横山紘一のレビュー一覧

  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    【読もうと思った理由】
    仏教について勉強したいと思い、その中でも「唯識」というものに興味が湧き、この本が分かりやすいと聞いて手に取りました。

    【感想】
    全体を通して、自分にとってはかなり難しい内容に感じました。
    唯識の思想の根本原理?であると思われる「唯識(唯、心(識)があるのみ)」や「一人一宇宙」といった考え方については、すごく共感し、自身でも同じように考えたことがあったので、スッと入って来ました(今後、より強く心がけていきたい)

    また「無我」というものについても考えてみましたが、確かに「自分」というものはありそうで、確かに無いのか…?とも感じました。瞑想をしてみて「思考は自分の思い通りにはならないし、勝手に湧いてくるもの」ということは、既に実感していたので、これについても個人的にはスッと頭に入って来ましたし、受け入れられました。

    難しい内容ではあったけれど、全編通して興味深く、面白い内容でした。
    もっと仏教的な思想に沼っていきたい。

    【以下、本文からの切り取り】
    唯識とは、「唯だ識、すなわち心だけしか存在しない。自分の周りに展開するさまざまな現象は、すべて根本的心、すなわち阿頼耶識から生じたもの、変化したものである」と主張する思想です。

    0
    2026年01月28日
  • 十牛図入門 「新しい自分」への道

    Posted by ブクログ

    十牛図入門
    「新しい自分」への道
    著:横山 紘一
    紙版
    幻冬舎新書 078

    十牛図は、禅の入門書である

    人生の目的は、3つ、①自己究明、②生死解決、③他者救済
     ①自己究明 自分さがし
     ②生死解決 自分の死を、自らで解決する
     ③他者救済 他人とともども幸せに生きる

    真の自己を究明するための禅の修行を十の図で示したものが、十牛図でです

    気になったのは、以下です。

    ■十牛図と禅宗、唯識論

     牛:真の自分
     牧人:真の自分(牛)を追い求める自分

    禅の根底にあるのが、唯識思想

     唯識無境 外界には、「もの」はなく、「識」だけがある
     人々唯識 一人ひとりの世界は、阿頼耶識から生じた宇宙である
          各人はその中に閉じ込めて外にでることができない
     八識 表層心 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識
        深層心 末那識、阿頼耶識 
     阿頼耶識縁起 表層心と深層心とは、相互に原因と結果の関係にある
     瑜伽(ゆが:ヨーガ) すべての「もの」を心の中に還元して、その「もの」の本質・深層を観察して思考する

    ■尋牛

    ・人と他人は、それぞれ違う宇宙に生きている
    ・牛が逃げている状態、牧人は何も知っていない ⇒ 無知の状態
    ・今まで考えていた「自分」や「時空」はただの思い込みにすぎない

    ■見跡

    ・牛の足跡とは、釈迦によって説かれた教えのこと
    ・自灯明と、法灯明
      自灯明とは、自分をよりどころにすること
      法灯明とは、法(ダルマ)=(真理、教え、存在の諸要素)をよりどころにすること
    ・正しい教えを正しく聞くことを繰り返す 正聞薫習(くんじゅ)

    ■見牛

    ・なにが牛をみるのか ⇒ ただなりきって牛を見る
    ・動と静、身と心の2つを分けることなく、ただ、ただ、なりきり、なりきって修行をする
    ・世間の表面を、世俗諦、世間の裏面を、勝義諦、という
     世俗諦は、言葉の通じる世界、勝義諦は、言葉の通じない世界をいう

    ■得牛

    ・明らかに記して忘れない ⇒ こころに鮮明に記憶する これを「明記不忘」という

    ■牧牛

    ・牛が逃げようとして暴れている、それを手なずけて飼いならす
    ・悟後の修行といい、悟った後の修行の方が大事であるという意味
    ・三輪清浄の無分別智 自分、他人、そしてその間に展開する、行為を、三輪という
     無分別智 束縛:相縛:表層心における束縛、麁重縛(そじゅうばく):深層心における束縛

    ■騎牛帰家

    ・牛を連れ帰る:真の自分と自分自身が触れ合って、笛を吹きたくなるほど、楽しくなる

    ■忘牛存人

    ・新しい自分:真の自分と合体して、真の自分になり切った

    ■忘牛存人

    ・仏教でいう、無我の境地、空の境地になる

    ■返本還源

    ・煩悩を払拭してもとの清浄心にもどった
    ・清らかで真っ白な心、自性清浄心という
    ・二つの障害
      煩悩障 むさぼりや怒り、無知などの煩悩
      所知障 「知るべきもの」を知ることを妨げている障害
      「知るべきもの」とは、究極のしるべきもの、真如という、真如はありのままという意味である
    ・人間の2つの執着
      我執 自分への執着
      法執 ものへの執着

    ■入廛垂手

    ・一緒にいる童子は、子どもではない、迷える人、凡夫
    ・牧人は菩薩になっている
    ・菩薩とは悟りを求める人をいう
      上求菩提:菩提を求める生き方を実践する人
      下化衆生:生きとし、生けるものを救済しようとする生き方を実践する人
    ・座禅和讃 わずか30分でもいいから、座禅をすれば、心の中の無量の穢れがなくなっていく

    目次
    序章 いま、なぜ、「十牛図」が必要か。「十牛図」が現代に問いかけてくるもの
    第1章 牛を尋ね探す(尋牛)
    第2章 牛の足跡を見つける(見跡)
    第3章 牛を見つける(見牛)
    第4章 牛を捕まえる(得牛)
    第5章 牛を飼い馴らす(牧牛)
    第6章 牛に乗って家に帰る(騎牛帰家)
    第7章 ひとり牧人はまどろむ(忘牛存人)
    第8章 真っ白な空(人牛倶忘)
    第9章 本源に還る(返本還源)
    第10章 町の中に生きる(入廛垂手)

    ISBN:9784344980778
    出版社:幻冬舎
    判型:新書
    ページ数:205ページ
    定価:760円(本体)
    2008年03月30日第1刷発行

    0
    2024年08月03日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    三蔵法師が命を懸けて追い求めるほどハマった唯識思想を平易な言葉で解説した本。
    正直半分も理解できたか怪しいが、少し理解できただけでも、何やら途轍もない思想に出会ってしまったと感じた。
    唯識の思想とは、簡単に言うと、すべての存在は心の中に認識されて初めて成立する、とした思想だ。具体的にどういうことかは、作中のピラミッドの例がわかりやすい。ピラミッドを見て、人はピラミッドがあると言うが、よく見れば、ただそれを構成している石があるだけ。石を積み上げたものをピラミッドと名付け、認識することで初めてピラミッドは存在する。
    ここまでだとヨーロッパ的唯心論と変わらないが、唯識の思想はここからさらに進む。唯識では、心は仮にあるものと捉える。認識対象があるとき、認識主体(心)は関係的に存在するが、認識対象がなければ、認識主体(心)もない。つまり、認識主体(心)は「あるようでなく、ないようである」ものである。以上のように、唯識は三段階で深まっていく(唯識無境⇒境無識無⇒空)。そして、「あるようでなく、ないようである」境地、二分法的思考を超えた「空」の境地まで行きつくと、本当に重要なのは「識」ではなく、「唯」であることがわかる。言葉による認識を剥がし、生の存在を見つめ、存在そのものに到達したとき、あるのは「唯だ、唯だの世界」だ。
    これがなぜ仏教なのか、このような思想が仏教の目標である苦からの解放に何の関係があるのか。仏教では、苦の原因は無明、すなわち、現実を正しく認識できないことであると捉え、正しい現実認識とその方法を説いている。唯識はその正しい現実認識である。
    現実認識を変えるための思想だ。途轍もなくて当然であった。

    0
    2024年02月18日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    唯識について誰もが分かる本ではないかと思う。
    かつ、分かるが故に分からないというところまで案内される。
    末那識や阿頼耶識の存在はヨーガをしないと分からないし、五識や意識の本当の使い方も仏教でいう修行を行わなければ分からない。
    何より、正聞熏習と無分別智の両方の理解と実践が欠かせない。
    それを行ってもなお仏様には届かないのだからとてつもない。

    仏教哲学の中の唯識は特に論理的で腑に落ちる。
    しかし腑に落ちても末那識や阿頼耶識まで落ちているのか、そもそも意識して理解できているのか、本当のところは分からない。

    私たちは私たちのことも分からないのに、何かを分かったかのように振る舞う。
    私たちも自分を分からないと思えて初めて学びが始まると思う。

    0
    2023年08月07日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    仏教初学者で唯識論の勉強をしたいと思い本書を手に取りました。結論から言えば大変満足しています。文庫本でページも300ページ弱ですからすぐ読めるかと思いましたが、思った以上に中身が濃かったです。これは良い意味で期待を裏切ってくれました。線を引いた箇所の数があまりにも多いので、本書の良さを端的に説明できないのですが、唯識思想だけでなくそのほか仏教全般にも通じる智慧を本書は多数散りばめている印象を受けました。「唯だ心(識)だけが存在する」、しかし識は「非有非無」、つまりあるけれどないものです。座禅では「心を無にする」といいますが、まさにその状態は心がありません。つまり心は空だというわけですが、その先があって、心を無にすることで、絶対的な真如の存在を覚知できるということのようでした(もちろんものすごい修行が必要だと思いますが)。

    本書によれば、唯識論は宗教と科学と哲学の3つを含んでいるとのこと。科学的な側面として、本書では量子力学の話をされていますが、確かに最近話題になっている量子コンピューターなどは、仏教的な側面があると感じています。これまでのコンピューターがゼロかイチの値をとるビットの集合体で情報を表していたのに対して、量子コンピューターでは量子ビットがゼロとイチを同時にあらわすことができます。ゼロでもありイチでもある、あるいはゼロでもなくイチでもないわけです。量子力学が発展すればするほど、仏教の宇宙観が世界的に広まるのではないかと個人的には期待しています。

    1
    2023年05月02日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    難解であったけど面白かったです。自分がみているもの、聞いているもの、嗅いでいるものなどはみんな心から生み出されている。感じさせられていると。自分や他者は実は存在しないと。

    0
    2023年01月03日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    唯識論を理解したくて手に取った。まだ理解できない箇所も多くあったが、初めて触れた唯識の世界の奥深さに心打たれた。自分の意識とは何かを考えるきっかけとなった。

    0
    2022年12月20日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    唯識思想について書かれた入門書と言われて読みました。
    わかりやすかった。
    この本を読んでから末那識と阿頼耶識という言葉が聖闘士星矢のハーデス編にも出てくると聞いてすぐに聖闘士星矢を全巻買ってしまった。

    0
    2022年02月11日
  • 十牛図入門 「新しい自分」への道

    Posted by ブクログ

    人の成長モデルは医者や学者の言う物とは違う、そう感じている人にとって十牛図はしっくりくるだろう。生まれて育ち老いる、の単純なものではない。人の成長は細胞レベルでの生死の連続、それは否定の連続でもある。見かけでは分からないが同じ身体の状態は一瞬たりと無い。若い頃には理解出来なかったろう。NHKの大人の一休さんという番組で、悩める一休さんにお上人が30年経てば分かると諭した、というのがあった。成長とは一生かけての変化であり、壊れ枯れ朽ちていくイメージでは無いと思う。そのモデルとしての十牛図だろう。葛飾北斎は年老いてなお、もっと歳をとればもっと絵が上手くなると言ったそうだ。ユングの錬金術にも似ている。歳を重ねれば身体が変わり見え方が変化するもの。誰でも感じることが出来る世界。

    0
    2016年07月18日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    唯識は「世界は心の映しである」と説く。難解とされる教えを、私たちの日常に引き寄せながら解き明かしている。人は同じ景色を見ても、喜ぶ者もいれば悲しむ者もいる。その違いは景色そのものではなく、それを受け止める心の働きにあるという。相手を変えようと力むより、自らの心の癖や思い込みに気づくことが、苦しみを和らげる第一歩となる。世界を映す鏡を磨くように、自分の心を静かに見つめ直す。その積み重ねが、人との関係を和らげ、人生の風景までも少しずつ変えていく。唯識は遠い仏教哲学ではなく、今日をより穏やかに生きるための実践の知恵なのである。

    0
    2026年07月20日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    2025年にコテンラジオに出会い、読書そっちのけで聞き続けていたとき、「最澄と空海」の回の参考文献として紹介されていたので読んでみた。
    内容の60%も理解していないと思うが、最初に読むには良いのかなと感じた。現在別の唯識関係の本をうんうん唸りながら読書中。おもしろむづかしい。

    0
    2026年03月26日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    私たちが認識している一切の存在は、客観的な外界にあるのではなく、すべて自分の心が作り出した表象にすぎない、と説くのが唯識の思想だそうだ。
    唯識は、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六識に加え、末那識、阿頼耶識を加え八つの織を立てる。末那識は自分に執着する深層心理、阿頼耶識は心の最も深い基底にある、根本的な心で、過去のすべての経験が「種子(しゅうじ)」というエネルギーとして蓄えられるそうだ。
    この阿頼耶識を正聞薫習(阿頼耶識の中に肥料を与えて目覚めさせる)し、無分別智の火を燃やして末那識を焼き尽くすことで心が知らず知らずのうちに浄化され、利他行が利自行となる。
    著者は「心臓さん、肝臓さん、胃さん、六十兆の細胞さん、全ての臓器さん、ありがとう。このこころさん、ありがとう。どうか今日も元気で過ごさせてください」と手を合わせることにしているそうである。自分の体、自分の心というが、それらは決して自分のものでないからだという。まさに唯識の思想を体現していると頭が下がる。このような人に自分もなりたい。

    0
    2026年01月08日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    ここまでの利他の精神を持つことは、私には到底出来そうにないが、考え方を知れたことは財産になった。また、定期的に読み返そう。60歳で再読した時にはどう感じるだろうか。

    0
    2025年12月02日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    唯識論は、自己の解脱を目指すことばかりに走ってしまった小乗仏教に対するアンチテーゼとして生まれた大乗仏教において、虚無思想に陥ってしまいがちな「空の思想」に対応する形で生まれた。
    識とは心のことである。すなわち、唯識論は、「唯だ心のみがある」とする教理である。しかし、その心として、仮にあるものとしている。唯識無境(認識対象はない)→境無識無(認識対象も認識主体もない)→空と論理は展開する。
    我々は、外界があってそれを認識していると思い込んでいる。しかし、唯識論は、外界というものは存在せず、これらは五識(五感)を通して知覚し、意識を用いて思考することで、感知しているものにすぎず、それはただ心(識)が生み出した鏡像にすぎないとする。その鏡像に対し、我々人間は、末那識にある煩悩や、阿頼耶識にある種子と呼ばれる無意識が投影していることで、色付けしてしまっている。これが苦しみを生み出すもととなっている。
    これに対して、ヨーガ(念・定・慧)を通して、心をニュートラルにしてとらえることで、真如に達することができるとする。この過程は、転識得智とよばれる。その中身は、正聞熏習(正しい教えを何度も聞くことで、阿頼耶識に清浄な種子をそだてる)、無分別智の火を燃やす(汚れた種子を除去する)ことである。
    そして、いきつくところは、平等性智を得る、すなわち、自他平等の智慧である。自分のエゴを出すことなく、他者の救済を行っていくことにつながる。これが大乗仏教が目指す、他者の救済につながっていく。

    唯識論は、一言でいってしまえば、この世に自分も含め絶対的なものはない、それならば他者のために生きようとする哲学である。これは、デカルトの到達した「われ思うゆえに我あり」とは対照的な考え方である。

    0
    2026年01月17日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    唯識=「唯、識のみ」。

    世界は自分の認識次第でいかようにも捉えられる。
    ずっと惹かれてきた考え方です。

    けれど一歩踏み込んでみると、
    簡単な「前向き思考」だけじゃないんですね。

     コップに半分しか水がない
     コップに半分も水がある

    …のたとえはよく聞きますが、

    ある時は「半分もある」と思えるものの、
    喉が渇いたり、イライラすると
    「半分しかないじゃん!」
    と物足りなさを感じる時もある。

    そもそも「自分」という存在がままならないし
    「認識」すら思うように扱えない。

    ここらへんが、唯識のむずかしさであり、
    同時におもしろさでもあるとも感じます。

    そこで本書を手に取ってみたものの
    冒頭から「自分」への疑問を突きつけてきます。

    「存在するのは唯だ手、足、ないしは身体だけであります。それなのに、自分という言葉を付与して「自分の手」といって、強引に手を自分の所有物にしてしまうのです(P10)」

    「自分の手」といった具合に
    所有物のラベルを貼ったその瞬間に
    「自分/非自分」の対立が立ち上がり、すると…

    「これはオレのだ」
    「きみとぼくは違うんだ」

    …という具合に偏見や争いが生まれるというわけです。

    仏教の大前提は
    二元論を大きく超えた「無我」の教え。

    「自分なんて無い」
    「すべての事象は関わり合いの網の目の中に立ち上がる」
    「あなたは私で、私はあなた」

    これらを「縁起の理」とか「依他起性」とか言うのだそうです。

    唯識はこの自我のクセを解剖します。
    鍵になるのは八識。

    顕在意識と潜在意識を言語化、体系化してしまった。
    しかも2000年前に。スゴい!

    五識=身体(眼・耳・鼻・舌・身)
    六識=意識(ことば・分別)
    七識=末那識(自我への執着)
    八識=阿頼耶識(経験の種子を蔵する深層)

    この世界はすべて阿頼耶識が作り出しているのだそうですが、
    とりわけ七識(末那識)が厄介です。

    何でも「自分のもの」にしたがるこの子のせいで
    阿頼耶識が作り出した世界を唯見る/唯聞く
    (ありのままに見る/聞く)
    ことから遠ざかってしまうからです。
    「唯」という姿勢は、言うが易し。
    めちゃくちゃむずかしいのです。

    では、自我に執着してしまう
    この粘っこい末那識をどうするか。

    唯識は学説ではなく行(瑜伽=ヨーガ)だと説きます。
    唯識学派が「唯識瑜伽行派」と呼ばれるのは
    瑜伽(=ヨガ)の実践を重んじているからです。

    ヨガ(瞑想や坐禅も含んでいいと思う)が、
    自身の最奥に宿る「種子」と向き合い
    智慧の花を咲かせることにつながるようです。

    深層心理をめぐる探求は底知れないですけど
    いますぐにできることは
    日々の暮らしをどう丁寧に過ごすか
    どのような心がけで周りの人と向き合うか
    そういうところから始まるのだと思います。

    こうしたひとつひとつの些細な行いを
    おなかの底の底の底の方にある阿頼耶識は
    ちゃんと記憶として胎蔵する。

    阿頼耶識は、清められた方が、磨かれた方がいいのです。

    なぜなら、この宇宙は、ひとりひとりの存在の奥深くにある、阿頼耶識が作り出しているからです。

    「一人一宇宙が」、唯識の大原則なんだそうです。

    <本書について>
    本書は、唯識を体系的にまとめているというよりは、
    半分は筆者の処世訓、人生訓が織り交ぜられており、
    そこが好き嫌いの分かれるところかなと感じています。

    けれど、唯識を「日々の暮らしの中に生きる言葉」にまで落とし込んで読ませる力は、たしかです。

    0
    2025年09月30日
  • 《唯識》で出会う未知の自分 仏教的こころの領域入門

    Posted by ブクログ

    大乗仏教で言われる根本思想の一つ。唯識論。
    この世の物事は全て主体の認識によるものである。

    と言ってしまえば、わかったような気になるが、その背景には緻密な論理が構築されている。
    表題は唯識論となっているが、ある高校での倫理の授業での講義を元に作られたようなので、根本的な「なぜ生きるか?」というところまで議題が発展しており、興味深い。
    また、仏教だけでなく古今東西の哲学からの引用や比較もなされているのが個人的には良かった。

    仏教や思想については異論ないが、社会問題の認識
    ついては?があった。(とはいえ1976年に書かれたものなので、当時はそうだったのかもしれんが)

    仏教のキーワードを再整理したいのにもオススメ。

    0
    2024年09月08日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    理解半ば 事前に得ていた量子力学や脳科学の知識との関連もあり、「一人一宇宙」「外にものがあるのではなく、心に映し出されたもの、自分がそう思い描いたもの」というのは、科学の観点からも一定の根拠があるようにも思え、非常に興味深かった。

    仏教が、他の宗教とは一線を画し、科学や哲学の要素があるのだということも理解した。

    ただし、難解であるからか、理解しきれない、腑に落ちない点もあり、時を置いて読み直すことが必要だと感じた。

    0
    2026年03月21日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    難しかった 仏教の思想の基本的な考え方なのだろうけど、少し難しかった。
    最後の章にまとめが書かれていたので、助かった。

    0
    2025年12月03日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    腑に落ちたとはとても言えないけど、唯識が実践的、科学的な思考体系だといわれる所は何となく感じる事ができた。

    ・見えているものは自分の心が作り出す鏡像世界
    ・一人一宇宙(ヒトだけに限らない)
    ・心の深層(末那識、阿頼耶識)

    西遊記レベルしか知らなかった玄奘をもう少し知る事ができ、故郷の奈良との繋がりも知れて感慨深かった。(このあたりはコテンラジオの玄奘回と併せて)

    0
    2023年01月29日
  • 唯識の思想

    Posted by ブクログ

    前章までに説明済みの言葉や観念についても繰り返し説明してくれるので、安心して読み進める事ができ、唯識のほんの入り口を知る事ができた。

    仏教は、信者が共通認識を持って神を崇めるキリスト教やイスラム教とは違い、宗教というよりは哲学というイメージがあったが、「すべての宗教は「苦からの解脱」を共通の目的とする」という一文にハッとさせられた。

    何度も再読したくなる本です。

    0
    2022年01月19日