副題に「科学者、哲学者にモノ申す」とあるように、実際は宇宙物理学者が「科学哲学は科学の役に立っていない」と疑問を呈し、科学哲学者がそれに答える本。
非常に面白い一冊で発見が多かった。
須藤靖、伊勢田哲治両氏ともにそれぞれの分野ではそれなりの実力のある方だと見受けられますが、罵り合いにならないことをま
...続きを読むずは寿ぐべきというレベルで噛み合わない。
言葉の定義が異なると話し合うことすらできない。「原因」とは何か。「因果」とは何か。それを巡って定義を合わせようとするところ、つまり議論の最初ですでに同意できない。
普段から論文や発表や講義という形で議論をこなしている学者同士であってもベースラインが違うと建設的な議論は難しいというのは、「話せばわかる」と思っている楽天的な進歩主義者には正視しにくい。
二人とも繰り返し「先ほどから何度も申し上げているのですが」と自説を展開し、「なるほど私は自分の意見を変えました」とはならない。意見を変えたら負けと思っているかのよう。
(いわんや素人のネット議論をや。)
私はどちらかというと科学哲学好きなので、主に科学哲学側にシンパシーを覚えながら読んだが、その中で気になったのは『科学を語るとはどういうことか』というタイトルにそった話し合いにならず、科学者が「科学哲学は科学にどう役に立ってくれるんですか、役に立ってくれないんなら存在意義はないから消えろください」という態度でモノ申していたこと。
普段「世の中」からよせられる「宇宙のことを研究して私たちの生活の何に役立つんですか」に感じる苛立ちをそのまま科学哲学にぶつけているかのよう。
もっとも、科学者は文中でアンリ・ポアンカレの言葉を引いている「科学者は役に立つから自然を研究するのではない。楽しいから研究するのであり、自然が美しいからこそ楽しいのである」。でも自分の物理学はそれでいいのに科学哲学はそれじゃダメというのかしっくりこなかった。(最後の方で、ほとんどの科学哲学はまともだと分かったとは書いてある)
最後まで噛み合わない、それなりのボリュームの対談が一冊の本に纏まっている。そのこと自体にとても大きな価値があると感じた。(科学哲学者はあとがきで「噛み合っていないかもしれないけど、みのりが多かった」と書いていて、それには諸手を挙げて賛成します)
これを一冊の本にまとめあげたのは、それぞれの著者の力量もさることながら、間にたった編集者の力量がものすごく大きかったのだと思う。「河出書房新社の朝田明子さん」へ最大の賛辞を贈りたい。少しでも編集的な仕事に携わったことのある方なら、本書を形にすることがいかに困難な大異形だったのか、想像しただけでお腹が痛くなるレベルでわかると思う。