ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
6pt
習慣として早朝の数時間、一日のうちいちばん「非社会的」な時間に書き続けられたというヴァレリーの言葉。 膨大な量のそれは人間の生の実相へと肉迫する。作品が装置であるとはどういうことか。時間と行為の関係とは? 詩が身体を解剖するとは? ヴァレリーのテクストを丹念に読み込み、そこから描き出された芸術と身体と生の関係。 著者の美学・身体論の出発点となった記念碑的力作。
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
自分が所有している機能以上の機能を引き出し知覚する行為としての詩に対しての考察はとても興味深かった。ヴァレリーの詩やテクストを全く読んでいない状態で読んだが十分に楽しめた。
68 読者を行為させる 装置 74 ヴァレリーにとって詩とは「詩として表現された…生理学的生」 「創造的誤読=読みの複数性」は「不可避の副産物」にすぎない 109 反復や同化 「他者と同じ状態になる」という私たちの衝動が、コミュニケーションの可能性を作っているとヴァレリーは考えている。 13...続きを読む0 詩をつくることは詩 169 ヴァレリーにとって注意の本質とは、注意の対象と注意のシステムの分離不可能性に、より単純に言い換えれば、注意の対象と注意する主体の分離不可能性にある。初期の『カイエ』で、ヴァレリーはこの分離不可能を「対象の受肉incarnation」と呼んでいる。 184 リズムとは、ある列の模倣可能な特性である。模倣可能であって理解可能ではない。
ようやく読めた伊藤亜沙さんの著書。 1900年あたりの詩人であるポール・ヴァレリーの詩感をまとめてくれている本。人間の感覚論・身体論のような生理学みたいなところから芸術を定義して、詩学へと発展する過程がわかりやすくまとめられ、身体-芸術を繋げる1つの考え方が書かれている。 芸術を考えるスタンスとして...続きを読む、意味的なところからスタートせず、人間の知覚から立ち上げるところがかなり好み。 詩(芸術)とは、身体機能の散文的な繋がりに違和をきたすことによって、各部位に備わる機能を開放し、その機能自体を知覚させる。そして、その知覚により、"真の行為"を読者に促すものだと僕は受け取った。 僕は身体と芸術の関係について、これまでアフォーダンス的な、何かの行為を人間に触発する・想起させるような形状、つまり人間の行為に埋め込まれた形状を作ることによって、身体をより自由にできると考えていた。しかし、ヴァレリーの芸術感を見ると、そういった散文的な繋がりを促進させるような創作行為では、人は自身の身体知を希薄化させてしまうらしい。身体をより自由に振舞わせる方向性と身体の知覚を促す方向性はベクトルとして逆の要素があるよう。身体と芸術について考える1つの指針を手に入れた。再度読み直してまとめてみようと思う。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
ヴァレリー 芸術と身体の哲学
新刊情報をお知らせします。
伊藤亜紗
フォロー機能について
「講談社学術文庫」の最新刊一覧へ
「学術・語学」無料一覧へ
「学術・語学」ランキングの一覧へ
目の見えない人は世界をどう見ているのか
体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉
感性でよむ西洋美術
きみの体は何者か ──なぜ思い通りにならないのか?
これでいいのか? 日本の大学
手の倫理
とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡
ひび割れた日常――人類学・文学・美学から考える
「伊藤亜紗」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲ヴァレリー 芸術と身体の哲学 ページトップヘ