小倉紀蔵の作品一覧
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Posted by ブクログ
嫌韓派のヘイトスピーチかまびすしく、ヘイトスピーチをめぐる論争がなされヘイトスピーチ解消法という一応の歯止め法が施行された2016年に出た本。知韓派や移民問題を研究する小倉紀蔵、大西裕、樋口直人の3人の論稿が収められている。
研究者というよりは思想家的小倉さんとほかの2人とでちょっと様相が違い、そういう意味ではやや一冊としての統一感に欠ける気も。好意的にとれば多様な面から嫌韓問題を解く試みをしているといえるだろうか。
とはいえ、ついつい「反嫌韓派」としては嫌韓派の牙城を壊す材料を探すような気で読んでしまう。まあ、嫌韓派の主張の非妥当性を突くような反証材料はいくらでも出てくるんだけど、小倉さんの「そもそも、嫌韓派も反・嫌韓派も、「認識の長さ」が短すぎる、とわたしには感じられる。認識の長さが短い、というのは、前提も文脈も体系もなしにいきなり、たとえば「韓国人は依存的だ」(嫌韓派)といったり、「韓国人は依存的だというのは間違っている」(反・嫌韓派)といったりするということだ。厳密な実証や解釈を経た上でそのような認識に到達するのならよいのだが、どうもそういう知的作業を経ているとは思えない政治的認識が、多すぎるように思える。命題があまりにもひとり歩きしすぎている。そしてその命題の絶対性があまりにも固執しすぎている。」(p.5)という主張はいささか耳が痛い。小倉さんはその原因は両者とも「運動」だからだと述べていて、「「運動」の正しい目的のためには、自陣にとって不利な情報や認識は排除しなくてはならない、という意識が働くのであろう。不純物を排除したイデオロギー的認識の体系は、一見、純粋で美しい。しかしそれは実は「なにも語らない命題」つまりトートロジー(同語反復)なのではないだろうか。」(p.5)としているのも腑に落ちる。認めなければいけないかな、と思う。
一方で、やっぱり人に優劣をつけたり悪感情情を攻撃的な態度で現わしたりする態度はみっともないし、倫理的にいってよろしくないだろう。だからこそ、ついつい情け容赦無用・攻撃可のような気になってしまうのだが。
大西さん、樋口さんという研究者2名の論からも参考できることが大きかった。大西さんの論からは曲折を経た末の現代韓国社会の成熟感がわかったし、樋口さんの論からは移民受け入れや外国人参政権を拒む日本の世論やそれに迎合的な今日(2000年代以降くらい)の政治の幼稚さ、現実から目を反らすような、はたまた愚かさにあぐらをかいているようだなという印象を深くした。日本ばかりがグローバルスタンダードからはずれたところで足踏みしている……というか、ひきこもろうとしているかのよう。
しかし、こんな嫌韓派の論への反証的なことをわざわざいわなきゃいけないっていうのも不条理極まりない。論理や理屈が立たない輩を相手するのって本当に大変だもん。良識や正論(書中では雑誌「正論」という内容とあべこべのような名の雑誌のことも出てきたが……、いや正論は論じる本人にとっては自分の信じるところと一致していれば正論か)をかざすことの徒労を感じてしまって悲しい。しかも、10年前より分断は深く固定化した感があり、それもまたやるせない。
Posted by ブクログ
視点を相手側(向う側)においてみると、従来の自分の思考が如何に狭く偏ったものに過ぎないかということを痛切に感じさせられた。自分の側から自分知識のみで考えていたに過ぎないということを。
朝鮮の歴史をもう少し学ばなければならない。アメリカの人も日本のことについて、このくらい知らないし知ろうともしていないことを思うと恐ろしい、特に沖縄の事など。
朝鮮に対しては、卑弥呼時代や白村江の役、百済からの帰化などほんの僅かしか知らないなかで、日本とは明治維新以降の関係で封建的で儒教に凝り固まった遅れた国という印象であった。それは自分が知らないだけであって深い事情がもっとあったのだ。アジア主義を調べている時にもフラフラ対応をして中・露・日を手玉にとって無節操に立ち回ったという印象がぬぐえなかった。
漢字の人物名が多出し、儒教の原理論や多くの派閥間抗争が錯綜し、複雑でなかなか内容の理解まで入れないスタートであったが、読み出すとまさに血が引くという感じである。知ると同時に無意識の思い込みが砕かれる、衝撃を受ける、圧巻である。
再読は勿論、もっと朝鮮を知ろうと痛感。
Posted by ブクログ
古代から現代にいたるまでの朝鮮思想史の全体像を、かなり分厚いとはいえ、新書一冊で概観することのできる本です。
著者は「はじめに」で、「できるだけ著者の自説を展開せず、客観的な記述を旨とした」と述べています。ただ、本書全体をつらぬくキーワードとなっている「霊性」ということばが、十分な彫琢をほどこされないままに用いられており、朝鮮思想史の客観的な全体像を知ることを妨げているようにも感じられます。とはいえ、「本書一冊を読めば、神話から現代まで、儒教や仏教から文学まで、朝鮮思想の全体をざっと見わたすことはできる」というような本は、日本だけでなく、韓国にもこれまでなかったと「あとがき」には書かれており、これから朝鮮思想史を学ぼうとするひとにとって道しるべの役割を果たす本になるのではないかと思います。
もちろんそれぞれの思想家たちの議論にかんするくわしい説明がなされているわけではないので、わたくしのような門外漢には本書を読んだだけで朝鮮思想史の内実が十分に理解できるようになるわけではありませんが、それでもおおまかに全体像を知ることができたのは事実であり、まさしくそれが著者の意図するところなのだとするならば、その意図は十分に果たされているといってよいのではないかと思います。