【感想・ネタバレ】科学を語るとはどういうことか 科学者、哲学者にモノ申すのレビュー

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Posted by ブクログ 2020年07月19日

副題に「科学者、哲学者にモノ申す」とあるように、実際は宇宙物理学者が「科学哲学は科学の役に立っていない」と疑問を呈し、科学哲学者がそれに答える本。
非常に面白い一冊で発見が多かった。
須藤靖、伊勢田哲治両氏ともにそれぞれの分野ではそれなりの実力のある方だと見受けられますが、罵り合いにならないことをま...続きを読むずは寿ぐべきというレベルで噛み合わない。
言葉の定義が異なると話し合うことすらできない。「原因」とは何か。「因果」とは何か。それを巡って定義を合わせようとするところ、つまり議論の最初ですでに同意できない。
普段から論文や発表や講義という形で議論をこなしている学者同士であってもベースラインが違うと建設的な議論は難しいというのは、「話せばわかる」と思っている楽天的な進歩主義者には正視しにくい。
二人とも繰り返し「先ほどから何度も申し上げているのですが」と自説を展開し、「なるほど私は自分の意見を変えました」とはならない。意見を変えたら負けと思っているかのよう。
(いわんや素人のネット議論をや。)

私はどちらかというと科学哲学好きなので、主に科学哲学側にシンパシーを覚えながら読んだが、その中で気になったのは『科学を語るとはどういうことか』というタイトルにそった話し合いにならず、科学者が「科学哲学は科学にどう役に立ってくれるんですか、役に立ってくれないんなら存在意義はないから消えろください」という態度でモノ申していたこと。
普段「世の中」からよせられる「宇宙のことを研究して私たちの生活の何に役立つんですか」に感じる苛立ちをそのまま科学哲学にぶつけているかのよう。
もっとも、科学者は文中でアンリ・ポアンカレの言葉を引いている「科学者は役に立つから自然を研究するのではない。楽しいから研究するのであり、自然が美しいからこそ楽しいのである」。でも自分の物理学はそれでいいのに科学哲学はそれじゃダメというのかしっくりこなかった。(最後の方で、ほとんどの科学哲学はまともだと分かったとは書いてある)

最後まで噛み合わない、それなりのボリュームの対談が一冊の本に纏まっている。そのこと自体にとても大きな価値があると感じた。(科学哲学者はあとがきで「噛み合っていないかもしれないけど、みのりが多かった」と書いていて、それには諸手を挙げて賛成します)

これを一冊の本にまとめあげたのは、それぞれの著者の力量もさることながら、間にたった編集者の力量がものすごく大きかったのだと思う。「河出書房新社の朝田明子さん」へ最大の賛辞を贈りたい。少しでも編集的な仕事に携わったことのある方なら、本書を形にすることがいかに困難な大異形だったのか、想像しただけでお腹が痛くなるレベルでわかると思う。

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Posted by ブクログ 2018年10月23日

これは面白かった。下半期ベストに入るかも。科学哲学者と科学者(物理学者)が対談をするのだが、哲学者が物理学の研究を不毛と思うことはなくとも、物理学者は科学哲学の議論をざっときくと腹が立つようだ。プロの研究者でかつ科学哲学の入門書をいくつも見ているような人でも議論をある程度精密に理解してもらうのにこれ...続きを読むだけの紙幅が必要なのかと驚いたところはある。いい加減にものを言ってはいけないなと思った。伊勢田先生が最後に、議論が包括的ではないからが入門向けではないかもと言っていたが、私にはちょうど楽しめる本だった。

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Posted by ブクログ 2014年10月11日

科学哲学の価値に大きな疑いをいだく宇宙物理学者の須藤靖さんと,気鋭の科学哲学者の伊勢田哲治さんの科学哲学をめぐるかなり本気な対談.ずっと緊迫した会話が続き,読んでいてとても疲れた.だがとても勉強になった.

頭脳明晰な二人が,あいまいな妥協なく,とことんまで話し,お互いを理解しようと懸命に努力をする...続きを読む.しかし,互いの問題意識をうまく共有することができない.話し合いでわかりあうことの難しさ!お互い熱くなって論争しているが,緻密に議論をすすめているのがすごい.

私は戸田山和久「科学哲学の冒険」のレビューで「ここに出てくる(科学的実在論の)議論のほとんどは哲学者には大問題でも科学者にとってはほとんど気にもならない問題なのではないかな.」と書いた.この本で須藤さんは,日頃科学哲学に感じているこのような違和感を伊勢田さんに堂々とぶつけている.

第1章,第2章では須藤さんの疑問に答えながら,科学哲学の流れを丁寧に辛抱強く伊勢田さんが説明して行く姿が印象的.説明もわかりやすい.

第3章で哲学者の問題意識が科学者とはちがうという話をするあたりから,議論が白熱する.議論が白熱する要因はいくつかある.まず議論の基礎となる部分で,

(1) 哲学者が専門用語を無定義のまま使ってしまい,物理学者からわからない,定義の問題だと言われる.異分野の人と話をするときは,なるべく専門用語を使わない,それができないなら,それが大まかにでもどういう意味かを説明しないとうまくいかない.具体的に言えば,自由意志,マーク,メタフィジックスなど.「物理理論がメタフィジカルな部分まで正しい」って,意味が分からないのは須藤さんだけではあるまい.定義自体が問題だといわれれば確かにその通りなんだけど,それだと話しができない.「視覚情報や文字情報として我々がもっているデータというのは,ある意味非常に二次元的な色の空間配置のデータなんですよ.そこからまず,その背後にある,何か世界に関する推論をして,その世界の持っている規則性について推論する.」(p.259 )なんてのもよくわからない.須藤さんは「それを職業としているからには,自分の考えたことをわかりやすく言語に翻訳する責任はありますよね.」(p.227)と言う.

(2) 物理学者が,いろいろな状況で何度も具体例を求めるのに,十分に具体的とはいえない返答が多い.非実在論の説明を具体的に求められて,「物理理論はそのまま受け入れるし,それが観測可能な事実を良く説明することも受け入れる.ただ,その理論がうまくいっている理由がメタフィジカルな部分まで正しいからなのか別の理由によるのかについては保留する.どういう態度か,という説明としてはこれで十分具体的だと思います.」(p.202)と答えてるが,これは十分具体的だろうか.実際,後で何度も何度も説明することになる.また難しい言葉,概念が登場したとき,難しい抽象論をすすめるとき具体例が欲しくなるの当然なのだが,これはたぶん「具体例で議論する性質の問題じゃないんですよ.」(p.106)という本質的な壁があるのかも.それだったらなぜそうなのかは説明が欲しいところ.

そして,議論の本質となる部分では,
(3) 科学哲学の究極の目標は「科学とは何か」を探求することにある.そしてそのために,因果論とか,実在論・非実在論を議論している.因果論では,非常にシンプルなモデルから出発して,現象の原因を探ろうとしている.実在論・非実在論では科学の全く無いところから始めて,科学を積み上げていったときに,我々は科学をやることによって何をしていることになるのかというのが問題意識なのだそうだ.なるほど.須藤さんは,それを理解した上で,300年前ならいいかもしれないが,現在の科学,特に物理学の状況を考えれば,あまりにも問題設定がプリミティブだし,そのようなことをしていてはいつまでたっても「科学とは何か」に迫ることはできないだろうと批判する.そして,そのような思考を通じて,「具体的にどのような成果があったか?どういう新たな知見を得たのか?」と尋ねる.哲学者には酷だろうな.「もし科学の本当の姿を捉えたいのであるとすれば,方法論を考え直すべきではないでしょうか.それはプログラムとしては壮大だけど,「五感しか信じない」という出発点からそんなことが本当にできるのだろうか.」(p.204).「かつての偉大な哲学者と同じ出発点にしがみついたまま物事を考えてはいけないと思います.過去の哲学書を読むだけではなく,その後の科学による新たな知見を加えた上で,再度その問いに現代的な意味があるかを常に問い直してから出発するかどうかを判断しなければ.」(p.190)とも.

最後まで,お互いの文化をわかりあえたという感じではないのだが,この厳しい議論を通じて,科学哲学が何を問題にし,そしてそこに何が足りないかがよくわかる対談だった.

蛇足だが「クリシン」という略語がかっこわるい.

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Posted by ブクログ 2014年09月29日

科学哲学という業界に「アホがアホを再生産しているのではあるまいか」と疑念を持つ物理学者と,それを迎え撃つ気鋭の科学哲学者との対談。物理学者の須藤氏の半ば先入観に基づく(しかし科学者が科学哲学に対して抱く印象としては極めてまっとうな)疑問に対し,科学哲学の伊勢田氏が丁寧に答えていくというスタイル。対談...続きを読む本にしては,予定調和のないガチンコ対決という風情で非常に刺激的。だらだらしゃべって文字起こしという安易な作りではなく,事前の論点整理,事後のやりとりの反映や正確を期するための補足も入念になされていて,文章が散漫にならないのも良い。「科学を扱いながら科学界への具体的提案のない,独りよがりで内向きの学問なのでは?」,「同業の権威者の説や奇異な理論を取り上げて些細な点を執拗にあれこれし,議論が堂々巡りする不毛な業界では?」,「おかしなことを言っているか,当たり前のことをややこしく言っているだけなのでは」という素朴な疑問をぶつけていく須藤氏も,科学哲学に素人とはいえ,入門書を複数読み概要を踏まえた上で対談に臨んでいる。研究や研究室の業務に忙しいまっとうな科学者が,ある程度の興味をもって科学哲学者と率直にやりあうこういう機会は貴重だし,それがしっかりした書籍として世の中に出たのはとても有意義。科学に興味をもつ多くの人にとって示唆に富む内容。
読む人が科学にどれほど信頼を置いているかによって,この本の印象はだいぶ異なったものになりそうだ。頭の硬い科学者を,社会や人間存在というものを踏まえた大局的見地に立った哲学者がたしなめていくという風に読む人もいるだろうし,現場の科学者の常識的・合理的な感覚に対して,哲学者が役にも立たない些末な揚げ足取りを繰り返し極端な懐疑論まで擁護していると読む人もいるだろう。でも,本書から読み取るべきことは,そのどちらでもない。いくつかレビューを見ると,対談は最後まで平行線という感想が目立つけど,哲学の考え方,立ち位置に須藤氏が次第に納得していく様子も見られる。ソーカル事件の顛末を知って科学哲学に対して抱いた敵意と,ビリヤードを用いた旧態依然の因果論に対する激しい違和感で,業界全体に対する感情的な反発をもってしまっていたこともはっきり認めて反省している。その種の多くの誤解は解けたし,二人の間で意見が一致する論点が多々あることも最終的には確認できている。ただ須藤氏は最後まで「学問の目的」という点では納得いかない様子だ。問題設定が具体的で目指すべきゴールのはっきりした科学と,実用性からは幾分遊離した哲学のものの見方にはやはり大きな距離がある。科学のために科学哲学があるわけではなく,科学哲学者は自身の哲学的に興味に基づいて科学を哲学しているのだから,この差はある意味当然なのだろう。
科学の専門家でない立場から科学全体を俯瞰するという行為が,今や密接不可分となった科学と社会を考える上で意味のある営みであることは否定しがたい。仮に現在の科学哲学がそれほど意義ある内容のものでないとしても,学問の世界,特に人文系の学問にはその程度の遊びは必要だと思う。高価な実験器具や大規模な調査など要らないから,たいして金がかかるわけでもないし,大いにやればいいんじゃないかな。いくつか著書を読む限り,伊勢田氏は聡明で知的に誠実な学者だし,彼もその一員である科学哲学業界がまるごとダメダメな業界とも思えない。ただ科学者との交流が少ないのは事実と思われるので,そこは改善の余地がありそう。必ずしも良い関係である必要はなくて,立場の違いからのすれ違い,いがみ合いがあってもいい。この点現状で特に手薄なのはやはり科学者側の科学哲学に対する関心のようなのだが,科学者側になかなか余裕がなさそうなのがネックかも知れない。極端な成果主義を改めて,もっと遊びを設けることができればいいのだけれど…。

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Posted by ブクログ 2013年07月22日

哲学者の伊勢田氏が辛抱強く、物理科学者に科学哲学とは何かを説明する内容。スリリングではあるが、哲学がどういう問題領域を設定しているのかについて須藤氏がなかなか理解しない様子(特に3章、4章あたり)は少しいらっとくる。

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Posted by ブクログ 2020年06月15日

いただきました。ありがとうございます。これはおもしろい。



これ読んでも科学哲学がどういうものかってのは一般読者にはよくわからんわけだけど、攻撃的な学者たちがどう議論していくか、ってのでは勉強になる。

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Posted by ブクログ 2023年05月14日

2023-05-13
いやあ、面白いほど話が噛み合っていない。最終的には価値判断に帰することであり、そこはまあ趣味の問題と言ってもいいのだけど、そこに至るまでまだ考えることがあるのではとも思う。
全員が合意することを目指す営みと、価値判断との境目がどこか、という話か。
また、一方が「取り組む問題を明...続きを読むらかにせよ」というのに対し、「何が取り組む問題なのかが問題だ」と答えて平行線に陥っている気もする。
存在するゴールに到達することが大切と考えるか、あってもなくてもそこに向かうことが大切と考えるか。ここまで来ると結局価値判断ということになるのか。

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Posted by ブクログ 2014年04月18日

ここで須藤さんが語る科学の方法論はリサ・ランドールが『宇宙の扉をノックする』で語っているものとほぼ同じものである。
学生時代に廣松渉の『科学の危機と認識論』を読み、村上陽一郎の講義を聞き影響を受けてクーン、ハンソン、ポパー、ファイアアーベントを愛読してきた自分が、それでもやっぱり須藤さんの言っている...続きを読むことの方が共感できる、というところに少なくとも日本における哲学の問題があるだろうと思う。自分の”アタマ”に信頼を置き過ぎ、というか、道具立てが古すぎる、というか。
読み終わっても科学哲学の目的と意義を理解も納得もできなかった。またいつか読み直してみようと思う。

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Posted by ブクログ 2013年12月02日

科学者ではないものが語る「科学哲学」について、科学者と哲学者の議論、というか哲学者の説明、というか。議論が循環して申し訳ございませんが、という言葉が本文中にも出てくるように、およそ噛み合わない話が続く。それがこの本の狙いなのだろうけれど、なかなかに疲れる。僕は科学哲学のような考えに割と惹かれた頃があ...続きを読むったけれど、今はもっと単純な物理法則に拠り所を求めたい気分がしていた。そういう点で科学者頑張れ、だったのだけど、けっこうそこがとろけていってしまった。目に見える、ってなんだろうね。

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Posted by ブクログ 2013年08月04日

科学者と科学哲学者の対談形式の本.
私はソーカルの本を読んだ程度の関心と知識しか持っていない人間です.

科学や科学哲学,どちらかの考え方についてある程度親しみがある人向けの本な気がします.
科学や科学哲学の”考え方”について二人が話していますが,やや須藤さんが意固地になっている気がします.
このく...続きを読むらい意志が強く,しつこくないと科学者にはなれないのっかも知れませんが,科学者の”興味”の持ち方に比重を置きすぎな感も.
まあ,そうでなければこの対談はなかったでしょうから,それはそれで.

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