哲学・宗教・心理 - 筑摩書房作品一覧

  • 哲学の道場
    3.8
    哲学は無害なもの、品行方正なもの、そして立派なものとして語られることが多い。けれども、それはあらゆるものへの根源的な懐疑から出発するという点で病気に近いものであり、凶暴で、危険で、しばしば反社会的でさえある。では、なぜ人は宗教ではなく、哲学を必要とするのか。日本語で哲学するとは、具体的にはどういうことなのだろうか。死の不条理への問いから出発した著者が、哲学の神髄を体験に沿って解き明かす。
  • 哲学は対話する ──プラトン、フッサールの〈共通了解をつくる方法〉
    3.8
    哲学は、「根源的真理」を問うものではない。その最大の目的は、一人ひとりの生き方と社会のあり方をよりよくすることであり、その方法は、プラトンが描くソクラテスにはじまり、フッサールの現象学にて真価を発揮した「対話」である。そうしてお互いが納得しうる「共通了解」をつくりだす哲学の営みは、分断が極まった現代において、人びとをつなぐ大きな可能性を秘めている。渾身の力を込めて、いま哲学の課題、目的、方法を問いなおす。
  • 「天下の大勢」の政治思想史 ――頼山陽から丸山眞男への航跡
    3.0
    丸山眞男は日本人の歴史意識の古層として「つぎつぎになりゆくいきほひ」を指摘した。「なりゆく」この「勢」の思想を最初に打ち出したのが頼山陽である。主体的能動的に「勢」の変化を制御していこうとする山陽の「天下の大勢」をめぐる思想は、日本近代史をいかに動かしていったか。幕末の老中・阿部正弘と堀田正睦、勝海舟、木戸孝允、徳富蘇峰、原敬の「大勢」認識から、三国同盟の「バスに乗り遅れるな」、終戦の詔勅の「世界ノ大勢亦我ニ利アラス」まで、「天下の大勢」思想の航跡をたどる。
  • 天皇と右翼・左翼 ──日本近現代史の隠された対立構造
    3.0
    近現代日本を動かしてきたのは、幕末以来の天皇家と伏見宮系皇族(旧宮家)の対立と裏社会の暗闘である。対米戦争へ主導したのは反英米的な軍・伏見宮系皇族・一部の長州閥有力者で、彼ら右派は昭和二十年八月十五日の宮城事件、三島事件など数多く事件を起こし、潜在的に反(昭和)天皇だった。昭和天皇・貞明皇后は左派勢力と個人的につながり、親天皇=保守=右翼ではなかったのだ。従来の右翼・左翼観を打ち破り、近現代日本の支配層における対立構造を天皇を軸に描き直す。
  • デカルト入門
    3.6
    「私は考える、ゆえに私はある」―近代精神の確立を宣言し、現代の知の枠組みとなる哲学の根本原理と方法を構築した近代哲学の父デカルト。コギトの確立に体系の集約点をみるドイツ観念論の桎梏を解き放ち、デカルトの真実の姿を見いだそうとする本格的な入門書である。デカルトの思想を現代的視座からも読みなおす意欲作!
  • 伝達の整理学
    4.2
    日本人は思考の伝達が苦手である。ことばの読み書き偏重、知識を自分の頭に詰め込むことばかりに熱心で、自分の考えをどう深め、どう伝えるかを考えていない。AIが人間を脅かしているいま、人間にとって大事なのは思考の整理と並んで、ことばの伝達とその整理学である。教育のあり方、知的生活のあり方などをめぐって今も精力的に発言を続ける知の巨人が満を持して放つ、待望の文庫書き下ろし。
  • 問いを問う ――哲学入門講義
    4.0
    哲学とは、昔の人の考えや言葉を知って、理解することではない。哲学上の根本問題に自ら立ち向かうことでしか、哲学はできない。「私たちの心を超えた世界を知ることはできるか?」「他者の心を知ることはできるか?」「心と脳の関係はどのようなものか?」「死んだら無になるのか?」――本書では、この四つの問題を素材に、哲学の核心へと一気にいざなう。問いの意味そのものを問いなおすこと。相対立する議論のやり取りを、自分ひとりで視点を転換させて行うこと。深く、粘り強く、哲学的に考えるやり方を追体験できる教科書。
  • 当事者は嘘をつく
    4.1
    「私の話を信じてほしい」哲学研究者の著者は、傷を抱えて生きていくためにテキストと格闘する。自身の被害の経験を丸ごと描いた学術ノンフィクション。
  • 東方キリスト教の世界
    4.5
    東方キリスト教は、ロシア正教など東ヨーロッパを中心に広がる東方正教会や、主に中東で広まった東方諸教会などを包括するものである。使用言語も多岐にわたりその歴史も複雑なため、日本語での情報は限定されてきた。本書はそうしたなかで、長らく基本情報を提供してきた名著だ。西洋古典学・ビザンツ学・スラヴ文献学の横断的研究で傑出した業績を残した研究者が、東方キリスト教全体を扱いつつも、教義や歴史にとどまらず、巡礼・神秘思想・教会建築・イコン・天国/地獄表象など幅広く信仰文化にまで踏み込む。
  • 弔い 死に臨むこころ
    -
    東京下谷にある小さな寺の境内には、コメディアンたこ八郎をはじめ、恋多き詩人諏訪優、反骨の歌人坪野哲久、幻想文学の巨星と謳われた中井英夫ら、交遊を結び酒を酌み交わした人々が眠っている。彼らとの出会いと自らの半生をふりかえりつつ、死者への哀悼をこめて、弔いの作法とそのこころの大切さを説く。
  • 寅さんとイエス【改訂新版】
    -
    現代聖書学については「二十世紀で最も進んでいる学問は原子物理学と聖書学であるといわれるほど発達した」(山本七平)とされる。イエスの実像に迫るには、マルコ・マタイ・ルカ・ヨハネの四つの正典福音書が典拠となる。その分析から導き出されたのは、イエスの風貌とユーモアが、寅さんの世界に類似しているとの意外な発見であった。読者が一気に読破できるように、大きな反響を呼んだロングセラーの表現や論理をより明確化。寅さんとイエスの風貌がより生き生きと見えてくる、待望の改訂新版。
  • ドゥルーズ入門
    3.3
    没後十年以上の時を経て、その思想の意義がさらに重みを増す哲学者ドゥルーズ。しかし、そのテクストは必ずしも読みやすいとはいいがたい。本書は、ドゥルーズの哲学史的な位置付けと、その思想的変遷を丁寧に追いながら、『差異と反復』『意味の論理学』の二大主著を中心にその豊かなイマージュと明晰な論理を読み解く。ドゥルーズを読むすべての人の羅針盤となる決定的入門書。
  • 道徳および立法の諸原理序説 上
    -
    イギリス近代を代表する思想家にして法学者ジェレミー・ベンサム(1748‐1832)。本書は、近体功利主義の創始者として知られる彼の代表作と目される記念碑的著作である。ここでベンサムは、人間の快と苦痛のみに基礎づけられた功利性の原理をもとに個人と共同体のありようを徹底的に解析し、そこから真に普遍的な法体系を導出しようと試みる。その挑戦はわれわれをどこに導くのか? 刊行より200年以上経てもなお倫理学、法哲学、政治思想など広範な分野に圧倒的な影響を与え続けている名著を、このうえなく清新かつ平明な訳文で送る。上巻は「第13章 罰すべきでない場合」まで。文庫オリジナル。
  • 道徳的に考えるとはどういうことか
    5.0
    その考えは正しいか正しくないか、あるいはそれをすべきか否か――。私たちは日々、様々な道徳的判断を迫られ、あるときは自然に、また別のときには悩みに悩んで結論を下す。こうした判断はしばしば、自分たちの外部にある絶対的な規準を個別の現実に当てはめるものとして思い描かれる。だが、そんなふうにすべてを一刀両断できる規準などありうるだろうか。「非主流派倫理学」の立場からプラトン、ウィトゲンシュタイン、一ノ瀬正樹、槇原敬之らの実践を取り上げることで、道徳的思考の多様で奥深い内実を浮き彫りにする哲学的探究。
  • 道徳を問いなおす ――リベラリズムと教育のゆくえ
    3.9
    「人に親切にしろ」「故郷を愛せよ」「社会のマナーは守ろう」。学校の道徳の時間に教えられてきたのは、このような徳育でしかなく、こういった言葉はもう十分、聞き飽きた。では、いまの時代・社会にフィットした道徳とは何か?また、それをどのようにして、子どもたちに教えたらよいのか?本書では、様々な倫理学の知見を掘り下げながら、哲学的にその本質に迫っていく。ひとりでは生き延びることができない時代に、他者と共に生きるための道徳が求められる。
  • 独学の精神
    3.7
    なぜ私たちはかくも「無教養」になったのか。本書は、現代の日本人が見失った「独学の精神」をめぐる思索である。「ほんとうに大事なことは何ひとつ教えることなどできない」「学ぶことは身ひとつで生きる自分が学ぶというあり方でしかなされえない」―単純で大切な事実について、根っこから考え抜く。
  • 読書の学
    5.0
    言語は、事実のコミュニケーションのための媒体であるばかりではない。言語自体がまた人間的事実であり、そこに集約されている著者の態度が精密に読み込まれてはじめて、読むことは十全な読書となる。論語・史記から契沖、宣長、徂徠にいたるまで、漢籍や和書を縦横にし、著者の内部に生起し蓄積する感情・思考・論理を通して内的事実に降り立つ実践を展開する。事実に触発される意識をたどり、読書論を超えて学問論にいたる。著者の悠然たる文学的逍遙につき随って、その思考の筋道をつぶさに経験する一巻。
  • ナショナリズム ──その神話と論理
    3.0
    日本ナショナリズムは、なぜ第二次大戦という破局的帰結にいたったのか。それ以外の可能性は本当に存在しなかったのか。──これが、かつて自らも日本浪漫派に熱狂した青年であった橋川文三が生涯抱え込んだ難問であった。この問いに向き合うべく、橋川は明治維新前後の黎明期へと遡行し、その起源に肉薄する。水戸学から松陰へと至る士族の流れと中間層における国学の系譜との相克。その間隙を衝くように行われた明治政府の国民統合政策。「隠岐コミューン」に託したもう一つの可能性……。日本ナショナリズムの形成過程をダイナミックに描き出す、第一級の古典。
  • ナショナリズム ――名著でたどる日本思想入門
    3.3
    近代国家日本は、いつ何のために、創られたのか。否応もなくナショナリズムを自覚せざるをえない時代状況の中にある我々が、もっとも根源的なところから問題を捉えなおすために、日本ナショナリズムの起源と諸相を十冊のテキストを手がかりとして網羅。「思想史」をいまここで使える道具箱へと変貌させる野心作。
  • なぜと問うのはなぜだろう
    3.5
    心とは何か? ある/ないとはどういうことか? 人は死んだらどこに行くのか──好奇心に導かれて人類が問いつづけてきた永遠の謎に、自分の答えを見つけるための、哲学的思考への誘い。
  • 謎解き 聖書物語
    4.2
    ノアの方舟、バベルの塔、出エジプト……旧約聖書の有名な物語の数々。それは本当に起こったことなのか? それともたんなるフィクションに過ぎないのか? 最新の考古学的知見を用いながらひとつひとつ明らかにする。旧約聖書の物語がこれ一冊でわかる!
  • 西田幾多郎『善の研究』を読む
    5.0
    『善の研究』は西田の最初の著作ながら、晩年に至るまでの思索全体を貫く考え方が示されている主著。その魅力は、西洋の哲学と格闘しながら、その不十分性を乗り越えて物事の真相に迫ろうとする西田の思いがそのまま表現されている点にある。仏教や儒教など、東洋の思想的な伝統も踏まえた広い視野で哲学の世界に新しい眺望を切り開いた本書の面白さや意義を分かりやすく解説。西田の思考を丁寧に読み解き、西田が語ろうとしたことを深く掘り下げる、格好の西田哲学入門。
  • 日常的実践のポイエティーク
    4.3
    読むこと、歩行、言い回し、職場での隠れ作業……。それらは押しつけられた秩序を相手取って狡智をめぐらし、従いながらも「なんとかやっていく」無名の者の技芸である。好機を捉え、ブリコラージュする、弱者の戦術なのだ――。科学的・合理的な近代の知の領域から追放され、見落とされた日常的実践とはどんなものか。フーコー、ブルデューをはじめ人文社会諸科学を横断しつつ、狂人、潜在意識、迷信といった「他なるもの」として一瞬姿を現すその痕跡を、科学的に解釈するのとは別のやり方で示そうとする。近代以降の知のあり方を見直す、それ自体実践的なテクスト。
  • 日曜日に読む『荘子』
    4.0
    日曜日、著者は酒のお供にと『荘子』を取り出した。超俗的で、世人を煙に巻くような文章を読みながら、「わからない」ことの醍醐味にどっぷり浸かってゆく。雲をつかむような話ばかりだけれど、固くなっていた頭がほぐれ、おおらかな気持ちになれるのはどうしてだろう。一風変わった角度から荘子の思想に触れる「こんにゃく談義」のはじまりである。
  • 日本回帰と文化人 ――昭和戦前期の理想と悲劇
    3.0
    西洋文化を旺盛に摂取しつつ繁栄を遂げてきた近代日本は、昭和期に入ると急速に「日本回帰」へと旋回する。そのうねりのなかで文学者や思想家たちもまた、ときにそうした運動の主導者となっていった。和辻による日本古典美の称揚、保田らの「日本浪曼派」、北原白秋や斎藤茂吉の戦争詩歌、そして三木の東亜協同体論や京都学派の「世界史の哲学」――。戦後タブー視されがちであったこれらの作品を、当時の時代状況や彼らの内的論理に注目しつつ読み解き、「日本的なもの」の核心に迫る意欲作。
  • 日本奇僧伝
    3.0
    かつて日本にもしばしば奇跡を起こし奇矯な振る舞いをもって人々のこころに強い印象を与えた異能・反骨・隠逸の出家たちがいた。いわゆる名僧高僧ではないために残された史実は少なく、口伝でその活躍が伝えられてきたわけだが、むしろ本当かどうかはわからないその逸話の真実らしさにこそかつての日本人はリアリティーを感じていたのだ。橋を架け道路を開いた行基が魚の切り身を小魚に変えた話、歌人として有名な西行が人造人間を作った話など、エピソードで語る25人の奇僧の姿。
  • 日本語と道徳 ──本心・正直・誠実・智恵はいつ生まれたか
    -
    本音トークがもてはやされている。「本心」を包み隠さず「正直」に口に出すことが、あたかも「誠実」の証しであるかのように言われる。そして時に、タテマエに立ち向かう正義の人という印象さえ帯びる。しかし、かつて「本心」を隠す人などいなかった。「誠実」な人も存在しなかった。「正直」者は馬鹿呼ばわりされたこともある。いったいいつから「本心」や「正直」が、正義と結びつくようになったのか──。今日の倫理観は必ずしも日本古来のものではない。中世から江戸期をへて今日に至る道徳観をめぐる言葉の変化を丁寧に跡付ける意欲的な日本精神史。
  • 日本語の哲学へ
    3.9
    「日本語の哲学」を目指すとは、いったいどんなことなのか。―少なくともそれは、古代ギリシャに始まった西洋の哲学をただ日本語で受容する、ということではないはずである。かつて和辻哲郎が挑んだその課題は、いま、もっとも挑戦しがいのあるテーマとして研究者を待ちかまえている。ここに展開するのは、パルメニデス、デカルト、ハイデッガーといった哲学者たちと、「日本語」をもって切りむすぶ、知的バトルの数々である。これまでに類を見ない知的冒険の姿がここにある。
  • 日本思想史の名著30
    4.7
    千数百年におよぶ日本思想史上には、画期となる名著が多数生まれてきた。あるときは神話や物語、説話の形をとり、またあるときは歴史書・史論、社会・政治評論、そして近現代にはアカデミズムの産物として現れてきた研究書や「日本国憲法」などの法文││それらの名著群を博捜するなかから三十点を選りすぐり読み解くことで、「人間とは何か」「人間社会とは何か」という普遍的な問いに応える各時代の思考様式を明らかにする。遠い過去の思考に、現代を考えるヒントをさぐる。
  • 日本思想全史
    3.6
    この国の人々は選択的に外の思想を受け入れつつ、あるべき人間とは何かという問いを立ててきた。ではその根底にあるものは何だろうか。思想史を俯瞰してそれを探るには、日本の内と外の両側から眺める視点が必要である。そしてそのような内と外の意識こそ、古代からこの国で綿々と受け継がれてきたものだ。神話時代から現在までの各時代の思想に、外部的視点からの解釈を押し通すのではなく、内在的視点をもって丹念に光を当てる。一人の思想家による、初めての本格通史。
  • 日本人の神はどこにいるか
    4.0
    文明の衝突が叫ばれる今、宗教はふたたび世界の歴史を動かしつつある。排他的な一神教と寛容な多神教という常識は果たして正しいのか。イスラームやキリスト教、仏教など世界宗教の実態を探りながら、すべての神を取りこんで、矛盾なく共存させてしまう特異な日本人の神を問いなおし、普遍的な神の学をめざす。
  • 日本人の死生観
    5.0
    日本人は生きることと死ぬことをどのように考えてきたのだろうか。長明、芭蕉、千代女、馬琴、良寛など代表的な古典の中に日本人の死生観を辿り、「死」を前提に生き方を考え、「死」の意味をあらためて見つめなおす。日本人の心性の基層に今日も生きている伝統的な死生観を現代に生きる私たち自身の問題として考える指針の書。「死」の偉大な先達から「終い方」の極意を学んでみたい。
  • 日本人の信仰心
    5.0
    日本人は宗教心がないとよく言われる。だが、私たちの心の底流には古来、アジア的な生産生活の秩序に根ざした、この上なく純粋で普遍的な信仰心が脈々と息づいている──。この土地に生きた人々の静かな祈りに満ちた「信仰のくらし」とはいかなるものか。保田與重郎、本居宣長、柳田國男らの思想や、列島の文化・民俗をめぐる考察を通じ、“大和心”の古層をどこまでも深く掘りおこす。
  • 日本人の神道 ――神・祭祀・神社の謎を解く
    3.3
    古代から現代にいたるまで私たちの暮らしに深くかかわっている「神道」。だが私たち日本人は、「神道」という宗教の本質を本当に理解しているだろうか? 本書では、開祖もいなければ、教義もない、そして救済もない「ない宗教」としての神道の本質を見定め、その展開を追う。日本人が神道とどのように関わってきたかを明らかにすることは、私たち日本人の基本的な世界観や人生観を考えることにつながっていく。
  • 日本人はなぜ無宗教なのか
    4.1
    いまや日本人は自分たちを「無宗教」と規定して、なんら怪しむことがない。しかし、本当に無宗教なのだろうか? 日本人には神仏とともに生きた長い伝統がある。それなのになぜ「無宗教」を標榜し、特定宗派を怖れるのか? 「……私は、宗教とは、人間がその有限性に目覚めたときに活動を開始する、人間にとって最も基本的な営みだと理解している……」。著者は民族の心性の歴史にその由来を尋ね、また近代化の過程にその理由を探る。そして、現代の日本人に改めて宗教の意味を問いかける。
  • 日本人無宗教説 ──その歴史から見えるもの
    4.3
    「日本人は無宗教だ」とする言説は明治初期から、しかもreligionの訳語としての「宗教」という言葉が定着する前から存在していた。「日本人は無宗教だから、大切な○○が欠けている」という“欠落説”が主だったのが、1960年代になると「日本人は実は無宗教ではない」「無宗教だと思っていたものは“日本教”のことだった」「自然と共生する独自の宗教伝統があるのだ」との説が拡大。言説分析の手法により、宗教をめぐる日本人のアイデンティティ意識の変遷を解明する、裏側から見た近現代宗教史。 【目次】はじめに 藤原聖子/第一章 無宗教だと文明化に影響?――幕末~明治期 木村悠之介/第二章 無宗教だと国力低下?――大正~昭和初期 坪井俊樹/第三章 無宗教だと残虐に?――終戦直後~1950年代 藤原聖子/第四章 実は無宗教ではない?――1960~70年代 木村悠之介/第五章 「無宗教じゃないなら何?」から「私、宗教には関係ありません」に――1980~90年代 和田理恵/第六章 「無宗教の方が平和」から「無宗教川柳」まで――2000~2020年 稲村めぐみ/おわりに 藤原聖子
  • 日本の気配 増補版
    4.0
    「個人が物申せば社会の輪郭はボヤけない」。最新の出来事にも、解決されていない事件にも粘り強く憤る。東京五輪に開催後でも反対する。日常に潜むヘイトの萌芽、監視社会、政治家の空虚な言葉、コミュニケーションを「能力」で問うこと、等々への違和感を引きずり、問い続ける。「空気」が支配する国から、「気配」で自爆する国へ。その後の展開を大幅に増補した。
  • 入門 近代仏教思想
    4.0
    近代思想としての仏教は、西洋哲学との出会いの中から生まれた。仏教を哲学的な宗教として捉え直した井上円了や清沢満之の思想は、日本の独創的哲学の原点となり、やがて明治後期には青年たちの人生の指針たり得るような、教養としての仏教思想が一大ブームを迎える。『歎異抄』を典拠とした近角常観や暁烏敏、倉田百三らの仏教思想は、大正教養主義のうねりを経て、やがて昭和の戦火の中に突入していく──仏教が近現代人の思想に及ぼした、深く広い影響を解明する野心作。
  • 入門講義 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
    3.5
    哲学の役割は物事を丸ごと説明するテーゼを提示することではない。ウィトゲンシュタインはぼやけた物の見方を論理的に明確化し、世界や人生のディテイルから目を逸らさぬようにと、私たちをガイドする──。20世紀最大の哲学書『論理哲学論考』とはどのような本なのか。独特の概念を一つずつ押さえ、難解かつ複雑に枝分かれした『論考』の議論をわかりやすく読み解くとともに、世界的な解釈論争にも分け入り、後期哲学への連続性も視野に、ウィトゲンシュタインの思考を生き生きと描き出す。
  • 入門 朱子学と陽明学
    3.3
    『論語』のおもしろさがわからないという人は、その解釈の魅力を知らないからである。孔子・孟子の古典から知的営為を積み重ねてきた儒学。その中から宋代に新しい学問として現れ、儒教的な「宇宙認識」を哲学化した朱子学。そしてそれを継承しつつ克服しようとした陽明学。これらの世界観はいかなるものだったのか。東アジアの思想空間を今も規定するその自己・社会・宇宙のとらえ方を、心・性・理・気・鬼神などのタームを通して平易に解説。その魅惑に満ちた世界へと読者を誘う。
  • 入門 犯罪心理学
    4.3
    近年、犯罪心理学は目覚ましい発展を遂げた。無批判に信奉されてきた精神分析的をはじめ実証性を欠いた方法が淘汰され、過去の犯罪心理学と訣別した。科学的な方法論を適用し、ビッグデータにもとづくメタ分析を行い、認知行動療法等の知見を援用することによって、犯罪の防止や抑制に大きな効果を発揮する。本書は、これまで日本にはほとんど紹介されてこなかった「新しい犯罪心理学」の到達点を総覧する。東京拘置所や国連薬物犯罪事務所などで様々な犯罪者と濃密に関わった経験ももつ著者が、殺人、窃盗、薬物犯罪、性犯罪などが生じるメカニズムを解説し、犯罪者のこころの深奥にせまる。
  • 入門 老荘思想
    3.6
    2009年1月、ほぼ完本の『老子』竹簡群が、北京大学に運び込まれた。これは、墳墓から盗掘され香港の骨董店を経由して海外に流出するところを、大学関係者が買い取り、寄贈したものである。諸子百家の中にあっても、儒家等とは大きく異なる主張を唱えたとされる道家であるが、その評価は果たして正しいのだろうか? 新資料を踏まえて、『老子』『荘子』の言葉をじっくり読み解くことで、その謎に包まれた思想がいま解き明かされる。さらに、後年の中国思想家や仏教への影響、江戸期の日本やその他ヨーロッパ諸国での受容にも目をむける。
  • 人間の条件
    4.4
    条件づけられた人間が環境に働きかける内発的な能力、すなわち「人間の条件」の最も基本的要素となる活動力は、《労働》《仕事》《活動》の三側面から考察することができよう。ところが《労働》の優位のもと、《仕事》《活動》が人間的意味を失った近代以降、現代世界の危機が用意されることになったのである。こうした「人間の条件」の変貌は、遠くギリシアのポリスに源を発する「公的領域」の喪失と、国民国家の規模にまで肥大化した「私的領域」の支配をもたらすだろう。本書は、全体主義の現実的基盤となった大衆社会の思想的系譜を明らかにしようした、アレントの主著のひとつである。
  • 人間の未来 ――ヘーゲル哲学と現代資本主義
    4.2
    資本主義は今、格差を拡大しつつ地球を消費し尽くそうとしている。その制御がかなわなければ、私たちが近代以降なんとか確保しようとしてきた「人間的自由」は、息の根を止められかねない。近代哲学、とりわけヘーゲルは「自由の相互承認」という重要概念を示し、この問題を考える上でも欠かせない。こうした観点から、誤解にさらされてきた近代社会の本質を明らかにし、巨大な矛盾を生む現代資本主義をどう修正すべきか、その原理を探る迫真の思考。
  • 人間はなぜ非人間的になれるのか
    3.3
    「人間」とは、自由で平等な近代社会を作るための発明品だった。そして、それは理性的で主体性をもつ個人のはずだった。ところが、巨大化し機械化する都市の孤独のなかで、この人間たちは気づかされる。「理性と主体性のある「私」なんて嘘だったんだ!」このときから「人間」は「非人間的」な存在へと急速に劇的に変貌していった。「自由な個人」から「全体主義的な群衆」へ、「理性的な主体」から「無意識に操られる客体」へ。何がどうして起こったのか。壮大なスケールで描きだす「非人間」化の歴史。
  • ニーチェ入門
    3.7
    現代思想に多大な影響を与え、今なお多くの著作が読み継がれているニーチェ。しかしアフォリズム的に書かれたその文章は、他の哲学者にはない魅力である一方で彼の思想の核心を捉えにくくもしている。ニーチェは終生何について考えていたのか? 実はそこには「健康と病気」をめぐる洞察がある、と著者は述べる。みずからも病に苦しみつつ、その経験の中から「身体の健康とは何か、精神の健康とは何か」という身近な問題意識への思索を深めていったのだ。ニーチェの生涯や思想、キーワードを平明に解説し、その思想のもつアクチュアリティを浮かび上がらせる入門書。
  • ニーチェ入門
    4.1
    ルサンチマンの泥沼の中で「神」や「超越的真理」へと逃避するのか、あるいは「永遠回帰」という「神聖な虚言」に賭け、自らの生を大いに肯定するのか? 二十世紀思想最大の震源地であり、今日もなお、あらゆる思想シーンに絶大な影響力を誇るニーチェの核心を果敢につかみ、さらに未来へと開かれた可能性を大胆に提示する、危険なほどの刺激的な入門書。
  • ニーチェはこう考えた
    3.7
    熱くてグサリとくる言葉の人、ニーチェ。だが、もともとはまじめで弱くて、斜に構えた青年だった。徹底的に挫折しても、再び立ち上がることができるのはなぜか? 不安で不確実な現代に、等身大のニーチェがいま、よみがえる。
  • 脳は、なぜあなたをだますのか ──知覚心理学入門
    4.1
    どんなに報道されても「オレオレ詐欺」は後をたたず、 マインドコントロールが犯罪につながる事件が起こり、手品にも繰り返しだまされる。これらはすべて、あなたの脳があなた自身を裏切るからである。「ベクション」という視覚による錯覚現象を入口に、心理学者である著者が、この仕組みを楽しく解説する。知覚心理学、行動経済学、脳科学の最新研究もわかる。
  • 敗戦後論
    4.2
    「戦後」とは何か? 敗戦国が背負わなければならなかった「ねじれ」から、われわれはどのような可能性を受けとるべきなのか? 自国の戦死者への弔いが先か、被侵略国の犠牲者への謝罪が先か。発表後、大きな反響を巻き起こしたラディカルな議論の原点が蘇る。靖国問題や政治と文学について考えるための基本書。
  • ハイデガー入門
    3.6
    二〇世紀哲学における最大の巨人と称されるハイデガー。半世紀以上にわたり、彼の思想はあらゆる知の領域に圧倒的な影響を及ぼしてきた。哲学史上最重要な作品の一つとして、大いなる成功と絶望的な無理解の断層に屹立する哲学書『存在と時間』。そこに隠された真の狙いとは何なのか? 本書は難解で知られるハイデガーの思考の核心を読み解き、プラトン、アリストテレス以降の西洋哲学が探求し続けた「存在の問い」に迫る。ハイデガー哲学の魅力の源泉を理解するための一冊。
  • はじめてのギリシア神話
    4.4
    この世界はどんな風に作られ存立しているか。それを描いたギリシア神話自体は、どのように成立したのだろう。現代人も魅了するそのあらすじやキャラクターを紹介しながら成立の歴史的背景を探る、新しい時代のギリシア神話解説本登場!
  • はじめての哲学的思考
    4.5
    誰もが納得できるような考えに到達するための、力強いさまざまな思考法に満ちている哲学。その思考法のエッセンスを、初学者にも理解できるよう伝える。
  • 反〈絆〉論
    4.0
    東日本大震災後、絶対的価値となった〈絆〉という一文字。テレビは「優しさ」を声高に称揚するようになり、列島中がその大号令に流されて、権威を当然のものとして受け入れてしまったかに見える。だが、そこには暴力が潜んでいないだろうか。陰影のある、他の「繊細な精神」を圧殺する強制力がはたらいているのではないだろうか。哲学にしかできない領域から、〈絆〉からの自由、さらに〈絆〉への自由の、可能性を問いただす。
  • 反原発の思想史 ──冷戦からフクシマへ
    4.2
    日本の反原発運動は、毛沢東理論の「誤読」による近代科学批判が大きな転機となった。それが「1968年」を媒介にニューエイジ・サイエンスやエコロジーと結びつき、工作舎や「宝島文化」を背景にしたサブカルチャーの浸透によって次第に大衆的な基盤をもつようになったのである。複雑に交差する反核運動や「原子力の平和利用」などの論点から戦後の思想と運動を俯瞰し、「後退りしながら未来へ進む」道筋を考える。
  • 反戦と西洋美術
    4.0
    ロシアによるウクライナ侵攻を、報道やSNSで目の当たりにして、私たちはあらためて戦争とその表象の関係性という問題を突きつけられている。何が真実か、誰がどんな立場でどんな意図を持ち発信しているのか。勝者の側で描かれた「戦争画」の時代を経て、17世紀には現代の「反戦」意識に通じる美術の流れが登場する。その後急速に激甚化する戦争の時代を背景に醸成され、雄弁に、あるいは抑制気味にと、その倫理的・感性的・政治的な役割を巡り、揺れる「反戦」のイメージの変遷を捉えなおす。
  • ハンナ・アーレント ──屹立する思考の全貌
    3.6
    何ものにも依らないユニークな「手摺なき思考」が注目されたアーレント。本書は、全体主義が勃興して消えて行った激動の現代史を考察し続けた彼女の思索の最深部に迫る一書である。哲学、政治、思想という三つの補助線を駆使しながら主要な各作品を詳細に読みとき、時代を超えて屹立する思考の全貌を把握する。悪の問題、世界疎外、経験と思考、……人間の現実を徹底して追究した問題群を、いま改めて問いなおす。
  • バイアスとは何か
    4.1
    物事を現実とは異なるゆがんだかたちで認識してしまう現象、バイアス。それはなぜ起こるのか、どうすれば避けられるのか。本書では、現実の認知、他者や自己の認知など日常のさまざまな場面で生じるバイアスを取り上げ、その仕組みを解明していく。探求の先に見えてくるのは、バイアスは単なる認識エラーではなく、人間が世界を意味づけ理解しようとする際に必然的に生じる副産物だということだ。致命的な影響を回避しつつ、それとうまく付き合う方法を紹介する画期的入門書。
  • パリのマリア
    3.0
    何度もその前にマリアが出現し、埋葬後56年経てなお生前の姿を保っていたカトリーヌ・ラブレー。硬直した体を暗闇のベッドに横たえ眠らずに神の声を聞き、毎週金曜日にはその聖痕から血を流す。神父が運んでくる小さな聖体パンのみが食事という超常的な50年を送ったマルト・ロバン。第2次大戦中にパリの修道院でレジスタンスを支援しながら同時に戦場にある若い兵士を訪問したイヴォンヌ=エメ。たった100年ほど前に起きた奇跡の主人公たちを紹介し、その魅力を探る魂の書。
  • 非戦の哲学
    4.0
    同時多発テロを契機に、アメリカ主導の「世界戦争」が始まった。帝国化するアメリカの要請に唯々諾々としたがって、日本は自衛隊を海外に派遣し、国是である平和憲法は空洞化しつつある。国連や国際法が無力化しつつある中で、日本はどのような道を選ぶべきなのか。「文明衝突戦争」の時代における日本の平和主義を再構築し、地球的平和への寄与を提唱する。
  • 人が人を罰するということ ――自由と責任の哲学入門
    4.0
    人間は自由意志をもつ主体であり、過ちを犯した者が咎められ罰されることは、古くから共同体における基本的なルールと考えられてきた。一方、自由の存在を否定し「刑罰は無意味だ」とする神経科学や社会心理学の立場がある。はたして人間は自由な選択主体か。私たちが互いを責め、罰することに意味はあるのか。抑止、応報、追放、供犠といった刑罰の歴史的意味を解きほぐし、自由否定論、責任虚構論の盲点を突く。論争を超えて、〈人間として生きること〉を根底から問う哲学的探究。
  • 人はなぜ宗教を必要とするのか
    3.6
    宗教なんてインチキだ、騙されるのは弱い人間だからだ―「無宗教」を標榜する日本人は、たいていそう考える。しかし、そんな「無宗教」者も、「本当の生き方」を真剣に模索しはじめたとき、また、人の死など身にあまる不条理を納得したいと願ったとき、無宗教ではいられなくなってくるのではないだろうか。宗教に対する誤解にひとつずつ答え、そもそも宗教とはどういうものなのかを説き、「無宗教」から「信仰」へと踏みだす道すじを平易に語っていく一冊。
  • 人はなぜ物語を求めるのか
    4.0
    人の思考の枠組みのひとつである「物語」とはなんだろう? 私たちは物語によって救われたり、苦しめられたりする。その仕組みを知れば、人生苦しまずに生きられるかもしれない。物語は、人生につける薬である!
  • 日々是修行 ――現代人のための仏教一〇〇話
    4.2
    仏教の本質は修行である。苦を生み出すものが「この私」であるなら、心を鍛え、私自身を変えることで、苦しみから自由になれるはずだ。現代に生きる私たちにとって、ひたすら信じる救済の宗教よりも、釈迦本来の合理的な教えの方が、むしろ馴染みやすい。初期仏教の思想をベースに、生活に結びつく叡智一〇〇話を紹介。
  • ヒューマンエラーの心理学
    3.7
    たとえば直観的に動いて失敗した。だから今度はじっくり考えて行動したのに、やはり選択を誤ってしまった。または、はっきり記憶している経験が、実はぜんぜん違うものだった……など誰でも体験があるだろう。人間とは、間違える動物である。それは認知的な処理能力に制約や限界があるため。だが、それらを知って上手にいかせば、ミスを減らすことができる。自分のことは当然ながら、仕事や教育、災害現場などで、他人を思い通りに動かせるかもしれない。不思議な錯覚・錯視から危険な認知バイアスの理由まで、心理学が解き明かした、人間の知覚の本質とは。
  • 不安を生きる
    -
    私たちの社会には今、漠然とした不安が広がっている。将来の変化を見通せず、未来への希望が持てない。会社もアテにできず、心底頼れる人も見当たらない。そんな思いを抱く人が増えている。こうした事態は、都市化が進展し、かつて私たちを支えていたムラ的な共同体が衰弱してしまったことと無縁ではない。しかし、便利な生活を手に入れ、自由を享受する私たちは、もう後戻りすることはできない。不安とどう向き合い、どう生きればいいのか。この問いを多角的に追究した本書は、現代社会を生きる私たちにとって示唆に富む一冊である。
  • 風水 ――中国哲学のランドスケープ
    3.5
    中国独特の自然学として発展した“風水”。著者は19世紀の西洋人としてこの奇妙な体系に出会った。風水は、「理」=自然の一般秩序、「数」=自然の数的比率、「気」=活力に満ちた微妙なエネルギー、「形」=自然の外形という四つの概念から成り立ち、人間の運命を左右する。風水の前提となる陰陽五行説の概要から、専用道具・羅盤の使い方、さらには中国人の居住地選びにどのような影響を及ぼしているかまでを説く。近代的風水研究の嚆矢となった一冊。
  • 風土のなかの神々 ――神話から歴史の時空を行く
    -
    日本の神々とは日本人にとってどのような存在だったのか。神々は日本の風土のなかでどのような役割を担っているのか。日本の神は、自然を畏敬し国土の安寧を願う出雲系と、天皇による国家支配を正当化する高千穂・日向系に分かれる。高千穂・日向・出雲で景観問題の解決に奔走した著者が神話の舞台を歩き、「古事記」「日本書紀」編纂の場である飛鳥の遺跡に身を置いて、神々の来歴にひそむ謎を解く。【目次】序章 女神はなぜ洞窟に隠れたか――高千穂神話の世界から/第I部 出雲の神々の世界へ/第一章 スサノオの国づくりと和歌の起源――出雲平野の「わが心すがすがし」/第二章 斐伊川水系大治水計画――昭和・平成のオロチ退治/第三章 天下経営の大神――出雲大社表参道神門通りの道づくり/第四章 水に臨む神々――城原川流域委員会/第五章 疫病神の活躍――鞆の浦まちづくり/第II部 風土に生きる神々/第六章 巨大ナマズと戦う神々――要石とプレートテクトニクス/第七章 「ふるさと見分け」の方法――姥ヶ懐・裂田溝の危機/第八章 白き山の姫神――在地神と外来神/第九章 座問答――古代の大合併と合意形成の知恵/第十章 神々誕生の海岸――宮崎海岸侵食対策事業/第III部 神話から歴史への旅/第十一章 飛鳥にて――『古事記』『日本書紀』編纂スタートの地/第十二章 神話と歴史をめぐる三つの疑問/第十三章 飛鳥浄御原宮――神話と歴史を編む/第十四章 前例としての日本神話/第十五章 古代からの伝言――危機の時代のリスクマネジメント
  • フェミニズム入門
    3.7
    男性の、男性による、男性のための思想体系がいかに虚構と欺瞞にみちているか。フェミニズムの問題提起によってなんとあっけなく揺さぶられるものにすぎないか。近代主義から近代批判、イリガライやクリステヴァなどのポスト・モダンに至るまでのフェミニズム思想の破壊力の変遷をたどりつつ、さらにリプロダクション、性暴力、国家と性など最も現代的なテーマに果敢に挑戦する。現代の生と性の意味を問いなおす女と男のための痛快なフェミニズム思想入門。
  • 不在の哲学
    5.0
    古来、西洋哲学は確固とした普遍的「実在」を求めてきた。本書は、そうした客観的・統一的な脱自己中心的世界としての「実在」ではなく、対立概念である「不在」こそが「真にあること」ではないかという問題に取組む。言語=理性を習得してしまった人間は、客観的・統一的な「実在」こそ普遍的であり、それを、多元的・自己中心的な「私の世界」よりも優位に置く図式に、なかなか抗うことができない。そして、自分が住んでいる世界の相貌を語りつくすことができない。それはなぜなのか。不在を生み出す時間、自己と他者というトリック等、数々の哲学のアポリアに迫る、渾身の書下ろし。
  • ふしぎなお金
    3.5
    財布は拳銃や刀に似ている。護身用であり、権威にもなるからだ。財布は人を殺すための道具ではないけれど、「人は金のために人を殺したり、金のために自分の首を吊ったりして、金はやはり隠然たる凶器の光を忍ばせている」――。お金とはいったい何なのだろう? 「千円札裁判」で日本現代美術史に一石を盗じた赤瀬川原平が、お金の本質について考える。
  • 不思議なテレポート・マシーンの話 ──なぜ「ぼく」が存在の謎を考えることになったか?
    4.0
    不思議なテレポート・マシーンとの出会いをきっかけに、哲学の基本的な問題をめぐって丁寧に議論を繰り広げる。論理的思考の展開方法も学べるやさしい哲学対話。
  • 不動智神妙録/太阿記/玲瓏集
    -
    宮本武蔵の『五輪書』、柳生宗矩の『兵法家伝書』とならぶ三大兵法書の一つ『不動智神妙録』。書いたのは武士の家に生まれながらも得度し、大徳寺住持となった禅僧・沢庵宗彭。剣の修行は心の修行に他ならないという「剣禅一如」が初めて説かれた一書で、戦いのみならず万事に対処できる心と体の動きが解説されている。将軍家剣術指南・柳生宗矩に授けられたことから柳生新陰流の聖典となったが、小野派一刀流など他の流派でも広く読まれ、幕末の剣聖・山岡鉄舟も愛読した。併録した『太阿記』は凡人が凡人のまま剣の達人になる道筋を示したもの。『玲瓏集』はわれわれの視野がいかに分別心によって曇らされているかを説く。
  • 不道徳的倫理学講義 ──人生にとって運とは何か
    4.2
    我々がこの世界で何をなし、何を受け取るかは、「運」というものに大きく左右されている。しかし、あるべき行為や人生をめぐって議論が交わされるとき、なぜかこの「運」という要素は無視されがちだ。特にその傾向は、道徳や倫理について学問的な探究を行う倫理学に顕著である。それはいったいなぜだろうか。本書では、運が主に倫理学の歴史のなかでどう扱われ、どのように肯定や否定をされてきたのか、古代ギリシアから現代に至る人々の思索の軌跡を追う。そしてその先に、人間のあるがままの生をとらえる道筋を探る。
  • フロイト入門
    4.0
    エディプス・コンプレックス、リビドー、欲動論、夢判断…。フロイトは新たな概念を編み出し、「こころ」の広大な闇に挑んだ。その思想革命の生成と展開を読み解く! 「無意識」の発見・「精神分析」という科学の誕生。
  • フロイト入門
    3.3
    1900年に謹か数百部で刊行された『夢判断』は世紀を超えて影響を与え続けている。エディプス・コンプレックスの発見と夢の分析を通した無意識世界への探究。フロイトが開花させた精神分析は、複雑な家族構成や葛藤に彩られた彼の生涯と思索の軌跡を映しだす鏡でもある。現代に甦るフロイト像を描きだす清新な入門書。
  • フーコー入門
    4.0
    「真理」「ヒューマニズム」「セクシュアリティ」といった様々な知の〈権力〉の鎖を解き放ち、「別の仕方」で考えることの可能性を提起し続けた哲学者、フーコー。我々の思考を規定する諸思想の枠組みを掘り起こす〈考古学〉においても、我々という主体の根拠と条件を問う〈系譜学〉においても、彼が一貫して追及したのは〈思考のエチカ〉に他ならなかった。稀代の哲学者の変容しつつ持続する歩みを明快に描き出す、新鮮な入門書。
  • フーコーの言説
    3.0
    その言説のほぼすべてが出揃った今こそ、読み直さねばならない──。ミシェル・フーコーの探究は、知・権力・自己との関係という三つを軸に、多様性と絶え間ない変貌によって特徴づけられる。そうした彼の言説群を貫いて存続する「フーコー的」なものがあるとすれば、それはいったい何か。前史ともいえる50年代のテクストから『性の歴史』第四巻『肉の告白』まで、精確な読解によって思考の全貌が明らかにされる。フーコー研究・翻訳の第一人者による待望の書。
  • 武士道の精神史
    -
    侍の気構えと行動を規定してきた「武士道」。軍国主義につながったとして、マイナスのイメージも持たれる一方、日本人の美徳を支える倫理的礎として肯定的なイメージを持っている人も、これまた多い。歴史的にみれば武士道は、武家社会が発展した中世に自然発生し、『甲陽軍鑑』等の書物で明文化されていくが、戦闘なき徳川時代になって精神的な「徳義」へと転回した。やがて武家以外の庶民階級にも浸透して、一般の生活経済倫理にまで影響を及ぼすようになっていく。「武士道」の豊かなる実態の歴史を、実証主義史学の方法を用いつつ鮮やかに描き出し、その本質に迫る。
  • 仏教と日本人
    3.7
    水子地蔵、閻魔が死者を裁く地獄、妻帯する僧侶、神仏の併用、そしてお葬式……インドに発し中国を経て伝来した仏教は、わが国独特のすがたに変容し、定着した。こうして日本人の心情に深く根ざした仏教は、では、どのような民族的精神風土の上に受け容れられたのか。また、仏教とふれることで、日本人の宗教意識にどのような変化が生まれたのか。日本文化のはらむ「業」、その光と影を透徹した思惟で見定める一冊。
  • 仏教のこころ
    3.3
    かつてインドに「仏教」はなく、「ブッダの教え」「ブッダの考え」があった。はたして「ブッダの教え」とはいったいなんだろうか。「仏教」とは違うのだろうか。人々が仏教に求めているものとは何なのか、仏教はそれにどう答えてくれるのか、著者の考える仏教のすがたをまとめた文章に、河合隼雄氏、玄侑宗久氏との対談を加えた一冊。
  • 仏教の身体感覚
    3.0
    仏教は、呪術性と身体性を強めることによって、人々を救済する宗教となった。たとえば、坐禅。あるいは、念仏。こうした呼吸法をともなう身体感覚をつうじて、仏の教えははじめて深々と腑に落ちる。宗教とは信仰の世界の話であり、論理の積み重ねだけで語ることはできない。仏教は、老病死に向き合う高齢者にどう応えられるのか。生きることに虚しさをおぼえる人々に、どう語りかけることができるのか。現代から、あらためて問う。身体感覚から読み解く仏教史2500年。
  • 仏教論争 ──「縁起」から本質を問う
    3.5
    二千五百年もの歴史をもつ仏教。その始点にして中核と言い得るのが「縁起」なる法則だ。だが、「これが縁起だ」という定説は、仏教全体としてはいまだ存在していない。本書は、和辻哲郎、三枝充悳といった第一級の知識人、仏教学者が縁起をめぐり繰り広げた論争を俎上に載せ、なぜ彼らが虚構を実体視する罠に陥ったのかを検証。縁起とは何であり、仏教とは何であるかを、透徹した思考で浮かび上がらせた、類例なき書である。
  • ブッダ ──大人になる道
    4.2
    ブッダが唱えた原始仏教の言葉は、合理的でとってもクール。日常生活に役立つアドバイスがたくさん詰まっています。今日から実践して充実した毎日を生きよう。【目次】第1章 ブッダ―大人になる道/第2章 ブッダはなぜ出家したのか/第3章 ブッダ心理学、基礎の基礎―心とは何か?/第4章 世界に居場所を見つける―地球サイズの人間になろう
  • ブッダたちの仏教
    3.0
    インドで誕生した仏教は、二千年以上の年月をかけ、アジアの広範な地域に伝播し、各地の文化に大きな影響を与えつつ、自らも多様に変化した複雑な宗教である。神によるのではなく、歴史上の一人の人間ゴータマ・ブッダが発見した真理に端を発した仏教は、さまざまなブッダを輩出し、それぞれの仏教が独自性をもちながら多彩な変容を生み出し展開してきた。仏教の歴史をブッダたち「仏」と、それに基づく「教え」という二つの極をもつ運動としてとらえるダイナミックな論考。
  • ブッダの幸福論
    3.6
    私たちの生き方は正しいのだろうか? ブッダが唱えた「九項目」を通じて、すべての人間が、自分の能力を活かしながら、幸せに生きることができる道を提案する。【目次】序章 ブッダの生きた幸福の境地/第1章 「生き方」はどうすればわかる?/第2章 正しい生き方をやってみる/第3章 慈しみの心を育てる/第4章 人生に意味はあるのか?
  • 武道的思考
    4.1
    「いのちがけ」の事態を想定し、高度な殺傷術として洗練されてきた日本の武道。幕末以来、武道はさまざまな歴史的淘汰にさらされ、それに耐え、そのつど「変身」を遂げつつ生き延びてきた。本来の意味は失われても、「心身の感知能力を高め、潜在可能性を開花させるための技法の体系」である武道には、今こそ見るべき叡智が満ちている。達見の武道論。
  • ブリタニカ草稿 ──現象学の核心
    3.0
    現象学の始祖エトムント・フッサールが、『ブリタニカ百科事典』の求めに応じ、「現象学」の項目のために執筆した、ドラマチックな推敲のあとが窺える四つの草稿の集成。変化しつづけたフッサールの思索が成熟した時点で書かれた本書は、まさに“現象学とは何か”その核心を語る。そのため、完成稿(第四草稿)は、始祖自身による最も完備した好適な入門書ともなっている。これら草稿は、ハイデガーとの共同作業を経て完成したが、とくに第二草稿には両者の一致と相違が如実に現れていて、20世紀を主導した両者の現象学的哲学の本質を考えるための重要なヒントもここにある。詳細な訳者解説を付す。
  • 文語訳聖書を読む ──名句と用例
    4.0
    明治期に出来上がって以来、一世紀以上にわたり愛読されてきた文語訳聖書。格調が高く、歯切れのよい翻訳は、文学はもとより、日常の日本語にいたるまで強い影響を与えた。本書は、キリシタン時代にさかのぼって文語訳成立の経緯をたどった後、名著をはじめ、多岐にわたる作品のなかで聖句や名句がどのように用いられてきたのか、言語文化へのはたらきを見ていく。日本人の精神生活と表現世界を豊かにした源泉へと読者をいざない、いまだ色あせることのない言葉の輝きを伝える。
  • 分析哲学講義
    3.9
    フレーゲとラッセルの論理学研究に始まり、クワイン、ウィトゲンシュタインらの活躍を経て、現在では哲学の全領域に浸透した分析哲学。言語や概念の分析を通じて世界を捉えるその手法は幅広い。哲学史上の優れた議論を素材に、その先を自ら考えるための一冊。「道具」としての分析哲学を伝える、珠玉の入門講義。
  • 分裂病と他者
    -
    精神病理から人間存在の本質にいたる思索をさらに深め、分裂病者にとっての「他者」の問題を徹底して掘り下げた木村精神病理学の画期をなす論考。ハイデッガー、西田幾多郎らに加え、デリダ、ラカン、レヴィナスなどの構造主義と正面からわたり合い、自己と他者との関係のありかたを「あいだ=いま」という本質的な項を媒介として見つめ直す。研ぎ澄まされた治療感覚をもって、患者の生き方を知覚し、治癒をめざして真摯な長い対話を重ねる著者の思策と営為。今、「臨床哲学」の地平が開かれる。
  • プラグマティズム入門
    3.9
    十九世紀後半にパースが提唱し、ジェイムズが定義づけたプラグマティズムは、従来の西洋哲学の流れを大きく変えた。二〇世紀半ばにはクワインによって再生されたことで、今やアメリカ哲学の中心的存在となったその思想運動は、いかなる意味で革命的だったのか。プラグマティズム研究の日本における第一人者が、その本当の狙いと可能性を明らかにし、アメリカでの最新研究動向と「これからのプラグマティズム」を日本で初めて紹介。いま最も注目される哲学の全貌を明らかにする。
  • プラトン入門
    3.6
    ヨーロッパ哲学の絶対的な「真理」主義の起源をなす人物として、ポストモダン思想家から最悪の評価を与えられている人、プラトン。しかしプラトンこそ実は、異なった人間どうしが言葉を通して共通の理解や共感を見出しうる可能性を求めた「普遍性」の哲学者であった。プラトン評価を逆転させる、目から鱗の一冊。
  • 兵学思想入門 ──禁じられた知の封印を解く
    -
    江戸初期に学問として体系化され、甲州流・山鹿流といった兵法として花開いた兵学。自己を律することを求めるだけでなく、独自の国家観を中心に、修己・治人・治国・平天下へと繋げていくものとして豊かな内容をもったその体系は、やがて明治維新の原動力となった。それが西洋兵学の流入によって変容し、二十世紀の戦争の時代にその精神性の強調によって誤解されるに至ったのはなぜか。現代兵学の観点から批判的考察を交え、思想としての日本兵学の特質を総合的に論じる。
  • 方丈記
    3.9
    日本古典文学中屈指の名文『方丈記』。著者鴨長明が見聞し体験した、大火、大風、遷都、飢饉、大地震などが迫真の描写で記録され、その天災、人災、有為転変から逃がれられない人間の苦悩、世の無常が語られる。やがて長明は俗界から離れ、方丈の庵での閑居生活に入りその生活を楽しむ。しかし、本当の心の安らぎは得ることができず、深く自己の内面を凝視し、人はいかに生きるべきかを省察する。本書は、この永遠の古典を、混迷する時代に生きる現代人ゆえに共鳴できる作品ととらえ、『方丈記』研究第一人者による新校訂原文とわかりやすい現代語訳、理解を深める評言によって構成した決定版。
  • 法哲学講義
    4.3
    法哲学とは、“法と法学の諸問題を根本的・原理的なレベルに遡って考察する学問”である。それは法学だけに留まらず、倫理学・政治哲学・経済学・歴史学といった領域とも交わる。法概念論や正義論をはじめ、法哲学における中心的議論はどのような性格を持っているのか。ケルゼン、ハート、ドゥオーキンなど代表的法哲学者への批判を行いつつ、明快に要点を解説。各章末には文献解題を付す。今日望みうる最良の法哲学概論。
  • 法然入門
    3.4
    この世を生きる意味はどこにあるのか。私たちは、人生の「意味」を求め「物語」を必要とする存在である。とはいえ現実は、不条理と不安に満ちた人生の大海を漂いながら、答えのないままに、そのときどきの欲望に引きずられて生きてゆくしかない私。法然は、そうした自己愛、愚かさ、無知にこそ人間の本質があると認め、まさに「極悪最下」の者こそ救われる物語を用意した。悪人が善人になる必要はない、ただ生まれつきのままに、ありのままに念仏せよ―日本史上最大の衝撃を仏教界にもたらした易にして奥深い思想を、やわらかに解きほぐす入門書。
  • 法然の衝撃 ──日本仏教のラディカル
    -
    著者は、世界の宗教史でただ一人あげよ、といわれたら法然をあげるという。なぜか。一言でいえば、「凡夫」のための宗教は、法然を持ってはじめて世に出現したからである。「凡夫」とは、「自己中心性」から逃れられない人間のことである。自己のためにはすべての欲望が総動員される。神仏を祈願するといっても、内容は、是が非でも自己の欲望を遂げようという脅迫であることも少なくない。「凡夫」に救いはあるのか。あるとすればいかなる教えなのか。この世の一切の営みを超えた宗教的価値の絶対性をはじめて明確に主張した法然の革命的意義を新たな視角から解き明かす。
  • 保守思想とは何だろうか ――保守的自由主義の系譜
    -
    一般的に、保守思想と自由主義(リベラリズム)は水と油のように相容れないとみなされる。しかし本来、正しい「保守」であれば自由主義を擁護するし、本物のリベラルであれば「保守」たらざるをえない。本書では、デヴィッド・ヒューム、福澤諭吉、フランク・ナイトという三つの偉大な知性を召喚し、歴史の転回点に立った彼らが、近現代世界の黎明期に見出した共通の主題「保守的自由主義」を抽出する。彼らが追究した思考を追体験することで、同じく歴史の転回点に立つ私たちが、二元論に惑わされずに保守思想の本質にたどり着くための道筋をさぐる。
  • 保守思想のための39章
    3.7
    バブル崩壊と冷戦の終焉から十年すぎた。しかし今なお、経済の立て直しから有事への対処などに至るまで、依然として議論だけが続いている。しかも、その空疎な対立と不毛な論争の蔭で、学級崩壊、官民を問わない不正行為の続出、各種犯罪の増加など、日常の社会そのものは緩慢な自死の過程をたどりつつある。そして、資本主義の挫折と帝国主義の再来、それが世界の大状況となっている。この危機に、私たちはどう臨めばよいのだろうか。単なる郷愁やかたくなな復古ではなく、美徳と良識にもとづいて公共空間を再建するため保守思想の真髄をさぐる。

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