樋口陽一の作品一覧
「樋口陽一」の「戦後憲法史と並走して 学問・大学・環海往還」「「共和国」フランスと私 日仏の戦後デモクラシーをふり返る」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
東側体制の崩壊後の時期に、憲法学、比較憲法学の大家である樋口陽一氏が、近代国民国家の憲法構造について解説した書籍の復刊。
前半を読むと、特に、東側体制の崩壊直後に、今後思想状況がどのようになっていくのかという関心があらわれている。
本書の中心的な考え方としては、①フランス革命は、主権と人権の密接不可分の連関と緊張関係を生み出したという見方、②我が国においては、中間団体の敵視のうえにいわば力づくで「個人」を析出させたルソー=ジャコバン型モデルの意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの重要性を語る点、などにある。
この時代に著者があげていた、我が国においては中間団体を警戒視すべきという考え方は、30年以上が経過した今でも変わりなく受け止めらえる考え方かもしれないと思われる。
フランス憲法史を踏まえて、当時の我が国の判例・学説への厳しい見方とともに、著者の憲法学のエッセンスが描かれている。
Posted by ブクログ
樋口陽一氏と言えば戦後憲法学のスターだが、今や保守派からは「ガラパゴス化」と揶揄され、左翼陣営からさえアナクロニズムとも非現実的との評が囁かれる。それでもなお頑なに近代の普遍的価値、とりわけ個人の尊重という理念にこだわり続けてきた。評者自身も氏に対して、いまだにフランス革命への郷愁を捨てきれない西欧かぶれの頑固親父、或いは永遠の少年というイメージしか持っていなかったのだが、じっくり読んでみると、この人はやはりただものではない。
法律家として当然とも言えるが、左翼にしてはめずらしく二元的思考ができる人だ。物事を多面的に観る眼を持っている。氏は「連環と緊張」というフレーズを好んで用いるが、国家は時に人権を侵害するが、人権を守るためになくてはならない存在でもある。国家と個人の抑圧と依存という矛盾を孕んだきわどい関係を樋口氏ほど突き詰めて考え抜いた人は少ない。氏の立憲主義を権力を縛るものとのみ理解するのは一面的だ。むしろ権力の適切な行使を監視する、つまり縛りもするがケツを叩きもするものと捉えるべきだ。
安保法制による解釈改憲への反対運動など、氏の表層的な主張は過激にも見えるが、それを支える思考は極めてシャープな論理と優れたバランス感覚を保持している。それでいて安易な妥協や折衷を許さない。近代が見出した個人は実在ではなくフィクションだと氏は言い切るが、その両義性と危うさを直視しつつ、近代の「虚妄」に「敢えて」かけるということだろう。どこまでもストイックな知的ダンディズムだ。
だが逆にこうも言えるだろう。氏がフィクションとしての近代や個人を守ろうとするように、フィクションとしての伝統や共同体を守るという立場もあり得る。評者は今、西部邁のことを思っている。水と油のようでもあるが、二元論に耐えつつ敢えて片方に肩入れするスタイルは案外似ている。二人とも80年代に保守派の言論人として活躍した山崎正和の「柔らかい個人主義」を痛烈に批判していた。樋口氏は東北、西部氏は北海道出身だが、比類なき硬質の知性を持ちながら、野武士的なトゲを失わない両人にとって、融通無碍のヌルッとした京都人の感性は肌に合わないと見える。
Posted by ブクログ
『近代立憲主義と現代国家』(1973年)で鮮烈なデビューを果たした戦後憲法学の旗手が、ベルリンの壁とともに雪崩をうって社会主義体制が崩壊した後に、講座派マルクス主義経済史学の枠組を色濃く残すデビュー作の問題意識を継承しつつも、憲法理論として自立した立場を確立した記念碑的著作だ。昨年30年振りに増補復刊されたが、現在に至る樋口氏の理論的・実践的立場の支柱をなす著作であり、樋口憲法学を深く理解するための必読文献だ。
樋口氏が考えるフランス革命の歴史的意義とは、中間団体の粉砕により、一般意思を体現する集権的国家と諸個人の二極構造を創出したことだ。自力で下からの革命を完遂出来なかったドイツにおいて、フランス型統治構造の移植を目指したのがカール・シュミットだが、それはナチズムという鬼子を産んだ。その反省に立ち、戦後のドイツは民主主義的価値を否定する自由に憲法的保障を与えないという「闘う民主主義」の道を選んだ。
他方で中間団体の解体こそ裸の個人を国家権力に晒すものだとの観点から、国家と併存し国家権力を牽制する中間団体を活かすアメリカ型多元主義モデルの意義がフランスでも見直されつつある。三権分立における司法権の重要性を説いたモンテスキューの『法の精神』を生みながら、歴史的に王権と結びついた司法権への警戒から行政権が優位を占めてきたフランスが違憲審査制の導入に踏み切ったのも、国家権力を相対化する試みの一つと言えるだろう。各国の立憲主義はそれぞれの歴史的経験をふまえて苦しみながら試行錯誤を続けている。
翻って樋口氏は、立憲主義の現代的な克服が安易に語られる日本において、ルソー=ジャコバン型一般意思モデル(フランス)と、トクヴィル型多元主義モデル(アメリカ)の選択を迫るのだが、建国のはじめから中間団体の桎梏を持たず、自律した個人を前提にできたアメリカと、中間団体が国家権力の下請けと化した歴史を持つ日本は同じではないとの指摘を忘れない。この日本においては、裸の個人の析出をその痛みとともに追体験することこそ大切ではないかと樋口氏は結ぶ。
弟子筋の南野森(九大教授)が面白いことを言っていた。社会契約はヒストリーではなくストーリーである。実在ではなく物語でありフィクションだというのだ。フランス革命が実はそれほど革命的でもなかったというのは、フィレ(『フランス革命を考える』)以降の実証史学の共通認識となりつつある。それでもなお、物語としてのフランス革命に樋口氏が読み込んだフィクションとしての立憲主義をどう守り育てて行くか、今も問いは続いている。
Posted by ブクログ
清宮四郎と宮沢俊儀は戦後日本の憲法学のスタンダードを築いた両雄だが、二人は戦前の憲法学をリードした美濃部達吉の高弟であり、日本の公法理論に陰に陽に大きな影響を与えた純粋法学者ケルゼンからも多くを学んだ。清宮は美濃部、ケルゼン、宮沢を「憲法学の二師・一友」と呼んだが、本書は彼らの共通点より、むしろ微妙な、ある意味では決定的なズレを意識して読むことで愉しみが倍加する。宮沢はケルゼンから学んだイデオロギー批判の手法を用い、科学としての法律学(=純粋法学)の立場から師美濃部の学説を形而上学と断じ、その克服を企図した。清宮はケルゼンから法の究極にあるものとして「根本規範」を受け継ぎながら、それを換骨奪胎し、ケルゼンの価値相対主義を乗り越えようとした。
ケルゼンの純粋法学は法実証主義の立場に立ちつつ、実定法体系を根底で支える「根本規範」は単なる論理的仮説でしかないと喝破し、法の無根拠性をあぶり出した。その帰結として、無から有を創造するのは政治的意思という法外在的な事実である他ないが、ここで規範主義者ケルゼンは決断主義者シュミットと限りなく接近する(と同時に無限の距離を保持してもいたのだが)。宮沢はその接点から八月革命説(=日本国憲法はポツダム宣言受諾という一種の革命的決断によって成立)を繰り出すことになる。
対する清宮は法解釈とは法の客観的な認識であるとする法実証主義(その典型は美濃部と並び称された京都の佐々木惣一)に一貫して批判的であり、あるべき法の解釈(=発見)こそ法学者の使命と考えた。そのためには「根本規範」は単なる仮説ではなく、現実に基礎を持たねばならない(したがってケルゼンのイデオロギー批判を高く評価する長尾龍一は清宮の根本規範論に手厳しい)。清宮が主権論争で宮沢と対峙した尾高朝雄と交錯するのはこの地点である。佐々木が法と政治を峻別し、宮沢が法は「政治の子」であるとして法を政治に還元するのに対し、清宮は尾高とともにこの二つを一応は区別しながら、あくまで法内在的に統一しようとした。尾高は現象学を武器に、法を共同主観的な事実に「底礎」されたものと考えたが、同じことを清宮は、根本規範は「作り上げられる」ものではなく「成り立つ」ものであると表現した。法の基礎にあるのは裸の事実ではなく、価値を帯びた事実であり、したがって、法とは力を背景にした命令ではなく、あくまで守るべきものと承認された規範ということになるだろう。
こう見てくると、法に対して大きく異なる立場の清宮と宮沢が、ともに戦後の憲法解釈の通説的地位を占めたことは不思議と言えば不思議だ。二人は互いの理論研究に敬意を払っていたし、民主、平和、人権という憲法理念について価値観を共有してもいた。だが基礎理論の違いが解釈学に大きな違いを生まないのならば、基礎理論にどれだけ意味があるのかと問いたくもなる。宮沢が言うように、解釈学とは予め意図された結論を導く技術に過ぎないのだろうか?それは兎に角、清宮にせよ、宮沢、佐々木、尾高にせよ、世界的水準で議論を展開した戦前の日本の公法学のレベルの高さには驚く。ここにケルゼンやシュミットに学びながらも、憲法制定権力に規範的契機を見出した黒田覚というもう一人の俊才(本書で何度も言及されている)を加えてもいい。清宮の弟子、樋口陽一の解説も捨て難いが、できることなら、本シリーズで佐々木、尾高の卓越した解説を書き、また清宮の孫弟子として、その越境的思考に新たな光を当てた石川健治の解説を読みたかった。
Posted by ブクログ
自民党てなんで憲法改正てなんでするの?
憲法て難しい。
そんな疑問があるかと思いますが、その疑問を解決するのがこの本だと思います。
内容は憲法についてと自民党の憲法改正の裏側をなどを語っています。
正直言うとかなり恐怖です…
特に自民党の世襲議員の憲法に対しての知識のなさや大物議員の高市や片山さつきのとんでも発言…
読めば読むほど恐怖と唖然する。
小林節さんが呆れる理由がわかります。
(妖怪の孫でも小林節さん出てます)
また、自民党改正案と日本国憲法を比較しながら、わかりやすく語っております。
さらによく話題になる緊急事態条項もなぜ危険なのかもよくかかれています。
憲法改正の議論はどうしても法や憲法知識が必要です。
ある程度知識はこの本だと身につくと思います。
憲法について考える上で、ぜひ、読んでみてください。
また、映画妖怪の孫もみてみてください。
憲法と国家のあるかたを考えると思います。