あらすじ
偉大なる憲法学者・清宮四郎(1898-1989年)、初の文庫版にして、重要論文を収録したアンソロジー。
宮沢俊義(1899-1976年)とともに戦後日本の憲法学を主導し、その屋台骨を作った清宮四郎は、東京帝国大学を卒業したあとヨーロッパに留学し、オーストリアの公法学者ハンス・ケルゼン(1881-1973年)の講義に接しました。これを機に、広い領域に及ぶ関心と深い学識に裏打ちされた独自の理論を紡ぎ始めた清宮は、京城帝国大学、東北帝国大学などで教鞭を執ったほか、1958年には我妻榮、宮沢俊義、大内兵衛らと憲法問題研究会を組織し、憲法に関する啓蒙活動に注力したことでも知られています。
しかし、宮沢とは異なり、一般向けの著作を多く残さなかった清宮の名は、専門家を除けば、ケルゼンの『一般国家学』(1925年)の訳者として知られているのが実情でしょう。日本の憲法学の厚みと深みに接する機会がない現状は、理想とは程遠いと言わざるをえません。
本書は、そうした状況を打破するべく、東北大学で清宮の薫陶を受けた樋口陽一氏が、清宮が残した二冊の論文集『国家作用の理論』(1968年)と『憲法の理論』(1969年)から重要な論文を精選し、刊行するものです。憲法とは何か、国家とは何か――その重要な問いに答えるために、過去の思想家に遡り、最先端の知見と照らし合わせつつ根源に迫っていく筆致は、他の誰にも真似できない凄みを感じさせます。美濃部達吉(1873-1948年)とケルゼンという二人の師、そして宮沢という友の思い出を語った貴重な記録「私の憲法学の二師・一友」を併載し、樋口氏による懇切な「解説」を収録しました。
文字どおり「決定版」となるアンソロジーを、佐々木惣一『立憲非立憲』、尾高朝雄『国民主権と天皇制』、恒藤恭『憲法問題』に続く、学術文庫・憲法シリーズの1冊として、満を持してお届けいたします。
[本書の内容]
I 日本国憲法の思想と原理
権力分立制序説
日本国憲法とロックの政治思想
憲法の法的特質
憲法の前文
国民主権と天皇制
天皇の行為の性質
数と理
多数決の前提条件
わが憲法上の解散
憲法の変遷について
II 憲法理論の基礎
法の定立、適用、執行
違法の後法
憲法改正作用
ブルクハルトの組織法・行態法論
III 憲法学の二師・一友
私の憲法学の二師・一友
解 説(樋口陽一)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
清宮四郎と宮沢俊儀は戦後日本の憲法学のスタンダードを築いた両雄だが、二人は戦前の憲法学をリードした美濃部達吉の高弟であり、日本の公法理論に陰に陽に大きな影響を与えた純粋法学者ケルゼンからも多くを学んだ。清宮は美濃部、ケルゼン、宮沢を「憲法学の二師・一友」と呼んだが、本書は彼らの共通点より、むしろ微妙な、ある意味では決定的なズレを意識して読むことで愉しみが倍加する。宮沢はケルゼンから学んだイデオロギー批判の手法を用い、科学としての法律学(=純粋法学)の立場から師美濃部の学説を形而上学と断じ、その克服を企図した。清宮はケルゼンから法の究極にあるものとして「根本規範」を受け継ぎながら、それを換骨奪胎し、ケルゼンの価値相対主義を乗り越えようとした。
ケルゼンの純粋法学は法実証主義の立場に立ちつつ、実定法体系を根底で支える「根本規範」は単なる論理的仮説でしかないと喝破し、法の無根拠性をあぶり出した。その帰結として、無から有を創造するのは政治的意思という法外在的な事実である他ないが、ここで規範主義者ケルゼンは決断主義者シュミットと限りなく接近する(と同時に無限の距離を保持してもいたのだが)。宮沢はその接点から八月革命説(=日本国憲法はポツダム宣言受諾という一種の革命的決断によって成立)を繰り出すことになる。
対する清宮は法解釈とは法の客観的な認識であるとする法実証主義(その典型は美濃部と並び称された京都の佐々木惣一)に一貫して批判的であり、あるべき法の解釈(=発見)こそ法学者の使命と考えた。そのためには「根本規範」は単なる仮説ではなく、現実に基礎を持たねばならない(したがってケルゼンのイデオロギー批判を高く評価する長尾龍一は清宮の根本規範論に手厳しい)。清宮が主権論争で宮沢と対峙した尾高朝雄と交錯するのはこの地点である。佐々木が法と政治を峻別し、宮沢が法は「政治の子」であるとして法を政治に還元するのに対し、清宮は尾高とともにこの二つを一応は区別しながら、あくまで法内在的に統一しようとした。尾高は現象学を武器に、法を共同主観的な事実に「底礎」されたものと考えたが、同じことを清宮は、根本規範は「作り上げられる」ものではなく「成り立つ」ものであると表現した。法の基礎にあるのは裸の事実ではなく、価値を帯びた事実であり、したがって、法とは力を背景にした命令ではなく、あくまで守るべきものと承認された規範ということになるだろう。
こう見てくると、法に対して大きく異なる立場の清宮と宮沢が、ともに戦後の憲法解釈の通説的地位を占めたことは不思議と言えば不思議だ。二人は互いの理論研究に敬意を払っていたし、民主、平和、人権という憲法理念について価値観を共有してもいた。だが基礎理論の違いが解釈学に大きな違いを生まないのならば、基礎理論にどれだけ意味があるのかと問いたくもなる。宮沢が言うように、解釈学とは予め意図された結論を導く技術に過ぎないのだろうか?それは兎に角、清宮にせよ、宮沢、佐々木、尾高にせよ、世界的水準で議論を展開した戦前の日本の公法学のレベルの高さには驚く。ここにケルゼンやシュミットに学びながらも、憲法制定権力に規範的契機を見出した黒田覚というもう一人の俊才(本書で何度も言及されている)を加えてもいい。清宮の弟子、樋口陽一の解説も捨て難いが、できることなら、本シリーズで佐々木、尾高の卓越した解説を書き、また清宮の孫弟子として、その越境的思考に新たな光を当てた石川健治の解説を読みたかった。
Posted by ブクログ
尾高朝雄の『国民主権と天皇制』が学術文庫入りしたときは驚いたものの、天皇制に関連する本だからなあとまだ納得感があったが、今回は何と清宮四郎の著作の文庫化、吃驚!
法律系履修者以外の人にとっては、"誰、その人?"という感じだろうが、有斐閣法律学全集の「憲法I ー統治の機構ー」は、昭和50年代の憲法の基本書と言われていた。(もっとも学生にとっては、宮沢俊義の「憲法II ー基本的人権ーの方が興味があり、本書の記述をあまり面白いとは思わなかった人が多かったと思う。)
そのような著者の論考を、東北大学で薫陶を受けた樋口陽一氏が編集した論集が、本書である。
大きく二部構成で、第一部は、日本国憲法の思想と原理と題して、10編ほどが収められる。現行憲法の拠って立つ権力分立制、多数決がなぜ正当性を有するのか、解散権の根拠など、戦後憲法に即した考察がまとめられている。
第二部は、憲法理論の基礎と題して、主として若い時代の原理論的な論考が収められている。師であるケルゼンの純粋法学、根本規範の考え方等を参照枠としつつなされる分析は、抽象度が高く、安易な理解を寄せ付けないが、大変読み応えがある。
法学を学んだことのない人にはハードルが高いと思われるが、第一部の中から興味あるものを読み始めるのも一策であろう。