木田元の一覧
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ユーザーレビュー
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ハイデガーの存在論や哲学観の全体像がよくわかる。カント、ヘーゲル、ニーチェ、フッサールなどの関係性や影響も時系列ごとに綺麗に整理されていて読みやすい。
Posted by ブクログ
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反哲学といえばニーチェだという決めつけ。それ以上の知識の拡がりがないままの自分がこの本を読んで得られたのは、哲学というものをめぐる大きな歴史の動きと、それに伴い変化していく哲学者たちの考え方だった。哲学者一人ひとりの考えを深く理解することはこの本だけでは不可能だが、各々の哲学者が「なぜ」そのように考
...続きを読むえたのか(またはその考えに『縛られた』のか)、「なぜ」その時代にその考えが現れたのかを理解するには大変良い書であると思う。
Posted by ブクログ
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反哲学入門の続きのような感覚で読み始めたけど、ちょっと趣が違う。哲学に限らず20世紀の学問・思想の限界(理性の崩壊)から話が始まり、そこを突破するための存在論・認識論の新しい地平、生理学などの力を統合し進む現象学中心の展開を見る。後半マルクス主義の潮流あたりは特に難しくてあんまり読めていないなと思う
...続きを読む。
自分にとっての「体」の持つ意味、心と体の分かちがたく結びつく様、世界内存在としての企投の場であるということを検討してからの言葉の検討、言葉とは思考のからだであるという流れがとても美しく、頭の中で強く広く響く。今まで持っていた言葉への違和感がするする解き明かされていくようで気持ち良かった。
鶏のエサ実験や失語症や色名健忘の話が面白かった。私は相貌失認とそれに関連してひどい方向音痴なのだが、これを読んで相貌失認はおそらく記憶の問題ではなくて鶏のエサ認識のように対象の差異を相対的に細かく認識する機能の欠陥なのではないかと感じる。
方向音痴も色名健忘の「障害によって侵されているのは、判断力であるよりは、むしろ判断力の生まれてくる地盤であり、……つまりそこに何らかの意図を造形するわれわれの能力なのである」という部分は非常に大きな気付きになった。
地図上で目の前の建物がどこにあるか分かり、地図上でどう進めば目的地へ着けるか分かるのに、目の前のどの道路をどちらへ進めばいいかは何分考えても分からないという自分の感覚は「頭がおかしい」という言葉でしか認識できていなかったが、そういうことなのかと腑に落ちてすっきりした。
欠けているのは理解ではなく要素をシンボル化し利用する「ベクトル」であるということがチンパンジーのところでも書いてあったが、左右盲だとかこうした細々した困りごとはたぶん頭の根っこでつながっているのだろう。
哲学の本でこの辺りのことに大きな収穫があるのは思いがけない嬉しいプレゼントだったけれど、たぶんもっと読めばさらに得られるものがあるだろうと思うので、また読みたい。
Posted by ブクログ
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ここ最近、木田元の哲学書を連続して読んだが、その中でも最高の書。形而上学=哲学というのがプラトンが、現実社会(事実存在)と現実にはない理想の世界(本質存在=神の世=イデア)とを分離したことから始まり、それがニーチェにて終了し、現代哲学はこの形而上学的な二元論から、自然な存在というものを中心に論じるギ
...続きを読むリシャ時代の哲学(という言葉は正確ではないが)に戻ろうとしているという、古代から現代までの哲学と言われるものの推移をかなり簡易に解説している。これを読んで、やっとで形而上学を理解できた気がする。本質存在が、キリスト教の神になり、デカルトの理性になり、それがカントからヘーゲルまでのドイツ観念論に引き継がれていくという歴史のダイナミズムがよくわかった。しかしながら、これを読むと哲学というのは何という無駄なことをしているのだろうとつくづく思う。こんなことを考えなくても生きていくことは可能であるし、考えてもただの言葉遊びとしか思えないし、ただ木田元が言っているようにこんなことを考えないと生きていけない一部の人のための学問なのだと思う。その点で普通の人が読むような本ではないが、自分の思考能力を高めたいと思う人には面白い本だと思う。
Posted by ブクログ
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哲学とは何かを体系的に考えるのに大変有用な本。要は、イデアも純粋形相も神も理性もすべては一つの形而上学的(現世とは異なる理想的な世界が存在し、それに向かって世界は進んでいく的)な同じ思想形態であり、西洋哲学、西洋思想はすべてこの思想形態を中心に発展してきたということがよく分かった。実存主義はそれを真
...続きを読むっ向から否定するものであり、哲学ではなく反哲学と呼ぶべきものということらしい。とは言っても、旧来の哲学も決して無駄だったわけではなく、人間中心主義的な考え方が現代の科学文明を発展させる礎になったのだろうし、それにより人権宣言も行われたのだろうし、社会の要請の上で成り立つ思想形態なのだと思う。今の実存主義的な考え方も将来はどうなるかわからないのだろう。
Posted by ブクログ
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