林京子のレビュー一覧

  • 長い時間をかけた人間の経験
    被ばく特集であげられた本である。タイトルから小説だと思っていたらそうではなく長崎の軍需工場勤労動員の時に被ばくした自分とその友人の体験を書いたものであった。被ばくの後遺症がどのように出てくるかについて自分の体験だけではなく医者へのインタビューでも書かれていたのでわかりやすい。トリニティからトリニティ...続きを読む
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ
    すごい本だった。打ちのめされるとはこのこと。読まずに死ぬ事態にならなくてよかった。教えてくれた先生に心から感謝。
    考えてみれば原民喜も読んだことがないのだが,絶対に読んだ方がいいな。
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ
    被爆の痛みを知らず、また、忘れ、日々を安らかに生きる私たちにとって、林京子の徹底した“傷を負った者”側からの描写はあまりにも痛くて重い。まるで「被爆について、誰もがあまりにも無知に日々を過ごしすぎる」と言ってるように感じられる。または「被爆者が精神的にも肉体的にも深く負った傷を、自分のものとして受け...続きを読む
  • 長い時間をかけた人間の経験
    思えばかつて大田洋子『屍の街』『半人間』=原民喜『夏の花』=林京子『祭りの場』=中沢啓治『はだしのゲン』=『原爆の図』丸木位里・俊=峠三吉『原爆詩集』=井伏鱒二『黒い雨』に対して、何故?巨大な原爆に立ち向かうのにこんなにも数少ない作品でいいのかしらと疑問に思いながらも夢中になっていた頃、おそらく表現...続きを読む
  • 長い時間をかけた人間の経験
    被爆から数十年を経て、原爆症ではなく「老い」による死を間近に感じた著者は遍路に出立する。
    それは行方をくらました友達カナの意志を遂行する道程であり、あるいは著者とは異なる戦後を歩んできた被爆者との出会いを想起させる旅でもあった。
    「長い時間をかけた人間の経験」では、身体に放射能を抱え込んだまま生を歩...続きを読む
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ
    長崎で被爆した経験を持つ林京子による連作。
    「祭りの場」は被爆直後の様子を、「ギヤマンビードロ」は戦後数十年が経過した時点における八月九日を描いている。
    林京子の描く原爆を読むとき、私は自分の身体が自分のものでなくなるような、奇妙な共振を経験する。
    14歳で体験してしまったものを書き続ける、書...続きを読む
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ
    林自身の長崎での被爆体験を主題とする「祭りの場」をはじめ、彼女の代表的な作品を収めた一冊。心情の襞に分け入る細やかな描写が心を打つ。なかでも「二人の墓標」は、素晴らしい作品と思われる。「ギヤマン・ビードロ」の連作からは、被爆者と被爆者でない者との関係のなかで生きようとする静かな意志が伝わる。
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ
    長崎の被爆を材にした作品。どれも筆者の体験に基づく。被爆者の苦しさと被爆していない者の重苦しい情がどの作品にも見られる。区別の無かった世界が「そうでないもの」と「そうであるもの」に、8月9日を境に分かれたのか。全く自分の意志ではないところで、「分けさせられた」のだから、よけいにしんどい。どれも印象的...続きを読む
  • 上海・ミッシェルの口紅 林京子中国小説集
    林京子といえば原爆作家、というイメージがある。被爆体験を特権化しているとして批判も受けたという林だが、彼女の作品を悲劇の物語として受容してきた側の欲望もあったのではないか。この連作短編集を読んでそんな思いをもった。
    上海の日本租界に暮らした少女時代の思い出は、運河や長屋を包む匂いと音の暖かさとともに...続きを読む
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ
    内容で読んだ本だ。文章が微妙とかそういうことではなく、書かれているものがすさまじい。

    上海時代の話もよかった。
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ
    長崎の原爆体験の小説です。
    『祭りの場』『ギヤマン・ビードロ』どちらも短編集なので読みやすい。
    表象不可能なまでに悲惨な内容をえがく林京子の文章の不思議な美しさ。小説の構造の巧みさ。
    国語の教科書にも収録されているようだけど、この作品はもっと読まれて評価されるべきだと思う。
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ
    最初の「祭の場」は、芥川賞受賞作なので、(当時の純文学の大御所はかなり手厳しい人ばかりだったから)相当巧いに違いないと思って読み始めたら、意外に巧者とは言えない文章。しょっちゅう時間が飛び、主語が省略され過ぎてたり、文末が唐突だったり。そうか、「火花」みたいなことは前にもあったのだな、と。体験者にし...続きを読む
  • 長い時間をかけた人間の経験
    表題作と、併録された「トリニティからトリニティへ」を両作とも読むことで、作者の思考する「長い時間をかけた人間の経験」が、眼前に広げられる。
    後年、トリニティの爆心地に立ち、8月9日に流れなかった涙が流れたという場面は、思いを致すに余りある。再読したい。
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ
    確かに語り継ぐことを命じられた人間の魂の記録であり、戦争の記憶が完全に消えつつある現在の日本に生きる人間が確かに継承していくべき歴史。
    でも何だろう、違和感ではないのだが微妙なズレみたいな感触がある。もしかしてこれが「原爆ファシスト」と呼ばれた所以なのだろうか?
    どういった文脈でそのような酷い仕打ち...続きを読む