中世のアルプス以北の森の中を開拓した修道士。町の半数は修道士だったのでは。
童貞は結婚に勝る。童貞を捧げることで神は報酬をくれる。現世では知識、死後は天国を。知的好奇心旺盛な若者は修道士になることを選んでしまう。
修道士は天使のように生きる。ただしキューピッドはローマ神話の悪魔の一種。肉欲。
武
...続きを読む力では領土の独立しか果たさないが、宗教によって統一が果たされる。天使のような、神に仕える平和の戦士。
形而上学と神学のセット。
(現代でもスピリチュアル系の人は中世神学の感覚なのではないか?)
アンセルムスの神の証明でも最終的に、存在するから存在するという同語反復となる。しかし神学は、信仰の世界をもつ人間にとって信仰の内側の世界で成り立つ哲学を目指している。
外部からの反論に対する論拠も、外部とはユダヤ教イスラム教を想定しているので絶対神や旧約聖書を前提とした論拠であった。
神の世界は円と幾何学の整然とした世界。建築も庭園も、音楽も幾何学的にキレイでなければならない。
予定説は下位のすべても予定されているというが、新プラトン主義のように上位の存在は摂理に支配されているが下位の存在は偶然に支配されているという。
(予定説は無理がありすぎるのでこれでよかったのでは?でもそれだと辛い人生を納得させる術がないのか……)
一方スコトゥスの説では、予定説はなくどんな行いも過去も死後神の前に来たときに信仰心に応じて書き換えられることになっている。
信心深い人の不幸もこれで解決。
神の自由さを有限化したのが人間の自由なので、信仰心のもと自由に色々やるべし。→科学の発達へ。分析哲学「可能世界論」へ。
キリスト教的理性とは、ロジックから出てくることでそこには理性的感情というものもある。日本人は理性と感情を対比させるので非常にわかりづらい。
修道士には非常に細かい日々の規範やスケジュールがあった。
中世でもアリストテレス哲学(最新の知識)を学んだ人たちの中で、信仰(宗教)など必要ないという風潮も。
また神学を学ぶことに熱心な人の中にも、信仰の実践が疎かになる人も。
本書では中世の価値観に少し近づけた気がする。
最終的には神だから神なのだ、神はいるのだという同語反復や、信仰の心を体験したものには分かるという主張の神の存在証明中心の中世に、アリストテレス哲学の論理による存在証明が入ってきてどちらとも整合をつけようとする当時の修道士・神学者の論理や気持ちに少し近づけた気がする。