本書は、渋沢栄一が欧米の民主主義や資本主義を導入する際に、それらの背景にある異文化とどのように葛藤しながら「論語と算盤」(儒教精神と経済合理主義の両立)を基礎とした「合本主義」を形成し、またそれをどのように全国に広めていったのかを青年期から死去までを通観しつつ叙述したものである。著者はその際に3つの試みをおこなったと述べる。1つ目は、「民主化」という概念を取り入れたこと、2つ目は渋沢の人生を編年体で俯瞰すること、3つ目は同時代の国内外の人物との比較の視点を取り入れることである。なかなか野心的な試みである(とくに3つ目)。
以下、いくつか気になった点を列挙しておきたいと思う。
1)渋沢の思想形成に頼山陽の『日本外史』があったとはよく言われるところであり、本書でもその点が指摘されている。『渋沢栄一は漢学とどう関わったか 「論語と算盤」が出会う東アジアの近代』などが参考文献として挙げられているが、やや説明不足。
2)渋沢が熟議を重視した、その根源的体験として①攘夷決行を打ち明けた時、②その攘夷決行を断念したときを挙げている。この熟議民主主義のアイディアは面白いと思うが、ちょっと飛躍があるかとも思う。今後の深化を期待したい。
3)渋沢のサン=シモン主義からの影響もつとに指摘されているところであるが、ここにこそ同時代人との比較史的視点をしっかりと入れて欲しかった。たとえば岩倉使節団はなぜサン=シモン主義に感化されなかったのか?などの問も成り立つのではないか。
4)本書の白眉は第2章、第3章である。第2章、第3章での渋沢の思想と行動を整理した上での著者の合本主義の定義(「公益を追求するという使命や目的を達するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという考え方」p.167)は、非常に重要だと思われる。ここでも問題は、それが同時代人にどれだけ共有されていたのか(あるいは、いなかったのか)という点であろう。たとえば岩崎弥太郎は上記の合本主義とまったく相容れない思想の持ち主だったとよく言われるが、岩崎的な方法が日本の産業化にとってマイナスだったとは必ずしも言えないだろう。優劣を論じるのではなく、後進国日本の産業化にとってそれらが相互補完的であったという仮説を置いて考えてみる必要があるのではないか。
5)第4章は「ヨーロッパ重視から米国重視へ」という章タイトルが付けられているが、渋沢の自由貿易主義から保護貿易主義への転向、日露戦争に対する財界協力への転換(児玉源太郎と渋沢のやり取りは確か『坂の上の雲』にも登場してたのように記憶している)、その財界のリーダーの中野武営へのバトンタッチなどなども合わせて考えるべきで、多分、色々なことが連動している。これらを総合するためのグローバル・インテレクチュアル・ヒストリーが必要。言うは易しおこなうは難しだが。
ほかにも重要な論点はいくつもあるように思うが、それはまた追々考えていきたい。