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室町時代に中国から伝わり、日本人が夢中になった不思議な十枚の絵がある。逃げた牛を牧人が探し求め、飼い馴らし、やがて共に姿を消す?という過程を描いた絵は十牛図と呼ばれ、禅の入門図として知られる。ここでは、「牛」は「真の自己」を表す。すなわち十牛図とは、迷える自己が、自分の存在価値や、人生の意味を見出す道程を描いたものなのだ。禅を学ぶ人だけでなく、生きることに苦しむすべての現代人を救う、人生の教科書。
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Posted by ブクログ
十牛図入門 「新しい自分」への道 著:横山 紘一 紙版 幻冬舎新書 078 十牛図は、禅の入門書である 人生の目的は、3つ、①自己究明、②生死解決、③他者救済 ①自己究明 自分さがし ②生死解決 自分の死を、自らで解決する ③他者救済 他人とともども幸せに生きる 真の自己を究明するための...続きを読む禅の修行を十の図で示したものが、十牛図でです 気になったのは、以下です。 ■十牛図と禅宗、唯識論 牛:真の自分 牧人:真の自分(牛)を追い求める自分 禅の根底にあるのが、唯識思想 唯識無境 外界には、「もの」はなく、「識」だけがある 人々唯識 一人ひとりの世界は、阿頼耶識から生じた宇宙である 各人はその中に閉じ込めて外にでることができない 八識 表層心 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識 深層心 末那識、阿頼耶識 阿頼耶識縁起 表層心と深層心とは、相互に原因と結果の関係にある 瑜伽(ゆが:ヨーガ) すべての「もの」を心の中に還元して、その「もの」の本質・深層を観察して思考する ■尋牛 ・人と他人は、それぞれ違う宇宙に生きている ・牛が逃げている状態、牧人は何も知っていない ⇒ 無知の状態 ・今まで考えていた「自分」や「時空」はただの思い込みにすぎない ■見跡 ・牛の足跡とは、釈迦によって説かれた教えのこと ・自灯明と、法灯明 自灯明とは、自分をよりどころにすること 法灯明とは、法(ダルマ)=(真理、教え、存在の諸要素)をよりどころにすること ・正しい教えを正しく聞くことを繰り返す 正聞薫習(くんじゅ) ■見牛 ・なにが牛をみるのか ⇒ ただなりきって牛を見る ・動と静、身と心の2つを分けることなく、ただ、ただ、なりきり、なりきって修行をする ・世間の表面を、世俗諦、世間の裏面を、勝義諦、という 世俗諦は、言葉の通じる世界、勝義諦は、言葉の通じない世界をいう ■得牛 ・明らかに記して忘れない ⇒ こころに鮮明に記憶する これを「明記不忘」という ■牧牛 ・牛が逃げようとして暴れている、それを手なずけて飼いならす ・悟後の修行といい、悟った後の修行の方が大事であるという意味 ・三輪清浄の無分別智 自分、他人、そしてその間に展開する、行為を、三輪という 無分別智 束縛:相縛:表層心における束縛、麁重縛(そじゅうばく):深層心における束縛 ■騎牛帰家 ・牛を連れ帰る:真の自分と自分自身が触れ合って、笛を吹きたくなるほど、楽しくなる ■忘牛存人 ・新しい自分:真の自分と合体して、真の自分になり切った ■忘牛存人 ・仏教でいう、無我の境地、空の境地になる ■返本還源 ・煩悩を払拭してもとの清浄心にもどった ・清らかで真っ白な心、自性清浄心という ・二つの障害 煩悩障 むさぼりや怒り、無知などの煩悩 所知障 「知るべきもの」を知ることを妨げている障害 「知るべきもの」とは、究極のしるべきもの、真如という、真如はありのままという意味である ・人間の2つの執着 我執 自分への執着 法執 ものへの執着 ■入廛垂手 ・一緒にいる童子は、子どもではない、迷える人、凡夫 ・牧人は菩薩になっている ・菩薩とは悟りを求める人をいう 上求菩提:菩提を求める生き方を実践する人 下化衆生:生きとし、生けるものを救済しようとする生き方を実践する人 ・座禅和讃 わずか30分でもいいから、座禅をすれば、心の中の無量の穢れがなくなっていく 目次 序章 いま、なぜ、「十牛図」が必要か。「十牛図」が現代に問いかけてくるもの 第1章 牛を尋ね探す(尋牛) 第2章 牛の足跡を見つける(見跡) 第3章 牛を見つける(見牛) 第4章 牛を捕まえる(得牛) 第5章 牛を飼い馴らす(牧牛) 第6章 牛に乗って家に帰る(騎牛帰家) 第7章 ひとり牧人はまどろむ(忘牛存人) 第8章 真っ白な空(人牛倶忘) 第9章 本源に還る(返本還源) 第10章 町の中に生きる(入廛垂手) ISBN:9784344980778 出版社:幻冬舎 判型:新書 ページ数:205ページ 定価:760円(本体) 2008年03月30日第1刷発行
人の成長モデルは医者や学者の言う物とは違う、そう感じている人にとって十牛図はしっくりくるだろう。生まれて育ち老いる、の単純なものではない。人の成長は細胞レベルでの生死の連続、それは否定の連続でもある。見かけでは分からないが同じ身体の状態は一瞬たりと無い。若い頃には理解出来なかったろう。NHKの大人の...続きを読む一休さんという番組で、悩める一休さんにお上人が30年経てば分かると諭した、というのがあった。成長とは一生かけての変化であり、壊れ枯れ朽ちていくイメージでは無いと思う。そのモデルとしての十牛図だろう。葛飾北斎は年老いてなお、もっと歳をとればもっと絵が上手くなると言ったそうだ。ユングの錬金術にも似ている。歳を重ねれば身体が変わり見え方が変化するもの。誰でも感じることが出来る世界。
禅宗の「十牛図(じゅうぎゅうず)」だけど「物事を体得して悟りの境地が拓かれる」、(悟りがどんなかは知らないが)誰にでもわかるように一般化した体験ストーリーなんだろうと想像する。 絵を順を追って解説しているが、本書は「唯識(ゆいしき)」の文脈で読み解くところが二度美味しい(1冊で2つを学べる)。 ...続きを読むしかし正直、本書を読むだけでは唯識について「???」が膨らむばかりでモヤモヤしている。
禅の悟りの道筋を示す十牛図。昔から興味はあったのだが、最近、関心のあるオットー・シャーマーのU理論って、十牛図と似てるんじゃないの?とふと思い、唯識論の研究で有名な横山先生の入門書を読んでみる。 と、なんだこれって、やっぱりU理論そのものじゃ、ないか!それだけじゃなく、「出現する未来」的な持続可...続きを読む能な社会への個人の目覚めみたいなのもあるし、さらには最近関心をもっているオートポイエーシスとかとも当然関係している。 21世紀は、仏教の「空」の思想に収斂していく、と確信した。
なるほど!ということではないが、言われてみて味わい深い。 人の心の移ろいがこのような絵になる。 再び見て、ものを思う。
唯識について十牛図を用いて解りやすく説明されております。 氏の「やさしい唯識」よりやさしいと思います。
禅の教えを伝えるものとして、「十牛図(じゅうぎゅうず)」というものがあります。 とても印象的な連続した絵なので、どこかでお目にかかった方も多いかと思いますが、牧人が牛を探している「尋牛(じんぎゅう)」という場面から始まり、牛の足跡を見つける「見跡(けんせき)」。そしてその足跡を辿っていって、尻尾...続きを読むを垂らした牛の後姿を発見し(見牛(けんぎゅう))、そしてその牛を何とか無理矢理にでも手中に納め(得牛(とくぎゅう))、次に牛を手なづけて自由自在に操ります(牧牛(ぼくぎゅう)。牛と一体化するほどになった後は、牛の背中に乗っかって家に帰ります(騎牛帰家(とくぎゅうか))。牛と牧人が一体化すると、もうそこには何もわだかまりがなくなったかのような、真っ白い図が、人牛倶忘(にんぎゅうくぼう)。真っ白になった後に、周りの自然の姿に改めて気づき、その自然をいとおしむかのような、自然の姿を現した返本還源(へんぽんげんげん)。そして最後はまちへ出て行く入障ミ垂手(にってんすいしゅ)。 今言葉で長々と説明しましたが、これは絵を見て瞑想するものなので、言葉であれこれ説明してもなかなか伝わるものではありません。禅の境地を絵で表したものですから、それは当然なことです。私はこの十牛図を長年不思議に感じ、いつか解説書を読んでおきたいと思っていました。先日ふらっと本屋さんに行きましたら、この本が平積みされておりました。まるで牧人が牛の尻尾を見つけたときのように、「お!」と何かが閃きました。すぐに手に取りぱらぱらとめくり、これはいいなぁと即購入しました。難しく敷居の高い禅の用語をわかりやすく解説しており、そして本書のテーマである十牛図も、十分な解説があります。 筆者の横山紘一氏は、それぞれ丸い十牛図を、さらに円のように並べて、「観想十牛図」というものを発案したそうで、その写真も出ています。なるほどこれなら見ているだけで何か心持が整理されそうだなと感じます。 私が感じますに、禅というものは、どこか山深いところで瞑想をするものではなく、常に自分がいるところで行われるものだと思います。それは自分の仕事を通してであったり、自分の家庭を通してであったり、自分が接する社会や人々のつながりの中で、普通に淡々と行われるもので、特別なことではないと思います。 私はかつて(ついこの間まで・・・)、修験道というものをやっておりました。滝に入ったり、山行をしたり、各地の山へ出向いては門を叩いて参加したことがあります。マイ法螺貝も持っていたりします。しかし、今年に入り様々な心の変化がおきまして、修験道を辞めることにしました。20歳との時から滝に入り、今年の6月まで約18年間やっていまし、一時はこの道だけにしようかと思ったくらいです。辞めることに怖さもありますし、敗北感も感じたりもしました。 しかし、日常生活にあることアタリマエのことに気づくこと、そしてそこに感謝することをしなくては、山で修行しても仕方がありません。日常生活をきっちりこなせない人間が、山でいくら修行しても、里へ戻ってくれば何の役にも立たないと思うに至りました。メーテルリンクの『青い鳥』のように、戻ってきたのは再び“自分”でした。遠回りをしましたが、自分探しの大きな旅であり、それはそれで大きな収穫であったと思います。 十牛図は“観ること”が大切だと思います。“観る”とは、“生活の中で観ること”に通じると思います。目に見えないものに触れようと、目をつぶって瞑想するのではなく、見える範囲から感謝していくことが、本当の瞑想であり、修行だと思うようになりました。こう感じましたら、鍼をすることがまた楽しくなり、患者様と接することが楽しく、そして、その結果、いい鍼が出来て、ようやく病態を回復するお手伝いを出来るようになってきたかな、と思う今日この頃です。
分からなかった。 しかし分からなくて当然。凡夫である自分たちに悟りの境地が分かってたまるものじゃない。 分からないからこそもっと深く読み込む必要があるし、また読み込みたいと思う。 そしてここで書かれているような世界の捕らえ方ができるようになりたい。
牧人が牛を探す過程を10枚の絵で描いた十牛図についての本。 牧人を本当の自分を探す自分、牛を本当の自分として考えて考察をしている。 自分探しということについて述べた本。 だが、本当の自分とはこういうものです、と述べているわけではなく、じぶんについて考えるきっかけをあたえてくれる本。 考えさせられる本...続きを読むである。 ただ、内容が難解で、また言っていることが的確なので、意外と考える隙をあたえてくれないかもしれない。 自分について、ということを考えるヒントがここにはある。
分かりやすい文章ではあるが、 十牛図のことが分かりやすいわけではない。 著者の個人的なエッセイという感じ。
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