あらすじ
国粋主義を唱道していた山田孝雄は敗戦の10年後、日本の国歌とされた歌について、真摯な論考を物していた。種々史料を繙き、あくまで歌としての変遷を古代から今代までたどる。古今和歌集に「よみ人しらず」として収められた一首が、どう引用され、変形し、受け入れられたのか、そしてあの節がいつどこで乗り、「国歌」となるに至ったのか――元号が改まるいまこそ確かめたい。(原本:宝文館出版、1956年)
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Posted by ブクログ
作者は独学で学界の地位を得て、最後の国学者と言われたようですね。
近代になる前はどのような思いがあったのかと思ってました。
歴史上の変遷を知る事ができてよかったです。
Posted by ブクログ
古今和歌集を読んでいて、日本の国歌は古今和歌集が元だったことを知り、あの一首がどのように国歌となっていったか歴史を知りたく読んでみた。
結局のところ、読み人知らずの「我が君は千代にましませさされ石の巌となりて苔のむすまで」という和歌が祝賀の歌として一般庶民にも広く親しまれていくうちになんともなしに国歌となった、という話であった。
本書の出版は2019年なので最近の研究かと思いきや、元は1958年出版の本だった。通りで文体が堅い…。
内容としては、古今和歌集の時代から「我が君は〜」の歌がどのような形で後世に伝わり、今のような旋律をつけられ、国歌となったのかということを豊富な歴史的文献から丁寧に紹介されている。
これを読めば国歌の歴史は丸わかり。
古今和歌集の写本によって歌の形も違うので、何が原本なのかは推測するしかない…
天皇讃歌の歌だと考える人もいるようだが、そうではなく広い意味で祝賀の歌であるらしい。お正月とかに歌いたくなりました。
Posted by ブクログ
国語学者であり、国学者として戦前に思想的影響力をもった著者が、戦後の「君が代」をめぐる誤解を正そうとして執筆した著作です。
著者は、戦後の「君が代」論争を、「かような軽薄な言論は或は今の時勢の風潮かも知らぬが苦々しい極みである」と一蹴し、「君が代」の来歴を文献学的に精査し、そのほんとうの意味を明らかにしようと努めています。
本書では、「君が代」の由来を『古今和歌集』に詠み人知らずの歌として収められた歌にまでさかのぼり、さらにその後の歴史のなかで、この国の人びとがさまざまな場面でこの歌に親しんできたことを、多くの傍証を引きながら明らかにしています。また、この歌の意味についても、それが「一般の人々の年寿を賀する歌であり、而してそれは天皇皇族に限らぬものであったことは明かで」あると主張しています。こうした歴史を踏まえたうえで、著者は明治以降に「君が代」が国歌となっていった経緯を解明し、「祝賀の意の永遠の生命を祝いつつある点から見て日本国民の祝歌としてこれ以上のものも無く、これにかわるべきものも無く、これ以上のものを何人が作りうべきであろう」と結論づけています。
もっとも著者は、「君が代」を「日本民族唯一の民族歌ともいうべきものである」と主張して、「日本民族」を実体的にとらえており、さらに「之を否認するものはその人既に日本民族の外に出ていることを表示していると見られずにはいないであろう」と述べて、「君が代」を民族歌として認めるかどうかを「日本民族」であるかどうかのメルクマールに設定するという倒錯を犯しているように思います。この点にかんしては、著者の政治的立場に対して批判的でない読者にとっても、おそらく首肯することに困難をおぼえるのではないかと思われます。とはいえ、「君が代」の由来についての文献学的な考察は、おおむね実証的な地平で展開されているように感じました。