【感想・ネタバレ】新訂 福翁自伝のレビュー

あらすじ

明治三十年、福沢は六十年の生涯を口述し、のちその速記文に全面加筆して『自伝』を書きあげる。語るに値する生涯、自らそれを生きた秀れた語り手という希有な条件がここに無類の自伝文学を生んだ。近代日本の激動期を背景に、常に野にあって独立不羈をつらぬいた精神の歩みが大らかに語られている。 (解説 小泉信三・富田正文)

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

このページにはネタバレを含むレビューが表示されています

Posted by ブクログ

ネタバレ

氷川清話と同じく、「風雲児たち」(みなもと太郎著)、しいてはみなもと太郎先生のお陰で、「一万円札」という印象しかなかった福沢諭吉の前半生を知ることが出来ていたため、見た瞬間に簡単に手に取ることが出来た。
福沢諭吉、その彼の父は、解体新書を訳した前野良沢がいた中津藩の下級武士であった。
父、百助は謹厳実直な人間であったが、封建社会の壁により、心労が重なったのも相まってか、好きな酒によって死亡してしまった。
福沢諭吉は子供時代、貧乏でありながらもいたずらっ子として、様々なことをしてきたと言う。
例えば、木の上から枝に乗ったミミズを持ち、人が来たところを脅かす。
神社などにあるご神体を石ころと取り換える。
家にある神札にネズミの小便がかかっており、「本当に利益があるならこのような扱いはしないだろう」と思い、踏みつける(さすがに人前ではしなかった)など。
私は、そんな子供時代を過ごした人物が、「学問のすゝめ」という本を書くなど、関連性が全く思い浮かばず、疑問に思うばかりでした。
ですが彼に来た機転、それは長崎遊学、というもの。
当時はペリーが来たばかりの時代、多くの若者が、言ってしまえばペリー病になり、砲術熱にとりつかれていた。
その時に、兄の三之助は藩命で長崎遊学に行くこととなり、兄いわく、福沢諭吉が願い出るならば、行きたければ長崎遊学へ行くことを願い出ても良いという話である。
福沢諭吉は恐らく迷わずに行くことにした。
それは、その中津藩での封建社会で、平凡に封建社会の苦しみを受けながら生きていくことを拒んだからである。
彼はその後大阪へ行き、緒方洪庵へ学びに行った。
当時、緒方塾(適々斎塾、長ったらしいので適塾と言う)は、日本一の蘭学塾と言われており、そこに入っているだけで貫禄がつくのであった。
しかし、福沢諭吉は全く知らなかったという。
余談、適塾には手塚治虫(本名手塚治)の曽祖父、手塚良仙が居たらしい。
とりあえず、蘭学界のトキワ荘へ入った福沢諭吉は、たちまち頭角を現した。
その後、有名な4代目桂川甫周の曾孫、7代目桂川甫周の紹介で、彼は日本初の使節団、遣米使節団の一員としてアメリカへ行くことができた。
どうも遣米使節団というと、勝海舟や、そして福沢諭吉、咸臨丸などを思い浮かべてしまうが、公式な遣米使節船は、黒船、ポーハタン号のみである。
なお、正使は新見豊前守正興である。
アメリカでの福沢諭吉は、かの有名な写真を撮ったり、ホテルの豪華な絨毯を土足で踏むことに躊躇したり、ガス灯の明るさに感心したりしているということを、当時の彼の友人が語っているのだが、本書では、「私は適塾時代に化学実験をいくつもしてきたから、それをちょっと大がかりにした装置なんかこっちはちっとも驚きはしない」と述べているため、少し信用できないところもある。
ですが、単に記憶違いなだけかもしれませんし、そこを嘘ついているからと言って全てを信用しないのではなく、なぜこの本をここまで読む人がいるのか、ということ。
私は、本書の一部分を言いましたが、少なくとも、これは私の人生に多大な影響を与えると思います。
この本には、福沢諭吉を教育した、母、お順、つまり教育学。
他にも科学、本人の体験、社会学、経済学、封建社会や、江戸時代、明治時代の情勢や、福沢諭吉の視点から見る偉人などが書き記されており、彼の人柄を知ることで、また新たな視点で本を読むことができると思います。
本当に良い本でした!

0
2025年08月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

口述筆記ということだが、福澤自身が随分筆を入れているとのこと、口語体の自伝として黎明期の傑作ではないか?虚飾や隠し事もあろうが、とにかく合理主義者としての福澤の人となりを余すところなく示していると思う。本人の好き嫌いは置いて、誰が読んでも楽しめるはず。

0
2014年08月31日

Posted by ブクログ

ネタバレ

今回(2024年)1万円札が渋沢栄一氏に変わった。それでなんとなく、これまで万札のシンボルだった福澤諭吉さんの伝記を読んでみたくなった。「福翁自伝」には、「幼少の時」から「老余の半生」までが、徒然につづられている。

両親から受け継いだ頭脳は、遺伝子的にも優れた頭脳だったんだろうなと思うが、その頭脳に本格的にスイッチがはいったのは、14~5歳のころという。それまでの読書嫌いが、漢書にハマってしまい、それまで眠っていた好奇心が一気に爆発する。経書、論語、孟子、詩経、書経、蒙求、世説、左伝、戦国策、老子、荘子、史記、前後漢書、晋書、五代史、元明史略などを次々と読破、特に左伝は全巻を11回読んで、ところどころをソラで言えるほどになったという。やはりただ者ではない。

これを機に、学問一筋に進むのかと思いきや、この福沢諭吉という人は、そんな単純な人ではなかった。破天荒な自由人というのが印象だ。かと言って、決して自分というものを失わないし、結局のところ自身の信じるところを生涯貫いた人であったという印象である。

青春期の21歳で、長崎遊学の際、洋学(蘭学)と出会う。これが福澤の人生の基盤となる。さらに学問を究めるため江戸進出を決意するものの、なぜか運命の女神は(女神は兄だったか)、彼を大阪にとどめる。彼は緒方洪庵の適塾に学ぶこととなるが、ここでの生活がまた福澤の人生の基盤を骨太にしていく。

適塾での生活で、彼の破天荒ぶりは絶好調。特に彼の大酒のみは、この頃から定着しつつある。この時期のちょい悪武勇伝が自伝にもオンパレードだ。

次の節目の歳=25歳では江戸へ出る。ここで関心は、蘭学から英語へとシフトしていく。彼の人生は、あたかも彼の成功の人生のためにあらかじめ計画されたようなプロセスで進んでいく(というより彼がそのシナリオを描いていったのだと思う)。

英語をマスターすれば、次は海外視察の機会を得る。あの咸臨丸でのアメリカ渡航の一員として、乗船に加えてもらうチャンスをものにする。海外初渡航によりまだ見ぬ世界を見るという好奇心と、渡航に失敗して海に沈むかもしれないという恐怖心と、その二つのはざまに普通の人間なら葛藤があるかもしれないが、福澤にはまったく恐怖心なく、ただ好奇心が100%あるのみ。自ら乗せてくれと志願する。

その後もヨーロッパ諸国へ出発する使節団の一人としても選ばれ、益々、見聞を大きく拡大する機会を獲得するのである。先進諸国の実態を目の当たりにし、何もかもが遅れている日本の実態を知ってしまい、ともかく当時の日本の鎖国思想や攘夷思想を徹底的に嫌悪するようになった。世界の実態を知ってしまった者の当然であろうと思う。

こうしたなか、福澤は幕府軍か政府軍かという世間の動乱のさなかでも、むしろそような戦いに若者を巻き込ませたくないという発想から、若者に洋学の授業を進めていく(戦争中も休校なし!)。自身の価値観をしっかり持って、信じる道にわき目もふらず突き進んでいくというイメージだ。それが現在の慶應義塾大学へとつながっていく。

生涯を通じて彼は、自分の心に忠実に生きたという感じがする。時勢に流されず、つくろわず、また人としての醜い部分に染まらず・・・と。彼は、権力というものが大嫌いだった。意味もなく偉そうにする役人の姿に嫌悪を覚え、彼は新政府の役人に推されても、絶対になろうとしなかった。

彼の自伝には、非常に多くの人物が登場する。それだけ様々な人物との交際が広く活発だったということだ。しかもそれらの人々との接し方が、真に平等そのもの。上とか下とか、そういうものが彼には最初から存在しないかのようだ。この一点だけでも尊敬すべき偉大な人物であると思う。

0
2024年08月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

本書で興味をもった点は3点。

①目的なしの勉強
ここでは目的を持たずして勉強したことこそ仕合せであったと述べている。何々を成し遂げたいが故に勉強に励んでしまうと却って身構えてしまい修学することができないとのことで、身軽な状態で学ぶからこそ結果が出たとこの時は述べているようだ。

②一国の独立は国民の独立心から
別の本で「国を支えて、国に頼らず」という言葉を福沢伝に付け加えていたが、まさにそのことを福沢自信が述べている。こういった心持を持っていたからこそ、教育者という身分であり続け、政治社会に足を突っ込まなかったようである。

③海臨丸での米国航海から
米国渡航、欧州渡航についての感想を述べており、自分自身はこの点がとても興味深く読めた。当時の日本人がアメリカでのもてなしや風情に驚いている姿が見て取れが、これが後々の英語教育を推し進める源流になったのかと思うと、その経験たるや想像を超えたものなのだろうと。

0
2013年05月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

福沢諭吉も、若い書生時代には中々DQNなことをやっていたようで。
反封建主義の姿勢には共感を覚える。

「私は毎度このことを思い出し、封建の門閥制度を憤ると共に、亡父の心事を察して独り泣くことがあります。私のために門閥制度は親の敵で御座る。」(14頁)

「日本の不文不明の奴らが殻威張りして攘夷論が盛んになればなるほど、日本の国力は段々弱くなるだけの話で、しまいには如何いうようになり果てるだろうかと思って、実に情けなくなりました。」(134頁)

慶応は寄付金が多いらしいが、これは当初からの塾の校風を受け継ぐものなんだろうな。214頁参照。

0
2015年07月05日

「学術・語学」ランキング