描き出すことは出来ないということだろうか。
    極めて重い命題を突き付けてくる作品かと思います。

    0
    2014年02月14日