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「日本人論」再考
明治以降、夥しい数の日本人論が刊行されてきた。『武士道』『菊と刀』『「甘え」の構造』などの本はなぜ書かれ、読まれ、そして好評を博すのか。そこには、私たちを繰り返し襲う「不安」がある。欧米文明に遭遇し、戸惑う近代日本人のアイデンティティの不安の在処を抉り出す。本書は、日本人論の総決算であり、150年間の近代日本の物語でもある。(講談社学術文庫) -
日本その日その日
近代に染まる寸前の日本を科学者の目が見つめていた―― 菓子屋の看板、人力車、屋敷の屋根瓦、和服の装い、そして、穏やかに暮らす人々。 大森貝塚の発見で知られるモース、その鋭敏な眼差し惹きつけられたのは、明治最初期日本の何気ない日常の営みだった。 東京大学教授として滞在する2年間にのこした、膨大なスケッチと日記には、卓越した科学者ならではの観察眼と、異文化を楽しむ喜びが満ちている。 彼が日本で出喰わした愉快な経験の数と新奇さは、ジャーナリストも汗をかくほどのものだ。 人通りの町を一列縦隊で勢よく人力車を走らせると、一秒ごとに新しい光景、新しい物音、新しい香り…… 明治十年代のまだ近代に出会ったばかりの列島の生活を、モースは驚きと敬意をもって見つめていた。 当時の生活文化を記録した重要資料であり、なおかつ読んで見て楽しめる明治日本見聞記。(解説・牧野陽子) ※本書の原本は1939年に創元社より刊行された抄訳本です。 -
ギリシア・ローマの文学
すべての西洋文化の源泉である傑作の数々を、その時代背景とともに概説する決定版ガイド! 年表付。 叙事詩人ホメロス、勝利歌のピンダロス、悲劇詩人エウリピデス、雄弁術のキケロ、弁辞学のセネカ、ローマ最大の詩人ウェルギリウス……。この時代の文学は、何よりもまず音の技芸だった。ホメロスやサッポーは歌であり、プラトンの対話編は巧みな話術である。今日の西欧でも、この音声による文学の伝統は根強く残っている。 二千年以上読み継がれてきた西洋の古典は、どのような背景から生まれたのか。膨大な作品と共に、歴史上の傑作を時系列で、鮮やかに解説し、文学史を一望する。 われわれ日本人にとって、いちばんわかりにくいのは、ギリシア・ローマの文学が何よりも先に、音声による文学であったことであろう。詩はギリシアでは歌うものとして発達した。ホメーロスの叙事詩も古くは竪琴の伴奏による歌だったし、サッポーの叙情詩も歌であった。エレゲイアは笛を伴った。ピンダロスのあの壮大な複雑極まる詩は音楽と踊りと歌との複合体であった。劇が音声によるものであるのはいうまでもない。散文もまた同じである。たんに事実を記すための覚え書きではなくて、文学として公表されたものは、すべて音声を伴うことを前提としていたといってよい。(本書「はしがき」より) [本書の内容] はしがき ギリシアの文学 ギリシア英雄叙事詩 激動の時代・叙情詩 完成の時代――劇文学 完成の時代――散文学 ヘレニズム時代 ローマ時代 ローマの文学 共和政時代 帝政時代 ギリシア・ローマ文学年表 索引 -
和の文様辞典 きもの模様の歴史
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 植物、動物、幾何学、自然風景、天体・・・・・・。 古くは縄文時代にはじまり、高麗文明と隋文明の影響を受け、日本独自の美意識から研ぎ澄まされていった和の文様。衣装、装飾品、装身具、器、仏具、神具に見られる中から、 江戸時代の小袖文化により、日常着として柄が圧倒的に増えた和装文様をとりあげ、786柄を収録。 読み方、名の由来、特徴ときものとしての用途を紹介する。 きもの研究家として活躍した、石崎忠司による『きものの文様―初心者から専門家までの解説書―』。1973年に刊行された名著を、きものプロデューサーである次男の石崎功による、丁寧な解説加筆、可能な限りの図版カラー化により、リニューアル復刊! 見て、読んで、和の文化が学べる、和文様大全、ついに完成。 *本書は、衣生活研究会より一九七三年に刊行された 『きものの文様-初心者から専門家までの解説書-』を改題し、大幅加筆修正の上、 写真や図版を撮り直し、文庫化したものです。 -
方言の地図帳
ゴミは、「なげる」? 「ほかす」? 「うっちゃる」?「明後日の次の日」、あなたの町では「やのあさって」?「しあさって」?全国2400箇所の調査記録をもとにした「お国言葉」の一大パノラマ。さまざまな方言が列島に広がるさまを地図に表すと、そこから日本語の豊穣な世界が見えてくる!辞典としても使えて方言の基礎知識も満載!国立国語研究所が総力を傾けて製作した『日本方言地図』をもとに、言葉がいかに伝播し、姿を変え、生成していくのかを描き出す。懐かしい言葉の記録でもあり、日本の長い歴史の探究でもあり、あたらな言葉の動態を探る探究でもある、無二の地図帳。「方言は日本人の心のふるさとであると同時に、日本語に新たな活力を与えるエネルギー源でもある。共通語は周囲の方言を吸収しつつ成長を続けてきた」(本書より)【本書の内容】第I部 自然/第II部 人間と生活/第III部 動植物音韻編 方言の基礎知識 -
『エセー』読解入門 モンテーニュと西洋の精神史
ミシェル・ド・モンテーニュ(1533-92年)の名は『エセー』とともに知られています。全訳だけでも5種類を数えるほど日本ではなじみのある著作ですが、岩波文庫で全6冊という分量、そして著者身が全2巻の初版(1580年)公刊後も改訂を続け、1588年には第3巻を増補するとともに最初の2巻に加筆を行った版を出し、さらに没年まで改訂を進めたため、さまざまな時期に書かれた文章が混在した書物になっていることから、決して分かりやすいとは言えないこともまた事実です。 そうした事情ゆえ、これまで『エセー』の入門書や概説書が陸続と出版されてきました。しかし、本書はそのどれとも異なる、決定版と断言できる1冊になっています。 断言できる理由は明確です。『エセー』第3巻第2章で、モンテーニュは「ここでは、私たち、つまり私の本と私自身が一致してひとつの道を進んでゆく。よそでは作者のことをわきに置いて作品をほめたりけなしたりできるが、ここではだめである」と記しています。つまり、「私の本」である『エセー』と「私」であるモンテーニュは不可分であるというわけですが、ここに示されているのは、作者の意図を知らなければその著作を理解できない、といった単純なことではありません。直後には「そのことをわきまえずに私の作品を判断する者は、私をというよりも、むしろ自分自身を傷つけることになるだろう」という言葉が続いているのですから。 なぜ『エセー』をモンテーニュから切り離して読む者は「自分自身を傷つける」ことになるのか――本書は、この問いに答えるために、『エセー』をモンテーニュから切り離すことなく、ていねいに読んでいきます。『エセー』を一度も読んだことがなくても、モンテーニュについて何も知らなくても、名前を聞いたことがあるだけでも読めるように書かれています。むしろ、そのような人のためにこそ、本書は書かれました。 本書によって大著の全容を知ることができるのはもちろん、本書を通して『エセー』を読むことは人間が紡いできた精神の歴史そのものを読むことにほかならないと気づくでしょう。そのような著作は他にありません。そして、そのことをありありと伝え、実践する『エセー』についての書物も、これまでありませんでした。渾身の書き下ろしによる1冊、ここに自信をもってお届けいたします。 [本書の内容] 第I部 若すぎた世紀 第1章 宗教戦争 第2章 十六世紀ルネサンス 第3章 モンテーニュのほうへ 第II部 「自分」・「私」・〈魂〉 第4章 執筆開始 第5章 マニフェスト 第6章 だれが?――〈魂〉が 第III部 〈魂〉の軌跡 第7章 もうひとつの背景 第8章 ソクラテスへの視線 終 章 百姓のかたわらで -
素朴と文明の歴史学 精選・東洋史論集
日本の東洋史学が生んだ20世紀の巨人、宮崎市定(1901-95年)。広範な領域にわたる魅力的な著作の数々から、全集未収録作品を含め、これまで文庫に収録されてこなかったものを中心に精選したアンソロジー。長年の愛読者はもちろん、宮崎史学初めの一歩にも。 「歴史は須(すべか)らく世界史でなければならぬ。事実、私の研究は常に世界史を予想して考察して居り、世界史の体系を離れて孤立して個々の事実を考えたことは一度もない」(『アジア史研究』第一、「はしがき」より)。出発点となった宋代史研究をはるかに超えて、中国史のあらゆる時代、さらに西アジア史や古代日本史にまで及ぶ優れた業績は、いずれも偉大な歴史家の理念に力強く裏打ちされている。 鋭く細やかな洞察、時間・空間ともに壮大な展望を予感させるスケールの大きさと独創性、生き生きとした人物描写、これらを可能にする文章力……。枚挙に暇がない魅力ゆえに、宮崎の作品は、専門家にとどまらず長きにわたって多くの読者を得てきた。専門とする時代・領域ともに異なりながらも、宮崎への思い入れが嵩じて評伝を著し話題になった西洋古代史研究者の井上文則氏もその一人である。その井上氏が、歴史家としての宮崎市定、とりわけその人となりがわかるような作品を厳選、解説では宮崎の人生のなかにそれらの作品を位置づける。 中国の歴史は中国周辺の民族に代表される素朴主義と、中国社会そのものである文明主義の入れ替わりの歴史であったと喝破し、素朴主義に共感を寄せる「素朴主義と文明主義再論」。本作品をはじめとする宮崎独自の雄大な歴史観、そして古代・中世・近世史、さらに文化史についての各論を通して、巨峰宮崎市定の威容に迫る決定版セレクション! 【本書の内容】 1 歴史の見方 世界史序説 素朴主義と文明主義再論 歴史と塩 『宋詩概説』吉川幸次郎著〔書評〕 2 歴史学各論 ・古 代 中国上代の都市国家とその墓地――商邑は何処にあったか 条支と大秦と西海 ・中 世 晋武帝の戸調式に就て 六朝時代江南の貴族 清 談 ・近 世 五代宋初の通貨問題梗概 王安石の黄河治水策 雍正時代地方政治の実情――シュ批諭旨と鹿洲公案 ・文化史 シナの鉄について 江戸時代におけるシナ趣味 3 全集未収録作品 大きな静けさ はしがき〔『地獄の決闘』〕 中国漢代の都市 中国における易占の発達 付録 宮崎市定と青木木米(リチャード・ピアソン&一枝?・ピアソン) 解 説(井上文則) -
哲学宗教日記 1930-1932/1936-1937
真の信仰を希求する魂の記録! 死後42年たって新発見された幻の日記 『論考』から『探究』へ―大哲学者が書き残した、自らの思考の大転換、宗教的体験、そして苛烈な内面の劇! “隠された意味”は何か!? 私の本『論理哲学論考』には素晴らしい真正の箇所と並んで、まがい物の箇所、つまり、言ってみれば私が自分特有のスタイルで空所を埋めた箇所も含まれている。1930.5.16 真の謙虚さとは、1つの宗教的問題である。1930.10.18 私はすべてを自分の虚栄心で汚してしまう。1931.5.6 人は職人の比喩に惑わされているのだ。誰かが靴を造るというのは1つの達成である。しかしいったん(手元にある材料から)造られたなら、靴はしばらくの間は何もしなくても存在し続ける。しかしながら、もし神を創造主と考えるのなら、宇宙の維持は宇宙の創造と同じくらい大きな奇跡であるはずではないのか、1937.2.24――<日記本文より> 『論考』がウィトゲンシュタインにとっての原罪であり、それを克服するためにこそ、この日記が書かれたのだという言葉に、おそらく多くの読者が驚き、いぶかしがられることと思う。――<訳者解説「隠された意味へ」より> *本書の原本『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記 1930-1932/1936-1937』は、 2005年に小社より刊行されました。 【目次】 はじめに 編者序 編集ノート 謝辞 凡例 第一部 一九三〇ー一九三二 第二部 一九三六ー一九三七 コメンタール コメンタールで使用された参考文献と略号 人名索引 隠された意味へ ウィトゲンシュタイン『哲学宗教日記』(MS183)訳者解説) 訳者あとがき 訳者あとがき補遺(学術文庫化にあたって) -
アストロノミカ
本書は、紀元1世紀、帝政を迎えた古代ローマに生きた詩人マルクス・マーニーリウスによる、天文学・占星術について記された最古の文献の一つです。作者マーニーリウスについては『アストロノミカ』の著者であること以外、確かなことは知られておらず、本作に見られる記述から初代皇帝アウグストゥスから第二代皇帝ティベリウスの時代に書かれたことを推測できるにすぎません。 古代において、天文学と占星術のあいだの区別は存在しませんでした。執筆当時のローマを見れば、アウグストゥスが生まれた日に占星術師プブリウス・ニギディウスが「地上世界の主が生まれた」と断言したと伝えられ、アウグストゥス自身も天文学や占星術を利用していたことが知られています。未来を知ることができる技術がとりわけ政治家にとって重要な意味をもつことは想像に難くないでしょう。だからこそ、マーニーリウスは本作の第一巻の序歌にこう記しました。 「生きた身ながら果てしない大空を巡ること、そして星座や 逆行する惑星の動きを知ることは喜ばしい。 だがこれらの知識だけでは不充分だ。大宇宙の心臓部さえも知悉すること、 それが星座を介して生物を生み出し支配する方途を 認識すること、そしてアポッローンの調律に従い それを詩に語ることはいっそう激しい喜びとなる。」(1.13-19) つまり、星座の分布や天体の動きに関する知識だけでなく、それらがいかなる力をもって地上に働きかけるのかという問題にまで踏み込んでいく必要がある、言い換えれば「天文学」の知だけでなく「占星術」の知をも身につけて初めて宇宙について知ることができる、と詩人は宣言しているわけです。 それゆえ、本書には古代の宇宙に関する知識のすべてが書かれています。「教訓詩」と呼ばれる韻文としてそれを綴った本作は、きわめて貴重な古典にほかなりません。残念なことに、本作にはラテン語原典から韻文の形で日本語に訳出したものは存在しませんでしたが、気鋭の訳者を得て、ここにその偉業が成し遂げられました。星空を眺め、宇宙に思いを馳せながら、ぜひ手にしていただきたい1冊です。 [本書の内容] 第一巻 第二巻 第三巻 第四巻 第五巻 訳者解説 訳者あとがき 図 表 -
新版 紫式部日記 全訳注
□絢爛たる宮廷生活、吐露される人生の憂愁□ 『源氏物語』という世界史的作品を生んだ紫式部は、平安王朝の実像を後世に伝える貴重な日記も遺していた。 敦成[あつひら]親王の誕生を中心に御堂関白家の繁栄を描く本書は、最盛期の平安朝宮廷の生活絵巻であり、作者の複雑な心境が吐露される貴重な文献でもある。 道長との歌の贈答、中宮彰子への新楽府御進講、和泉式部や清少納言などに対する辛口の批評、一条天皇の行幸…… 宮廷社会を舞台に繰り広げられる儀礼や賀宴の日々を見つめながら、紫式部は自己を冷厳に凝視し、憂いに満ちた内面を語ってもいる。 一人の平安びとの精神的軌跡が作品として昇華された日記文学を、全訳注で味読する! *本書は、2002年に講談社学術文庫のために訳し下ろしされた『紫式部日記』上下巻を一冊にまとめ、新版としたものです。 -
人間的自由の条件 ヘーゲルとポストモダン思想
近代国家と資本主義の正当性とは? 「人間的自由」の本質に立ち戻り近現代思想を根本から問い返す! 「国家」と「資本主義」の矛盾を克服し、その獰猛な格差原理を制御する新しい時代思想はいかにして可能か。ポストモダン思想をはじめとする20世紀社会思想の対抗原理の枠組みが失効したいま、資本主義的自由国家の「正当性」をどう哲学的に基礎づけるか。カント、ヘーゲル、マルクスら近代哲学に立ち戻り現代社会の行き先を再検証する画期的論考。 ヘーゲルは、「人間的自由」の本質は必ず近代の「自由国家」を必然化し、またそれは「放埒な欲求の体系」(競争的資本主義)へ転化すると考えた。そして近代国家の「人倫」の原理だけが、この矛盾を内的に制御し克服しうると主張した。……われわれはヘーゲルが近代国家論を完成したと考えたこの場面に立ち戻り、ヘーゲルの構想を、もういちど人間的自由の本質からはじめて“解体構築”しなおす必要があるのだ。――<本書より> -
日本探検
これぞ、梅棹の学問のありかたの神髄! 「なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識はあるきながらえられる。歩きながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている」(「福山誠之館」より) (講談社学術文庫) -
浮気な王の宮廷生活 スペイン・ハプスブルクの落日
政治には関与せず無気力。日々、絵を描き芝居を観て祝宴に列し、女性とみれば女優に修道女、宮廷の侍女から街の娼婦まで口説かずにはいられない。そんな愛欲に溺れる己に苦しみ、罪悪感から神にすがっては懺悔する…。 華やかなりしスペイン帝国をみるみるうちに凋落の一途へと導いた、国王フェリペ4世(1605-65 在位 1621-65)。 悪名高き意志薄弱な王は、いかに誕生したのか。その放埒な生活と晩年の不如意な人生と死を第1部に。凋落するスペイン帝国の実態を第2部に構成。様々な噂話やエピソードかスペイン・ハプスブルクの影を活写する。 目次 はじめに 第一部 第1章 スペイン国王フェリペ四世、誕生 王子の誕生と教育/王子の理想像/結婚、そして王位継承へ/寵臣オリバーレスと王家の人々 第2章 浮気な国王の放埒な宮廷生活 祝宴につぐ祝宴/王宮での日々/芝居を楽しむ/十七世紀式闘牛、マヨール広場にて/《狩猟をするフェリペ四世》/宮廷式求愛/宮廷画家ベラスケスと絵画コレクター/宮廷のおどけ者たち 第3章 フェリペ四世の告白できない告白 スキャンダルの始まり/女優〈ラ・カルデローナ〉との恋の戯れ/女子修道院に忍び込む/賢夫人イサベル王/ライバルは「ドン・フアン」/伯爵暗殺 第4章スペイン帝国の危機と王家の不幸 マントヴァ継承戦争とネーデルランド/カタルーニャとポルトガルの反乱/寵臣オリバーレスの失脚/権力の後継者ルイス・メンデス・デ・アーロ/イサベル王妃とバルタサール・カルロスの死/跡継ぎが生まれない!/「大地の息子」フアン・ホセ・アウストリア以後 第5章 世俗を逃れて/恩寵を求めて 神秘家マリア・コロネル/「余に天罰を!」/魂の国からのアドバイス 第6章 国王の晩年と黄昏れゆくスペイン 苦悩の晩年と国王の死/ハプスブルク家からブルボン家へ 第二部 17世紀スペインへの望遠鏡(テレスコープ) ハプルブルク・スペインのかたち/人々の生活とカトリック教会/異端審問と「アウト・デ・フェ」/黄金世紀、百花繚乱 《注》 あとがき 主要参考文献 人名索引 学術文庫版あとがき 本書は、『浮気な国王フェリペ四世の宮廷生活』(岩波書店 2003年3月刊)を改題、加筆・一部修正したものです。 -
播磨国風土記 全訳注
◇土地の名前、不思議な説話。そのすべては、古代びとの生きた確かな証◇ 奈良時代の初期、『古事記』や『日本書紀』とほぼ同時期に編述された、官撰の地誌『風土記』。 地方に律令政治による統治を行きわたらせようとした朝廷が、令制国の国庁にそれぞれの地理、産物、文化、歴史についての調査を命じ、その記録を献上させたものである。 各国ごとに編纂された『風土記』だが、その多くは散逸してしまい、現在まで遺されているのは、ごく数ヵ国のものに限られる。 『播磨国風土記』はその一つであり、本書は兵庫県南西部の地名の由来、大国主の伝説や景行天皇求婚譚などの説話、古代人の生活・習俗などを生き生きと伝える最重要史料である。 本書は漢文で書かれた原文からの訓下し文に、詳細な訳註つき。 さらに懇切な解説も加えた、「風土記」の世界を味わいつくす全訳注! 【本書「まえがき」より】 〈国家神話〉として再構成されたものではなく、在地に生きる古代の人々の、生きた神話や伝説、また習俗・社会などのありさまが、断片的ながらも窺える……本書は日本古代の人々の、生きた姿を、少しでも明らかにしようと努めたものである。 【本書の内容】 まえがき 凡例 一 賀古郡(一) 二 賀古郡(二) 三 印南郡 補説「印南郡」の存否 四 餝磨郡(一) 五 餝磨郡(二) 六 餝磨郡(三) 七 餝磨郡(四) 八 揖保郡(一) 九 揖保郡(二) 十 揖保郡(三) 十一 揖保郡(四) 十二 揖保郡(五) 補説「言挙げ」について 十三 揖保郡(六) 補説『万葉集』と播磨 十四 揖保郡(七) 補説 天日槍 付、粒丘銅牙石 十五 讃容郡(一) 補説 鹿の話 十六 讃容郡(二) 補説「異剣」伝説について 十七 宍禾郡(一) 補説「大神」「伊和大神」について 十八 宍禾郡(二) 補説 葦原志許乎神について 十九 神前郡(一) 補説 大汝神少比古尼神 二十 神前郡(二) 補説 百済人 二十一 託賀郡(一) 補説 盟酒 二十二 託賀郡(二) 補説 女性神 二十三 賀毛郡(一) 補説 地名起源記事の種類と性格 二十四 賀毛郡(二) 補説 根日女の話 二十五 賀毛郡(三) 補説 延喜式と風土記 二十六 美なぎ郡 補説 於奚袁奚天皇と「詠辞」 解説 鉄野昌弘 播磨国風土記地図 *本書は訳し下ろしです。訳者の遺稿に補遺を施しました。 -
資本主義の本質について イノベーションと余剰経済
〔それでも、究極的に資本主義は受け入れなければならないシステムなのである。〕 冷戦下ハンガリーにあって社会主義経済の非効率性を明晰に論じ、その後は新古典派経済学に痛烈な批判のメスを入れたコルナイ・ヤーノシュが、 世界経済危機を経験した世界に向けて、満を持して問うた「システム・パラダイム」に焦点を当てる圧倒的論考! 資本主義と社会主義の境界が再び問い直される今こそ読まれるべき、「異端派」の巨峰が遺したメッセージ! 【本書「日本語版への序文」より】 「私は資本主義を「良い社会」だとは思っていない。多くの点で「悪い」と思っているが、それはちょうどチャーチルの民主主義にかんする見方と同じである。つまり、私は資本主義を、あらゆる実現可能な選択肢のなかでもっとも悪くはないものと見なしているのだ。より重要なことに、私は資本主義を、実際に行われた唯一の選択肢である社会主義よりもずっと良いと判断している。」 【本書の内容】 日本語版への序文 英語版への序文 第I部 イノベーションとは何か 第1章 はじめに 第2章 資本主義、社会主義、技術進歩 第3章 技術進歩の転換と加速 第4章 人は歴史的事実をどう受けとめるか 第5章 おわりに 第II部 不足経済と余剰経済 第1章 はじめに 第2章 財とサービスの市場―余剰の再生産メカニズム 第3章 財とサービスの市場―概念装置と測定手法 第4章 労働市場―余剰再生産のためのメカニズム 第5章 実証的な説明と因果分析 第6章 余剰経済の効果とその評価 第7章 一般的図式からの応用 第8章 おわりに 補論1 自由、平等、博愛―社会主義体制崩壊以後の変化の考察 補論2 一人の東欧知識人の目に映るマルクス 訳者あとがき 参考文献 索引 訳者略歴 *本書の原本は、2016年にNTT出版より刊行されました。文庫化にあたり訳文を改訂しました。 -
ニホンザルの生態
サルの社会に分け入り、文化を見出し、人間性の起源に迫る―― 世界をリードした日本の霊長類学(サル学)の原点がここにある! 今西錦司・伊谷純一郎らとともに日本の霊長類学のオリジネーターの一人として活躍した河合雅雄。意匠を凝らした筆致でもって生き生きと描かれる、サルの群れのリーダー交代劇、メスの巧みな繁殖戦略、イモ洗い行動の伝播などのありさまに、読者はきっと「息をのみ、眉をひそめ、思わず膝を打って微笑むことになる」(山極壽一氏解説より)でしょう。 加えて強調すべきは、何より研究者本人たちが実に生き生きと、楽しそうに研究に没頭している様子が紙面からありありと伝わること。ゆえに本書は、日本の学問が一番元気だった時代の「生きられた記録」でもあるのです。 解説:山極壽一 [目次] ○ニホンザルの生態 1 ニホンザル/2 ニホンザルの生活/3 ポピュレーションの動態 ○社会構造 1 社会構造/2 群れ社会の諸形態/3 社会構造の変容 ○社会構造を支えるもの 1 幸島の群れ/2 順位制/3 社会関係の調整機構/4 駆け落ちしたリーダー候補 ○クラスとグループ 1 リーダークラス/2 サブリーダー/3 ナミオス/4 ヒトリザル/5 メス/6 母と子/7 社会的成長 ○性 1 その生理/2 性行動 ○ニホンザルの文化[カルチュア] 1 一般に見られるカルチュア的現象/2 幸島の群れのカルチュア/3 知能とカルチュア ○コミュニケーション 1 音声によるコミュニケーション/2 行動による伝達 ○日本のサル学 ○あとがき ○再版にあたって ○解説 ニホンザル研究の一里塚――河合さんのやり方 山極壽一 -
憲法と国家の理論
偉大なる憲法学者・清宮四郎(1898-1989年)、初の文庫版にして、重要論文を収録したアンソロジー。 宮沢俊義(1899-1976年)とともに戦後日本の憲法学を主導し、その屋台骨を作った清宮四郎は、東京帝国大学を卒業したあとヨーロッパに留学し、オーストリアの公法学者ハンス・ケルゼン(1881-1973年)の講義に接しました。これを機に、広い領域に及ぶ関心と深い学識に裏打ちされた独自の理論を紡ぎ始めた清宮は、京城帝国大学、東北帝国大学などで教鞭を執ったほか、1958年には我妻榮、宮沢俊義、大内兵衛らと憲法問題研究会を組織し、憲法に関する啓蒙活動に注力したことでも知られています。 しかし、宮沢とは異なり、一般向けの著作を多く残さなかった清宮の名は、専門家を除けば、ケルゼンの『一般国家学』(1925年)の訳者として知られているのが実情でしょう。日本の憲法学の厚みと深みに接する機会がない現状は、理想とは程遠いと言わざるをえません。 本書は、そうした状況を打破するべく、東北大学で清宮の薫陶を受けた樋口陽一氏が、清宮が残した二冊の論文集『国家作用の理論』(1968年)と『憲法の理論』(1969年)から重要な論文を精選し、刊行するものです。憲法とは何か、国家とは何か――その重要な問いに答えるために、過去の思想家に遡り、最先端の知見と照らし合わせつつ根源に迫っていく筆致は、他の誰にも真似できない凄みを感じさせます。美濃部達吉(1873-1948年)とケルゼンという二人の師、そして宮沢という友の思い出を語った貴重な記録「私の憲法学の二師・一友」を併載し、樋口氏による懇切な「解説」を収録しました。 文字どおり「決定版」となるアンソロジーを、佐々木惣一『立憲非立憲』、尾高朝雄『国民主権と天皇制』、恒藤恭『憲法問題』に続く、学術文庫・憲法シリーズの1冊として、満を持してお届けいたします。 [本書の内容] I 日本国憲法の思想と原理 権力分立制序説 日本国憲法とロックの政治思想 憲法の法的特質 憲法の前文 国民主権と天皇制 天皇の行為の性質 数と理 多数決の前提条件 わが憲法上の解散 憲法の変遷について II 憲法理論の基礎 法の定立、適用、執行 違法の後法 憲法改正作用 ブルクハルトの組織法・行態法論 III 憲法学の二師・一友 私の憲法学の二師・一友 解 説(樋口陽一) -
アステカとインカ 黄金帝国の滅亡
一六世紀、スペイン人によるアメリカ大陸征服史が始まる。黄金を探すコロンブス、ピサロ、コルテス……。抵抗する、モクテスマ、トパック・アマルなどのインディオたち。栄華を誇った帝都と文明は、いかに滅ぼされたのか? 西欧と非西欧の壮絶なる戦いの記録を、既存の、スペイン人主体の史料では触れられなかった「敗者の視点」から再検証、植民地時代から現在へ続くラテンアメリカの被征服史を辿る。 プロローグ 黄金の夢 第一章 コロンブスの目指したジパンゴ 第二章 冒険者バルボア 第三章 メキシコの発見 第四章 首都の攻防 第五章 対決 第六章 「悲しき夜」 第七章 英雄の敗北 第八章 太平洋と中央アメリカ 第九章 南の海の探検 第一〇章 カハマルカの悲劇 第一一章 クスコ占領 第一二章 征服者たちの争いとインカ 第一三章 アラウコの国とパンパ 第一四章 ムイスカの黄金 第一五章 エル・ドラードとアマゾンの国 エピローグ 征服者たちの黄昏 あとがき 年表 民族と地域 人名検索 2002年小学館より刊行されました -
ギリシャ神話集
紀元後2世紀頃、ローマの一般大衆へギリシャの神話世界を伝えるために編まれた、277話からなる神話集。壮大なギリシャ神話の全容を網羅的に扱うためか、神話の骨子や人物の事績等がきわめて簡潔に綴られていて、作者は事典的性格を意図したものと推測される。作者のみが伝える神話要素も含み、ギリシャ神話の研究者・愛好家必読の書。本邦初訳。 -
競馬の世界史 欲望と文明のビッグレース
人間が生んだ「最高の芸術品」ともいわれるサラブレッド。この速く、強い馬を競わせる近代競馬はイギリスで生まれ、はじめは王侯貴族の遊びとして、そしていつしか「文明の象徴」としてヨーロッパからアメリカ、日本など各地に伝わっていった。 一方で、「賭博」としての競馬は人間の欲望を刺激し、八百長や不正の誘惑をともなって人間の性(さが)をあらわにする。こうした「欲望」をいかにコントロールし、公正さを実現するか――。競馬場はその社会と文明の成熟度を試されるのだ。 まさに欲望と文明がせめぎあってきた競馬の歴史を、古代ローマ史・地中海文明史の第一人者であり、長年の競馬ファンでもある著者が熱く書き上げた1冊。 アラブ馬を始祖とするサラブレッドの誕生、イギリスの伝説的名馬エクリプスの登場、フランスでの凱旋門賞の創設、アメリカ競馬最強の時代を経て、いま、日本競馬が世界で最高峰のレベルにある。日本の馬が凱旋門賞を勝つ日は近いだろう。 文庫化にあたり、最近10年あまりの世界と日本の競馬の動向を大幅に増補。 〔原本:『競馬の世界史:サラブレッド誕生から21世紀の凱旋門賞まで』中公新書、2016年刊を増補改訂〕 目次 プロローグ 第1章 古代民衆の熱狂――競馬の黎明期 第2章 英国王の庇護のもとで――近代競馬の胎動 第3章 サラブレッドの誕生――品種改良のはじまり 第4章 クラシックレースの成立――十八世紀のヨーロッパ競馬 第5章 市民社会と近代競馬の発展――十九世紀のヨーロッパ競馬 第6章 馬産地ケンタッキーの台頭――十九世紀の世界の競馬 第7章 凱旋門賞創設と国際レースの舞台――二十世紀のヨーロッパ競馬 第8章 繁栄する合衆国の英雄たち――二十世紀のアメリカ競馬 第9章 日本競馬の飛躍――二十世紀の世界の競馬 第10章 国際化時代のビッグレース――現代の競馬 エピローグ あとがき 学術文庫版の増補 学術文庫版のあとがき 主要参考文献 用語ノート 馬名索引 -
クルアーンの世界 語りかけるイスラーム
「読め!」 大天使ジブリールの語りかけから、すべては始まった――。「誦(よ)まれるもの」をその名にもつクルアーン。ムハンマドにもたらされた「神の言葉」は、いかにして書物の形を得たのか。22億人が信仰するイスラーム唯一の聖典誕生の歴史と、1400年にわたって人々を惹きつけてやまない聖典が語る世界を描き出す。知る喜びに満ちたクルアーン入門にしてイスラーム入門。 世界三大宗教のひとつ、イスラーム。その信仰者ムスリムは、世界人口のおよそ四分の一を占め、遠くない未来に三分の一に達し、キリスト教を抜いて世界最大の宗教になるとも言われる。 イスラーム唯一の聖典クルアーンは、ムハンマドに断続的にもたらされた啓示を集めたものであり、内容が完成した段階では書物の形をもっていなかった極めて珍しい書物である。このように誕生したクルアーンが一義的には「朗誦(誦まれるもの)」であり、キリスト教の聖書が本質的に「書物」であることを考えると、両者の違いは明らかである。 神からの語りかけであるクルアーンは、いかにして本の形をとったのか。 今や毎年何千万部も印刷され、日本語をはじめさまざまな言語で読むことができるクルアーンだが、20世紀に入るまで、他言語への翻訳はおろか活版印刷さえ拒んできた。アラビア語で朗誦されてきた聖典の世界、魅力的な独自の人間観や社会観を、日本の読者のために再構成して描き出す。 1400年にわたって世界中の人々の心の拠りどころとなってきた聖典の扉を開く、類稀な一冊。(原本:岩波書店、2009年) 【本書の内容】 プロローグ 第1部 「神の語り」から書物へ――一つの啓典の旅路 第1章 朗誦する啓典の誕生 第2章 正典の結集 第3章 内容と構成 第4章 紙と写本の帝国 第5章 現代に生きる聖典 第2部 章句が織りなす人間世界 第1章 ムハンマドの生きざま 第2章 預言者の町マディーナ 第3章 アブラハム的世界 第4章 唯一神のコスモロジー 第5章 イスラーム法と信仰儀礼 第6章 人生と社会運営のための規定 エピローグ 参考文献 学術文庫版のための参考文献 学術文庫版あとがき 章の一覧表 -
旧約聖書を読み解く
「旧約聖書」とはどんな書物なのか? 「旧約聖書」は、古代イスラエル(ユダヤ)の民の千年以上にわたる歴史を背景として成立した、さまざまな文書を39巻にまとめたものです。その編纂は長期に及び、増補・改訂を含む複雑な過程を経てできあがったと言われています。 ユダヤ教ではイエスをキリスト(メシア)と認めないため、「新約聖書」は存在しません。「旧約聖書」のみが聖典とされ、「タナハ(TaNaKh)」と呼ばれます。一方キリスト教では、イエスによる「新しい契約」を記した「新約聖書」に対し、それ以前の書を「旧約聖書」と位置づけます。本書は、こうした「新約」との関係を視野に入れながら、「旧約聖書」を読み解いていく本です。 古代イスラエルの民たちは、エジプトを脱出後、遊牧的生活から定住へと移行し、やがて王国を築きます。しかし、その後も南北分裂など不安定な時代が続き、王国の崩壊以降はエジプト、ペリシテ、アッシリア、ペルシアといった大国の支配下に置かれました。 このような歴史的状況のもとで成立した「旧約聖書」は、各時代を生きた人々が、伝えられてきた過去の出来事の意味を問い直し、新たな解釈を加えてきた「伝承の歴史」と言えます。そこに収められた物語や掟は、歴史的経験の中に意味を見いだそうとする営みの結晶です。 同様に、「旧約聖書」において、歴史は「神が語りかける場」「神の意志が示される場」として描かれます。創世記の原初の物語に始まり、アブラハムの旅立ち、出エジプト、王制の成立と崩壊、バビロン捕囚、そしてユダヤ教の成立――。こうした流れは、すべての被造物を救おうとする神の救済史として、一貫した意味を帯びています。 神との契約とは? 安息日の規定とは? 「約束の地」とは? 旧い契約から新しい契約への移行とは? 苦難の歴史を生きた民たちが出来事の描写に込めた意味を、原典ヘブライ語の語義や各文書の成立年代、文章構成に目を配りながら丁寧に繙いていきます。 *本書の原本は、2006年に日本放送出版協会から刊行されました。 [本書の内容] はじめに 第一章 旅立つアブラム 第二章 アブラハムと契約を結ぶ神 第三章 七日目には仕事をやめねばならない 第四章 飲み水がないと不平を言う民 第五章 ヨルダン河の東岸で――申命記という本 第六章 約束の地へと入る民 第七章 「我々にはどうしても王が必要なのです」 第八章 「お前か、イスラエルを煩わす者よ」 第九章 動乱の時代に静けさを説いた預言者イザヤ 第十章 捕囚という現実に預言者が見たもの 第十一章 平和といやしを与えるための苦しみ 第十二章 ユダヤ教の成立 関連年表 あとがき 解 説(田島 卓) -
キリスト教13の不思議
一神教・二元論・三位一体・七つの大罪・十戒と十字架・一万一千人の処女殉教者・一三日の金曜日…… キリスト教の秘密は「数」にあり! キリスト教の成り立ちから、信仰の普遍性と特殊性、そしてキリスト教徒のメンタリティまで、1~13の数字にちなんだテーマを通して複雑かつ多面的な宗教の核心に迫る、意匠を凝らした唯一無二の入門書! [目次] はじめに 第1章 一神教のはじまり 第2章 二元論 第3章 三位一体 第4章 四〇年の持つ意味 第5章 キリストの五つの傷 第6章 天地創造の六日目に創られたもの 第7章 七つの罪と赦しと秘跡 第8章 八日は聖母マリアの受胎の日と誕生の日 第9章 九つの天井画 第10章 十戒と十字架 第11章 万一千人の処女殉教者 第12章 一二の星を戴く聖母マリアとヨーロッパ 第13章 一三日の金曜日 終章 おわりに 学術文庫版へのあとがき 無数の地平へ (*本書の原本『キリスト教の謎――奇跡を数字から読み解く』は、2016年に中央公論新社から刊行されました。) -
カタリ派とアルビジョア十字軍 中世ヨーロッパの異端運動
中世キリスト教最大の異端運動、カタリ派とは何か。その起源からアルビジョア十字軍による制圧までをドラマチックに描く。 「異端」とは、キリスト教の内部にあって、教会が確定した教義とは異なる解釈を立てる者たちである。カトリック教会は、ユダヤ教やイスラム教など「異教」に対しては緊張をはらみながらも時に寛容さを見せたが、「我らこそが真のキリスト教徒である」と信じて疑わない異端者に対しては、徹底的な刑罰と弾圧を加えた。 12-13世紀には大小さまざまな異端運動が存在したが、なかでも、東方のマニ教を思わせる「善悪二神論」を唱え、教会制度を拒み、ローマを指して「娼婦の家」「悪魔の神殿」と謗る「カタリ派」は大きな脅威だった。とくに南フランスに広がったカタリ派を「アルビジョア派」と呼ぶが、ローマ法王インノケンティウス3世は、それに討伐軍「アルビジョア十字軍」を差し向ける。 当時の南仏は、パリを中心とした北部の人々を「フランス人」と呼び、みずからは「フランス人」とは考えない独自の社会だった。しかし、20年におよぶ陰惨な戦いは、フランス国王の征服戦争として終結し、異端の終焉とともに南仏社会を変質させていく。 巻末解説を図師宣忠氏(甲南大学教授)が執筆。 〔原本:『世界のドキュメント(4)異端者の群れ』(新人物往来社刊、1969年)の改訂新版『異端者の群れ―カタリ派とアルビジョア十字軍』(八坂書房刊、2008年)〕 目次 はしがき 序章 聖ベルナールの怒り 1 呪いの町 2 信仰の掟 3 異端の運動 4 カタリの発現 第一章 南フランスの風雲 1 南部の国々 2 吟遊詩人 3 豊かなる南ガリア 4 軽い土と重い土 5 不完全封建制 第二章 異端カタリ派 1 バルカンの遠き祖たち 2 異端の書 3 善き神と悪しき神 4 絶望の戒律 5 異端者の群れ 6 完徳者と帰依者 第三章 アルビジョア十字軍 1 アルビジョア派 2 ローヌ河畔の惨劇 3 ベジエの虐殺 4 カルカッソンヌの攻囲 5 征服者シモン・ド・モンフォール 第四章 百合の紋章 1 フランス人との戦い 2 ミュレの合戦 3 王旗の登場 4 異端審問 後日譚 あとがき 解説(図師宣忠) 人名索引 関連略年表 -
道徳の系譜学に向けて
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900年)は、1889年初頭に狂気の闇に沈み、健全な精神活動をなしえないまま生涯を送った。本書は、その直前にあたる1887年11月に出版された哲学者としての最晩年の著作である。 本書の主題は、表題にあるとおり「道徳(Moral)」である。これは日本語では「価値観」とも言い換えることができる。では、なぜニーチェは価値観を問題視したのか。言うまでもなく、それはその価値観が自明視できなくなっていたからであり、そのままでは通用しなくなっていたからである。 従来の価値観が通用しなくなっているにもかかわらず、それが依然としてニーチェ自身を含む人々の考え方や生き方を制約し、生きる意味を規定してしまっている、という矛盾した現実。それこそがニーチェを突き動かし続けた思想的動因にほかならなかった。それゆえ、新たな価値観を模索し、あらゆる基本的価値の転換を果たすことが最も重要な思想的課題である、というのがニーチェの時代診断である。 ニーチェにとって、従来の価値観とはヨーロッパを支配してきたキリスト教的道徳の伝統の中で普遍的なものとされてきたものだったが、それは歴史的現象として発生し、揺れ動いてきたものでしかない。それゆえ、この主題は「系譜学」という手法で取り組む必要がある。――本書は、初めてその認識に立った者による探究の開始を告げるものであり、だからこそニーチェは刊行2ヵ月後にあたる1888年1月、友人オーヴァーベックに宛てて次のように書いた。 「本書を構成する三論考は、それぞれ個別的な第一動因を表現しています。〔…〕多様きわまりない要因すべてを最終的に勘案し、とりまとめて、道徳をある種、清算することも同様です。そういうことをするには、われわれはまだわたしの哲学の「前奏」段階にいます」。 つまり、本書は、たとえ重要な成果をもたらしているとしても、まだほんの入り口にすぎず、この課題はここから続行される必要がある、とニーチェは考えていた。それゆえ、従来は『道徳の系譜』と訳されることが多かった本書の表題Zur Genealogie der Moralは、「道徳」という主題を「系譜学」という手法で扱う企てのマニフェスト、という意味で『道徳の系譜学に向けて』と訳さなければならない。 長年にわたってニーチェを主要な研究対象としてきた大家が満を持して送り出す決定版新訳、ついに完成。 [本書の内容] 序 論 第一論考 「善良と邪悪」、「優良と劣悪」 第二論考 「負い目」、「やましい良心」および関連事項 第三論考 禁欲主義的諸理想は何を意味するか 訳者解説 試行としての鳥瞰 訳者あとがき――タイトル頁裏の「付言」について -
源氏の薫り
香りで読みとく『源氏物語』──薫物から源氏香まで、平安王朝の雅びへと誘う一冊 平安の宮廷に漂う、ほのかな香の余韻。仏教の隆盛とともに渡来した薫香は、平安初期には宮廷や貴族の邸宅へと浸透し、王朝文化の一端として定着していきました。『源氏物語』が生まれたのは、まさにその文化がもっとも成熟した平安中期。文字、絵画、音楽、建築、造園といった芸術が形式美の極みに達し、「雅び」という美意識が時代を彩っていた頃です。 香りは、そうした「雅び」を構成する、もっともとらえ難く、それゆえもっとも重要な要素のひとつでした。衣にたきしめる「衣香」、紙にうつす香り、室内にただよわせる「空薫物」、仏前にそなえる「名香」など、香りは日常の中に息づき、身分や教養、個性を表現する手段でもありました。後年、こうした香りの文化は、香道において「源氏香」に結実していきます。 『源氏物語』において、香りは登場人物の心の揺らぎや人間関係の機微を伝える鍵として巧みに用いられています―― ふと漂う香りから光源氏の訪れを察し、動揺する藤壺。 落ちぶれてもなお、稀有な香木の香りをまとう末摘花の高貴さ。 薫君の移り香を中君がまとっていることに気づき、ふたりの関係を疑う匂宮。 護摩の芥子の香りから、自らが生霊となっていたことを悟る六条御息所。 「光る君」の二つの面をそれぞれ継承した「匂宮」と「薫君」のまとう香りの違い。 本書は、香りの描写から『源氏物語』の奥深い世界を繙いていきます。『源氏の恋文』『新訳源氏物語』全四巻など源氏関連の著作を多数執筆し、香道研究に従事して『香道蘭之園』の校訂・解題も手がけた著者による、珠玉の一冊。(解題:毬矢まりえ、森山恵) [本書の内容] 序にかえて――源氏物語と薫香 源氏の世界と香り 薫香への道程 六種の薫物 たきもの拾遺 匂宮と薫君 「源氏香」について 朝日選書版あとがき 『薫集類抄』(群書類従版)より 参考文献一覧 解題 毬矢まりえ、森山恵 本書の初版は、1986年に求龍堂から出版されました。文庫化にあたっては、1992年に朝日選書として朝日新聞出版より刊行されたものを底本としました。 -
カント 美と倫理とのはざまで
この生は生きるに値するか。 世界は人間にとって意味ある生を保証するか。 美と崇高、あるいは世界の目的論的理解をめぐる『判断力批判』の考察は、生の目的、および世界の存在の意味をめぐる真率なる思考に貫かれている。テクストの隠されたモチーフをも跡づけつつ碩学がよみがえらせる、鮮烈なる「カント」! [目次] まえがき 第1章 美とは目的なき合目的性である――自然は惜しみなく美を与える 第2章 美しいものは倫理の象徴である――美への賛嘆は宗教性をふくんでいる 第3章 哲学の領域とその区分について――自然と自由あるいは道徳法則 第4章 反省的判断力と第三批判の課題――美と自然と目的とをつなぐもの 第5章 崇高とは無限のあらわれである――隠れた神は自然のなかで顕現する 第6章 演繹の問題と経験を超えるもの――趣味判断の演繹と趣味のアンチノミー 第7章 芸術とは「天才」の技術である――芸術と自然をつなぐものはなにか 第8章 音楽とは一箇の「災厄」である――芸術の区分と、第三批判の人間学的側面 第9章 「自然の目的」と「自然目的」――自然の外的合目的性と内的合目的性 第10章 目的論的判断力のアンチノミー――反省的判断力の機能と限界について 第11章 「究極的目的」と倫理的世界像――世界はなぜこのように存在するのか 第12章 美と目的と、倫理とのはざまで――自然神学の断念と反復をめぐって あとがきにかえて――文献案内をかねつつ (*本書の原本は2017年に講談社より刊行されたものです。) -
唯識の哲学
「どうすれば現実の苦しみから解放されるのか」 「自己や宇宙の根底にある真理とは何か」 ──こうした根源的な問いに向き合い、仏教徒たちの深い思索と実践の積み重ねから生まれた深遠な理論体系、唯識思想。 唯識は、紀元前3世紀ごろのインドで始まり、後に玄奘三蔵によって中国へと伝えられた、大乗仏教の根幹をなす思想のひとつです。この教えでは、五感(見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる)と意識に加え、深層心理にあたる末那識・阿頼耶識を含めた「八識」によって世界が生み出されていると考えます。唯識では、私たちが認識するあらゆる現象は、心=識が生み出した観念にすぎません。心の外に実体としての存在はないにもかかわらず、心はそれをあるかのように思い込む。そして、そこから苦しみが生まれるのです。哲学であると同時に宗教でもある唯識思想は、実践的な修行(ヨーガ)を通じて自己を変革し、身体的にも精神的にも煩悩から解き放たれた自由の境地、すなわち真理へと至る道筋を示すものです。 本書は、「唯識無境」「阿頼耶識」「末那識」「転依」といった主要概念を軸にして、大乗仏教随一の理論である唯識思想の本質を丁寧に解き明かした著者渾身の書です。唯識の第一人者・高橋晃一氏の解説付き。 [本書の内容] はじめに 第一章 識一元論――唯識無鏡 1 唯識の意味 2 唯識無鏡の論証 3 認識の構造 第二章 自己の根源体――阿頼耶識 1 阿頼耶識の発見 2 阿頼耶識の機能 第三章 自我意識の形成――末那識 1 末那識について 2 末那識の成立史 第四章 真理の完成――転依 1 自己変革 2 真理の論理的解明 解 説(高橋晃一) -
戦争と万博
1970年大阪万博は、敗戦直後「爆心地」を目の当たりにした男の構想を起点とした。 文明の過剰と滅亡というそのビジョンを覆い隠すように謳われたスローガン「人類の進歩と調和」が響く中、メタボリズムやネオ・ダダといった前衛運動のひとつの極限として「万博芸術」が花開く── 資料と証言を積み重ね、日本で反復される万博の意味を鋭く問う。 【本文より】 技術革新に多くを負ったメディア・アートや、単純な国際性が即、芸術上での前進と取り違えられてしまう安易な進歩主義がまかりとおってしまうことの背景には、われわれが大阪万博における「未来」の問題を、正面から批評して来なかったことに原因がありはしないか。じっさい、大阪万博で芸術家たちが果たした役割がなんであったのかと問うことは、事実上、封印されているといっても過言ではない──そしてそのさまは、なにかに似てはいないだろうか。 (本書第二章「一九七〇年、大阪・千里丘陵」より、一部省略) 【本書の主な内容】 第一章 「爆心地」の建築──浅田孝と〈環境)の起源 戦争と「こどもの国」/焼け跡から「環境」へ、「環境」から未来へ/原爆時代と建築/「列島改造」と「日本沈没」 第二章 一九七〇年、大阪・千里丘陵 人類の進歩と調和/「未来」の矛盾、「世界」の矛盾/未来と夢の廃墟/フジタと太郎 第三章 「実験」から「環境」へ──万博芸術の時代 空間から環境へ──エンバイラメントの会/実験工房からインターメディアへ/巨大なトータル・シアター 第四章 ネオ・ダダとメタボリズム──暗さと明るさの反転 奇矯な明るさ/前衛の突然変異/ふたりの境界人──粟津潔と磯崎新 第五章 戦争・万博・ハルマゲドン 廃墟となった未来都市──電気的迷宮/紀元二六〇〇年の万国博覧会/ハルマゲドン・チルドレン 第六章 そこにはいつも「石」があった 月からの石と投げられた石/穴を掘る──《位相─大地》/石を置く──石子順造と李禹煥/石を売る──『無能の人』/石の時代──環境と芸術 第七章 ダダカンと“目玉の男” 一九七〇年四月二十七日へのタイムスリップ/ダダイスト糸井貫二/「震災」というダダイスム/都市を駆け抜ける裸体 第八章 万博と戦争 映画人・甘粕正彦/バーチャル・シティとしての満洲国=大阪万博/「環境」の起源/『環境開発論』と『日本列島改造論』/曲がりくねったら、それは芸術だ 註 核アトムの時代──「あとがき」にかえて グラウンドゼロ──学術文庫版「あとがき」にかえて 主要参考文献 *本書の原本は、2005年2月に美術出版社より刊行されました。 -
プラトンと反遠近法
三次元の立体を二次元の平面のうちに表現する遠近法。プラトンはこの遠近法を嫌ったという――しかし古代ギリシアでは遠近法はいまだ成立していなかったとしたら? なぜ、このような奇妙な事態が出来したのか。そして光学に対する偉大な哲学者の沈黙は、後世にどのような影響を与えたのか。遠近法は歴史的産物であると喝破する著者が、古代ギリシアから近代に至るまで、美術はもちろん数学、哲学、文学をも織り込みながら紡ぎあげた、視覚をめぐる空前絶後の思想絵巻。 遠近法は、世界を表現する方法として身近な手法であり、時にこれが唯一の正しい世界の眺望であるかのような神話的性格さえ帯びている。しかし著者によれば、遠近法は西欧における自然に対する見方の、歴史的な積み重ねの結果に過ぎない。 プラトンは、対象を描く際に、見かけにあわせて実際とはかけ離れた比率にすることを「虚像術」と呼んで退けた。古代ギリシアには存在しないはずの遠近法を、プラトンはなぜ批判しえたのか。そしてプラトンの光学に対する沈黙は何を意味し、それはどのような影響を与えたのか――。 これらの問いは、人間はどうして、常に何かを通して世界を見ようとするのか。実物を見ていても、しかしこれも「何かを通して」だと考えるのは何故か、という根源的な問いにつながっていく。 ミケランジェロとダヴィンチの緊張関係、デカルト、パスカル、ライプニッツに遠近法が与えた三者三様の影響、さらにニーチェの価値の相対主義に至るまで、遠近法を軸に、古代ギリシア演劇の背景画から、絵画や彫刻、数学・幾何学、その応用としての光学、哲学・思想、文学作品や文芸理論をも巻き込みながら絢爛豪華な思想絵巻が織り上げられる。早逝が惜しまれる碩学の記念碑的著作。(原本:新書館、1999年) 【本書の内容】 まえがき 序 章 遠近法の神話 第一章 ミーメーシス 1 詩人追放と画人追放 2 陰影画と背景画 3 背景画は遠近法の導入か? 第二章 測定術 1 洞窟の光学 2 不文の教説? 3 視覚の空間・思考の空間 第三章 ミーメーシスからファンタシアーへ 1 場所・透明体・気息 00 2 芸術的専制と専制的芸術 00 3 もう一つの世界劇場論 00 終 章 隠喩としての遠近法 あとがき 解 説(山内志朗) -
都会と田舎 日本文化外史
花のみやこか、懐かしきふるさとか――。日本列島の文化の歴史は、海の外からやってきた最新の情報があつまる都会への憧れと、生まれ育った郷土への思い入れのはざまで紡がれてきた。奈良、京都、のちには江戸・東京という「みやこ」に対する「地方」の憧れと反発、さらに中国大陸や欧米という「中央」に対する「辺境」日本の憧れと反発という二重の交錯を見据え、そこに織りなされる綾を丹念に描き出した唯一無二の列島文化史。 夷なる日本が華なる中国に劣らないと主張した京都生まれの伊藤仁斎と、関東出身で田舎固有の文化に価値を見出し江戸学芸を京から自立させた荻生徂徠。日本文化や日本的なるものの一貫性を否定した内藤湖南と「国史」の範囲に苦悩した黒板勝美。日本文化が基底のところで一体のものであることを前提にしたことで「郷土を捨象した」と批判された、民俗学の父・柳田国男が敬意をいだいていたのは、田舎に「いにしえのみやび」を見出した本居宣長だった。 古代の青銅鏡が示す畿内王権や記紀神話にはじまり現代にいたるまで時代を縦横無尽に扱いながら、独自の視点で日本文化の形を照らし出す。(原本:平凡社、1991年) 【本書の内容】 はじめに 第一章 都市の論理――先進・後進論の背景 第二章 反都市文明――「地方」主張の論理と背理 第三章 国家という単位――単一の「国」と「くに」の複合 第四章 民衆知と文字文化――ひとつの試み あとがき 解 説(長﨑健吾) -
比喩表現事典
世界の見方が変わる文章術! 「ねっとりとした春」「唇は美しい蛭(ひる)の輪のように滑らか」「現実から立ち登る朦朧(もうろう)たる可能性の煙」……作家たちが発見し、創作した選りすぐりの比喩表現を、「感覚」「自然」「文化・社会」「顔」「体」「心」の項目別に整理。イメージ豊かな日本語を味読しつつ、ワンランク上の文章を書くための必携事典。――すぐれた比喩は、新しいものの見方の開拓である! 【目次】 比喩に関する二、三の覚書ーー序に代えて 第一章 感覚の表現ーー視覚/聴覚/嗅覚/味覚/触覚 第二章 自然の表現 第三章 文化・社会の表現 第四章 顔の表現 第五章 体の表現 第六章 心の表現 あとがき 学術文庫版へのあとがき 出典作家索引 主要イメージ索引 【本書の主な内容】 ■感覚 [光と影]夜そのものに蒔絵をしたような綾 [痛痒]自分の頭が三角になる ■自然 [風景]富士山はどてら姿の大親分 [草木]夢のしたたりのように咲き迸(ほとばし)る花 ■文化・社会 [言語]言葉は瞬間の虹 [社会]賑やかな街区は飴の中の砂糖のよう ■顔 [目]プルーンの種のような我が子の眼 [頬]片頬に刃のような冷笑 ■体 [尻]西瓜が破れたような創口(きずぐち) [肌]膚(はだえ)は春の曙の雪 ■心 [恋情]一筋の暗渠のような愛 [厭悪]未練が線香の煙のように糸を曳く [*本書の原本は『比喩表現の世界ーー日本語のイメージを読む』(筑摩選書、2013年)です。] -
ウェルギリウス小品集
古代ローマ文学の「黄金時代」前期を代表する詩人プブリウス・ウェルギリウス・マロー(前70-前19年)について、確かな真筆として伝わるのは『牧歌』全10歌、『農耕詩』全4歌、そして『アエネーイス』全12歌の三作品のみである。しかし、これらの作品より前に詩人が若い頃に書いた詩があったことには古代の証言がある。本書は、それらの作品の集成であり、古来Appendix Vergiliana(ウェルギリウス作品の補遺ないし拾遺、あるいは付録といった意味)として伝わるものの本邦初訳となる。 本書に収録された作品の中には、ウェルギリウスの真筆でないことが明らかなものも含まれている。末尾に位置する『有徳の士の教育について』、『「そうだ」と「否」について』、『生まれ出ずるバラ』は後4世紀の詩人アウソニウスの作であり、『マエケーナースに捧げるエレゲイア』もウェルギリウス真筆でないことは明白である。他の詩編についても、多かれ少なかれ真作かどうかについて疑問がもたれている。しかし、これらの作品には価値がないのかといえば、そうではない。 古代には、権威ある大家の名のもとに、あるいは、その名前に関係づけられて伝わる作品が多数存在しており、そこには作品の受容とテキストの伝承の様態が関わっている。大家としてある詩人の権威が確立すると、そこに群がるように、さまざまな形で別の無名の詩人による作品が生まれる。大家の作風や表現を模倣しながら別の詩形式や主題で詩作したもの、大家が描いた物語の続編、大家の作品のパロディーなどがそれである。そうした伝統は、古典文学の最初期から、すなわちホメーロスにおいてすでに認められるが、大家の作に帰せられた無名詩人の作品は、現代のわれわれが「偽作」や「贋作」といった言葉で考えるものとはおよそ異なっている。それらはむしろ核をなす傑出した詩作のまわりに文学伝統の山裾を広げる営みであり、実際、本集成についても、頂きが高ければ高いほど山裾が八方に大きく広がるように、内容面でも形式面でも実に多様な詩から成っていることが分かる。 つまり、本書は「ウェルギリウス」という偉大な名の求心力によって形成された古代文学の遺産であり、貴重な文学的財産にほかならない。文学とは、文化とは、こうした巨大な裾野をも含めた営みであることを、本邦初訳となる本書とともに体感していただくことができれば幸いである。 [本書の内容] 呪いの歌(/リューディア) ブヨの歌 アエトナ 女将 マエケーナースに捧げるエレゲイア キーリス プリアーポスの歌 カタレプトン モレートゥム 有徳の士の教育について 「そうだ」と「否」について 生まれ出ずるバラ 付録 訳者解説 -
シュメル人
紀元前3500年、まだ日本が縄文時代だった頃に巨大神殿を建て、古拙文字を発明。ビールを飲み、都市文明を謳歌し、華やかな宴会を繰り広げたシュメル人たち。紀元前2004年のエラム侵入により忽然と消えてしまった彼らの日常には、現代の日本や西欧社会に通じる様々なしきたりと人間模様が隠されていた! 古典の名著『ギルガメシュ叙事詩』や発掘された奉納額、図像などの一等史料を丹念に解読。王の父子相伝や戦記、后妃の葬儀、交易記録などから最古の文明人の驚くべき栄華と崩壊を識る! 内容紹介 第1章 シュメルの父と息子――現代人にも共感できる、王と息子の話 第2章 ラガシュ王奮戦記――自国を守るため戦う王の弱気な横顔・・・ 第3章 后妃のお葬式――シュメル女性の結婚、育児事情 第4章 商人が往来する世界――シュメル人がほしかった銅、レバノン杉、瀝青と、貿易活動 第5章 星になったシュルギ王――決して楽ではなかった王の一代記 <目次> はじめに 1 シュメルの父と息子――ウルナンシェ王の「奉納額」 ウルナンシェ王の「奉納額」/都市国家ラガシュ市/ウルナンシェ王の王碑文/奉納額の絵解き/家族の肖像/教育は人類不変の悩み 2 ラガシュ王奮戦記 二方面の宿敵/「正史」の始まり/初代王、第三代王の戦い/「エアンナトゥム王の戦勝碑」/ラガシュ最後の輝き 3 后妃のお葬式――シュメルの女性たち 葬儀は語る/シュメルの女性群像/后妃の結婚生活/后妃として母として/仇(かたき)の妻に弔われた前后妃 4 商人が往来する世界――シュメル人の交易活動 古代人の商売繁盛/ 瑠璃(るり)に魅せられて/銅は海からやってくる/ギルガメシュと「杉の森」/石油より大事なもの 5 星になったシュルギ王 帝王の佇まい/ウル第三王朝の最盛期/王の公務/神になったシュルギ王/戦いに明け暮れた後半生 あとがき 主要参考文献 主要図版引用文献 コラム 「正統な後継者」/「油あふれる」ディルムン/シュメルのモナ・リザ/生きているシュメル語/文字と争いの起源/メルッハからの「砂金」/エブラ市の発見/中島敦と古代オリエント史/王の称号 学術文庫版あとがき 索引 本書は『五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語』(新潮選書 2007年刊)を改題したものです。 -
ティマイオス
プラトンの主著は何か、と言われれば、たいていは『国家』という答えになるでしょう。確かに『国家』にはプラトン哲学のエッセンスが詰め込まれ、質量ともに主著の名にふさわしいことは間違いありません。しかし、長い歴史の中で最も大きな影響力をもったプラトンの対話篇はといえば、本書『ティマイオス』なのです。 神による宇宙の製作とさまざまな自然学的理論が論じられる後期対話篇である本書は、古来プラトン信奉者たちに重視され、前1世紀から後3世紀にかけての中期プラトン主義とそれに続く新プラトン主義の時代に特権的な地位を占めるに至りました。その伝統が近代にも及んでいることは、ラファエロの有名な壁画《アテネの学堂》でプラトンが手にしている書物が『ティマイオス』であることに、はっきり示されています。 ソクラテス、ティマイオス、ヘルモクラテス、クリティアスの四人を登場人物とする本書は、導入部以外はすべてティマイオスのモノローグで構成されています。おそらくプラトンが創作した架空の人物であるティマイオスが語る宇宙論は、国家においても個人においても理性こそが主導権を握るべきだ、というプラトンの主張を正当化するものとして提示されます。この宇宙は必然や偶然の産物ではなく、理性的な製作者(デーミウールゴス)によって、理性の対象(イデア)を手本として、理性的な魂をもつ生き物として構成された、というのがその骨子です。こうして宇宙が理性によって導かれているのなら、それと類比関係にある国家においても個人においても、気概や欲望ではなく理性が支配することこそが自然にかなった正しいあり方だということになります。本書においてプラトンは、国家と人間のあるべき姿を宇宙全体の構造の中に根拠づけることを企てたのでした。 本書は、それぞれの時代、それぞれの思想家において、さまざまに異なる観点から関心の対象とされてきました。ユダヤ教徒やキリスト教徒は『創世記』の神の世界創造を理解するヒントを本書に求めたでしょう。新プラトン主義者は形而上学的真理のアレゴリーとして本書を読んだでしょうし、錬金術師は神の創造を自らの手で再現するための秘密を本書に読み取ろうとしたかもしれません。そして、自然学者や科学者にとって、宇宙の始まりと物質の究極という科学にとっての永遠のテーマを追究する本書が関心の対象となったことは言うまでもありません。 そうして「プラトニストのバイブル」とまで呼ばれた本書『ティマイオス』は、しかし日本では、なぜかこれまで文庫版が存在しませんでした。この状況を打破するべく、最良の訳者を得て、満を持しての新訳を皆さまにお届けいたします。 [本書の内容] ティマイオス 訳 註 訳者解説 -
台湾の歴史
経済発展と民主化を達成し、ますます存在感を高めている「台湾」は、どんな歴史を歩み、どこへ向かうのか。2024年1月の総統選挙を控えて、その歴史と現在を知る文庫版。 その歴史は「海のアジア」と「陸のアジア」がせめぎ合う「気圧の谷間」が、台湾という場所を行ったり来たりした歴史だった。その動きから生じる政治・経済の国際的な激動の中で、多様な人々が織りなしてきた「複雑で濃密な歴史」を見つめることなしに、現在の台湾を理解することはできない。 はるか以前から、さまざまな原住民族(先住民族)が生きていた台湾島が、決定的な転機を迎えたのは17世紀のことだった。オランダ東インド会社が初めて「国家」といえる統治機構をこの島に持ち込んだのである。短いオランダ統治の後、明朝の遺臣・鄭成功ら漢族軍人の時代を経て、清朝による統治は200年に及ぶが、1895年、日清戦争に勝利した日本の植民地支配が始まる。そして1945年に始まった中華民国による統治は、当時の民衆に「犬が去って、豚が来た」と言われるものだった。その中で、本省人・外省人の区別を超えて「台湾人」のアイデンティが育まれ、1990年、直接選挙による第1回総統選で「初の台湾人総統」李登輝が登場する。 『台湾――変容し躊躇するアイデンティティ』(2001年、ちくま新書)を、大幅増補して改題し、文庫化。 目次 はじめに――芝山巖の光景 第一章 「海のアジア」と「陸のアジア」を往還する島――東アジア史の「気圧の谷」と台湾 第二章 「海のアジア」への再編入――清末開港と日本の植民地統治 第三章 「中華民国」がやって来た――二・二八事件と中国内戦 第四章 「中華民国」の台湾定着――東西冷戦下の安定と発展 第五章 「変に処して驚かず」――「中華民国」の対外危機と台湾社会の自己主張 第六章 李登輝の登場と「憲政改革」 第七章 台湾ナショナリズムとエスノポリティクス 第八章 中華人民共和国と台湾――結びつく経済、離れる心? 第九章 「中華民国第二共和制」の出発 結び 補説1 総統選挙が刻む台湾の四半世紀――なおも変容し躊躇するアイデンティティ 補説2 「台湾は何処にあるか」と「台湾は何であるか」 学術文庫版あとがき 参考文献 台湾史略年表 索引 -
江戸の科学者
関孝和、貝原益軒、渋川春海、杉田玄白、平賀源内……。伝記を通して、江戸に花開いた科学や技術の発展の軌跡を紹介する。科学者小伝付き!(解説:池内了氏) 『解体新書』、『蘭学事始』で知られる杉田玄白が生まれたときは大変な難産でした。看護の人たちは母親に気をとられ、生まれたばかりの赤ん坊のことは忘れてしまいました。死産だろうと思われ、とり合わせの布に包んで横に置いたままにされたのです。しかし、ようやく落ち着き、赤ん坊を見ると元気で生きていました。その後の玄白は元気に育ちます。17,8歳のころ、医官である父に医業を学びたいと申し出ると、幕府の医師である西玄哲に入門することになりました。西玄哲は通訳の家の出身で、ポルトガルやオランダの医術を覚え医師となった人物でした。玄白はこの頃から西洋医術の優秀さに触れることとなったのです。――西洋医術の導入、日本人のための暦、エレキテル、鉄砲の大量生産……など。著名な杉田玄白や渋川春海から砲術家の坂本天山まで、江戸時代を代表する科学者たちの幼少時や師事した先生とのエピソード残した業績をコンパクトに紹介する伝記集です。科学者たちの生涯を通し、江戸時代の科学や技術の発展の過程を生き生きと描き出します。29人の科学者小伝付き。解説は池内了氏。 (原本:吉田光邦『江戸の科学者たち』、社会思想社(現代教養文庫)、1969年) 本書の内容 関流をめぐる人びと ――関孝和たちと会田安明―― 本草から大和本草へ ――貝原益軒―― 本草から博物学へ ――稲生若水・小野蘭山―― 日本暦の誕生 ――渋川春海―― 町人天文学者たち ――麻田剛立の一門―― 測地事業の推進者 ――伊能忠敬―― 幸福な蘭学の始祖 ――杉田玄白―― 異端の科学者 ――平賀源内―― 電気学の正統 ――橋本宗吉―― 最初の自然哲学者 ――三浦梅園―― 自然哲学の展開者 ――帆足万里―― 通訳から科学者へ ――本木良永・志筑忠雄・馬場貞由―― 桂川家の人びと ――名門の学者たち―― 宇田川家の人びと ――家学を守った人たち―― 悲劇の科学者たち ――シーボルトとその門下―― 職人と発明家 ――国友藤兵衛―― 哲学的な砲術家 ――坂本天山―― 農業技術の変革者 ――宮崎安貞・大蔵永常―― 科学者小伝 参考文献とあとがき 解説(池内了氏) 索引 -
日米戦争と戦後日本
日本が緒戦の勝利に酔っている頃、アメリカはすでに対日占領政策の立案を始めていた! 「真珠湾」から半年余、わが国が緒戦の戦勝気分に酔っていた頃、米国ではすでに対日占領政策の検討に着手していた。そして終戦。3年の歳月を要した米国による戦後日本再建の見取り図はどう描かれ、それを日本はどう受け止めたか。またそれを通じ、どう変わっていったか。米国の占領政策が戦後日本の歴史に占める意味を鳥瞰する。吉田茂賞受賞作。 -
古代哲学史
本書は、20世紀の日本を代表する哲学者・田中美知太郎(1902-85年)による生前最後の単行本です。 古代ギリシア哲学の専門家として、数々の著作や翻訳を送り出すとともに、日本西洋古典学会の設立に携わるなど、日本の哲学界の大きな礎を築いた著者が最後に残したのは、「古代哲学史」という単刀直入なタイトルを冠した1冊でした。全三部から成る本書の第I部では、万物の始源は「水」だと説いたタレス(前585年頃)に始まり、アナクシマンドロス、アナクシメネス、ヘラクレイトス、エンペドクレス、アナクサゴラスなどを経て、ソクラテス、プラトン、アリストテレスに至る哲学史の流れを大づかみにしてみせる「西洋古代哲学史」が収録されています。文庫版で100頁にも満たない分量で要点を的確に押さえた思想史を描く力量は、まさに出色です。 第II部では、古代哲学をより深く知りたいと願う読者のために碩学がアドバイスをする、という趣きを帯びています。残された哲学者たちの著作に触れる時に注意すべきこと、そして参考書や研究書を含めた読書案内まで、実践的な哲学ガイドとして役立つことでしょう。 そして、第III部には、著者が何度も改訂を繰り返してきたヘラクレイトスの残された断片の日本語訳が収録されています。ここに読むことのできる言葉は、時に謎めき、時に不思議な魅力を放つ、古来、多くの人たちを惹きつけてきたものです。 著者がその最期に読者に向けて贈った本書には、長年月にわたる研鑽の果実が惜しみなく凝縮されています。近年は政治論や文明論などに光をあてられることの多い偉大な学者の神髄に触れられる絶好の1冊です。学術文庫版には、田中美知太郎に思い入れを抱いてきた國分功一郎氏の解説を収録し、文字どおりの決定版となります。 [本書の内容] I 西洋古代哲学史 古代アトム論の成立 II 古代哲学 一 古代哲学 二 III ヘラクレイトスの言葉 あとがき 解 題(國分功一郎) -
哲学者ディオゲネス 世界市民の原像
ギリシアの枠を飛び越えた「犬哲学者」の実像 甕(かめ)の中に住まい、頭陀袋(ずたぶくろ)を下げ、襤褸(ぼろ)をまとって犬のようにアテナイの町をうろつき、教説を説いたシノペのディオゲネス。おびただしい数の逸話で知られる「犬哲学者」の思想とは、いったいどのようなものだったのか。アリストテレス的人間観や当時の伝統・習慣を全否定し、「世界市民」という新しい理念を唱導・実践した思想家の実像を探り出し、われわれ現代人の生き方を模索する。 「犬」と呼ばれたシノペのディオゲネス。ひとは彼についてどれほどのことを知っているだろうか。(略)昼日中にランプを灯してアテナイの雑踏を往来しつつ「わしは『人間』を探している」と言い放ったとか、なにかそういう類の奇抜な逸話が知られているだけではあるまいか。だが、知るべきはこの男の生き方、その根底にあった「世界市民」思想だ。――<「序章」より> -
国民主権と天皇制
惜しまれながら急逝した不世出の法哲学者・尾高朝雄(1899-1956年)、初の文庫版。本書の原本は、1947(昭和22)年10月に国立書院から出版されました。その5ヵ月前には日本国憲法が施行されています。大日本帝国憲法から日本国憲法への移行は、前者の改正手続きに基づいてなされました。そうして「天皇主権」から「国民主権」への大転換を遂げた新しい戦後日本には「象徴天皇」が残されました。国民主権と天皇制ははたして両立可能なのか? もしそこに矛盾があるのなら、戦前から戦後の移行はいかにして根拠づけられるのか? これらの疑問は、単に憲法学の問題であるだけでなく、戦後の繁栄を支えた日本の新しい形は正当な根拠をもつものか、というすべての日本国民に関わる問題でもあります。本書は、この問題を解きほぐしてくれるものです。改正手続きの具体的な経緯をたどり、その過程で起きた「国体」をめぐる論争に触れつつ、「主権」とは何なのか、という問いを追求します。誰にでも理解できるよう、ていねいにたどられていった考察の末、「国民主権」と「天皇制」を両立させる「ノモス主権」が提示されます。本書が発表されたあと、憲法学者・宮沢俊義(1899-1976年)が異論を唱え、二人のあいだに論争が繰り広げられました。本書は、宮沢の批判に対する応答として書かれた二篇を増補して1954(昭和29)年に青林書院から刊行された版を底本とし、その内容を追えるようにしました。「ノモス主権」の概念は、長らく忘れられてきました。しかし、ここには今こそ考えるべき問いがあります。学術文庫『立憲非立憲』に続き、唯一無二の憲法学者・石川健治氏による渾身の「解説」を収録した本書は、新しい時代の日本にとって必須の一冊となることでしょう。[本書の内容]序 言/はしがき/第一章 新憲法をめぐる国体論議/第二章 主権概念の批判/第三章 国民主権の原理/第四章 天皇統治の伝統/第五章 新憲法における国民主権と天皇制/第六章 ノモスの主権について/第七章 事実としての主権と当為としての主権/解説(石川健治) -
コーヒー・ハウス 18世紀ロンドン、都市の生活史
17世紀半ばから1世紀余にわたり繁栄を見せた欧州カフェ文化の先駆、コーヒー・ハウス。そこは政治議論や経済活動の拠点であると同時に、文学者たちが集い、ジャーナリズムを育んだ場として英国に多大な影響を与えた、社会の情報基地でもあった。近代都市・ロンドンを舞台にした、胡乱(うろん)で活力にみちた人間模様と、市民の日常生活を活写する。(講談社学術文庫) -
善悪の彼岸
「みんながそうしているから」の「奴隷のモラル」を笑い飛ばせ! 新訳でよみがえった晴れやかなニーチェが贈る、人間への比類なき応援歌。 「怪物とたたかう者は、そのとき自分が怪物にならないよう用心するがいい。長いあいだ奈落をのぞいていると、奈落のほうもお前をのぞき込む」――。 有名なこの言葉が収められた『善悪の彼岸』は、1886年に自費出版で刊行されました。 「畜群社会」や、キリスト教道徳、神、真理など「既得権益としてのモダン」という巨大な敵に独り対峙しつづけたニーチェの言葉は、刊行から150年近くを経た今もなお、読む者の心を世界中で強く揺さぶり続けています。 「愛によってなされることは、いつも善悪の彼岸で起きる」 「思い上がった善意というものがある。それは悪意のように見える」 「自分自身を軽蔑する者は、いつもそのとき、軽蔑ができる自分を尊敬している」 「生と別れるときは、オデュッセウスが〔スケリア島の王女〕ナウシカアーと別れたときのようにするべきだ。――惚れているのに、というよりは、祝福する気持ちで」 これまでのイメージを覆す、晴れやかで軽やかなニーチェ訳に定評がある訳者がお届けする、21世紀の『善悪の彼岸』! 【本書の内容】 はじめに 第1部 哲学者たちの先入観について 第2部 自由な精神 第3部 宗教的なもの 第4部 格言と間奏 第5部 モラルの自然誌について 第6部 私たち学者は 第7部 私たちの徳 第8部 いろんな民族といろんな祖国 第9部 高貴とは何か? 高い山々から――後歌 訳者あとがき -
所有とは何か
本書は、激動する19世紀フランスに生きた社会思想家ピエール=ジョゼフ・プルードン(1809-65年)の初期の主著である。 スイスとの国境に近いフランス東部のブザンソンに生まれたプルードンは労働者階級出身であり、向学心旺盛でありながら学業を断念せざるをえなかった。そうして働き始めた印刷所での日々は、のちの社会思想家を生み出す養分を提供することになる。すなわち、校正作業を通じてヘブライ語を習得したほか、聖書や言語学をはじめとする学的関心を養うとともに、同郷の社会思想家シャルル・フーリエの著書を校正することで、現実とは異なる社会を構想する動機を与えた。さらに、印刷工として働く傍らでフランス各地を巡行して印刷所の現場監督を務める中で労働者の境遇を身をもって知り、これが「社会の構成単位は仕事場である」という発想を導くことになった。これらの成果が結実したのが本書にほかならない。その冒頭には「最も数が多く最も貧しい階級の物質的、道徳的、知的境遇を改善する手段」を見出すというプルードンの動機が明確に宣言されている。 本書は第一章で提示される「所有とは盗みである」という警句によって物議をかもした。これは「奴隷制とは殺人である」という命題を「変形させただけ」だと言われるとおり、「所有」とは合法化された「盗みの権利」にほかならない。ならば、それが奴隷制につながらないための線引きを担保する必要がある。その方策を実現するものこそ、プルードンが構想した理想の社会だった。 紛れもない社会哲学の古典である本書の邦訳は1971年になされたあと半世紀以上、新しいものは登場していない。本書は、気鋭の研究者が清新な日本語で作り上げた新訳であり、格差が激化する今こそ熟読したい1冊である。 [本書の内容] ブザンソン・アカデミー会員諸氏へ 第一章 本書が従う方法論――革命という観念 第二章 自然権とみなされる所有について――所有権の始動因としての先占と民法について 第三章 所有権の始動因としての労働について 第四章 所有は不可能であること 第五章 公正・不公正の観念の心理学的説明および、統治と法の原理の確定 訳者解説 -
レオナルド・ダ・ヴィンチ 伝説と実像と
「天才」と呼んだ瞬間に見えなくなる、本当のすごさがわかる! 絵画・彫刻・建築・土木・軍事……多岐にわたるその仕事は、しかしほとんどが未完に終わった。 彼が生きた同時代において、その名声はかならずしも高いものではなかった。 後世にも驚異をもたらすその着想は、実は彼一人の独創ではなく、先達の知見を踏まえてのものだった。 では「天才」というのはまったくの虚像だったのか? いや、そうではない。 現代の美術史研究による精緻な分析によって、まったくあらたな、一人の類い希なる表現者の姿が立ち上がる! 「フレスコ画を描かない画家」だったということにはじまり、ルネサンス期のイタリア各地を転々とする、苦闘と挫折に満ちた創作の人生を追いながら、神格化されたレオナルド像の向こうにある、真価を見いだそうとする試み。 夢想家〈ファンタジスタ〉レオナルド・ダ・ヴィンチの実像をたずねる、スリリングで発見に満ちた探究の美術史! *本書の原本は、2003年に角川書店より『レオナルド・ダ・ヴィンチという神話』として刊行されました。 【本書の内容】 序 章 神格化されたレオナルド 第一章 フレスコ画を描かない画家 一 システィーナ礼拝堂の壁画に参加しなかったレオナルド 二 ヴェロッキオ工房で修業したこと、しなかったこと 三 超えられない先輩ボッティチェッリ 四 ≪東方三博士の礼拝≫―先達への挑戦 第二章 新天地ミラノでの活動 一 ミラノ着任の経緯 二 素描リストの意味 三 技師・発明家・建築家としての真価 第三章 宮廷芸術家の立場と活動 一 舞台美術家としてのレオナルド 二 音楽家・楽器製作者としてのレオナルド 三 スフォルツァ騎馬像制作 第四章 最後の晩餐 一 ついに勝ち得た最大の好機 二 ドラマの表現を完成させたレオナルド 三 成功と悲運 第五章 夢ファンタジスタ想家レオナルド 一 フィレンツェ帰還 二 ≪ジョコンダ(モナ・リザ)≫と晩年のレオナルド 三 絵画による世界の完全な視覚化を目指して 参考文献・図版出典一覧 図版目録 あとがき -
西太后に侍して 紫禁城の二年間
清朝末期、半世紀にわたって権力を握り続けた西太后を、側近として見つめた女性による迫真の手記。 満洲人外交官の父親のもと、フランスで語学力を身につけた著者・徳齢は、1903年から1905年まで、通訳兼女官として晩年の西太后に仕えた。そこで目にしたのは豪華な食事と太后自ら演出した劇に時を費やす贅沢な日常だった。普段は離宮・頤和園で過ごし、正式な宮廷行事の時のみ、何十人もの女官や宦官を連れた大行列で紫禁城に赴いた。西太后はキリスト教を嫌い中国古来の風習を誇りにしながら、写真など西欧技術には関心をもち、ロシアから来た曲馬団にも大興奮。聡明な著者に心を許し、戊戌の変法の内幕や、自ら「生涯唯一の誤り」という義和団の乱の真相を語る。そして、後にアメリカで文筆家として大成する著者のジャーナリスティックな視線は、陰険な宦官たちや、不遇の皇帝・光緒帝の実像など、宮廷の人々にも向けられていく。 本書の原著Two years in the Forbiddencityは英語で執筆され、西太后が没して3年後の1911年、辛亥革命の年に上海で刊行されて、いまも版を重ねている。 [日本語版原本:『西太后に侍して』生活社1942年、研文社1997年] 目次 訳者序文 第一章 序の巻 第二章 宮中にて 第三章 宮中の芝居 第四章 西太后との午餐 第五章 西太后の覲見 第六章 西太后に侍して 第七章 宮廷の事ども 第八章 宮眷たち 第九章 光緒皇帝 第十章 皇后様 第十一章 私どもの服装 第十二章 西太后とコンガー夫人 第十三章 西太后の画像 第十四章 光緒皇帝の万寿節 第十五章 中秋節 第十六章 万寿山の離宮 第十七章 召見の間 第十八章 新年の行事 第十九章 海の離宮 第二十章 結びの巻 解 説 (加藤徹) -
阿蘭陀通詞
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 〈ことば・情報・交易を一手に担う! 江戸と西洋を繋いだ知られざる異才たち〉 江戸時代にあって、唯一の西洋世界との窓口となった、長崎・出島。 そこで、難解なオランダ語を身につけ、通商・外交の現場で一心に働く者たちがいた。 彼らはどのような出自で、いかに学び、職務を務め、“西洋近代”に対峙したか。 歴代の通詞たちの顔ぶれ、通日の語学学習と実務のディテールを、膨大な資料を博捜した著者ならではの解像度で一望。 蘭学史研究の第一人者が、彼ら「阿蘭陀通詞」の実像を丹念に探り出す! 江戸時代の国際交流を深く知りたいひと必携の書。 ■本書より 大航海の時代、波濤を乗り越えて現われた南蛮人。全く異質のヨーロッパ文化を運んできた。一転、鎖国と呼ばれた時代を迎えても、その流入は、変わることはなかった。日蘭貿易で継続されていたからである。もたらす担い手が替わっただけだったのである。しかし、「ことば」のうえでは大転換がみられたのである。 「ことば」としては、南蛮人の用いる主としてポルトガル語から、紅毛人の使用するオランダ語への転換であった。来日の南蛮人は難解な日本語の習得に努め、布教と貿易に従事した。日本で南蛮文化の開花をみた。一転して、禁教と密貿易厳禁の政策に転換、その維持、存続のために、来日のオランダ商人には日本語の習得を許さず、替わってわが方がオランダ語の用意をしなければならなくなった。これは、当時の日本人にとっては大転換であった。 本書では、右にみえた転換によって必要となったオランダ語の通訳官「阿蘭陀通詞」の実態追究に努めることにしたいと思っている。 ■本書の内容 I 阿蘭陀通詞とオランダ語 一 実務が育てる語学 二 南蛮から紅毛へ、語学条件の大転換 三 阿蘭陀通詞の養成 II 長崎の阿蘭陀通詞 一 通詞採用の任命と辞令 二 職階と役料 三 職務と加役 四 通詞会所と通詞部屋 五 異国船と通詞 III 江戸の阿蘭陀通詞 一 江戸番通詞の参府御用 二 参府休年出府通詞の参府御用・ 三 天文台詰通詞の御用と私用 四 江戸からの出張通詞 IV 多才で多彩な阿蘭陀通詞たち ※本書の原本は、2016年に『江戸時代の通訳官 阿蘭陀通詞の語学と実務』として吉川弘文館より刊行されました。
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