国語学者であり、国学者として戦前に思想的影響力をもった著者が、戦後の「君が代」をめぐる誤解を正そうとして執筆した著作です。
著者は、戦後の「君が代」論争を、「かような軽薄な言論は或は今の時勢の風潮かも知らぬが苦々しい極みである」と一蹴し、「君が代」の来歴を文献学的に精査し、そのほんとうの意味を明ら
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本書では、「君が代」の由来を『古今和歌集』に詠み人知らずの歌として収められた歌にまでさかのぼり、さらにその後の歴史のなかで、この国の人びとがさまざまな場面でこの歌に親しんできたことを、多くの傍証を引きながら明らかにしています。また、この歌の意味についても、それが「一般の人々の年寿を賀する歌であり、而してそれは天皇皇族に限らぬものであったことは明かで」あると主張しています。こうした歴史を踏まえたうえで、著者は明治以降に「君が代」が国歌となっていった経緯を解明し、「祝賀の意の永遠の生命を祝いつつある点から見て日本国民の祝歌としてこれ以上のものも無く、これにかわるべきものも無く、これ以上のものを何人が作りうべきであろう」と結論づけています。
もっとも著者は、「君が代」を「日本民族唯一の民族歌ともいうべきものである」と主張して、「日本民族」を実体的にとらえており、さらに「之を否認するものはその人既に日本民族の外に出ていることを表示していると見られずにはいないであろう」と述べて、「君が代」を民族歌として認めるかどうかを「日本民族」であるかどうかのメルクマールに設定するという倒錯を犯しているように思います。この点にかんしては、著者の政治的立場に対して批判的でない読者にとっても、おそらく首肯することに困難をおぼえるのではないかと思われます。とはいえ、「君が代」の由来についての文献学的な考察は、おおむね実証的な地平で展開されているように感じました。