福沢諭吉の作品一覧
「福沢諭吉」の「まんがで読破」「学問のすゝめ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
子どもの頃は勉強が苦手で、このタイトルを見たときは「難しそう」と食わず嫌いしていました。大人になってからようやく手に取りましたが、もっと早く読めばよかったです。
お恥ずかしながら20代前半までは福沢諭吉さんのこともよく知らないまま生きてきたのですが、この本には彼の残した素晴らしい思想や生き方がギュッと詰まっています。
福沢諭吉さんがいなければ、今の日本はなかったかもしれないと心から思いました。学ぶことで自分の未来が開き、選択肢や可能性がどんどん広がっていくことを実感させてくれる一冊です。
漫画版は登場人物たちの立場や感情、当時の背景がすごく分かりやすく描かれていたので、次は原作の小説も読んでみたいと思います。
Posted by ブクログ
さすが、一万円札になる人なのだから、すごい人だとはわかってはいましたが、改めてこの書を明治の時代に書いたことが、著者の時代の先を見据える目がエグかったことを物語っています。
数年前まで江戸時代という鎖国国家で育ちながらも、この自由な発想が生まれたと思うと、当時は相当な変人だったんだろうなと思います。
正直、全17章の中で訳わかんない章もありますが(自分の理解力のなさを痛感させられます)、それでも、刺さる章もいくつもあるので、読む人によっては刺さる場所は違うかもしれませんが、必ず何かを得れる書だと思います。
明治のベストセラー、令和でも全く色褪せてません!
Posted by ブクログ
濃い生涯だ。
> 「語るに値する生涯が、自らその生理を生きた、すぐれた語り手によって語られるという点で、ここに滅多にない条件が揃っている。」
>
解説にあるこの言葉の通り、どうしてこうも詳細に人生について語れるのかと思うほどの分厚さだ。
この本によく登場する言葉に『無頓着』『独立』というものがある。
福沢諭吉は自分の興味があること、日本にとって必要だと思う学問に注力し、政治などには参画しないで自分の力を発揮する道を選んだ。
自分のできることで世間を良くしようという姿勢は見習わなければならない。
政治に対して「どうしてちゃんとやらないんだ」と憤る人は多いが、それはそうとして自分にも社会を良くする行動はあるのではないか?と考えることは大切だ。
自分を持ち、社会の変化に流されず、愚直に磨き続ける。
そんな風に自分も生きたいものだと本書を読んで思う。
また、自分の人生をこうして書き残すということに興味を持った。
良いことも悪いことも書き残し、誰の役に立つでもないかもしれないが、残してみたい。
福沢諭吉ほど語るに値する人生ではないかもしれないが、書いてみたい。
Posted by ブクログ
氷川清話と同じく、「風雲児たち」(みなもと太郎著)、しいてはみなもと太郎先生のお陰で、「一万円札」という印象しかなかった福沢諭吉の前半生を知ることが出来ていたため、見た瞬間に簡単に手に取ることが出来た。
福沢諭吉、その彼の父は、解体新書を訳した前野良沢がいた中津藩の下級武士であった。
父、百助は謹厳実直な人間であったが、封建社会の壁により、心労が重なったのも相まってか、好きな酒によって死亡してしまった。
福沢諭吉は子供時代、貧乏でありながらもいたずらっ子として、様々なことをしてきたと言う。
例えば、木の上から枝に乗ったミミズを持ち、人が来たところを脅かす。
神社などにあるご神体を石ころと取り換える。
家にある神札にネズミの小便がかかっており、「本当に利益があるならこのような扱いはしないだろう」と思い、踏みつける(さすがに人前ではしなかった)など。
私は、そんな子供時代を過ごした人物が、「学問のすゝめ」という本を書くなど、関連性が全く思い浮かばず、疑問に思うばかりでした。
ですが彼に来た機転、それは長崎遊学、というもの。
当時はペリーが来たばかりの時代、多くの若者が、言ってしまえばペリー病になり、砲術熱にとりつかれていた。
その時に、兄の三之助は藩命で長崎遊学に行くこととなり、兄いわく、福沢諭吉が願い出るならば、行きたければ長崎遊学へ行くことを願い出ても良いという話である。
福沢諭吉は恐らく迷わずに行くことにした。
それは、その中津藩での封建社会で、平凡に封建社会の苦しみを受けながら生きていくことを拒んだからである。
彼はその後大阪へ行き、緒方洪庵へ学びに行った。
当時、緒方塾(適々斎塾、長ったらしいので適塾と言う)は、日本一の蘭学塾と言われており、そこに入っているだけで貫禄がつくのであった。
しかし、福沢諭吉は全く知らなかったという。
余談、適塾には手塚治虫(本名手塚治)の曽祖父、手塚良仙が居たらしい。
とりあえず、蘭学界のトキワ荘へ入った福沢諭吉は、たちまち頭角を現した。
その後、有名な4代目桂川甫周の曾孫、7代目桂川甫周の紹介で、彼は日本初の使節団、遣米使節団の一員としてアメリカへ行くことができた。
どうも遣米使節団というと、勝海舟や、そして福沢諭吉、咸臨丸などを思い浮かべてしまうが、公式な遣米使節船は、黒船、ポーハタン号のみである。
なお、正使は新見豊前守正興である。
アメリカでの福沢諭吉は、かの有名な写真を撮ったり、ホテルの豪華な絨毯を土足で踏むことに躊躇したり、ガス灯の明るさに感心したりしているということを、当時の彼の友人が語っているのだが、本書では、「私は適塾時代に化学実験をいくつもしてきたから、それをちょっと大がかりにした装置なんかこっちはちっとも驚きはしない」と述べているため、少し信用できないところもある。
ですが、単に記憶違いなだけかもしれませんし、そこを嘘ついているからと言って全てを信用しないのではなく、なぜこの本をここまで読む人がいるのか、ということ。
私は、本書の一部分を言いましたが、少なくとも、これは私の人生に多大な影響を与えると思います。
この本には、福沢諭吉を教育した、母、お順、つまり教育学。
他にも科学、本人の体験、社会学、経済学、封建社会や、江戸時代、明治時代の情勢や、福沢諭吉の視点から見る偉人などが書き記されており、彼の人柄を知ることで、また新たな視点で本を読むことができると思います。
本当に良い本でした!