作品一覧

  • オーストリア皇太子の日本日記
    3.0
    本邦初訳!「サラエボの悲劇」の主人公が綴る日本紀行 長崎―熊本―下関―宮島―京都―大阪―奈良―大津―岐阜―名古屋―宮ノ下―東京―日光―横浜 1892年末、オーストリア帝国帝位継承者、皇太子フェルディナントは世界周遊の旅に出た。翌年長崎に到着した彼は東京を目ざすが、その途次、各地で日本文化との出会いを堪能しつつ、のちにウィーン民族学博物館日本部門の礎をなす18000点もの美術品等の蒐集も行う。21年後、サラエボで暗殺される悲運の皇太子若き日の日本紀行。 園内は無数の提灯がまるで妖精のようにきらきらと輝き、真昼のような光に満ちあふれていた。日本人というのは、まことに照明の達人だ。簡素きわまりない装置を巧みに用い、すばらしい効果を生み出す術をじつによく心得ている。(熊本クラブの庭園にて)
  • 明治日本美術紀行 ドイツ人女性美術史家の日記
    3.0
    1巻990円 (税込)
    訪日5度、滞日延べ10年余――ケルン東洋美術館の生みの親フリーダ・フィッシャー。彼女は、竹内栖鳳、黒田清輝、井上馨、田中光顕、住友吉左衛門、根津嘉一郎、原三渓ら美術家・蒐集家と交流して日本美術への認識を深め、それらを育んだ日本人の気息に触れんと努めた。本書は彼女の日本日記であり、近代日本美術界の消息を伝える貴重な資料でもある。待望の書、初の全訳成る。
  • 明治日本印象記 オーストリア人の見た百年前の日本
    -
    1巻1,210円 (税込)
    優美な自然、興趣をそそる諸芸能、無類に清潔で礼儀正しい日本人……。明治中期に訪日し、異文化にとまどいつつも、北海道から長崎まで精力的に旅を続けた著者の印象の一端である。大都市は勿論、地方の文化にも触れ、市井の民とも親しく接して、日本に魅了された彼は生涯に7度日本を訪れることになる。美術史家である著者の鋭い感性が捉えた19世紀末の日本。挿画約100点収録。
  • 人間性なき医学 : ナチスと人体実験
    -
    1巻1,760円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 心理学者が分析する医師たちの心の闇と医療犯罪の原点。安楽死・大量継種と不妊・骨移植・発疹チフス接種・長時間冷却…悪の限りを尽くしたナチスの人体実験に医療犯罪の原点を探る。

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ユーザーレビュー

  • 明治日本美術紀行 ドイツ人女性美術史家の日記

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    日本に興味があろうことは分かるが東洋の美術品に惹かれており、日本以外にも中国・朝鮮に行き来しているようだが中国・朝鮮のことは殆ど書かれておらず、文化の比較感想もない。中国・朝鮮のことは別に本を出しているようだ。
    日本の美術史に興味がある人には有益なことが書いてあるかもしれない。
    この夫妻は当時の日本の有力者にも会っており、住友財閥や井上馨や田中光顕などのコレクションも見せてもらっている。
    そういう歴史人に興味のある人には興味があるかもしれない。
    日本文化に関する感想なんかも、あまり書かれていない。

    1
    2012年11月23日
  • オーストリア皇太子の日本日記

    Posted by ブクログ

    副題・明治26年夏の記録

    オーストリア皇太子とはフランツ・フェルディナンド。少し前は同名のロックグループがあったが、こちらは非常に有名な、サラエボで妻と共に暗殺され第一次世界大戦の引き金となった人である。暗殺されたのは大正3年(1914)。日本に来たのは明治26年(1893)29歳の時だった。いろいろな国をめぐり自分の目でその政治文化風俗を確かめたかったためだと書いている。

    エリザベート皇后由来のエリザベート皇后号という名の船で10ヶ月に及ぶ旅行の途中、日本記述の部分は7月29日から8月24日。母国オーストリアでは自由に出歩けたが、なんと日本の警戒のきびしいことよ、という記述も見られる。彼

    0
    2012年06月23日
  • オーストリア皇太子の日本日記

    Posted by ブクログ

    第一次世界大戦勃発のきっかけとなった
    オーストリア・ハンガリーの皇太子暗殺。
    その人物が1892年の世界周遊旅行の際に
    日本へ立ち寄った時の紀行文。

    オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者であった、
    フランツ・フェルディナント大公。
    長崎に到着した後、熊本、宮島、京都、大坂、奈良、岐阜、箱根、日光、東京など、
    世界周遊の旅の一環として、日本を訪れた。
    熱烈なる歓迎、異質の文化、堅苦しい式典など、
    自分が見た日本の姿を描いている。
    そして、2万点にもせまる美術品の蒐集も行う。

    この人は、周囲の反対をよそにチェコ人の女官と結婚したんだけど、
    1914年、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボの軍

    0
    2010年08月29日

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