あらすじ
明治三十年、福沢は六十年の生涯を口述し、のちその速記文に全面加筆して『自伝』を書きあげる。語るに値する生涯、自らそれを生きた秀れた語り手という希有な条件がここに無類の自伝文学を生んだ。近代日本の激動期を背景に、常に野にあって独立不羈をつらぬいた精神の歩みが大らかに語られている。 (解説 小泉信三・富田正文)
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Posted by ブクログ
氷川清話と同じく、「風雲児たち」(みなもと太郎著)、しいてはみなもと太郎先生のお陰で、「一万円札」という印象しかなかった福沢諭吉の前半生を知ることが出来ていたため、見た瞬間に簡単に手に取ることが出来た。
福沢諭吉、その彼の父は、解体新書を訳した前野良沢がいた中津藩の下級武士であった。
父、百助は謹厳実直な人間であったが、封建社会の壁により、心労が重なったのも相まってか、好きな酒によって死亡してしまった。
福沢諭吉は子供時代、貧乏でありながらもいたずらっ子として、様々なことをしてきたと言う。
例えば、木の上から枝に乗ったミミズを持ち、人が来たところを脅かす。
神社などにあるご神体を石ころと取り換える。
家にある神札にネズミの小便がかかっており、「本当に利益があるならこのような扱いはしないだろう」と思い、踏みつける(さすがに人前ではしなかった)など。
私は、そんな子供時代を過ごした人物が、「学問のすゝめ」という本を書くなど、関連性が全く思い浮かばず、疑問に思うばかりでした。
ですが彼に来た機転、それは長崎遊学、というもの。
当時はペリーが来たばかりの時代、多くの若者が、言ってしまえばペリー病になり、砲術熱にとりつかれていた。
その時に、兄の三之助は藩命で長崎遊学に行くこととなり、兄いわく、福沢諭吉が願い出るならば、行きたければ長崎遊学へ行くことを願い出ても良いという話である。
福沢諭吉は恐らく迷わずに行くことにした。
それは、その中津藩での封建社会で、平凡に封建社会の苦しみを受けながら生きていくことを拒んだからである。
彼はその後大阪へ行き、緒方洪庵へ学びに行った。
当時、緒方塾(適々斎塾、長ったらしいので適塾と言う)は、日本一の蘭学塾と言われており、そこに入っているだけで貫禄がつくのであった。
しかし、福沢諭吉は全く知らなかったという。
余談、適塾には手塚治虫(本名手塚治)の曽祖父、手塚良仙が居たらしい。
とりあえず、蘭学界のトキワ荘へ入った福沢諭吉は、たちまち頭角を現した。
その後、有名な4代目桂川甫周の曾孫、7代目桂川甫周の紹介で、彼は日本初の使節団、遣米使節団の一員としてアメリカへ行くことができた。
どうも遣米使節団というと、勝海舟や、そして福沢諭吉、咸臨丸などを思い浮かべてしまうが、公式な遣米使節船は、黒船、ポーハタン号のみである。
なお、正使は新見豊前守正興である。
アメリカでの福沢諭吉は、かの有名な写真を撮ったり、ホテルの豪華な絨毯を土足で踏むことに躊躇したり、ガス灯の明るさに感心したりしているということを、当時の彼の友人が語っているのだが、本書では、「私は適塾時代に化学実験をいくつもしてきたから、それをちょっと大がかりにした装置なんかこっちはちっとも驚きはしない」と述べているため、少し信用できないところもある。
ですが、単に記憶違いなだけかもしれませんし、そこを嘘ついているからと言って全てを信用しないのではなく、なぜこの本をここまで読む人がいるのか、ということ。
私は、本書の一部分を言いましたが、少なくとも、これは私の人生に多大な影響を与えると思います。
この本には、福沢諭吉を教育した、母、お順、つまり教育学。
他にも科学、本人の体験、社会学、経済学、封建社会や、江戸時代、明治時代の情勢や、福沢諭吉の視点から見る偉人などが書き記されており、彼の人柄を知ることで、また新たな視点で本を読むことができると思います。
本当に良い本でした!
Posted by ブクログ
まずはじめに「この本かたくないですよ!」
食わず嫌いせずにぜひ読んでください
私は人生でお気に入りの本の一冊になりました。
フリーランスや起業が新しい流れとして定着しつつある現代において、福沢諭吉の生き方は人生の道しるべになると思います。
いくつになっても好奇心を持ち続ける姿勢はぜひ見習いたいです。
それと呑兵衛エピソードが多いところもおすすめポイント。
信念を真面目に語っている合間にちょいちょい入ってくるお酒でのやらかしエピソードがたまらなく面白いです。
禁酒を頑張ろうとしているときの「口と心が喧嘩している」という表現がいちばん印象に残った表現です。
好きすぎて、休肝日にはいつもこのワードを使ってますw
Posted by ブクログ
日本人の自伝では最高傑作でしょう。明治31年、福沢諭吉先生65歳の時に江戸末期から明治に掛けての出来事を速記者に話したお話しをベースに本人が加筆して刊行しています。
約150年も前の事とは言え歴史に残る事件なども多数出てきて、諭吉先生の子供時代から青春時代、壮年までも飽きる事なく読み進められます。
慶應義塾大学の創始者として有名な諭吉先生ですが、読めば読むほど、自分の好きな事だけやって、やりたい放題の超ヤンチャ人生です。
この本を若い頃に読んで居たら慶應義塾大学に何がなんでも入りたいって思ったかもしれません。それくらいブッチャケた明るい等身大の言葉で、自分の事も、時代の事もめった切りします。
子供の頃から何でも出来て、勉強も出来たが興味を持たない分野や持たない時期は敢えてやらなかった。でもその気になったらガンガン頭に入った。など天然なのか、、、恐らく高IQで反骨精神の強い変人だったのは間違い無いでしょう。
封建制度の時代から鎖国から開国、文明開花まで、欧米へも翻訳者として留学したり、押しかけ的に同行して付いて行ったりしていたので有能で有名だったが、維新後の新政府、政治に頭を突っ込まなかったのは賢い選択だったでしょう。
面白かったのは本人は恨みを買って無いと思っていたようだが、思った以上に饒舌だし舌鋒も鋭く、尚且つお酒も大好きな人だったので陰では相当恨みをかっていたのがうかがえます。
一番の感想は若い頃に読みたかったなという一言です。
Posted by ブクログ
諭吉の好きなことと嫌いなこととやった事が書かれた自叙伝。こんなに詳細に正確に数十年も前の過去を覚えていて言葉にできることがまず、凄いんだけれども、その人生もやっぱり破天荒で人間味溢れてて突き抜けてて凄い。
★嫌いなもの→封建の門閥制度、血、攘夷論、鎖国、(漢学)、借金すること、役人
★好きな物→酒、タバコ、勉強
★ モットー
・数理と独立
・倹約しろ。貸し借りは一切するな。
ただ使う時は騙すなどせずにちゃんと使え。
・まず獣身を成して後に人心を養え。
・放任主義
・勉強よりも健康が大事。
・人間万事、停滞せぬように p308
Posted by ブクログ
一万円札と言えば福沢諭吉。こんな破天荒な人物だったんだ、ということをまざまざと見せつけてくれる作品。古典だといって肩をはらずとも、読み物として十分面白い。
Posted by ブクログ
口述筆記に加筆したものなので、非常に読みやすい。
幼いころから60歳までを振り返る。
こうして読むと、福沢諭吉という人は、過去国内に存在しなかった西洋の理念や文化を完全消化して国内に紹介する学者・文筆家・啓蒙家としての才能、慶応義塾の創設者としての実業家としての才能、社会のなかでやりたいことをやるためにうまく立ち回る実践者としての才能、そのいずれも兼ね備えた傑物だったことがわかる。
うまく立ち回るというと言葉は悪いけれども、それがなければ、ろくな資格もないのに幕府の一員として渡米も渡欧もできなかったはずで、それに、あまり本人は語っていないけれども、維新後は在野の大物として、当時の政界と全く無関係というわけにはいかなかっただろうから、政治的な手腕や影響力も相当のものだったにちがいない。
こういう人物が、実際にいたということを知るだけで、本書を読む価値がある。
しかも近くの大分県中津市出身なので、より身近に感じた。
Posted by ブクログ
晩年の福沢諭吉が自分の人生を振り返って語ったことを文章にしたもの。ずっと積読本になっていたのを山から引っ張り出してきた。古文のような読みにくいものだと思っていたけれど、意外なほど読みやすい。
慶應義塾を創った以外に何をした人か今ひとつ分かってなかったけれど、緒方洪庵の適塾にいて、オランダ語をマスターした後、横浜でオランダ語は通用しない、世界は英語だと知り、今度は苦労して英語をマスターする。咸臨丸に乗ってアメリカに行く。政治には関わらず、塾を通した教育の人だった。
若い頃の恥ずかしい話なども惜しげもなく披露してくれており、何というか気持ちのいい読書ができた。時代の雰囲気もよく伝わってきた。
Posted by ブクログ
全く堅苦しい本ではなく、読みながらクスクス笑える。福沢諭吉の人生を追いながら彼の処世術や教訓を学べる。
一見無鉄砲でだらしのないようだが、確たる信念を持ち、絶えず好奇心を持つ勤勉な姿勢を生涯にわたって崩していない。このメリハリこそが当時としては名誉ある洋行メンバーとして選ばれ、数々の名著を残した所以だろう。
Posted by ブクログ
時代の雰囲気が伝わってきて、とても面白い本です。読んでいて福沢さんが話しているように引き込まれます。陽だまりの木の中の元ネタとか結構確認できるので、手塚ファンにも楽しめると思う。
思いの外幸運も重なって慶應大学は大きな学校になる事ができたんだなと感じる。
Posted by ブクログ
小林秀雄大先生が、『学問のすすめ』などからは決してこぼれてこない福沢諭吉というひとを知るために挙げていたような気がする。
あまりに見慣れて、あまりにそのことばが使いまわされていて、正直、この福沢諭吉というひとをどこか敬遠していた。だが実際手に取り彼の淀みない流れるような口授に、改めて、このような先人のことばに触れられる喜びを感じた。自伝と銘打っているが、この作品は福沢諭吉というひとの精神が自ら自身を語ったものと言っていい。池田某のことばと同じ匂いがする。エッセーのような、物語のような。
ほんとうに福沢諭吉というひとは、正直に善く生きるということをやってのけた大人物であると思う。等身大で生き続けられたというそのことが、驚くべき事実だ。いわゆる日本という国が大きくその価値転換を示されたときに、自分のしたいことだけをして、静かに、だが確実にその種を蒔きつつも、うまくやり過ごす。小林秀雄に言わせれば、「変人」ということばが最もふさわしい。
まるでこのひと平等主義者のように扱われているが、平等主義などといえば笑って「そんな大層なものではござりません」と言っただろう。男女平等、何をそんなこと今さら。もし今に生きていたら、平等平等と法律などに躍起になるひとをけらけらと笑って酒でも飲んでたでしょう。
平等なんてものは最初からそうなっているのだ。すべてはことばだ。善いものは善いし、悪いものは悪い。ただこれだけだ。善いと悪いの区別がつくという時点で平等ではない。だが、この自分という存在からすべてが始まっている。これ以上当たり前なことはどこにもない。そして、これはすべてのひとにあてはまる。自分でなく生きているひとなどいない。これが平等だ。金のためにも国のためにも、子供のためにも、家族のためにも生きられる人間なんぞいない。だが、どういうわけか自分というものが生まれて、自分というものを生きるより他ない。これが独立だ。だから自分が嫌だと思うことはしない。なぜ自分が金をひとからくすねたりごまかしたりしてまで生きねばならないのか。そうまでして金をためる必要はない。要るときはその他で使わなければいい。
彼が鎖国や門閥制を毛嫌いしたのは、理にかなっていないからだ。善いということは生まれた家や将軍や天皇のことではない。そういうものとは関係なく在るものだから。そうであるなら、なぜ、善いものをひとは求めないのか。生れた家で決まるのか。これが彼にとっては我慢ならないことだったから彼は飛び出したのである。彼にとっては王政維新とかどうでもいいのである。そんなものでひとの本質の何が変わるというのだ。だから政府に関与しないのである。
国がなんだ。俺は自分ができることだけをする。俺のしたいことは誰にの邪魔にならないはずだ。俺は静かに考えるだけだから。俺から学びたいならいつだって来るがいい。俺はそんなこと惜しまない。だが、考えるのは学びに来る君だ。
彼はひとは社会の虫でその習慣の粘り強さを良く知っている。その習慣を変えるのは容易なことではないのも自身でよく体験した。その習慣を改めるには社会の大きな変化が必要だと彼は言った。独立心を説く彼が、社会というものに習慣を依存させてしまっているように思える。だが、これは違う。社会のせいなどには彼は決してしていない。彼にとっての社会とは、この自分自身という存在に他ならない。自分が習慣を改めようと思わなければまるで意味がないと彼は知っている。ではなぜ習慣を改めようと思わないか。ひとつにその習慣が善いものだと思っているから。もうひとつがそれが習慣であるということにさえ気づいていないから。そのため、彼は有形において数と理を求めたのである。そして、その数と理を学ぶためにはことばとしての英語が必須であったのだ。英語が主流であることは実際事実なので、そこで彼はしょうがなくオランダ語を捨てて英語を学んだのだ。英語が大事なのではない。英語はただの手段でしかない。日本語や中国語で同じことができれば、おそらく英語をわざわざやる必要なしと彼なら言っただろう。
彼のことを考えていると、この福沢諭吉というひととソクラテスというひとを無性に対談させてみたくなる。
ソクラテス まったく君はずいぶんうまいこと生きたもんだね。見上げたもんだよ。
福沢 それを言ったらあなたの方がよっぽど話題の尽きない人生だったでしょうに。
ソクラテス 僕の方は裁判なんて厄介な制度が習慣としてあったからね。
福沢 習慣ってのはほんと、恐ろしいものですね。
ソクラテス まったくだ。あれほど恐ろしく不思議なものはない。
福沢 僕なんてもう面倒くさくてどうにでもなれ! って投げ出しましたもん。
ソクラテス 君の自伝でもあったね。学校つくれとか、官僚になれとか、いろいろ。
福沢 あんなもので人間ころって変わったらそれこそ、あなたに申し訳ないですよ。
ソクラテス どうも人間そう変わっていないようだね。世界というのは自分のこと以外のなんだというのだ。
福沢 独立というのが何よりも必要だというのに。有形、実践、世に役立つ、なんていうものがいかに浅薄なことか。
ソクラテス あれが僕にはわからない。一体何が何に役立つことなのか。何を何に実践するのか。
福沢 そんなに知りたきゃちゃんと学問でもしてみろ!って言ってやりましたよ。
ソクラテス 君のそういうところが役得なところだねぇ
ふたりで酒を飲みながらそんなこと言っているような気がしてならない。
体調の問題か、彼が自伝で終わりの章はかなり足早に書かれている。書ききらなかった日清日露戦争、大正昭和聞いてみたかった。
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口述筆記ということだが、福澤自身が随分筆を入れているとのこと、口語体の自伝として黎明期の傑作ではないか?虚飾や隠し事もあろうが、とにかく合理主義者としての福澤の人となりを余すところなく示していると思う。本人の好き嫌いは置いて、誰が読んでも楽しめるはず。
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これをそのまま映画化したらコメディ映画が出来上がるのではないかと思うくらいユーモラスな自伝。門閥制度が嫌い、漢学が嫌い、そして攘夷が嫌い。これらのごく個人的な嫌悪感が新しい社会を構想する原動力になったという事実は興味深い。門閥制度への嫌悪感は西洋流の平等主義を受け入れる下地を作っただろうし、科学的な根拠を持つ洋学を学んだあとは、漢学や攘夷といったものが極めて非合理的なものに見えただろうことは想像に難くない。明治新政府に仕官しなかった理由を語る終章(「老余の半生」)は福沢の精神を最もよく表していてやはり感動的。一切の迷信を排したウルトラ合理主義者である福沢が、独立心という無形の矜恃に最高の価値を置いていたことはやはり特筆すべきだろう。記憶だけが頼りの口述筆記であるため事実誤認も数多くあるのだろうが、それを差し引いても、すぐれた自伝文学であると同時に第一級の歴史資料としての価値も併せ持つ稀有な作品。
Posted by ブクログ
福沢諭吉さんの颯爽とした生き方が、本人による軽やかな口調で語られている。
読むと「学問の神様」をとても身近な存在に感じる。
偉ぶらない、媚びない、まさに自立した人だったんだな。
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福沢諭吉の著作といえば学問のすゝめが有名で、これはこれで読み応えもあり、勉強のモチベーションが下がった時に読み直したくなる名著なのですが、この福翁自伝も面白い。
何事もズバズバと物申していく様や若気の至り?での後悔など、エピソードが盛りだくさん。口語体で読みやすくわかりやすい。
節々に才覚を発揮する天才エピソードもあり、さすがだなぁと思いつつ、どこか共感できる節もある一冊
Posted by ブクログ
今回(2024年)1万円札が渋沢栄一氏に変わった。それでなんとなく、これまで万札のシンボルだった福澤諭吉さんの伝記を読んでみたくなった。「福翁自伝」には、「幼少の時」から「老余の半生」までが、徒然につづられている。
両親から受け継いだ頭脳は、遺伝子的にも優れた頭脳だったんだろうなと思うが、その頭脳に本格的にスイッチがはいったのは、14~5歳のころという。それまでの読書嫌いが、漢書にハマってしまい、それまで眠っていた好奇心が一気に爆発する。経書、論語、孟子、詩経、書経、蒙求、世説、左伝、戦国策、老子、荘子、史記、前後漢書、晋書、五代史、元明史略などを次々と読破、特に左伝は全巻を11回読んで、ところどころをソラで言えるほどになったという。やはりただ者ではない。
これを機に、学問一筋に進むのかと思いきや、この福沢諭吉という人は、そんな単純な人ではなかった。破天荒な自由人というのが印象だ。かと言って、決して自分というものを失わないし、結局のところ自身の信じるところを生涯貫いた人であったという印象である。
青春期の21歳で、長崎遊学の際、洋学(蘭学)と出会う。これが福澤の人生の基盤となる。さらに学問を究めるため江戸進出を決意するものの、なぜか運命の女神は(女神は兄だったか)、彼を大阪にとどめる。彼は緒方洪庵の適塾に学ぶこととなるが、ここでの生活がまた福澤の人生の基盤を骨太にしていく。
適塾での生活で、彼の破天荒ぶりは絶好調。特に彼の大酒のみは、この頃から定着しつつある。この時期のちょい悪武勇伝が自伝にもオンパレードだ。
次の節目の歳=25歳では江戸へ出る。ここで関心は、蘭学から英語へとシフトしていく。彼の人生は、あたかも彼の成功の人生のためにあらかじめ計画されたようなプロセスで進んでいく(というより彼がそのシナリオを描いていったのだと思う)。
英語をマスターすれば、次は海外視察の機会を得る。あの咸臨丸でのアメリカ渡航の一員として、乗船に加えてもらうチャンスをものにする。海外初渡航によりまだ見ぬ世界を見るという好奇心と、渡航に失敗して海に沈むかもしれないという恐怖心と、その二つのはざまに普通の人間なら葛藤があるかもしれないが、福澤にはまったく恐怖心なく、ただ好奇心が100%あるのみ。自ら乗せてくれと志願する。
その後もヨーロッパ諸国へ出発する使節団の一人としても選ばれ、益々、見聞を大きく拡大する機会を獲得するのである。先進諸国の実態を目の当たりにし、何もかもが遅れている日本の実態を知ってしまい、ともかく当時の日本の鎖国思想や攘夷思想を徹底的に嫌悪するようになった。世界の実態を知ってしまった者の当然であろうと思う。
こうしたなか、福澤は幕府軍か政府軍かという世間の動乱のさなかでも、むしろそような戦いに若者を巻き込ませたくないという発想から、若者に洋学の授業を進めていく(戦争中も休校なし!)。自身の価値観をしっかり持って、信じる道にわき目もふらず突き進んでいくというイメージだ。それが現在の慶應義塾大学へとつながっていく。
生涯を通じて彼は、自分の心に忠実に生きたという感じがする。時勢に流されず、つくろわず、また人としての醜い部分に染まらず・・・と。彼は、権力というものが大嫌いだった。意味もなく偉そうにする役人の姿に嫌悪を覚え、彼は新政府の役人に推されても、絶対になろうとしなかった。
彼の自伝には、非常に多くの人物が登場する。それだけ様々な人物との交際が広く活発だったということだ。しかもそれらの人々との接し方が、真に平等そのもの。上とか下とか、そういうものが彼には最初から存在しないかのようだ。この一点だけでも尊敬すべき偉大な人物であると思う。
Posted by ブクログ
ライバル校の創始者なの今まで読むのを躊躇っていたが、意外に読みやすく、福沢諭吉に親しみを感じてしまった。ユーモアのセンスが素晴らしい!諭吉さん、こんなにチャーミングで面白いおっさんだったのか。大酒飲みというのも親しみが持てる。当時の歴史を知るのにもいい一冊。
Posted by ブクログ
なんとさわやかな読後感だろう。その弁快活にして虚飾なく、精神が自由闊達なことがよくわかる。人となりを知るにあたって自伝というものはだいぶ差っ引かねばならぬ形式だが、福沢さんはこのままの人だろうと思える。まことに人間として嘘がなく、信頼ができる。本でもその誠実が伝わるのだから、講義ならなおさらだ。あれだけの門下生が集まったのもうなずける。その人となりと人生が率直さで貫かれた稀有な人だったのだろう。
福沢は現実家だ。神仏を振り返らぬのも、洋学を学んだのも、子供の教育で学より頑健が先んじるのも、現実の実相をよく見よう見てもらおうと努めただけだ。怨念や嫉妬というものとはもっとも遠い存在だ。
現実主義者は、観念=イデオロギーを最も嫌う。彼が攘夷佐幕の両主義を軽蔑するのも当然のことで、彼らはまったくめくらの妄想をしている点で同根にある。この点は、いつの世も変わらない。一言放てばイデオロギーに組み込まれてしまう時代で、福沢は頑なに沈黙を守り、西洋について書いた。福沢は、西洋は妄信したのでなく、現実を考えるに具合がよい素材だったのだ。
西洋文明の普及に努めた福沢を、西洋文明を日本で最初に公に紹介した新井白石と比べるのも面白い。彼は極めて冷静な官僚であり政治家だったから、西洋人と接した際、一義的にはこの異教と文明が日本にどのような影響を与えるかを分析していた。だが、その奥底で、人間白石としてこの科学という学問にいかに心が躍動したかが、「西洋紀聞」には描かれている。彼は漢学者の大家ではあるが、決して漢学のイデオロギーに囚われていた人ではない。あらゆる当時の学問に手をつけていたことから分かるように、彼が興味を持ったのは「現実」という一点のみだ。「紀聞」のなかでキリスト教についてわずか数行で精緻な論理で論破しながら、一方で科学については己に言い聞かせるような長い叙述をしていることからも、その白石の原理を知れる。
人間としては圧倒的に福沢の方が魅力的だが、現実を唯一の原理として考えるため、信頼できることには変わらない。
このあと小林秀雄「福沢諭吉」を読んで、そのあまりの精度、ずいぶん考えさせられた。
「「福翁自伝」が、日本人が書いた自伝中の傑作であるのは、強い己れを持ちながら、己れを現わせんとする虚栄が、まるでないところからきていると思う」。まさに。
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福沢諭吉先生の自伝。若い頃はまあ血気盛んな、どこにでもいるような若者でも在り、意外といたずらっ子だったのだなーとびっくりした…明治維新のという激動の時代の中でも、かなりマイペースで、しかししっかりとした信念を持って慶應義塾を建てられたことを知った。実は学問のすすめをまだ読んでいないので、なる早で読んでみたいと思う。福沢先生の意外な一面がたくさん描かれていてとても面白い!
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福沢諭吉の生涯を通してその人となりや考え方等を知ることが出来た。想像していたのと違い、意外とおとなしめな印象を受けた。
新政府よりの人物と思っていたが、全くそうでは無かった。榎本武明の助命にも一役買っていたとは。。
読みにくそうと思い敬遠していたが、割と読みやすかったが少し時間がかかった。
Posted by ブクログ
本書で興味をもった点は3点。
①目的なしの勉強
ここでは目的を持たずして勉強したことこそ仕合せであったと述べている。何々を成し遂げたいが故に勉強に励んでしまうと却って身構えてしまい修学することができないとのことで、身軽な状態で学ぶからこそ結果が出たとこの時は述べているようだ。
②一国の独立は国民の独立心から
別の本で「国を支えて、国に頼らず」という言葉を福沢伝に付け加えていたが、まさにそのことを福沢自信が述べている。こういった心持を持っていたからこそ、教育者という身分であり続け、政治社会に足を突っ込まなかったようである。
③海臨丸での米国航海から
米国渡航、欧州渡航についての感想を述べており、自分自身はこの点がとても興味深く読めた。当時の日本人がアメリカでのもてなしや風情に驚いている姿が見て取れが、これが後々の英語教育を推し進める源流になったのかと思うと、その経験たるや想像を超えたものなのだろうと。
Posted by ブクログ
憧れるというか、惚れる。できればもう少し若い時に読んでおけば良かった(現在43)。福沢の独立不羈、血に交じりて赤くならずの姿勢が「至極変化の多い賑やかな」人生に繋がった。あわせて、詳細な後述で維新前後の日本の状況を知ることもできる。「幼少以来の飲酒の歴史」などおもわず微笑んでしまうようなエピソードもあり、ユーモアもあった方なんだなぁと思った。
Posted by ブクログ
福澤諭吉の自伝。口述したものを速記させ、
速記の清書に対して、自ら訂正加筆して作られたということです。
読み物として大変よみやすく、しかも面白い自伝でした。
特に、前半の学問修行のころの細々とした話は、その時代の雰囲気や、
福澤諭吉の行動がありのまま描かれているように思いました。
例えば渡米中、日本人が洋食に慣れないので自分まかないにしたところ、
アメリカの人はかねて日本人の魚類を好むことをよく知っているので、
毎日毎日魚を持ってきてくれたという話、(P111)
ワシントンの子孫はどうしているかと尋ねると、
冷淡な様子でなんとも思っていないことに驚いた、というのは日本では、
源頼朝、徳川家康などの子孫が重んじられるという頭があるから、(P115)
など、一つ一つ体験として語られます。
最後の方で、新聞には自分の意見を自由に書け、
でも他人の身を評するなら、その人に対面して直接言えることを書け、
対面して良心に恥じて率直に言えないことは書くな、とありました。
若い頃は、無茶で迷惑なことをやっていたりもしましたが、
それも包み隠さず述べられていて、
カラリとしていて、言い訳のない人柄が好印象でした。
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授業で読み進めたが、ところどころでしかも授業は半期のため途中まで。
諭吉が口述筆記させた文だから硬くなくて読みやすい。
読んだのは始めから留学するあたり。
お札の顔とはまた違う若い諭吉の顔。
写真も扉絵に載ってて、授業中は他の写真もスライドで見たけどなかなか濃い顔。
背が高くてかなり破天荒で、色々塾の仲間と悪さをする。
金があれば酒を飲む。
でもすごい勉強してる。
そりゃ大学も作っちゃうわけですよ。
全部読破したいと思いながら、いまだ栞は半ば。
Posted by ブクログ
福沢諭吉の塾生だった頃のワルノリぶりには現代の学生も敵わないでしょう。
自分の子供には好き放題させ、子供が遊びまわって家の障子を破っても、怒りもしない。
子供は元気が一番。
礼儀は大人になってから身に着ければいい。
勉強なんて、自分からしたくなるまでは、元気に外で遊びまわっていた方がいい。
特に勉学で子供に厳しくすると、人間が小さく育つ。
それゆえに明治の学校教育は間違っているという、福沢諭吉の子供の育て方と、学校教育のありかたに賛同します。
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幕末の時代背景にあまり詳しくないが、説明が多いので読みやふい。偉人である福沢諭吉の禁酒に失敗しタバコに手を出してしまったり、若気の至りの様々な悪戯、意外な特技など人間らしいところにクスッと笑える。福沢諭吉の人生をなぞりながら考え方や信念を知ることができる本。短い項に分かれているので隙間時間にもおすすめ。
Posted by ブクログ
スイスイ読めて面白いし納得できる。
とにかく酒を飲みに飲んで、いろいろ言い訳かましながら煙草も吸い始め、
神社にいたずらしても特に不幸がないやら、偽りの遊女の手紙を仲間に送りつけたり、何せ派手にやってますわ。
現代の慶應生に通じるものが大いにある。
その上で勉強熱心なのが凄い。
それだけ酒を飲んでるけど、塾ではめちゃくちゃ勉強してる。蘭訳が通じないとなるとすぐ英語勉強して、翻訳を生業にしている。必要と思ったらすぐに本気で勉強してる、そこのメリハリの凄まじさが読み取れる。そして必要な勉強(所謂実学)を選んでしている。だからといい、金儲けのためや出世のためではなく、実直に勉強できる環境だったのがよかったと書いてて、その辺は大いに参考になる。上野戦争の時に慶應義塾だけは授業をしていたのは有名な話だが、その精神の根っこが辿れるので面白い。
あとは処世術じゃないけど、自分に正直なところが素晴らしい。嫌な仕事は断る。政治参加も断る。その辺りの軸がありつつ物事を取捨選択してる生き方は凄いし、羨ましくもある。
そういう意味でも、面白い物語ってだけでなく、参考書チックな部分があって非常に読み応えあり。
Posted by ブクログ
目下再読中の大作『大菩薩峠』の中で維新時の最大の巨人的評価を受けているのを読んで本作をほんと久方ぶりに手に取る。
正直まぁそんなに面白い本ではありませんな、解題にも書かれてますがちょっと清廉過ぎるし。まぁ相当な酒好きとかおっと思わせる箇所は多々あるものの、この手の本に期待する無茶苦茶感がほとんどないからねぇ。
唯この本の重要性は、これまた後記にも書かれてますが、これほどの人物であっても世に蔓延る偏見・時代の制約からは逃れられないという深い現実。こういうのを読むとアリの凄さが際立つんだよなぁ、、、
Posted by ブクログ
福沢諭吉も、若い書生時代には中々DQNなことをやっていたようで。
反封建主義の姿勢には共感を覚える。
「私は毎度このことを思い出し、封建の門閥制度を憤ると共に、亡父の心事を察して独り泣くことがあります。私のために門閥制度は親の敵で御座る。」(14頁)
「日本の不文不明の奴らが殻威張りして攘夷論が盛んになればなるほど、日本の国力は段々弱くなるだけの話で、しまいには如何いうようになり果てるだろうかと思って、実に情けなくなりました。」(134頁)
慶応は寄付金が多いらしいが、これは当初からの塾の校風を受け継ぐものなんだろうな。214頁参照。