作品一覧 2023/10/06更新 「常識」によって新たな世界は切り拓けるか 試し読み フォロー 道徳的に考えるとはどういうことか 試し読み フォロー 入門講義 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』 試し読み フォロー 1~3件目 / 3件<<<1・・・・・・・・・>>> 大谷弘の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 道徳的に考えるとはどういうことか 大谷弘 道徳が身近なものであり、それについて考えるきっかけを与えてくれる。 流石に西洋哲学専門の先生の著書ですので、文体はやや堅いですが「道徳的に考える」ことについて興味がある人には大変読みやすいのでは無いかと思いました。著書内でも触れられていますが、抽象的な概念を扱う際には具体的な例があると飲み込みやす...続きを読むいです。その意味で、本書では例を出したり、予想される疑問に答えたりしながら手取り足取り説明してくれています。また、筆者自身の主張も、学者では無い一般読者を受け入れてくれる柔らかさを持っています。 Posted by ブクログ 入門講義 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』 大谷弘 ウィトゲンシュタインの前期の思考について。 解説本なので、読みやすい。但し、前期は言葉の役割やルールについて考えた所に留まり、結局文脈依存性に触れる言語ゲーム論の方がウィトゲンシュタインの真髄。 有意味な言葉とは写像理論である。写像とは写し取るという事だが、要するに世界の中で物事がどうなっているか...続きを読むを述べることが、言葉の本来の機能。その機能を果たしている言葉が有意味な言葉だということ。ウィトゲンシュタインは、世界とは、ものの総体ではなく事実の総体だといった。その写像によって模型化された言語というのは、つまりは名詞であり、イメージにデコードされ得るもの。それら名詞の連関を意味づけするのが、接続詞であり、記号論理学、記号言語などの理論で展開されるが、最早この流れはアルゴリズム化され言語生成AIに組み込まれた事を考えると、やはり規則性の産物でしかない。 私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する。思考は言語を伴うが、時に映像や嗅覚が先行して情動を支配する。従い、必ずしも言語が個人を規定するのではなく、幼くて語彙の少ない子供にも世界は開かれる。つまり、言語は限界を示さない。世界はピクトグラムのように無言でも成立し、そこにあるのは言葉ではなく、意味だ。言語は意味の媒体でしかなく、それは発話者により多義的に意訳され得る曖昧なものだ。 後期のウィトゲンシュタインは、言葉の働きを把握するために、言語ゲームに目を向ける。当初考えていた、論考の写像理論の観念が不明瞭であると批判したとの事だ。発話の主語により、全く同じ文章が異なる意味を持つのだから、言語解析には限界がある事はよく分かる。言葉は、言語主体を分析する一手段でしかない。言語ゲーム一元論に挑戦してみたい。 Posted by ブクログ 入門講義 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』 大谷弘 妙に硬くないところが気になった。所々の解釈は先行本と違って、面白い点あった、『ガイド』とか。後期との一貫性の説明は平明でナイス。『偉大な失敗作』をどう活かすのか、まだこれから浴び続けなきゃ。 Posted by ブクログ 大谷弘のレビューをもっと見る