周りの大人たちが「PTA、PTA…」と話しているのは聞いていたけど、誰がどこで何をしているのかが全く分からない。子供時代の自分にとってPTAは地下組織みたいな存在だった。
そこから成長してひとつ知ったのは、ポジティブな意見を聞かないということ。「ただでさえ仕事・家事・育児で忙しいのに、更に仕事を増や
...続きを読むせってか!?」子供を持つ身でなくてもそれくらいの叫びは想像できる。
著者が飛び込んだPTAもまたとんでもない「魔界」で、その実態に自分もビビり倒していた。
だが「魔界」であると同時に、色々と摩擦が絶えない「人間社会」のようにも思えた。(人間で構成されているから当然) つまり全く想像できない世界ではない。
だからPTA会長へと担ぎ上げられた著者や、言いたいことも言えないまま粛々と従っていた役員さん(=親御さん)たちの気持ちが痛いほどよく伝わってくる。改革に乗り出していく著者を役員さん同様不安になりながらも見守ってしまう。
きっと全国の親御さんたちも、彼の奮闘ぶりを読みながら「いいぞ!もっと言ってやれー!」と熱い声援を送ることだろう。
「PTAは企業でもなければ、議会でもない。生活の延長にあるボランティア活動だ」
「生活犠牲にしてPTAやっても、子供も学校も幸せになりませんよ」
本来はその名の通り「親と先生の任意団体」でもっと自由度が高いはずなのに、いつの間にか「使役化」している。もっと業務を「スリム化」し、それぞれの得意分野を活かせるエキサイティングな場にしなくては。
それが著者の言い分であり、目標でもある。しかしそこを目指すには結構な試練が待ち構えていた。専業ママに合わせたスケジューリング・20世紀から踏襲されている引き継ぎ事項・不要オブ不要な雑務の数々…
中でも著者を長く悩ませたのが「ポイント制度」だ。
これは何とPTAへの貢献度を「見える化」させるために、全国各学校で採用されているという。活動の大変さや重要度に応じてポイントが割り振られ、保護者らのインセンティブになる。
古紙回収(新聞人口が減っている昨今においてはもはや不要)やベルマークの回収(長時間の切り取り作業のわりに収益は雀の涙)といった雑務もカウントされるから、親御さんたちは参加せざるを得ない。
ポイ活目的のボランティア…。廃止するにも難しい障壁だが、実は親御さんたちにとってPTAを続ける理由にもなっている。そんな親御さんたちの事情を考慮しつつ、何とか負担を減らそうと働きかける著者。「人間社会」のモデルである。
「リーダー」は「オペレーター」ではない。みんなをまとめる以前に、みんなの意見を引き出し決断して、その結果を真っ先に受け止める人物だ。
そう著者は語っており、彼自身もそれを見事に体現していた。子供の声を聞くにはまず今を生きる親の声に耳を傾けなければいけない。その機会の場としてもPTAはあるのでは?
それはある意味、自分が知っているPTAとは全然違う。