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一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。別れ言葉にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。
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Posted by ブクログ
「さようなら」という言葉には,幾許かの諦めのような認識(そういうことならば)が感じられる一方で,どうにもならない事柄に対する厳しい覚悟(そうならなければならないのならば)も感じられる.このふたつのバランスが微妙に絡み合いながら成立している素晴らしい言葉であるということ,そしてこの言葉にかつての日本人...続きを読むが込めてきた思いはとても切ないものであったということをこの本は示してくれている. 幾らかの感傷が含まれているのを承知で言えば,井伏鱒二の「さよならだけが人生だ」という言葉の素晴らしさを改めて認識させられた.
別れを惜しむでもなく、再会を願うでもなく、ただ”さようなら”と言う。 そうでなければならないのならば。 潔い言葉です。
「さようなら」とは不思議な言葉だ。 左様なら、なんなのか。ずっと疑問に思っていた。 これが別れの挨拶として、定着するに至るまでどのような経緯があったのか、それを考えるヒントにこの本はなる、と思う。 かつて文章の中で、文学の中で、この言葉がどのように使われてきたか、ということはよく研究してある。 美...続きを読むしい言葉である。「さようなら」。 この言葉によって日本人の精神性がわかるか?答えはNOだ。 挨拶はどのような場面で使われるか、それがどのような心持ちであるか、は、自由であるから。 ゆえにこの本ももう少し違うアプローチなら、よりよかった。 内容は大変興味深いので一読の価値はある。
「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受け入れている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそうちに埋め火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。
[ 内容 ] 一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。 なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。 語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡...続きを読むり、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証しながら、別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。 [ 目次 ] 第1章 「さらば」「さようなら」という言葉の歴史 第2章 死の臨床と死生観 第3章 日本人の死生観における「今日」の生と「明日」の死 第4章 「いまは」の思想 第5章 不可避としての「さようなら」―「そうならなければならないならば」 第6章 「さようなら」と「あきらめ」と「かなしみ」 第7章 出会いと別れの形而上学 第8章 「さようなら」としての死 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
古文、例文が多すぎて所々飛ばして読んだ。 good-bye→God be with you(神と共にあらんことを) さようなら→さらば。そうであるならば。そうでなければならないなら。 表現の元をたどっていくと、死生観に行き着くのも面白いと思った。 「東洋風な諦念の美」として賞賛される一方で、「浅...続きを読む薄なニヒリズム」だと批判もあるようだが、過去にけじめをつけて無常を受け入れる言葉、私は美しいと感じた。
テーマが面白い!と思って手に取ったが、小難しいことがいっぱい書いてあった。別れの挨拶は世界的にも3つに分類(①良い別れ系②再会系③神のご加護を系)されるらしいが、「さようなら」はどれにも当てはまらず、この独特の別れ方から、日本人独自といえる文化を見つけだそうとする試み。「そうならざるえないならば」と...続きを読むいう諦観と、受入れる心、文章や会議の最後に「以上です。」と付け加える風習との類似性から探っている。面白いが小難しい。
昔「さよならは別れの言葉じゃなくて~♪再び逢うまでの遠い約束~♪」という歌があったけど、やっぱりさよならは別れの言葉なんだなあ、と思った。「再び会う」期待や祈りは込められていない。花は散る、人は死ぬ、諸行無常。「さらば」「さようであるならば」さようなら、なのだろう。いろんな人の死生観なども語られてい...続きを読むるが、特に十返舎一九の辞世の句、志賀直哉や吉田兼好が印象に残っている。
東大倫理思想のペリカン文化人は眉唾本が多いが、本書は、さようならという言葉を巡って、日本人の精神のありようを少しづつ浮き彫りにしていく。その思索の様は、特に文学作品の豊富な引用とあいまってなかなか説得力もある。日本人の「哲学」とは本来かくあるべきという良いお手本ではないかと感じる。
先行の事柄が「そうであるならば」 不可避の定めによって「そうならなければならないならば」 「さようなら」という言葉自体には過剰な希望も悲哀もないけれど、それを口に出すためには事実を事実として認めつつも胸の内に押さえる覚悟が必要だ。そしていくらかの諦念も。本書を手に取ったときはまさか死生観の話になる...続きを読むとは思っていなかったが、日本人の時間に対する考え方やものごとの移り変わりを見つめるまなざしが、多様な文献によって浮かび上がってきて興味深かった。
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日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか
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竹内整一
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