作品一覧
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4.5ルネ・デカルト(1596-1650年)の代表作は、この新訳を待っていた――。 本書の訳者を務める小泉義之氏は、哲学や精神医学から現今の政治に至るまで、幅広い問題をめぐって繊細かつ大胆な思考を展開してきた。その根底に、自身が『意味の論理学』の翻訳をしたジル・ドゥルーズの哲学があることは、よく知られている。 だが、小泉氏自身の「原点」として厳然と存在し続けているのは、ルネ・デカルトにほかならない。最初の著書『兵士デカルト』(1995年)から四半世紀、ここに渾身の新訳をお届けする。 多くの訳書で採用されている『方法序説』ではなく『方法叙説』という日本語題を採用したことも含め、本書は細部に至るまで、小泉氏にしかできない思考と工夫が浸透している。 今後、デカルトの最も有名な著作を読むとき、この訳書を無視することはできないはずである。 [本書の内容] 第一部 第二部 第三部 第四部 第五部 第六部 訳者解説 文献一覧
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3.4
ユーザーレビュー
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Posted by ブクログ
BOOKOFF響ヶ丘店にて購入。
もう30年前、大学の教養課程の哲学の講義がレヴィナスだった。高校で倫理の授業がない課程だったので哲学については全く何も知らなかったから、レヴィナスはおろか、カントやニーチェさえ知らなかった。
案の定、哲学の成績はD(!)だったが今回この本を見つけたので、昔を思い出して買ってみた。
やはり哲学の議論というのは「言質を弄する」という感じで苦手だが、帯にあった「人は生まれて生んで死んでいく」という言葉が一番端的にこの解説本のまとめになっているのではないかと思った。
だとすると、「産む性」にあって産まなかった私のような人は生きる意味がないのか?という残念な気持ち -
Posted by ブクログ
度肝を抜かれた。前半部が最高にいい。今年ベスト。「なんでいきるのか」「幸福になるために生きている」……これは非常に凡庸な問い(と答え)だ。
そこからの、小泉=レヴィナスのよる、問題構造の立て直し方がすごい。
目的を問わなくても、人は生きていける。息を吸って、食物を食べて、風景を眺めること…、我々はそれらをすでに享受してしまっている! 享受し続けている時点で、生きているという時点で、我々はもうすでに幸せなのだ。
……それでも、享受しているはずなのに、元気じゃないときがあるよね、特に理由もなく。
→→それは、「実存そのもの」に疲れてしまっているのだ。生きて、存在することへの倦怠。
そしてそこか -
Posted by ブクログ
いつもドゥルーズの求めた「新しい人間」は仏陀みたない存在なのではないか、と思うわけだけど、他方で、ドゥルーズは第一の自然としての欲望を捨て去った先に「新しい人間」を見ているわけでもなさそうなので、あらゆる欲望(煩悩)を消滅させる仏陀のイメージとは、やはり、違うのかなぁ。でも、いつもドゥルーズの「新しい人間」の生きる所の雰囲気が、悟りの境地を思うときの静謐で何もないような空虚な所に思えてしまう。そして、それはかなり怖いイメージでもある。ただし、ドゥルーズが考え抜いても、答えを出せない来るべき新しい人間、来るべき民衆への渇望を共有したいと思ってしまう。別のしかたでの人間があって欲しいと思う。小泉
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Posted by ブクログ
構成は
・永井ー小泉の対談
・永井論考
・小泉論考
<文庫版書き下ろし>
・永井論考
・小泉論考
対談は恐ろしく噛み合ってない。
それは永井先生も論考内で「この対談に際して小泉氏は私の以前の著作をずいぶん勉強してこられたようで、氏の発言には私の用語がちりばめられている。しかし、その用法が私の理解と食い違っているため、逆に理解しにくかった。」(p82)と言っていたり、「小泉氏の発言の意味がわからなかった」といった趣旨の発言をかなりの回数使っているところからも伺える。(逆に小泉先生はそのような類の発言はしていなかったように思う)
ただ、この噛み合わなさ、対談後の論考の議題設定のあまりの違いが