作品一覧

  • 唯識の哲学

    唯識の哲学

    ビジネス・実用

    -
    1巻1,540円 (税込)
    「どうすれば現実の苦しみから解放されるのか」 「自己や宇宙の根底にある真理とは何か」 ──こうした根源的な問いに向き合い、仏教徒たちの深い思索と実践の積み重ねから生まれた深遠な理論体系、唯識思想。 唯識は、紀元前3世紀ごろのインドで始まり、後に玄奘三蔵によって中国へと伝えられた、大乗仏教の根幹をなす思想のひとつです。この教えでは、五感(見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる)と意識に加え、深層心理にあたる末那識・阿頼耶識を含めた「八識」によって世界が生み出されていると考えます。唯識では、私たちが認識するあらゆる現象は、心=識が生み出した観念にすぎません。心の外に実体としての存在はないにもかかわらず、心はそれをあるかのように思い込む。そして、そこから苦しみが生まれるのです。哲学であると同時に宗教でもある唯識思想は、実践的な修行(ヨーガ)を通じて自己を変革し、身体的にも精神的にも煩悩から解き放たれた自由の境地、すなわち真理へと至る道筋を示すものです。 本書は、「唯識無境」「阿頼耶識」「末那識」「転依」といった主要概念を軸にして、大乗仏教随一の理論である唯識思想の本質を丁寧に解き明かした著者渾身の書です。唯識の第一人者・高橋晃一氏の解説付き。 [本書の内容] はじめに 第一章 識一元論――唯識無鏡 1 唯識の意味 2 唯識無鏡の論証 3 認識の構造 第二章 自己の根源体――阿頼耶識 1 阿頼耶識の発見 2 阿頼耶識の機能 第三章 自我意識の形成――末那識 1 末那識について 2 末那識の成立史 第四章 真理の完成――転依 1 自己変革 2 真理の論理的解明 解 説(高橋晃一)
  • 《唯識》で出会う未知の自分 仏教的こころの領域入門

    《唯識》で出会う未知の自分 仏教的こころの領域入門

    ビジネス・実用

    3.7
    1巻815円 (税込)
    「心はどこにある?」「自分って、何?」「死んだらどこに行く?」――現代人は、さまざまなギモンに対してすぐに答えを出したがるが、科学の知識を駆使しても解答の出ないことは多い。そんなときに、考えるヒントをくれるのが哲学だ。中でも、仏教哲学の基本とされる《唯識》を学ぶと、「すべての物事をありのままに受け入れる」力がつく。しかし唯識は難解だ。そこで著者は、プラトン、ニーチェ、老子など世界の哲学者の易しい言葉も引用、比較することで、唯識の特徴をわかりやすく解説。高校での講義録を再編集した、仏教思想の入門書。
  • 唯識の思想

    唯識の思想

    ビジネス・実用

    4.1
    1巻1,430円 (税込)
    科学・哲学・宗教の三面をあわせもつ普遍的な仏教思想、唯識。「すべては心の中の出来事にすぎない」とする、この大乗仏教の根本思想は、八種の識が世界を生み出し、心に生じる感情や思考は表層に現れると説く。不可思議にして深淵な心の構造を深層から観察・分析し、その秘密を解く唯識思想とは何か。この古くて新しい思想を解説する最良の唯識入門。
  • 十牛図入門 「新しい自分」への道

    十牛図入門 「新しい自分」への道

    ビジネス・実用

    3.7
    1巻794円 (税込)
    室町時代に中国から伝わり、日本人が夢中になった不思議な十枚の絵がある。逃げた牛を牧人が探し求め、飼い馴らし、やがて共に姿を消す?という過程を描いた絵は十牛図と呼ばれ、禅の入門図として知られる。ここでは、「牛」は「真の自己」を表す。すなわち十牛図とは、迷える自己が、自分の存在価値や、人生の意味を見出す道程を描いたものなのだ。禅を学ぶ人だけでなく、生きることに苦しむすべての現代人を救う、人生の教科書。
  • 阿頼耶識の発見 よくわかる唯識入門

    阿頼耶識の発見 よくわかる唯識入門

    ビジネス・実用

    3.5
    1巻770円 (税込)
    唯識とは、『西遊記』で知られる玄奘三蔵がインドから中国に伝えた仏教思想の根本。それは「人生で起こるどんなことも、心の中の出来事にすぎない」という教えであり、執着や嫉妬、怒り、絶望、失敗はすべて心の深層部の仕業だと説く。この心の最深部を「阿頼耶識」と呼ぶ。心の表層に生じる感情や思考は、阿頼耶識にもれなく蓄積され、それが無意識のうちに表情や体調となって現れ、美醜にも影響する。表層と深層が常にリンクするという心の構造がわかると、シンプルに強く生きられる。ストレスの多い現代人に向けた心の教科書。

ユーザーレビュー

  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    【読もうと思った理由】
    仏教について勉強したいと思い、その中でも「唯識」というものに興味が湧き、この本が分かりやすいと聞いて手に取りました。

    【感想】
    全体を通して、自分にとってはかなり難しい内容に感じました。
    唯識の思想の根本原理?であると思われる「唯識(唯、心(識)があるのみ)」や「一人一宇宙」といった考え方については、すごく共感し、自身でも同じように考えたことがあったので、スッと入って来ました(今後、より強く心がけていきたい)

    また「無我」というものについても考えてみましたが、確かに「自分」というものはありそうで、確かに無いのか…?とも感じました。瞑想をしてみて「思考は自分の思い通りにはならないし、勝手に湧いてくるもの」ということは、既に実感していたので、これについても個人的にはスッと頭に入って来ましたし、受け入れられました。

    難しい内容ではあったけれど、全編通して興味深く、面白い内容でした。
    もっと仏教的な思想に沼っていきたい。

    【以下、本文からの切り取り】
    唯識とは、「唯だ識、すなわち心だけしか存在しない。自分の周りに展開するさまざまな現象は、すべて根本的心、すなわち阿頼耶識から生じたもの、変化したものである」と主張する思想です。

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    2026年01月28日
  • 十牛図入門 「新しい自分」への道

    Posted by ブクログ

    十牛図入門
    「新しい自分」への道
    著:横山 紘一
    紙版
    幻冬舎新書 078

    十牛図は、禅の入門書である

    人生の目的は、3つ、①自己究明、②生死解決、③他者救済
     ①自己究明 自分さがし
     ②生死解決 自分の死を、自らで解決する
     ③他者救済 他人とともども幸せに生きる

    真の自己を究明するための禅の修行を十の図で示したものが、十牛図でです

    気になったのは、以下です。

    ■十牛図と禅宗、唯識論

     牛:真の自分
     牧人:真の自分(牛)を追い求める自分

    禅の根底にあるのが、唯識思想

     唯識無境 外界には、「もの」はなく、「識」だけがある
     人々唯識 一人ひとりの世界は、阿頼耶識から生じた宇宙である
          各人はその中に閉じ込めて外にでることができない
     八識 表層心 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識
        深層心 末那識、阿頼耶識 
     阿頼耶識縁起 表層心と深層心とは、相互に原因と結果の関係にある
     瑜伽(ゆが:ヨーガ) すべての「もの」を心の中に還元して、その「もの」の本質・深層を観察して思考する

    ■尋牛

    ・人と他人は、それぞれ違う宇宙に生きている
    ・牛が逃げている状態、牧人は何も知っていない ⇒ 無知の状態
    ・今まで考えていた「自分」や「時空」はただの思い込みにすぎない

    ■見跡

    ・牛の足跡とは、釈迦によって説かれた教えのこと
    ・自灯明と、法灯明
      自灯明とは、自分をよりどころにすること
      法灯明とは、法(ダルマ)=(真理、教え、存在の諸要素)をよりどころにすること
    ・正しい教えを正しく聞くことを繰り返す 正聞薫習(くんじゅ)

    ■見牛

    ・なにが牛をみるのか ⇒ ただなりきって牛を見る
    ・動と静、身と心の2つを分けることなく、ただ、ただ、なりきり、なりきって修行をする
    ・世間の表面を、世俗諦、世間の裏面を、勝義諦、という
     世俗諦は、言葉の通じる世界、勝義諦は、言葉の通じない世界をいう

    ■得牛

    ・明らかに記して忘れない ⇒ こころに鮮明に記憶する これを「明記不忘」という

    ■牧牛

    ・牛が逃げようとして暴れている、それを手なずけて飼いならす
    ・悟後の修行といい、悟った後の修行の方が大事であるという意味
    ・三輪清浄の無分別智 自分、他人、そしてその間に展開する、行為を、三輪という
     無分別智 束縛:相縛:表層心における束縛、麁重縛(そじゅうばく):深層心における束縛

    ■騎牛帰家

    ・牛を連れ帰る:真の自分と自分自身が触れ合って、笛を吹きたくなるほど、楽しくなる

    ■忘牛存人

    ・新しい自分:真の自分と合体して、真の自分になり切った

    ■忘牛存人

    ・仏教でいう、無我の境地、空の境地になる

    ■返本還源

    ・煩悩を払拭してもとの清浄心にもどった
    ・清らかで真っ白な心、自性清浄心という
    ・二つの障害
      煩悩障 むさぼりや怒り、無知などの煩悩
      所知障 「知るべきもの」を知ることを妨げている障害
      「知るべきもの」とは、究極のしるべきもの、真如という、真如はありのままという意味である
    ・人間の2つの執着
      我執 自分への執着
      法執 ものへの執着

    ■入廛垂手

    ・一緒にいる童子は、子どもではない、迷える人、凡夫
    ・牧人は菩薩になっている
    ・菩薩とは悟りを求める人をいう
      上求菩提:菩提を求める生き方を実践する人
      下化衆生:生きとし、生けるものを救済しようとする生き方を実践する人
    ・座禅和讃 わずか30分でもいいから、座禅をすれば、心の中の無量の穢れがなくなっていく

    目次
    序章 いま、なぜ、「十牛図」が必要か。「十牛図」が現代に問いかけてくるもの
    第1章 牛を尋ね探す(尋牛)
    第2章 牛の足跡を見つける(見跡)
    第3章 牛を見つける(見牛)
    第4章 牛を捕まえる(得牛)
    第5章 牛を飼い馴らす(牧牛)
    第6章 牛に乗って家に帰る(騎牛帰家)
    第7章 ひとり牧人はまどろむ(忘牛存人)
    第8章 真っ白な空(人牛倶忘)
    第9章 本源に還る(返本還源)
    第10章 町の中に生きる(入廛垂手)

    ISBN:9784344980778
    出版社:幻冬舎
    判型:新書
    ページ数:205ページ
    定価:760円(本体)
    2008年03月30日第1刷発行

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    2024年08月03日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    三蔵法師が命を懸けて追い求めるほどハマった唯識思想を平易な言葉で解説した本。
    正直半分も理解できたか怪しいが、少し理解できただけでも、何やら途轍もない思想に出会ってしまったと感じた。
    唯識の思想とは、簡単に言うと、すべての存在は心の中に認識されて初めて成立する、とした思想だ。具体的にどういうことかは、作中のピラミッドの例がわかりやすい。ピラミッドを見て、人はピラミッドがあると言うが、よく見れば、ただそれを構成している石があるだけ。石を積み上げたものをピラミッドと名付け、認識することで初めてピラミッドは存在する。
    ここまでだとヨーロッパ的唯心論と変わらないが、唯識の思想はここからさらに進む。唯識では、心は仮にあるものと捉える。認識対象があるとき、認識主体(心)は関係的に存在するが、認識対象がなければ、認識主体(心)もない。つまり、認識主体(心)は「あるようでなく、ないようである」ものである。以上のように、唯識は三段階で深まっていく(唯識無境⇒境無識無⇒空)。そして、「あるようでなく、ないようである」境地、二分法的思考を超えた「空」の境地まで行きつくと、本当に重要なのは「識」ではなく、「唯」であることがわかる。言葉による認識を剥がし、生の存在を見つめ、存在そのものに到達したとき、あるのは「唯だ、唯だの世界」だ。
    これがなぜ仏教なのか、このような思想が仏教の目標である苦からの解放に何の関係があるのか。仏教では、苦の原因は無明、すなわち、現実を正しく認識できないことであると捉え、正しい現実認識とその方法を説いている。唯識はその正しい現実認識である。
    現実認識を変えるための思想だ。途轍もなくて当然であった。

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    2024年02月18日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    唯識について誰もが分かる本ではないかと思う。
    かつ、分かるが故に分からないというところまで案内される。
    末那識や阿頼耶識の存在はヨーガをしないと分からないし、五識や意識の本当の使い方も仏教でいう修行を行わなければ分からない。
    何より、正聞熏習と無分別智の両方の理解と実践が欠かせない。
    それを行ってもなお仏様には届かないのだからとてつもない。

    仏教哲学の中の唯識は特に論理的で腑に落ちる。
    しかし腑に落ちても末那識や阿頼耶識まで落ちているのか、そもそも意識して理解できているのか、本当のところは分からない。

    私たちは私たちのことも分からないのに、何かを分かったかのように振る舞う。
    私たちも自分を分からないと思えて初めて学びが始まると思う。

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    2023年08月07日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    仏教初学者で唯識論の勉強をしたいと思い本書を手に取りました。結論から言えば大変満足しています。文庫本でページも300ページ弱ですからすぐ読めるかと思いましたが、思った以上に中身が濃かったです。これは良い意味で期待を裏切ってくれました。線を引いた箇所の数があまりにも多いので、本書の良さを端的に説明できないのですが、唯識思想だけでなくそのほか仏教全般にも通じる智慧を本書は多数散りばめている印象を受けました。「唯だ心(識)だけが存在する」、しかし識は「非有非無」、つまりあるけれどないものです。座禅では「心を無にする」といいますが、まさにその状態は心がありません。つまり心は空だというわけですが、その先があって、心を無にすることで、絶対的な真如の存在を覚知できるということのようでした(もちろんものすごい修行が必要だと思いますが)。

    本書によれば、唯識論は宗教と科学と哲学の3つを含んでいるとのこと。科学的な側面として、本書では量子力学の話をされていますが、確かに最近話題になっている量子コンピューターなどは、仏教的な側面があると感じています。これまでのコンピューターがゼロかイチの値をとるビットの集合体で情報を表していたのに対して、量子コンピューターでは量子ビットがゼロとイチを同時にあらわすことができます。ゼロでもありイチでもある、あるいはゼロでもなくイチでもないわけです。量子力学が発展すればするほど、仏教の宇宙観が世界的に広まるのではないかと個人的には期待しています。

    1
    2023年05月02日

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