講談社学術文庫作品一覧

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  • 近世日本国民史 徳川家康(一) 家康時代 関原役
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    秀吉の死後利家また去るや、天下は群羊一虎、家康の存分となる。三成、反対派に追われ佐和山城に屏居、時節到来を俟つ。景勝会津へ帰国。三成、兼続、恵瓊ら黙契神会、奥州不穏。家康東征中における上方事変を予期、悠悠として景勝征討の途につく。時勢正に醗酵、三成ら挙兵、家康の罪状を天下に表白。家康三万余の兵を率いて西上。慶長四年九月十五日、東西両軍十四、五万の兵関ヶ原を中心として屹然として相対峙、激戦の火蓋を切る。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 元禄時代 世相篇
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    元禄時代は、徳川幕府盛運の絶頂期であり、精神的にも物理的にも泰平の気運が行きわたっていた。江戸は武士の都であり、大阪は町人の府であり、上方文化はこの大阪の富と京都の歴史の上に花開き、世にいう平等文学が流行し、浮世草子の西鶴、浄瑠璃戯曲の近松を生み、芭蕉は東依西托の後、安心立命の地を俳諧一途に定めた。時代の要求は絵画・音楽・舞曲その他百般の工芸美術の発展を促し、元禄百花爛漫の文化を現出したのだった。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 赤穂義士 元録時代 義士篇
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    元禄十四年三月十四日浅野内匠頭、吉良上野介に刃傷、その日のうちに切腹。悲報赤穂に飛び、翌年十二月十四日大石良雄ら長短の家来党を組み、吉良邸に押し入り亡君の讐を報じ、翌年二月義士ら斉しく切腹。時に元禄の晩年、天下は泰平の糜爛期にあり、この一挙の世道、人心に及ぼしたる影響まことに甚大。義挙か暴徒か、四十七士か四十六士か。時代の縮写図をこの事件の中に見たる著者は博引旁証、みごとにこれを歴史的に証言する。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 豊臣秀吉(四) 豊臣氏時代 庚篇 桃山時代概観
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    露と落ち露と消えぬる我身かな 浪華のことは夢のまた夢/慶長三年八月十五日、病床の秀吉は家康・利家・輝元・秀家の四大老を枕元に招き、秀頼の将来を依頼、十八日朝六十三歳を一期として不帰の客となるや、桃山文化もまた幕を閉じた。日本歴史ありて以来の全国統一された桃山時代は秀吉時代といってよく、この豪快児が舞躍を逞しくした晴れ舞台であり、活気と創造的空気に満ちた、日本的「近世」の道を準備した時代でもあった。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 豊臣秀吉(三) 豊臣氏時代 丙篇
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    九州役後、関白秀吉の威令全国に及ぶも、ひとり関東の北條氏これに服せず。秀吉の炯眼北條の平和的手段にて済度するべからざるを洞見、出師の名義を眞田氏居城紛争に得、大軍を擁して小田原城を包囲すれば、奥羽の伊達正宗もこれに来応、北條氏全くの孤立無援。世にいう「小田原評定」の末、北條氏遂に降伏。家康を関東に移封後、秀吉の政令、津軽より薩摩に及び、中央集権は名実共に実行され、太閣検地の丈景の縄は全国津々浦々に及ぶ。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 豊臣秀吉(二) 豊臣氏時代 乙篇
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    秀吉の大度量が優るか、家康の熟柿主義が勝つか。天下、秀吉に傾くも東顧の憂因家康あり。秀吉、妹を家康に娶わせ、母を質にしてこの猛虎を艦中に導かんとす。家康、その真率、その赤裸々にあい、この上の峻拒は亢竜の悔いを残すとして応諾。秀吉、時を移さず、信長が畢生の大経綸を継ぎ九州征伐を断行、島津を降す。凱旋の余威をもって聚楽第に天皇の行幸を仰ぎ、関白に累進、豊臣姓を称え、中外に向かって天下統一者たる名を実を示す。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 豊臣秀吉(一) 豊臣氏時代 甲篇
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    百世子孫を魅了する英雄秀吉の天下経営への序幕篇。秀吉、本能寺変知るや疾風迅雷、中国攻めより返して光秀を討つ。時に勝家は越中上杉攻めより兵を率いて上洛途次、家康は堺より間道を逃れ岡崎にて陣容整え光秀討伐に進発、共に秀吉から光秀伏誅の報を受く。清洲会議を経て天下の大勢暗旋黙多、秀吉に赴く。勝家を亡ぼし、強敵家康と講和したる秀吉は南海四国北陸を平定、信長の定めた大経綸を継ぎ日本統一への加速を加える。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 明治三傑 西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允
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    大久保利通、参朝の途次紀尾井坂にて凶刃に斃る。時に明治十一年五月、木戸孝允病死後一ヶ年、西郷隆盛自刃より八ヵ月、共に手を携えて維新回天を成就したる後袂を分って朝野に分離し、互いに死闘を演じたる三人、年を隔てずして逝く。絶大の大史筆ここに至って明治の重大事件の綱領を口述せんと期すも既に齢に余裕なく多く三傑の回想感慨に耽ける状、恰も沖天の火炎燃えつくしてなお余燼を存するに似て、通史の興味まさに津々。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 織田信長(三) 織田氏時代 下
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    天生十五年五月二十八日、光秀、愛宕山西坊にて連歌興行。「ときは今あめが下知る五月哉」の発句を神前に籠置き、謀反を決意、六月朔日、信長を本能寺に弑す。―すでに勝頼は武田譜代の面々に見捨てられ、天目山に自刃。家康は安士に参礼の後、大坂、堺に遊ぶ。中国征伐に出陣中の秀吉は鳥取城を抜き、高松城を眼前にして毛利の大軍と対峙―今や信長の勢威漸く四方に及び、天下統一の正に成る寸前の変。時に信長五十歳炎の生涯を遂ぐ。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 織田信長(二) 織田氏時代 中
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    天正三年五月、織田徳川連合軍は長篠において武田軍と対陣。死なせる信玄、生ける信長を走らすか。勝頼もとより勇者にして軍事巧者たるも、信玄遺将を統率する能わず、ただ武田嫡々相伝の御旗・無楯にこの一戦必勝を誓う。対する信長は鉄砲の威力を最善に利用したる斬新戦術を用い、甲斐の常勝軍を大破、背後の憂を断ち、時代の主人公となるも、一敵減ずれば一敵生ず、毛利氏と本願寺は鎌信の入洛を急ぐなど、信長の覇図なお多難。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 織田信長(一) 織田氏時代 上
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    応仁の大乱は群雄割拠の戦国乱世を現出。毛利・北條・上杉・武田・今川いずれかが天下の覇者たるか。時に尾張に織田信長あり、西上する今川軍を桶狭間に破り、名を満点下に広告。家康期せずして岡崎城主となる。信長畿内を平定、天下布武の第一着を印す。将軍義昭、浅井・朝倉らに密旨を送り、信長珠伐を画し姉川戦を惹起、信玄また中原を望み遠・参を侵掠せんとし、三方原合戦に臨み病に斃る。ここに近世的統一国家の曙光の幕が開く。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 西南の役(七) 西南役終局篇
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    田原坂の激闘以後、転戦しつつ敗走せる薩軍、城山に籠城。九月二十三日夜、西郷隆盛諸将を営中に招き訣別の宴を開く。翌払暁、四面の官軍総攻撃を開始、西郷らは洞窟を出でて岩崎谷へ向う。乱弾忽ち西郷傷つく。西郷、別府晋介を顧みて「晋殿、もうここでよか!」と。すなわち跪坐し、襟を正して東天を拝す。時に五十歳。戦治まり猛雨一陣、城山の戦血を一洗。後人曰く、「西郷永く死せず」と。ここに士族の時代はその終焉を告ぐ。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 西南の役(六) 西南役両面戦闘篇
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    熊本城を包囲して北上する薩軍と、籠城軍を授けんとする官軍が田原坂に激突。死闘実に十七日間、抜刀隊による白兵戦が連日くり返され、両軍の死者数千を超え、屍山血河をなす。衆寡敵せず、敗れた薩軍は、川尻口、山鹿、向坂、萩迫、人吉へと転戦、力戦するも空しく、凄惨な敗走を強いらる。史家等しくこの役を保元乱に比較。官軍の将校中、西郷の息のかからぬ者はなく、日本史に特筆される田原坂の激戦は酸鼻を極めるものであった。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 西南の役(五) 熊本城攻守篇
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    「天下人心の向背は、この一挙にあり!」、熊本城を抜くか、これを守備するか。瀑布の落下するごとく城下に雪崩込む薩軍の前に、鎮台司令長官谷千城は「守備戦略」をもって対峙。しかも、政府軍は有栖川宮をいただき、第一、第二旅団を派遣、掎角の策に出る。対する薩軍の眼中には熊本城はなく、鎧袖一触、これを蹴破すべしとなし、何ら計画準備なくいたずらに精兵を堅城の下に疲困せしめ、ついに消極戦をもって始終するに至った。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 西南の役(四) 西南役出師篇
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    今般政府へ尋問の筋これ有り!、明治十年二月、西郷は刺客事件を名分として遂に立った。自ら手を拱して、官兵の来討を待つか、進んで我自ら蹶起するか。弾薬奪掠事件により、矢はすでに弦を離れ、砲丸はすでに砲口を飛び出していた。今更、西郷一人が沈吟、狐疑すべき場ではなかった。が、果たして西郷の本意は、私学校党に擁せられたるか、自らの意思でか。史家の公平なる観察は、騎者が犠牲者ならば、虎もまた犠牲者だったと結論する。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 西南の役(三) 西南役緒篇
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    征韓論争に敗れた西郷は飄然として薩南に帰り悠々自適高士の境地に消光していた。彼の一身は極めて静的であったが、彼の周辺は頗る動的であった。即ち、西郷出でずんば蒼生を如何せんと、天下を挙げてその蹶起を促す時を待つ。時に川路大警視は薩摩郷士中原尚雄を密偵として鹿児島に潜入せしめ私学校党の難間を策す。他方、政府は火薬庫移転の挙を断行。これが導火線となって弾薬椋奪事件を惹起。遂に事情切迫の事態を招くに至る。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 西南の役(二) 神風連の事変篇
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    幕末の肥後に甚大なる感化をおよぼした横井小楠と林櫻園。共に時習館に学ぶも己の主張により門戸を開く。小楠は天を説き政教一致に及び、攘夷論より一変して開国論に転じ凶刃に倒る。櫻園は神を説き神人一致に及ぶ。櫻園の遺志を継ぐ太田黒伴雄らは神風連を結成、明治九年十月蹶起。が、彼らの死を賭した欧米化への一大抗議も全国的にはほとんど閑却、やがて来らん薩南一隅の黒雲が天を圧しつつあったことがその主な理由だったか。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 西南の役(一) 萩 秋月等の事変篇
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    征韓論の破裂によって明治政府の基礎は動揺。大久保・木戸と相容れざる西郷と前原は野に在って政治を牽制。天下の不平党皆西郷出でずんは蒼生を如何せんと、随所に天下の変を待つ。前原起つか、西郷起つか。時に肥後・秋月・萩の同盟成り、九年十月二十四日神風連蹶起、次いで秋月起ち、二十八日萩も起つ。然るに同盟の藩々遅疑反覆、遂に鎮圧さる。世間これを内乱の前奏曲と視、天下いずれも領を延ばし西郷の早晩蹶起するを期待す。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 堀田正睦(五) 朝幕交渉篇
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    安政四年十二月十四日、幕府は日米通商条約締結に関する委曲の事情を朝廷に具申のため、林大学頭・津田半三郎を京都に特派。京都、諸藩有志家の入説ありて政治的に覚醒、両人擯斥を被り毫も要領を得ず。備中守は川路聖謨・岩瀬忠震を随行せしめ条約勅許の叡慮を請うべく急遽上京するも、今や朝議は幕議を圧し勅許下らず、堀田らは空手にて帰府。江戸と京都、条約締結で沸騰し、継嗣問題で暗闘。井伊直弼次第に頭角を現し、暗躍す。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 堀田正睦(四) 安政条約締結篇
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    堀田正睦はハリスと三次にわたり会見、鎖国の不可、開国の国是を脳裏に印象づけられ、一切ハリスの要求を容るる旨告げる。幕府は直ちに井上清直・岩瀬忠震を全権委員に任命、安政四年十二月十一日、九段下蕃所調所にて日米修好通商条約の談判を開始、彼我の懸隔を討論、十三次に及び漸く締結。本篇はその堀田、ハリス会見および条約談判記録であり、開国当時の最も困難な内外情勢下に、当局者がその最善を尽くしたのかの迫真篇である。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 堀田正睦(三) 朝幕背離緒篇
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    安政四年十月、ハリス江戸入府、堀田正睦と会見、懸河の弁を振って開国貿易の利を説く。他方、松平慶永はハリス問題を好機とし、一橋擁立を解決すべく橋本左内含めて京都を誘導。堀田は長崎で日蘭・日露の条約追加調印、江戸ではハリスの将軍謁見、国書捧呈の段取りを進めるなど対外施為に間然するなきも、ハリス出府に伴う水戸・尾張の反対は、江戸の不一致を暴露、京都の関東に対する姿勢は徐々に強化、朝幕背離の形勢を醸す。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 堀田正睦(二) 公武合体篇
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    安政三年七月、米国総領事ハリス下田に入港、居催促の体をなして通商条約を迫る。外交すこぶる切迫、時の名宰相阿部正弘は開明派堀田正睦を老中首座に迎え、外国御用懸に任じこの難局に当たらしめ、自らはその力を専ら内国に用い、公武合体として国論統一を試みんとす。時に将軍継嗣問題起り、内外の政局蜂巣を突き破らんとする様相を呈し始むる折、阿部、不惑に達せずして逝き、堀田は一人にて内外の衝に当たらねばならなかった。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 堀田正睦(一) 孝明天皇初期世相篇
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    黒船の来航は幕府封建制度崩壊を促し、中央統制系も頽弛は、雄藩の自主・独立的態度を明確にならしめ、対立、対抗、やがて対戦への趨勢を来すも、外間の風雨に打たれ、雪霜に晒された国民的自覚は、各藩連盟の機運を醸成、天下有志士の交通は次第に頻繁、隠然の裡に新組織へ胎動。かかる情勢下、中国西端の辺陬の地に、維新気分旁魄せる少年子弟が、松下村塾で先生と講習討論を始めたるごとく、日本各地に回天の原力が育ちつつあった。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 明治維新と江戸幕府(四) 皇政復古篇
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    慶応三年十月十四日、徳川慶喜が将軍職辞職、政権返上以来、十二月九日の皇政復古の大号令渙発を経て、翌正月三日の鳥羽、伏見の開戦までは、いわゆる維新史の絶頂というべく、実にその刻一刻、瞬一瞬、我も人も手に汗を握る場面の連続劇であった。この間三ヵ月、我々は今あらためて、いかに個人が歴史の流域を左右するか、はた偶発・突発の事件が、いかに歴史の流勢に大なる関係を持つかを識るにおいて思い半ばに過ぎるであろう。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 明治維新と江戸幕府(三) 大政返上篇
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    慶応三年十月十三日、将軍慶喜は各派の重臣を二条城に召集、徳川二百六十余年間にわたる政権を朝廷に返上せんとの決意を告白、これを諮問。実に同じ日、薩・長・芸三藩士、岩倉具視の手により討幕密勅の消息を承領。かかる歴史的緊迫の折しも、維新回天の鴻業に己の総てを賭した先覚者坂本龍馬・中岡慎太郎の両雄、近江屋新助方二階にて刺客に襲われ、その尊き鮮血を大改革の祭壇に献ぐ。報に接し、岩倉潸然涙を流して痛嘆すという。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 明治維新と江戸幕府(二) 新政曙光篇
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    慶応三年五、六月は、維新回天史上、最も重要な時期であった。上には四賢候が、将軍慶喜・摂政二条齊敬らと会同、評定を重ね、下には薩藩を中心として、一方には長藩の主戦論者がしきりに挙兵を迫り、他方には土藩の平和解決論者が藩を引き入れようと工作。中にあって、坂本龍馬・中岡慎太郎の徒は藩・長・土の間に従横の手腕を揮い、天下の大勢は、あたかも水盤に水を盛るが如く、いずれへ傾いても覆水の虞を蔵していたのだった。(講談社学術文庫)※※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 明治維新と江戸幕府(一) 孝明天皇崩御後の形勢
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    慶応二年七月将軍家茂薨去。十二月孝明天皇崩御、翌三年明治天皇の数え年十六歳で即位。時に慶喜十五代将軍職を継ぐや、狂瀾を既倒に廻らさんと、仏国公使ロッシュの進言を容れ、倒幕派の巨頭薩摩藩と対峙、日本の政権は儼乎として幕府に存在する事実を示威せんとす。既に洛北に幽蟄せる岩倉具視は入洛の公許を得、幕薩対立激化を促し、幕を滅ぼす者は幕、の策に暗躍。かくて朝幕両党の天王山、兵庫開港を廻る討幕前夜の暗闘は続く。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 開国日本(四) 日・露・英・蘭条約締結篇
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    嘉永・安政の時代、露・米・英・仏諸国は東洋における覇権の中心を日本に向けているかの観を呈し、しかもその間、露国対英・仏のクリミヤ戦争が出来、日本を交戦国の舞台たらしめんとする危険を生ず。時に露国、米国との条約締結をたてにして開国を迫りその交渉最も繁多、葛藤最も難渋、衝突最も激甚を極む。かくて日本は米に次いで露・英・蘭との条約を締結。ここに徳川鎖国制度は打ち破られ、開国日本の曙は招来されたのだった。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 開国日本(三) 神奈川条約締結篇
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    安政元年正月八日露艦長崎を去る。十四日ペルリ急遽艦船七隻を率いて再び江戸湾に来航、日米条約草案を幕府に手交。水戸齊昭ここに至って攘蝦論を譲るも、交易・通信の二条反対を立て、自ら天下の志士の望みを繋ぐ。三月三日、幕閣は鎖国の祖法を棄て、神奈川条約を締結。時に吉田松陰・金子重輔、米艦に乗じて密航を企つも志成らず、不運を悲しみつつ、蕭然として舷を降りる。提監、両名に対する日本政府の寛典を希いつつ日本を去る。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 開国日本(二) ペルリ来航およびその当時
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    嘉永六年六月、ペルリ提督軍艦四隻を率いて浦賀に闖入。威嚇された幕府は挙措を失し、老中阿部正弘諸侯に対策を諮問、幕府の権威ここに失墜。時に家慶死し、家定将軍職を襲ぐや蝦夷派の巨魁水戸齊昭幕政に参与。ここに高島秋帆ひとり鎖攘の非を指斥し、開国意見書を提出。幕府の対外政策なお飯上の蠅を追うがごとくその退帆を願うのみ。すでにして七月、露国プッチャーチン長崎に入港。交易を乞う。開明派官僚川路聖謨らその渉に当る。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 近世日本国民史 開国日本(一) ペルリ来航以前の形勢
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    ペルリ来航は、我が国が徳川鎖国政策を破って近代国家へ進む象徴的事件であった。が、時代を語るには、その以前を語らねばならぬとする蘇峰は、来航以前の形勢を論ずるに、幕府の対外防備の嚆矢を寛政の松平定信に見「定信の遺志を紹成する者であらば、嘉永の末、安政の始めに至りて、周章狼狽をしなかったであろう」と嘆じ、開国前夜の内憂外患、警鐘乱撞に対する当局の拱手怠慢を指摘し、その崩壊は内部に胚胎していたと洞察する。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 攘夷の幕末史
    値引きあり
    3.0
    日本人は誰もが「攘夷派」だった! 「尊皇攘夷vs.公武合体」という幕末史の定説を覆し、日本人の対外認識の原型を抉り出す、画期の書。 [本書の内容] 序 章 幕末のイメージと攘夷 第一章 東アジア的視点から見た江戸時代 第二章 幕末外交と大国ロシア 第三章 坂本龍馬の対外認識 第四章 攘夷実行と西国問題 第五章 攘夷の実相・朝陽丸事件 終 章 攘夷の転換と東アジアの侵略
  • 女人禁制
    値引きあり
    4.0
    男女同権はすくなくとも社会通念上は、あたりまえの前提となって久しい。 だが、日本の各地には、女性の立ち入りを禁止する聖域や、特定の神事には女性を参加させないという慣行が現在も存在している。 そして、大相撲の土俵についての「禁制」は、たびたび物議をかもしてきた。 「女人禁制」とはいかなる背景から生まれ、変化する政治や社会の中で受け継がれてきたか。 なぜ、時に激しい批判にさらされながらも、人々はそれを守ろうとするのか。 女性たちは禁制をどのように受容し、あるいは抵抗し、つくり変えてきたのか。 「差別」として批判をする人々と、「伝統」として守ろうとする人々。 この対立構図は、当事者達にとって調停不可能であり、今後も継続することが予想される。 本書では、文化人類学的分析を柱にしつつ、宗教学、民俗学、歴史学、国文学、社会学など様々の分野の成果を取り込んで、 暗黙の前提を覆し、賛成か反対か、伝統か差別かという二分法を乗り越える視点を提示するものである。 第一人者が、真の解決に不可欠な知見を、この一冊でわかりやすく示す! 【本書の内容】 学術文庫版の刊行に際して 女人禁制の現在―プロローグ 女人禁制への視角 大峯山の現状 山と女性 女人結界 仏教と女性 穢れ再考 あとがき 二十年の後に―学術文庫版あとがき
  • 日本妖怪異聞録
    値引きあり
    3.8
    妖怪に秘められた敗者たちの怨み声を聞く。 大江山の酒呑童子、那須野の妖狐・玉藻前、是害坊天狗、大魔王・崇徳上皇…… 妖怪は山ではなく、人の心に棲息している。妖怪とは幻想である。そして、自分たちの否定的分身である。国家権力に滅ぼされた土着の神や人々の哀しみ、怨み、影、敵が形象化されたものである。 酒呑童子、玉藻前、是害坊天狗、崇徳上皇、紅葉、つくも神、大嶽丸、橋姫。日本妖怪変化史に燦然と輝く鬼神・妖怪たちに託されたこの国の文化史の闇を読み解く。 酒呑童子は山の神や水の神と深いつながりを持っている。彼ら鬼たちは龍神=大蛇=雷神のイメージと重ね合わされており、酒呑童子が大酒飲みと描かれているのは、近江誕生説にしたがえば、彼がヤマタノオロチ=伊吹大明神の血を引く異常な「人間」であったからである。酒呑童子は仏教によって、もともと棲んでいた山を追われてしまう。それは山の神が仏教に制圧されたプロセスと同じであろう。(中略)酒呑童子の物語から、土着の神や人びとの哀しい叫び声が聞こえてくる。征服者への怨み声が……そしてその声は、自然それ自体が征服されていく悲鳴であるのかもしれない。――<「第一章 大江山の酒呑童子」より>
  • 歴史のかげに美食あり 日本饗宴外交史
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    3.0
    古来、「歴史のかげに女あり」と言われる。妖艶な美女が歴史を動かしてきた例は少なくない。だが、大事件、外交の舞台裏でより重要だったのは、いかに饗宴を準備するか。相手を懐柔するために、明治の主役たちが「おもてなし」のため頭を悩ませた美食とは。史料から明治の世界を生き生きと描き、52歳の若さで惜しまれつつ逝ったノンフィクション・ライター黒岩比佐子が、12品のフルコースで、歴史ファンをご接待!
  • 俳句と川柳
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    -
    俳句も川柳も、同じ17音の文芸。季語や切字の有無だけでは区別がつかない。「風景を詠むと俳句、笑いを詠むと川柳」なのか。しかし、笑いを詠む俳句もあれば、風景を詠む川柳もある。本書では、まず連歌の発句・平句、狂句、前句付など、俳句と川柳のルーツを探る。また、新旧の名句を鑑賞し、また俳人や川柳作家の創作観を紹介しながら、それぞれの本質を探る。観賞にも創作にも必読の書。(講談社学術文庫)
  • そば学大全 日本と世界のソバ食文化
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    -
    日本が誇る伝統食にして健康食、そば。しかし、植物であると同時に作物でもあるソバの文化は、日本だけのものではない。ソバの本場・信州で研究を積んだ農学者が、世界のソバ食文化を探訪して日本のそばの魅力を再発見する。さらにその栄養と味覚、健康食品としての機能や、品種改良についても解説。 江戸の農書に表れる「ソバめくそ」「めくそ飯」とは何か? 「普通種」よりも収量が多くて安定しているダッタンソバ、ニガソバは、なぜ日本で栽培されなかったのか? なぜ「手打ちそば」が上等なのか? 朝鮮半島のシミョン、カルクッス、中国の「猫の耳たぶ」マオアルドウ、ネパールのソバの腸詰、ウクライナのソバカーシャ、スロベニアのソバ団子、フランスのガレットに、イタリアのポレンタ・・・各地のソバ食レシピをみれば、日本の「そば切り」を本流とする麺食ばかりがソバではない。縄文時代から親しまれる、ソバをもっと楽しむ本。〔原本:平凡社、2002年刊〕
  • 楽しき熱帯
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    -
    ギリシア神話の神々の名を冠した蝶が飛び交い、獰猛な肉食魚ピラーニャが蠢くアマゾン。少年時の夢叶い、いざ緑の魔境へ! トラップで虫採り、釣りに感激、蝶の標本を買い込む楽しい旅は、インディオ虐殺、金採掘人(ガリンペイロ)・ゴム採集人(セリンゲイロ)の過酷な生、自然破壊との出会いでもあった。虫好き仏文学者ならではの、軽妙にして奥深い名紀行。(講談社学術文庫)
  • お金の改革論
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    4.0
    インフレは投資家に対し不公正で、デフレは借り手に不公正。 ケインズの代表作を、わかりやすい訳で読む! 第一次世界大戦後、世界中で起きた急激な物価水準変動に対し、ケインズは何を考えたか。 物価安定か、為替の安定か。金本位制をどうとらえるか。 「邪悪な現実」と格闘するケインズの思考が、ここにはのこされている。 [本書の価値とぼくたちにとっての意義―訳者から]  まず本書で重要なのは、インフレとデフレの相対的な被害についての明示だろう。1990年代からの20年以上にわたり、日本経済はデフレに苦しんできた。2013年に日本銀行が黒田東彦総裁の指揮下で2パーセントのインフレ目標政策をはっきり採用し、そのために大規模緩和(黒田総裁は「量的・質的金融緩和(QQE)」と呼んでいるが、あまり名称としては普及していない)を行ったことで、執筆時点ではようやくデフレの時代が終わりつつあるようだ。だが、デフレが有害だという認識が浸透するにはあまりに時間がかかりすぎた。デフレは物価が安くなるんだからいいものなんだ、という「よいデフレ」論を、高名な経済学者を含む多くの「有識者」なる人々が言いつのっていた。本書に書かれた認識―デフレは生産者に負担を与え、生産活動を控えさせ、人々を失業に追いやり、喜ぶのは既得権益を持った金持ちばかり―がもっと浸透していれば。  ここは重要なポイントだ。インフレやデフレは、実体経済に影響を与える。そして本書は、その仕組みについても簡潔に指摘している。お金の市場の状況が実体経済に影響を与え、持続的な失業を引き起こすこともある―これはケインズ『一般理論』の肝だ。本書は『一般理論』ほどきちんと定式化してはいないものの、それにつながる明確な認識がすでにある。 (中略)  むろん、本書は管理通貨制度の夜明けに書かれたものだし、現在の中央銀行や金融当局ははるかに高度な理論もあり、考えるべき内容もきわめて多い。だがこの基本的な知見は、未だにかわらないものであるはずだ。  もちろん、もっと歴史的な文書として本書を読むこともできる。金本位制や、いわば「強い通貨」を主張する人々の変な議論は、現在でもいろんなところで見かけるものだ。それを見て、人間の進歩のなさを嘆く/おもしろがることもできる。さらに本書は、ケインズの一、二を争う名言が出てくる本でもある。「長期的には、われわれみんな死んでいる」というもの。経済学者は目先の問題―たとえば失業に対して、長期的にはそれが解決される、と言いたがる。できることは何もないとか、「自然に」任せるべきだとも言う。でも手をこまねいてそんなものを待つだけでは、経済学者も金融当局も存在価値がない。いまできることを考え、実行しよう!
  • 新装版 日本国憲法
    3.0
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 戦後日本を理念的に照らしつづけた〈憲法〉。それは「人類普遍の原理」「崇高な理想と目的」を掲げながら、一貫して最大の争点でもありつづけた。日本国憲法に、大日本帝国憲法、教育基本法、児童憲章、英訳日本国憲法、日米安全保障条約の全文を収録した新装版。読んでから考えたい、語るために読みたい、〈憲法〉。(講談社学術文庫)
  • ヒトはなぜ眠るのか
    値引きあり
    4.1
    進化の過程で睡眠は大きく変化した。肥大した脳は、ノンレム睡眠を要求する。睡眠はなぜ快いのか? 眠りの機能とは? 大脳と睡眠、身体と睡眠の関係、睡眠にまつわる病気、睡眠と冬眠の違い、睡眠を司るホルモン、体内時計の働き、短眠者と長眠者の謎、科学的な快眠の秘訣……。最先端の脳科学で迫る睡眠学入門の決定版。最新の知見と新規文献も充実! (講談社学術文庫)
  • 講談社学術文庫 解説目録 2024年4月現在
    無料あり
    -
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 2024年4月現在の講談社学術文庫シリーズ目録が電子化されました。学術文庫のラインナップを全て収録。内容紹介付き。

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