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明治三十年、福沢は六十年の生涯を口述し、のちその速記文に全面加筆して『自伝』を書きあげる。語るに値する生涯、自らそれを生きた秀れた語り手という希有な条件がここに無類の自伝文学を生んだ。近代日本の激動期を背景に、常に野にあって独立不羈をつらぬいた精神の歩みが大らかに語られている。 (解説 小泉信三・富田正文)
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Posted by ブクログ
まずはじめに「この本かたくないですよ!」 食わず嫌いせずにぜひ読んでください 私は人生でお気に入りの本の一冊になりました。 フリーランスや起業が新しい流れとして定着しつつある現代において、福沢諭吉の生き方は人生の道しるべになると思います。 いくつになっても好奇心を持ち続ける姿勢はぜひ見習いたいです...続きを読む。 それと呑兵衛エピソードが多いところもおすすめポイント。 信念を真面目に語っている合間にちょいちょい入ってくるお酒でのやらかしエピソードがたまらなく面白いです。 禁酒を頑張ろうとしているときの「口と心が喧嘩している」という表現がいちばん印象に残った表現です。 好きすぎて、休肝日にはいつもこのワードを使ってますw
日本人の自伝では最高傑作でしょう。明治31年、福沢諭吉先生65歳の時に江戸末期から明治に掛けての出来事を速記者に話したお話しをベースに本人が加筆して刊行しています。 約150年も前の事とは言え歴史に残る事件なども多数出てきて、諭吉先生の子供時代から青春時代、壮年までも飽きる事なく読み進められます。 ...続きを読む慶應義塾大学の創始者として有名な諭吉先生ですが、読めば読むほど、自分の好きな事だけやって、やりたい放題の超ヤンチャ人生です。 この本を若い頃に読んで居たら慶應義塾大学に何がなんでも入りたいって思ったかもしれません。それくらいブッチャケた明るい等身大の言葉で、自分の事も、時代の事もめった切りします。 子供の頃から何でも出来て、勉強も出来たが興味を持たない分野や持たない時期は敢えてやらなかった。でもその気になったらガンガン頭に入った。など天然なのか、、、恐らく高IQで反骨精神の強い変人だったのは間違い無いでしょう。 封建制度の時代から鎖国から開国、文明開花まで、欧米へも翻訳者として留学したり、押しかけ的に同行して付いて行ったりしていたので有能で有名だったが、維新後の新政府、政治に頭を突っ込まなかったのは賢い選択だったでしょう。 面白かったのは本人は恨みを買って無いと思っていたようだが、思った以上に饒舌だし舌鋒も鋭く、尚且つお酒も大好きな人だったので陰では相当恨みをかっていたのがうかがえます。 一番の感想は若い頃に読みたかったなという一言です。
諭吉の好きなことと嫌いなこととやった事が書かれた自叙伝。こんなに詳細に正確に数十年も前の過去を覚えていて言葉にできることがまず、凄いんだけれども、その人生もやっぱり破天荒で人間味溢れてて突き抜けてて凄い。 ★嫌いなもの→封建の門閥制度、血、攘夷論、鎖国、(漢学)、借金すること、役人 ★好きな物→...続きを読む酒、タバコ、勉強 ★ モットー ・数理と独立 ・倹約しろ。貸し借りは一切するな。 ただ使う時は騙すなどせずにちゃんと使え。 ・まず獣身を成して後に人心を養え。 ・放任主義 ・勉強よりも健康が大事。 ・人間万事、停滞せぬように p308
一万円札と言えば福沢諭吉。こんな破天荒な人物だったんだ、ということをまざまざと見せつけてくれる作品。古典だといって肩をはらずとも、読み物として十分面白い。
口述筆記に加筆したものなので、非常に読みやすい。 幼いころから60歳までを振り返る。 こうして読むと、福沢諭吉という人は、過去国内に存在しなかった西洋の理念や文化を完全消化して国内に紹介する学者・文筆家・啓蒙家としての才能、慶応義塾の創設者としての実業家としての才能、社会のなかでやりたいことをやる...続きを読むためにうまく立ち回る実践者としての才能、そのいずれも兼ね備えた傑物だったことがわかる。 うまく立ち回るというと言葉は悪いけれども、それがなければ、ろくな資格もないのに幕府の一員として渡米も渡欧もできなかったはずで、それに、あまり本人は語っていないけれども、維新後は在野の大物として、当時の政界と全く無関係というわけにはいかなかっただろうから、政治的な手腕や影響力も相当のものだったにちがいない。 こういう人物が、実際にいたということを知るだけで、本書を読む価値がある。 しかも近くの大分県中津市出身なので、より身近に感じた。
晩年の福沢諭吉が自分の人生を振り返って語ったことを文章にしたもの。ずっと積読本になっていたのを山から引っ張り出してきた。古文のような読みにくいものだと思っていたけれど、意外なほど読みやすい。 慶應義塾を創った以外に何をした人か今ひとつ分かってなかったけれど、緒方洪庵の適塾にいて、オランダ語をマスタ...続きを読むーした後、横浜でオランダ語は通用しない、世界は英語だと知り、今度は苦労して英語をマスターする。咸臨丸に乗ってアメリカに行く。政治には関わらず、塾を通した教育の人だった。 若い頃の恥ずかしい話なども惜しげもなく披露してくれており、何というか気持ちのいい読書ができた。時代の雰囲気もよく伝わってきた。
全く堅苦しい本ではなく、読みながらクスクス笑える。福沢諭吉の人生を追いながら彼の処世術や教訓を学べる。 一見無鉄砲でだらしのないようだが、確たる信念を持ち、絶えず好奇心を持つ勤勉な姿勢を生涯にわたって崩していない。このメリハリこそが当時としては名誉ある洋行メンバーとして選ばれ、数々の名著を残した所...続きを読む以だろう。
時代の雰囲気が伝わってきて、とても面白い本です。読んでいて福沢さんが話しているように引き込まれます。陽だまりの木の中の元ネタとか結構確認できるので、手塚ファンにも楽しめると思う。 思いの外幸運も重なって慶應大学は大きな学校になる事ができたんだなと感じる。
小林秀雄大先生が、『学問のすすめ』などからは決してこぼれてこない福沢諭吉というひとを知るために挙げていたような気がする。 あまりに見慣れて、あまりにそのことばが使いまわされていて、正直、この福沢諭吉というひとをどこか敬遠していた。だが実際手に取り彼の淀みない流れるような口授に、改めて、このような先人...続きを読むのことばに触れられる喜びを感じた。自伝と銘打っているが、この作品は福沢諭吉というひとの精神が自ら自身を語ったものと言っていい。池田某のことばと同じ匂いがする。エッセーのような、物語のような。 ほんとうに福沢諭吉というひとは、正直に善く生きるということをやってのけた大人物であると思う。等身大で生き続けられたというそのことが、驚くべき事実だ。いわゆる日本という国が大きくその価値転換を示されたときに、自分のしたいことだけをして、静かに、だが確実にその種を蒔きつつも、うまくやり過ごす。小林秀雄に言わせれば、「変人」ということばが最もふさわしい。 まるでこのひと平等主義者のように扱われているが、平等主義などといえば笑って「そんな大層なものではござりません」と言っただろう。男女平等、何をそんなこと今さら。もし今に生きていたら、平等平等と法律などに躍起になるひとをけらけらと笑って酒でも飲んでたでしょう。 平等なんてものは最初からそうなっているのだ。すべてはことばだ。善いものは善いし、悪いものは悪い。ただこれだけだ。善いと悪いの区別がつくという時点で平等ではない。だが、この自分という存在からすべてが始まっている。これ以上当たり前なことはどこにもない。そして、これはすべてのひとにあてはまる。自分でなく生きているひとなどいない。これが平等だ。金のためにも国のためにも、子供のためにも、家族のためにも生きられる人間なんぞいない。だが、どういうわけか自分というものが生まれて、自分というものを生きるより他ない。これが独立だ。だから自分が嫌だと思うことはしない。なぜ自分が金をひとからくすねたりごまかしたりしてまで生きねばならないのか。そうまでして金をためる必要はない。要るときはその他で使わなければいい。 彼が鎖国や門閥制を毛嫌いしたのは、理にかなっていないからだ。善いということは生まれた家や将軍や天皇のことではない。そういうものとは関係なく在るものだから。そうであるなら、なぜ、善いものをひとは求めないのか。生れた家で決まるのか。これが彼にとっては我慢ならないことだったから彼は飛び出したのである。彼にとっては王政維新とかどうでもいいのである。そんなものでひとの本質の何が変わるというのだ。だから政府に関与しないのである。 国がなんだ。俺は自分ができることだけをする。俺のしたいことは誰にの邪魔にならないはずだ。俺は静かに考えるだけだから。俺から学びたいならいつだって来るがいい。俺はそんなこと惜しまない。だが、考えるのは学びに来る君だ。 彼はひとは社会の虫でその習慣の粘り強さを良く知っている。その習慣を変えるのは容易なことではないのも自身でよく体験した。その習慣を改めるには社会の大きな変化が必要だと彼は言った。独立心を説く彼が、社会というものに習慣を依存させてしまっているように思える。だが、これは違う。社会のせいなどには彼は決してしていない。彼にとっての社会とは、この自分自身という存在に他ならない。自分が習慣を改めようと思わなければまるで意味がないと彼は知っている。ではなぜ習慣を改めようと思わないか。ひとつにその習慣が善いものだと思っているから。もうひとつがそれが習慣であるということにさえ気づいていないから。そのため、彼は有形において数と理を求めたのである。そして、その数と理を学ぶためにはことばとしての英語が必須であったのだ。英語が主流であることは実際事実なので、そこで彼はしょうがなくオランダ語を捨てて英語を学んだのだ。英語が大事なのではない。英語はただの手段でしかない。日本語や中国語で同じことができれば、おそらく英語をわざわざやる必要なしと彼なら言っただろう。 彼のことを考えていると、この福沢諭吉というひととソクラテスというひとを無性に対談させてみたくなる。 ソクラテス まったく君はずいぶんうまいこと生きたもんだね。見上げたもんだよ。 福沢 それを言ったらあなたの方がよっぽど話題の尽きない人生だったでしょうに。 ソクラテス 僕の方は裁判なんて厄介な制度が習慣としてあったからね。 福沢 習慣ってのはほんと、恐ろしいものですね。 ソクラテス まったくだ。あれほど恐ろしく不思議なものはない。 福沢 僕なんてもう面倒くさくてどうにでもなれ! って投げ出しましたもん。 ソクラテス 君の自伝でもあったね。学校つくれとか、官僚になれとか、いろいろ。 福沢 あんなもので人間ころって変わったらそれこそ、あなたに申し訳ないですよ。 ソクラテス どうも人間そう変わっていないようだね。世界というのは自分のこと以外のなんだというのだ。 福沢 独立というのが何よりも必要だというのに。有形、実践、世に役立つ、なんていうものがいかに浅薄なことか。 ソクラテス あれが僕にはわからない。一体何が何に役立つことなのか。何を何に実践するのか。 福沢 そんなに知りたきゃちゃんと学問でもしてみろ!って言ってやりましたよ。 ソクラテス 君のそういうところが役得なところだねぇ ふたりで酒を飲みながらそんなこと言っているような気がしてならない。 体調の問題か、彼が自伝で終わりの章はかなり足早に書かれている。書ききらなかった日清日露戦争、大正昭和聞いてみたかった。
福沢の生涯以上に幕末〜開国の時代の様子がよく書かれていて歴史で学ぶことのない日本国の状況が述べられていて面白かった。
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