講談社学術文庫の検索結果
検索のヒント
検索のヒント
■キーワードの変更・再検索
記号を含むキーワードや略称は適切に検索できない場合があります。 略称は正式名称の一部など、異なるキーワードで再検索してみてください。
■ひらがな検索がおすすめ!
ひらがなで入力するとより検索結果に表示されやすくなります。
おすすめ例
まどうし
つまずきやすい例
魔導士
「魔導師」や「魔道士」など、異なる漢字で検索すると結果に表示されない場合があります。
■並び順の変更
人気順や新着順で並び替えると、お探しの作品がより前に表示される場合があります。
■絞り込み検索もおすすめ!
発売状況の「新刊(1ヶ月以内)」にチェックを入れて検索してみてください。
-
エウセビオス「教会史」
キリスト教史の最も重要な1章 イエスの受肉からコンスタンティヌスによる「公認」までを描き、その後の西欧精神史に決定的影響を与えた最初のキリスト教会史! イエスの出現から「殉教の時代」を経てコンスタンティヌス帝のミラノ勅令による「公認」まで、キリスト教最初期300年の歴史。以後記される教会史の雛形となって著者エウセビオスを「教会史の父」と呼ばしめ、アウグスティヌスの著作とともに現代に至るキリスト教世界の価値観の原点ともなった『教会史』全10巻を全訳、詳細な註と解説を付す。 エウセビオスの『教会史』は、イエスの出現からはじまってキリスト教が帝国の「公認宗教」と認知されるまでの、教会形成と発展の過程における歴史を語ったものである。その歴史とは、キリストについて「証しする」ことがキリストのために「殉教する」ことと同義語であった時代の歴史であり、キリスト教側の弁証家や護教家が、ユダヤ教や諸宗教にたいして、自己が奉ずる宗教の「存在理由」を明確かつ強力に主張するために、それを「定義した」時代の歴史でもある。――<「訳者はしがき」より> ※本書の原本は1986~1988年、山本書店から刊行されました。 -
エウセビオス「教会史」 上下巻合本版
キリスト教史の最も重要な1章 イエスの受肉からコンスタンティヌスによる「公認」までを描き、その後の西欧精神史に決定的影響を与えた最初のキリスト教会史! イエスの出現から「殉教の時代」を経てコンスタンティヌス帝のミラノ勅令による「公認」まで、キリスト教最初期300年の歴史。以後記される教会史の雛形となって著者エウセビオスを「教会史の父」と呼ばしめ、アウグスティヌスの著作とともに現代に至るキリスト教世界の価値観の原点ともなった『教会史』全10巻を全訳、詳細な註と解説を付す。 エウセビオスの『教会史』は、イエスの出現からはじまってキリスト教が帝国の「公認宗教」と認知されるまでの、教会形成と発展の過程における歴史を語ったものである。その歴史とは、キリストについて「証しする」ことがキリストのために「殉教する」ことと同義語であった時代の歴史であり、キリスト教側の弁証家や護教家が、ユダヤ教や諸宗教にたいして、自己が奉ずる宗教の「存在理由」を明確かつ強力に主張するために、それを「定義した」時代の歴史でもある。――<「訳者はしがき」より> ※本書の原本は1986~1988年、山本書店から刊行されました。 ※文庫版上下巻を合本したものです -
ええじゃないか 民衆運動の系譜
江戸や大坂など大都市の市中で、あるいは木曽街道の宿場町や四国の農村で、「エエジャイカ、エエジャナイカ」と歌い踊る人々。このお祭り騒ぎは、幕末の日本を観察したイギリスの外交官、アーネスト・サトウの回顧録に記され、島崎藤村の『夜明け前』にも描写される。 徳川時代の末期、慶応3年(1867)夏頃から翌年にかけて、日本の多くの地域で引き起こされたこの熱狂は、いったい何だったのか。日本史上でもあまり類例のない、この不思議な現象の全貌を、各地の史料を掘り起こして明らかにした労作。 さらに、中世の神社史、特に伊勢神宮史に業績のある著者は、この「ええじゃないか」という事象を、古代の常世神や志多羅神信仰から、「永長の大田楽」、近世の伊勢踊りへと至る民衆運動の系譜の中に位置づけ、また、近世の伊勢信仰と「おかげ参り」の大流行、そして幕末の「世直し」との関連のなかで考察する。〔原本:『ええじゃないか――民衆運動の系譜』新人物往来社、1973年刊〕 -
易学 成立と展開
〈なぜ「占い」が儒教の核心的原理なのか?〉 〈大いなる矛盾に満ちた「中国的二元論」の思想史〉 哲学的であって通俗的、神秘的であって合理的― 陰と陽による二元論で世界を把握しようとする思考様式が、先秦から清朝に至るまでの哲学、世界観、歴史観を貫いていることを示す、碩学による無二の思想史。 易を知ることは、「中国的思考」の本質を理解することである! 【本書より】 ―最も中国独自のもの、それは易― 易には逆説めいたものがある。法則の中の破格を容認する。論理より象徴、数をよしとする。これは中国の学問芸術について見られる。易は人の運命を天道と一つに見る。中国の歴史の見方とつながるところがある。(第四章より) 【解題・三浦國雄】 「本書は『易経』というテクストに焦点を絞り、それがどのようにして成立し、漢代から清朝に至るまで、どのような解釈が施されたか(つまりどのように読まれたか)を解明しようとしたものである。その際、『易経』や注解および注解者の内部に降り立って分析する一方(「心理」や「意識」「無意識」の語がよく使われる)、そのような読解が生み出された根拠を注解者の内面とともに外面│すなわち彼らが生きていた時代相にも求めるところに本書の独自性がある。その結果として、本書のボリュームの大半を占める第一章(易経の成立)と第二章(易学の展開)がおのずから先秦から清代に至る思想史になっているのであるが、これは余人には真似のできない著者の独壇場と云ってよい」 【本書の内容】 第一章 易経の成立 第一節 通説とその批判 第二節 易の発生基盤 第三節 経 第四節 左伝に見える易 第五節 彖と象 第六節 陰陽 第七節 繋辞 第八節 十翼の完成 第二章 易学の展開 第一節 前漢の易 第二節 後漢の易学 第三節 王弼、それ以後 第四節 宋・明の易説 第五節 清朝の易学 第三章 筮法 第四章 易と中国人のものの考え方 解題 三浦國雄 ※1960年にサーラ叢書(平楽寺書店)より刊行された同名書の文庫化です。 -
エコエティカ
今日、生命倫理や医の倫理、環境倫理や技術倫理など、すべての分野で倫理が問い直されている。エコエティカとは、これら一切を含む「人類の生息圏の規模で考える倫理」のことで、高度技術社会の中で人間の生き方を考え直そうとする新しい哲学である。人間のエコロジカルな変化に対応する徳目とは何か。よく生きるとはどういうことか。今こそエコエティカの確立が急務であると説く、注目の書下し。 -
『エセー』読解入門 モンテーニュと西洋の精神史
ミシェル・ド・モンテーニュ(1533-92年)の名は『エセー』とともに知られています。全訳だけでも5種類を数えるほど日本ではなじみのある著作ですが、岩波文庫で全6冊という分量、そして著者身が全2巻の初版(1580年)公刊後も改訂を続け、1588年には第3巻を増補するとともに最初の2巻に加筆を行った版を出し、さらに没年まで改訂を進めたため、さまざまな時期に書かれた文章が混在した書物になっていることから、決して分かりやすいとは言えないこともまた事実です。 そうした事情ゆえ、これまで『エセー』の入門書や概説書が陸続と出版されてきました。しかし、本書はそのどれとも異なる、決定版と断言できる1冊になっています。 断言できる理由は明確です。『エセー』第3巻第2章で、モンテーニュは「ここでは、私たち、つまり私の本と私自身が一致してひとつの道を進んでゆく。よそでは作者のことをわきに置いて作品をほめたりけなしたりできるが、ここではだめである」と記しています。つまり、「私の本」である『エセー』と「私」であるモンテーニュは不可分であるというわけですが、ここに示されているのは、作者の意図を知らなければその著作を理解できない、といった単純なことではありません。直後には「そのことをわきまえずに私の作品を判断する者は、私をというよりも、むしろ自分自身を傷つけることになるだろう」という言葉が続いているのですから。 なぜ『エセー』をモンテーニュから切り離して読む者は「自分自身を傷つける」ことになるのか――本書は、この問いに答えるために、『エセー』をモンテーニュから切り離すことなく、ていねいに読んでいきます。『エセー』を一度も読んだことがなくても、モンテーニュについて何も知らなくても、名前を聞いたことがあるだけでも読めるように書かれています。むしろ、そのような人のためにこそ、本書は書かれました。 本書によって大著の全容を知ることができるのはもちろん、本書を通して『エセー』を読むことは人間が紡いできた精神の歴史そのものを読むことにほかならないと気づくでしょう。そのような著作は他にありません。そして、そのことをありありと伝え、実践する『エセー』についての書物も、これまでありませんでした。渾身の書き下ろしによる1冊、ここに自信をもってお届けいたします。 [本書の内容] 第I部 若すぎた世紀 第1章 宗教戦争 第2章 十六世紀ルネサンス 第3章 モンテーニュのほうへ 第II部 「自分」・「私」・〈魂〉 第4章 執筆開始 第5章 マニフェスト 第6章 だれが?――〈魂〉が 第III部 〈魂〉の軌跡 第7章 もうひとつの背景 第8章 ソクラテスへの視線 終 章 百姓のかたわらで -
江戸・東京水道史
徳川氏入国以降中心都市となった江戸では、拡大する市街に上水を供するため、すでに独創的な工夫を絶えず続けていた。東京と改まってのち、明治20年の横浜に始まる近代水道は同31年に東京でも通水を開始する。以来日本の首都として急速に発展した東京は、震災、戦災、水害、渇水、地盤沈下、断水と度重なる危機をどう乗り越え、発展してきたのか。家康が家臣に命じ小石川の上水を引いてから淀橋浄水場が「跡地」となるまで、供給側と市民生活の変貌を描く。戦前より長年、東京都水道局で実務に携わった著者渾身の「水道の文化史」。(原本:『水道の文化史』鹿島出版会、1981年刊) -
江戸東京地名辞典 芸能・落語編
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 古典落語を中心に講談、浄瑠璃、歌謡などに現れる江戸の地名を採録。秋葉の原、池の端、永代橋、お歯黒溝、神楽坂、角海老、兼康、思案橋、痔の神様、とげ抜き地蔵。落語・講談・浄瑠璃・狂歌など大衆芸能にはその時代々々の地名が人々の日常を伴って生き生きと登場する。江戸・明治期のこれらの地名はその後どこへ消え、どう変わったのか。町名、橋・坂名、寺社、大名家、妓楼など1500余を収録し、解説する。(講談社学術文庫) -
江戸の大普請 徳川都市計画の詩学
1603年の開幕の頃、江戸は、東の卑小な要塞でした。徳川家は、雅都・京師に負けない町をつくろうと考えた。東の比叡山「東叡山」こと寛永寺、東の琵琶湖「不忍池」、清水寺を真似た「清水堂」、三十三間堂、大仏などを次々とつくり、江戸の威厳を創出しようとしたのです。そのほか様々な施設が、次々と江戸に配置されていきます。本書は、江戸の風景を再現し、そこにこめられた意味を読み解。江戸散策ガイドにもなります。 -
江戸の科学者
関孝和、貝原益軒、渋川春海、杉田玄白、平賀源内……。伝記を通して、江戸に花開いた科学や技術の発展の軌跡を紹介する。科学者小伝付き!(解説:池内了氏) 『解体新書』、『蘭学事始』で知られる杉田玄白が生まれたときは大変な難産でした。看護の人たちは母親に気をとられ、生まれたばかりの赤ん坊のことは忘れてしまいました。死産だろうと思われ、とり合わせの布に包んで横に置いたままにされたのです。しかし、ようやく落ち着き、赤ん坊を見ると元気で生きていました。その後の玄白は元気に育ちます。17,8歳のころ、医官である父に医業を学びたいと申し出ると、幕府の医師である西玄哲に入門することになりました。西玄哲は通訳の家の出身で、ポルトガルやオランダの医術を覚え医師となった人物でした。玄白はこの頃から西洋医術の優秀さに触れることとなったのです。――西洋医術の導入、日本人のための暦、エレキテル、鉄砲の大量生産……など。著名な杉田玄白や渋川春海から砲術家の坂本天山まで、江戸時代を代表する科学者たちの幼少時や師事した先生とのエピソード残した業績をコンパクトに紹介する伝記集です。科学者たちの生涯を通し、江戸時代の科学や技術の発展の過程を生き生きと描き出します。29人の科学者小伝付き。解説は池内了氏。 (原本:吉田光邦『江戸の科学者たち』、社会思想社(現代教養文庫)、1969年) 本書の内容 関流をめぐる人びと ――関孝和たちと会田安明―― 本草から大和本草へ ――貝原益軒―― 本草から博物学へ ――稲生若水・小野蘭山―― 日本暦の誕生 ――渋川春海―― 町人天文学者たち ――麻田剛立の一門―― 測地事業の推進者 ――伊能忠敬―― 幸福な蘭学の始祖 ――杉田玄白―― 異端の科学者 ――平賀源内―― 電気学の正統 ――橋本宗吉―― 最初の自然哲学者 ――三浦梅園―― 自然哲学の展開者 ――帆足万里―― 通訳から科学者へ ――本木良永・志筑忠雄・馬場貞由―― 桂川家の人びと ――名門の学者たち―― 宇田川家の人びと ――家学を守った人たち―― 悲劇の科学者たち ――シーボルトとその門下―― 職人と発明家 ――国友藤兵衛―― 哲学的な砲術家 ――坂本天山―― 農業技術の変革者 ――宮崎安貞・大蔵永常―― 科学者小伝 参考文献とあとがき 解説(池内了氏) 索引 -
江戸幕末滞在記 若き海軍士官の見た日本
王政復古直前に来日したデンマーク人が、フランス公使ロッシュの近辺で見聞した貴重な体験を綴る。将軍慶喜との謁見の模様やその舞台裏、横浜の大火、テロに対する緊迫した町の様子、また、日本人のきれい好きから悪習や弱点までも指摘。旺盛な好奇心、清新な感性、鋭い観察眼と洞察力。若き海軍士官が幕末日本の姿を鋭く鮮やかに描く。(講談社学術文庫) -
御家騒動
「主従」とは闘争である。 時代小説や歴史ドラマなどでおなじみの、「家中のトラブルが幕府に露見して改易される」といった筋書きだか、実際にはそうした事例はほぼなかった。 有力大名家に勃発した鍋島騒動、黒田騒動、対馬の柳川一件、伊達騒動……いずれも改易とはなっていない。 子細にその経過をみてみると、幕府が騒動に積極的に介入したというよりは、むしろ大名・家中の側から幕府に積極的に訴訟し、自ら幕府の介入を招いているような節がある。 では、大名や家臣たちはどうしてこのような危ない橋を渡ろうとしたのだろうか? 本書は、御家騒動を引き起こす当事者たちの行動の原理がいかなるものであったのかを探り、「忠臣が身命をなげうって悪臣を排除し、騒動の禍根を未然に絶って御家の危機を救う」勧善懲悪ストーリーとは一味違うリアリティを、幕藩制という時代相のなかから具体的に解き明かす試みである。 "大名家のスキャンダル"を歴史学の眼で徹底検証する、スリリングな歴史研究! 【本書より】 元禄以降の十八世紀には、主従不和や家中騒動が「公儀」に対する罪過である、という固定観念ができあがっているが、それ以前に生じた騒動に対してはそうした「色めがね」(固定観念)をはずして見直してみるべきではないか。家中騒動が「公儀」に対する罪過ではなかったからこそ、大名や従臣たちは将軍・幕府に騒動の調停を強く求めることができたのではないか、という逆の視点から騒動をみていくことが必要なのである。 そのためには、当時に作成された一次的な史料に基づいて騒動全体を見直すという作業が必要となるのはいうまでもない。 【本書の内容】 第一章 近世武士の主従観念と「御家」 第二章 主君を廃立する従臣たち 第三章 従臣を排除する主君たち 第四章 主君を選り好みする従臣たち 第五章 御家騒動の伝統化 補章 「御家騒動」のなかの女性たち *本書の原本は、2005年に中公新書より刊行されました。 -
オイディプース王
ギリシア悲劇の最高傑作と評される本作は、詩人ソポクレース(前496頃-前406年頃)によって、前441年から前432年のあいだに書かれたと推定される。 フロイトの「エディプス・コンプレクス」をはじめ、後世に多大な影響を及ぼし、今日まで読み継がれてきた本作のあらすじは、よく知られている。 ――劇の冒頭、オイディプースはテーバイの王として登場する。かつてスピンクスによるテーバイの危機を救った王は、新たに疫病が国を襲った今、神のごとき救い主として市民たちの嘆願を受け、自信にあふれた姿でこれに対処しようとしている。それは劇の最後で、父を殺し、母と交わって恥ずべき子供をつくったことが判明し、わが手で目をつぶし、みずから呪われた身となる男とはあまりにも対照的な姿である。そして、冒頭の姿がオイディプースの「非・真実」、最後の姿が「真実」であり、詩人は「非・真実」と「真実の対照」を示しているように見える。しかし、冒頭の姿はスピンクスを退治した功績によるものである以上、「非・真実」とは言いきれない。ここにあるのは真実を恐れると同時に真実を求めるオイディプース自身に重なる。訳者は言う。 「この劇においてわれわれの心をはげしく揺さぶるのは、真実を恐れて逃げようともがき、かえって真実に引きつけられて破滅するオイディプースの姿である。父を殺し母と交わる定めを告げられたとき、誰がこれを恐れずにいられようか。〔…〕だが真実にたいする恐怖が真実を見失わせるのはオイディプースだけではない。〔…〕われわれの中には暗い未知のものがある。われわれは、自分が何者なのか本当に知っているのか。日常の生活において見せかけ(非・真実)の中で暮らしているのではないか。〔…〕 『オイディプース王』がわれわれの心を揺さぶってやまないとすれば、それはわれわれ自身の中にオイディプースが宿るからにほかならない。」(「訳者解説」より) このあまりも有名な作品には数々の日本語訳があり、文庫版も複数存在している。しかし、1990年に『ギリシア悲劇全集』のために訳し下ろされた名訳が、顧みられないままになっていた。キケロー『国家について 法律について』に続き、碩学が残した貴重な仕事を学術文庫に収録し、後世に継承するべく、ここに刊行する。 [本書の内容] [プロロゴス] [パロドス] [第一エペイソディオン] [第一スタシモン] [第二エペイソディオン] [第一コンモス] [第二スタシモン] [第三エペイソディオン] [第三スタシモン] [第四エペイソディオン] [第四スタシモン] [エクソドス] [第二コンモス] ヒュポテシス(古伝梗概) 訳者解説 -
往生要集入門 悲しき者の救い
辛い現世を終えて、来世こそは阿弥陀仏のすまう極楽浄土に生まれたい――貴賤を問わず日本で幅広く、長きにわたって信仰されてきた浄土思想。すべては平安時代、一人の僧によって著されたこの書物から始まった。源信なくしては、法然も親鸞もない。 『往生要集』の訳・校注で知られる著者が、歴史的背景に始まりゆるやかに『往生要集』の構成に沿いつつ、親しみやすい現代語訳を随所に示しながら、源信の教えの真髄を平易に解き明かす。 「予が如き頑魯(がんろ)の者(わたしのような愚かなもの)」と自らを顧みた源信(942-1017年)。智慧や才にめぐまれた一握りの人ではなく、自身を含む多くの罪深い「悲しき者」が救われる道を模索した『往生要集』が、日本の思想・信仰に与えた影響ははかりしれない。 往生を目指すべき理由として描かれる等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、阿鼻地獄など数々の地獄も、経典と源信自身の言葉を交えながら、恐ろしい責め苦が生々しく描き出され、それに対応する極楽の姿、そして現代人の想像をはるかに超える仏の姿もあざやかに示される。地獄、極楽、さらに仏の姿は、信仰のみならず、のちの思想、文学、芸術にも大きな影響を及ぼした。『源氏物語』や『栄華物語』、『梁塵秘抄』など、のちの文学作品にみられる『往生要集』の影響も示唆される。 『往生要集』は「集」というその名が示す通り、『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』の浄土三部経をはじめ数多の経典や経典の注釈書の引用によって、往生の要諦を説いたものである。膨大多岐にわたる出典についての解説は、仏教学の泰斗たる著者ならではのものであり、源信が数々の経典のなかから何を重要としていたのかが、次第に浮かび上がってくる。 仏の姿を念じる「観相の念仏」を自らの思想の核とした源信が、「南無阿弥陀仏」と仏の名を口で称えるいわゆる「念仏」、「称名の念仏」に託したものとは何だったのか――。浄土思想の原点に触れる一冊。(原本:『悲しき者の救い――源信『往生要集』』筑摩書房(仏教選書)、1987年) 【本書の内容】 はしがき 第一章 『往生要集』の成立 第二章 迷いの世界 第三章 浄土へのねがい 第四章 正しい念仏 第五章 悲しき者の救い 源信略年譜 あとがき 付 参考文献について 選書版あとがき 解 説(岩田文昭) -
王陽明「伝習録」を読む
中国・明代の儒学者、王陽明。その当時、新儒教として学術思想界の主座にあった朱子学の論理構造を批判的に継承した彼の実践的儒学は、陽明学として結実する。近世以降の中国のみならず、わが国でも大塩中斎や吉田松陰、西郷隆盛ら、変革者たちの理論的背景となった思想とは何か。陽明学の最重要書籍を原テキストにしたがって読み解き、その精髄に迫る。※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。 -
大久保利通
難局への対応から家庭での素顔まで 維新の指導者像を語る貴重な証言集 維新の立て役者、大久保利通の実像を伝える証言集。明治43年10月から新聞に96回掲載、好評を博す。討幕、新政府樹立、近代化への政策施行、西南戦争……。政治家としての姿から西郷への思いや家庭での素顔まで、興味深い秘話、逸話、情味溢れる憶い出が語られてゆく。強い責任感、冷静沈着で果断な態度、巧みな交渉術など多様で豊かな人間像がゆかりの人々の肉声から蘇る。 本書は、大久保利通に身近に接した人々によって語られた、いわば肉声で綴られた大久保メモリーである。『報知新聞』の記者松原致遠が、それぞれの人物にインタビューして記事にまとめたもので、時には会話体で、時にはモノローグのかたちで、大久保利通についての想い出が語られる。……『報知新聞』には明治43年10月1日から(翌年4月17日まで)、全部で96回にわたって掲載されたものである。――<本書「解説」より> -
お金の改革論
インフレは投資家に対し不公正で、デフレは借り手に不公正。 ケインズの代表作を、わかりやすい訳で読む! 第一次世界大戦後、世界中で起きた急激な物価水準変動に対し、ケインズは何を考えたか。 物価安定か、為替の安定か。金本位制をどうとらえるか。 「邪悪な現実」と格闘するケインズの思考が、ここにはのこされている。 [本書の価値とぼくたちにとっての意義―訳者から] まず本書で重要なのは、インフレとデフレの相対的な被害についての明示だろう。1990年代からの20年以上にわたり、日本経済はデフレに苦しんできた。2013年に日本銀行が黒田東彦総裁の指揮下で2パーセントのインフレ目標政策をはっきり採用し、そのために大規模緩和(黒田総裁は「量的・質的金融緩和(QQE)」と呼んでいるが、あまり名称としては普及していない)を行ったことで、執筆時点ではようやくデフレの時代が終わりつつあるようだ。だが、デフレが有害だという認識が浸透するにはあまりに時間がかかりすぎた。デフレは物価が安くなるんだからいいものなんだ、という「よいデフレ」論を、高名な経済学者を含む多くの「有識者」なる人々が言いつのっていた。本書に書かれた認識―デフレは生産者に負担を与え、生産活動を控えさせ、人々を失業に追いやり、喜ぶのは既得権益を持った金持ちばかり―がもっと浸透していれば。 ここは重要なポイントだ。インフレやデフレは、実体経済に影響を与える。そして本書は、その仕組みについても簡潔に指摘している。お金の市場の状況が実体経済に影響を与え、持続的な失業を引き起こすこともある―これはケインズ『一般理論』の肝だ。本書は『一般理論』ほどきちんと定式化してはいないものの、それにつながる明確な認識がすでにある。 (中略) むろん、本書は管理通貨制度の夜明けに書かれたものだし、現在の中央銀行や金融当局ははるかに高度な理論もあり、考えるべき内容もきわめて多い。だがこの基本的な知見は、未だにかわらないものであるはずだ。 もちろん、もっと歴史的な文書として本書を読むこともできる。金本位制や、いわば「強い通貨」を主張する人々の変な議論は、現在でもいろんなところで見かけるものだ。それを見て、人間の進歩のなさを嘆く/おもしろがることもできる。さらに本書は、ケインズの一、二を争う名言が出てくる本でもある。「長期的には、われわれみんな死んでいる」というもの。経済学者は目先の問題―たとえば失業に対して、長期的にはそれが解決される、と言いたがる。できることは何もないとか、「自然に」任せるべきだとも言う。でも手をこまねいてそんなものを待つだけでは、経済学者も金融当局も存在価値がない。いまできることを考え、実行しよう! -
お地蔵さん 救いの説話・歴史・民俗
だから〈お地蔵さん〉は愛される! 地獄の救済者にして子どもの守護者、そのうえ私たちのどんな祈願でも受け入れてくれる万能利益者〈お地蔵さん〉。それはなぜ、どのようにして、「無宗教」を自認する日本人の最も身近かつ典型的な信仰対象となったのでしょうか。地蔵信仰のありさまを生き生きと伝える説話や絵図などの民間伝承資料から、その誕生と成長の歴史を辿ります。 [目次] はじめに 日本人と〈お地蔵さん〉 1 日本人は無宗教か 2 日本人と〈お地蔵さん〉 第一章 地蔵菩薩 1 特異な菩薩=地蔵 2 地蔵の教義的特徴 第二章 地蔵菩薩から〈お地蔵さん〉へ 1 地蔵信仰の起源 2 地蔵信仰の伝来 第三章 地獄の地蔵――地獄の救済者〈お地蔵さん〉 1 古代の地蔵説話のなかの「地獄の地蔵」 2 中世の地蔵説話のなかの「地獄の地蔵」 3 近世の地蔵説話のなかの「地獄の地蔵」 第四章 娑婆の地蔵――生きている〈お地蔵さん〉 1 生身の地蔵 2 姿を変える地蔵 3 身代わり地蔵 第五章 子どもと地蔵(一)――遊びと〈お地蔵さん〉 1 子どもと遊ぶ子ども好きの地蔵 2 「子捕ろ」遊びの起源伝説 3 罪人を乞う地蔵 4 子どもを守る地蔵 5 作善としての子どもの遊び 第六章 子どもと地蔵(二)――賽の河原の〈お地蔵さん〉 1 賽の河原の信仰 2 『富士の人穴草子』に見える賽の河原 3 賽の河原地蔵和讃 4 絵に描かれた賽の河原 5 楽園的イメージの賽の河原 6 賽の河原と墓地 7 賽の河原の唱導 第七章 さまざまな地蔵――万能利益者〈お地蔵さん〉 1 さまざまな霊名をもつ〈お地蔵さん〉 2 霊名と現世利 3 個人的現世利益が中心の地蔵信仰 地蔵信仰関係参考文献抄 あとがき 学術文庫版へのあとがき 〔*本書の原本『お地蔵さんの世界――救いの説話・歴史・民俗』は、2011年に慶友社から刊行されました。〕 -
オスマンvs.ヨーロッパ 〈トルコの脅威〉とは何だったのか
オスマン帝国を通して読むと、世界史が違うすがたを見せ始める―― ヨーロッパが「トルコの脅威」と力説するオスマン帝国は、決して「トルコ人の国家」だったわけではない。「イスラムの脅威」に対し十字軍が何度も組織されたが、オスマン帝国にはキリスト教徒もたくさんいた。宗教的寛容性と強力な中央集権体制をもち世界帝国を目指す先進国へのおそれ、その関わりこそが、「ヨーロッパ」をつくり、近代化を促したのだ。数百年にわたる多宗教・多言語・多文化の共生の地が、民族・宗教紛争の舞台になるまで。 【目次】 プロローグ 「トルコ行進曲」の起源 第一章 オスマン帝国の起源 1 ユーラシア草原を西へ――トルコ系遊牧民の西漸 2 トルコ族のイスラム化とアナトリアのトルコ化 3 モンゴルの征西とオスマン朝の誕生 第二章 ヨーロッパが震えた日々――オスマン帝国の発展 1 オスマン朝の興隆――ムラト一世とバャズィト一世の時代 2 世界帝国への道――メフメット二世とコンスタンティノープル征服 3 ヨーロッパにとっての東方 第三章 近代ヨーロッパの形成とオスマン帝国 1 普遍帝国オスマン――「壮麗者」スレイマン一世とウィーン包囲 2 オスマン対ハプスブルク 3 近代ヨーロッパの成立とオスマン帝国 第四章 逆転――ヨーロッパの拡張とオスマン帝国 1 最初の暗雲――スレイマン一世の死 2 変化の兆し――一六世紀後半のヨーロッパ 3 変容する帝国――スレイマン一世移行のオスマン帝国 4 退潮の時代――第二次ウィーン包囲失敗 5 枠組みの転換――オスマン優位の終焉 エピローグ 「トルコ軍楽」の変容 -
おみやげと鉄道 「名物」が語る日本近代史
◇各地に無数に存在する「おみやげ」は、外国にも近代以前にも存在しない、独特の文化だった!◇ 日本各地の駅には、饅頭や羊羹などや弁当などの食品が、その土地の名物として売られている。 私たちにとって当たり前のこの光景は、実は他の国ではほとんど見られない(ロンドンのターミナルで「ビッグベン当」などの類は見あたらない)。 この類い稀なる「おみやげ」という存在は、鉄道を筆頭とする「近代の装置」が、日本の歴史、文化と相互作用して生まれたものだった! 「きびだんご」が岡山名物になったのは、日清戦争と鉄道敷設の歴史的事情が背景にあった。 静岡駅の安倍川餅は餅ではなく「求肥」なのも、赤福が伊勢名物として有名になったのも、なぜか北海道にバナナ饅頭があるのも、鉄道という「近代の装置」抜きにしては語れない。 交通網の発展と各地の歴史が結びついて「名物」を生み出してきたさまを、膨大な史料を徹底的に読み込んで、鮮やかに描き出す、唯一無二の研究の集大成! 鉄道を独特の角度から捉えながら日本近代史の探求を続けてきた著者の代表作。 【本書の内容】 序章 おみやげの起源とおみやげ文化 日本の特異なおみやげ文化/日本独特の「名物駅弁」/「おみやげ」と“スーベニア”/「名物」と「みやげ」 など 第1章 鉄道と近代おみやげの登場 清河八郎の「おみやげ配送」/日清戦争と鉄道輸送/五色豆と政岡豆/「異人くさい」鳩サブレーが名物となるまで など 第2章 近代伊勢参宮と赤福 明治天皇に届けられた赤福/赤福を凌駕していた生姜糖/近鉄電車と構内販売 など 第3章 博覧会と名物 博覧会・共進会・商品陳列所/江の島貝細工の盛衰/鉄道院の名物評価/全国菓子大博覧会/大垣の柿羊羹 など 第4章 帝国日本の拡大と名物の展開 「軍都」に生まれる「軍人土産」/創出の物語―もみじ饅頭と伊藤博文伝説/新領土台湾とおみやげ など 第5章 温泉観光とおみやげ 温泉饅頭の誕生/道後煎餅と温泉煎餅/熱海の干物―由緒づけなき名物/有馬温泉から別府への技術移入 など 第6章 現代社会の変容とおみやげ 変化の中で生き残ったおぎのやの釜飯/ひよ子創業伝説/長く不在だった東京みやげの代表 など 終章 近代の国民経験とおみやげ 注 あとがき 名物索引 *本書の原本は2013年に講談社より刊行されました -
親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る
太くて他の指に対向する親指の形、硬くて平らな臼歯の動きと働き。ヒトの独特の形状の由来を「口と手連合仮説」は説明する。主食が霊長類の手(指)と口(歯)を決定すると。樹上から草原に下りた人類が獲得した主食とその生態的地位とは。また直立二足歩行への必然性とは。霊長類観察の蓄積に加え、足の親指まで包括的に解明した著者渾身の研究成果。(原本:中公新書、2003年) [本書の内容] 第1章 アイアイに会うために 第2章 レムール類の特別な形と主食のバラエティー 第3章 アフリカの原猿類の特別な形と主食 第4章 ニホンザルのほお袋と繊細な指先 第5章 ナックル・ウォーキングの謎 第6章 ゴリラとオランウータンの謎 第7章 初期人類の主食は何か? 第8章 直立二足歩行の起原 終 章 人間の足の親指が太いのはなぜか? -
阿蘭陀通詞
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 〈ことば・情報・交易を一手に担う! 江戸と西洋を繋いだ知られざる異才たち〉 江戸時代にあって、唯一の西洋世界との窓口となった、長崎・出島。 そこで、難解なオランダ語を身につけ、通商・外交の現場で一心に働く者たちがいた。 彼らはどのような出自で、いかに学び、職務を務め、“西洋近代”に対峙したか。 歴代の通詞たちの顔ぶれ、通日の語学学習と実務のディテールを、膨大な資料を博捜した著者ならではの解像度で一望。 蘭学史研究の第一人者が、彼ら「阿蘭陀通詞」の実像を丹念に探り出す! 江戸時代の国際交流を深く知りたいひと必携の書。 ■本書より 大航海の時代、波濤を乗り越えて現われた南蛮人。全く異質のヨーロッパ文化を運んできた。一転、鎖国と呼ばれた時代を迎えても、その流入は、変わることはなかった。日蘭貿易で継続されていたからである。もたらす担い手が替わっただけだったのである。しかし、「ことば」のうえでは大転換がみられたのである。 「ことば」としては、南蛮人の用いる主としてポルトガル語から、紅毛人の使用するオランダ語への転換であった。来日の南蛮人は難解な日本語の習得に努め、布教と貿易に従事した。日本で南蛮文化の開花をみた。一転して、禁教と密貿易厳禁の政策に転換、その維持、存続のために、来日のオランダ商人には日本語の習得を許さず、替わってわが方がオランダ語の用意をしなければならなくなった。これは、当時の日本人にとっては大転換であった。 本書では、右にみえた転換によって必要となったオランダ語の通訳官「阿蘭陀通詞」の実態追究に努めることにしたいと思っている。 ■本書の内容 I 阿蘭陀通詞とオランダ語 一 実務が育てる語学 二 南蛮から紅毛へ、語学条件の大転換 三 阿蘭陀通詞の養成 II 長崎の阿蘭陀通詞 一 通詞採用の任命と辞令 二 職階と役料 三 職務と加役 四 通詞会所と通詞部屋 五 異国船と通詞 III 江戸の阿蘭陀通詞 一 江戸番通詞の参府御用 二 参府休年出府通詞の参府御用・ 三 天文台詰通詞の御用と私用 四 江戸からの出張通詞 IV 多才で多彩な阿蘭陀通詞たち ※本書の原本は、2016年に『江戸時代の通訳官 阿蘭陀通詞の語学と実務』として吉川弘文館より刊行されました。 -
音楽教程
古典的学識に通じ『哲学の慰め』『算術教程』などを著した「最後のローマ人」ボエティウス。その著作群は大きく4つに分けられる。数学的諸学科に関する教育的作品、アリストテレス、キケロ、ポルフュリオスなどの著作の翻訳と注釈、キリスト教神学の哲学的考察、そして最後に『哲学の慰め』。『音楽教程』は第一期に属するもので、ピュタゴラス以降の音楽理論を総覧し詳述しており、後世とくに中世~18世紀までの西洋音楽理論に絶大な影響力を維持していた。「協和・不協和」「音程と旋律」「オクターヴ」「5度」「4度」「全音」「半音」など、音の性質を体系立てたことの意義は大きい。オクターヴの完璧さは何に由来するのか、5度、4度の協和が「完全」である理由は何なのか、また、半音は本当に全音の「半分」なのか、あるいは、旋法の構造はどのようなものなのか。 聴覚に甘美に響くことが音楽の起源ではあるにせよ、そこに判断のすべてを任せる姿勢を批判し、強調されるのは最終的な完全性と認識は理性に存するという一点である。そのうえで探求されるのは、音程あるいは協和音に関する数学的解明であり、モノコルドの弦長を二分割、三分割、四分割……と計算を尽くす方法で「数比」の重要性を明確にし、音程の根拠を示すこと。1500年ほども前に形作られたこの理論の骨子は、音響科学などの知見をもって近代の音楽理論が挑んだ刷新の試みにも完全に克服されたとは言えず、いまだに西洋音楽の基盤をなすものである。 本書は、19世紀のラテン語版刊行物を底本とし、英・仏・独・露語版を参照して翻訳した初めての日本語版である。 -
音楽の理論
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 なぜベートヴェン「田園」は穏やかな感興をもたらすのか。バッハの紡いだ旋律の根幹とはいかなるものか。日本のクラシック音楽評論の泰斗が、楽曲をより深く愉しむための「楽理」を詳らかにし、バロック以前から無調・多調音楽まで三七五もの名曲の譜例を採り、和声・リズム・旋律・対位法・形式・転調の真髄を説く。空前絶後の音楽理論書!-----------------------------------------本書は和声とか対位法とか音楽形式とかの寄せ集めではなく、一つの体系的な音楽理論であって、その中に和声や対位法や音楽形式、そしてさらに旋律とリズム編までも含んでいるのである。は、私が音楽史と音楽美学の研究から得た私自身のものである。──本書より-----------------------------------------【本書の内容】第1部 基礎の理論 第2部 和声の理論第3部 転調の理論第4部 リズムと旋律の理論第5部 対位法の理論第6部 形式の理論 -
オーストリア皇太子の日本日記
本邦初訳!「サラエボの悲劇」の主人公が綴る日本紀行 長崎―熊本―下関―宮島―京都―大阪―奈良―大津―岐阜―名古屋―宮ノ下―東京―日光―横浜 1892年末、オーストリア帝国帝位継承者、皇太子フェルディナントは世界周遊の旅に出た。翌年長崎に到着した彼は東京を目ざすが、その途次、各地で日本文化との出会いを堪能しつつ、のちにウィーン民族学博物館日本部門の礎をなす18000点もの美術品等の蒐集も行う。21年後、サラエボで暗殺される悲運の皇太子若き日の日本紀行。 園内は無数の提灯がまるで妖精のようにきらきらと輝き、真昼のような光に満ちあふれていた。日本人というのは、まことに照明の達人だ。簡素きわまりない装置を巧みに用い、すばらしい効果を生み出す術をじつによく心得ている。(熊本クラブの庭園にて) -
『改造』論文集成 革新の現象学と倫理学
本書は、ドイツの哲学者エトムント・フッサール(1859-1938年)が日本の総合雑誌『改造』のために執筆した連続論文とそれに関連する草稿を集成したものです。 1900/01年の『論理学研究』で注目されたフッサールは、独自の超越論的な哲学を追究し、『イデーンI』(1913年)によって「現象学」を確立しました。3年後にフライブルク大学の正教授に就任し、その地位を確かなものとしたフッサールは、しかし1910年代後半から20年代の大部分をほぼ何も出版せずに過ごしました。 まさにその時期にあたる1922年8月、改造社のベルリン駐在員がフッサールに宛てて書いた手紙が残されています。そこには「あなたに自己紹介なしにお手紙をお送りすることについて、お詫び申し上げます。しかし、私が今こう述べれば、あなたはおそらくそれを理解してくださるでしょう。私は日本の東京の雑誌『改造』(Reconstruction)の代表者としてベルリンに在住しており、私たちの『改造』のために、あなたにご論考を寄せていただくことを心より望んでいる、と」と書かれていました。この依頼に応えて1922年秋から翌23年初頭にかけて執筆されたのが、本書に収められた5篇の論文です。 その地位を確かなものとした哲学者がなぜ日本の雑誌に寄稿することを決めたのか――本当の理由は分かっていません。フッサールはのちに改造社に4篇の論文を送付したと述べていますが、『改造』に掲載された論文は3篇である上、5篇目の論文も残されています。 このように謎に包まれた5篇の連続論文で、フッサールは社会倫理学に属する内容を扱い、「ヨーロッパ文化の革新」を掲げました。これは、のちの『ヨーロッパ諸科学の危機と超越論的現象学』(1936年)を予告するものです。『改造』論文全5篇を、11本の草稿、および内容上の関連が深い公開講演「フィヒテの人間の理想」を合わせて集成した本書は、哲学者が晩年の思索に向かう過程を示す貴重な記録であるとともに、危機の時代における「革新」という今日につながる主題を追求した重要な作品であることは間違いありません。 [本書の内容] 〔第一論文〕革 新――その問題と方法 〔第二論文〕本質研究の方法 〔第三論文〕個人倫理学の問題としての革新 〔第四論文〕革新と学問 〔第五論文〕人間集団の発展における文化の形式的諸類型 附論I~XI フィヒテの人間の理想[三つの講演] 訳者解説 -
解剖学の歴史
解剖学とは、どんな学問だろうか。メスやピンセットで人体を直接取り扱う原始的な学問という印象とは裏腹に、その対象は私たちにとってかけがえのない切実なものであり、科学者は自然にどのように立ち向かい、自然科学という知の体系を導き出せるかという本質的な問題が集約されている。解剖学という枠組みなしには、人体は無秩序な肉塊にすぎない。本書は、こういった無秩序な自然を整理し、秩序だてて記載する営みである「自然誌」の視点から、解剖学の歴史と、解剖学者が抱えてきた問題のさまざまを考察する。 16世紀のヴェサリウスによって始められた近代的な解剖学は、現代医学の成立にあたってどんな役割を果たしたのか。兄弟ともいえる学問分野、生理学とはどんな特徴によって分かれたのか。 生物の形態には、いったいどんな意味があるのか。それを探究する際に現れる機能論と先験論という立場の対立。そして比較解剖学と進化論の関係や、物質論と顕微解剖学の関係など、論点は多岐にわたる。 さらに、解剖学者がたえず気にかける「形態と時間」の関係――個体発生と系統発生の重複するイメージや、教育と研究の関係まで。 解剖学の歩みをたどりながら、自然科学がもたらす成果だけではなく、自然そのものに目を向ける自然誌的な視点が、人間にとって必要なことではないか――と問いかける深い洞察の書。〔原本:『からだの自然誌』東京大学出版会、1993年刊〕 目次 はじめに 3 第一章 ヴェサリウスとハーヴィー:医学の基礎としての人体解剖学 第二章 解剖学と生理学:人体についての自然誌と自然哲学 第三章 生物形態の意味(一):解剖学における機能論と先験論 第四章 比較解剖学と進化論:生物科学における事実と解釈 第五章 生物形態の意味(二):顕微解剖学と物質論 第六章 生物界における階層性:多様性と反復可能性の問題 第七章 解剖学と時間:個体発生と系統発生 第八章 解剖学の現在:人体という自然をめぐって 学術文庫版のあとがき -
科学史・科学哲学入門
私たちが生きている現代世界において、決定的な役割を果たしているのは、「西欧近代科学」であるといえるでしょう。しかし一方で「科学」は、時間的・空間的な規定を受けており、普遍的・絶対的ではないことを認識する必要があります。 本書では科学の起源を問い直します。ラテン語の《scientia(知識)》に淵源し、古代ギリシアに生まれた「自然現象を自然現象として認め、ある原理的な体系から、そうした個々の現象の説明を与える」という思惟構造が、西欧で独自の発展を遂げたものです。 キリスト教敵世界では、「神の意志」と「理性による世界支配」が、自然界と人間界両方の秩序の根幹であるとの考え方が」だんだんと支配的になります。そして中世ラテン世界は、十字軍を経て、アラビア文化圏から流入したギリシア・ローマの「科学」的遺産を吸収し、本格的な「西欧・近代・科学」へと発展していきました。その流れの中で、アニミズムの否定、自然の世俗化、それが進展しての実証主義が支配的になります。魔術から技術へという流れです。そして未来はつねに「進歩」をもたらすものでなければならないというドグマのようなものが支配的になったのです。 そしてこの科学の考え方が、私たちの思考法をどのように呪縛しているのかを、点検していきます。「観測の問題」「言語による外界の把握」「造られた科学」「《整合性》と《簡潔性》」などなど、実際の例を取り上げながらやさしく解説していきます。まさに「科学史」の入門書といえる一冊です。 【原本】 村上陽一郎『科学・哲学・宗教』(レグルス文庫)第三文明社 1977年刊 【目次】 I 科学・哲学・神学 1 科学を準備したもの 2 科学のなかのヴェクトル 3 科学の反省 4 未来への展望 キリスト教の自然観と科学 1 キリスト教と近代合理主義 2 キリスト教からの科学の「離脱」 3 現代への示唆 II 科学的知識と信仰との異同 植木屋の譬え話 自然科学での実際の話 誰が素粒子を見たか 「見える」ことが「存在する」ことか 「……を見る」と「……として見る」 「……として見る」の基礎構造 「ことば」による把握 「……を見る」ことと「……を存在させる」こと 科学は何によって造られるか 自然科学的理論の「流行」 簡潔性と整合性 価値の世界との「整合性」 「心」の私秘姓 「こころ」の存在 こころと素粒子 自分の「こころ」と他人 人間の「こころ」の特殊性 こころの普遍化への二つの方法 あとがき 学術文庫版あとがき -
火山列島の思想
「日本」になる遥か前から、この列島には火山があった。いにしえよりこの土地に培われ息づいてきた想像力のあり方から、私たちの精神は何を受け取り、何を忘却しているのか。忘れてなお、何に縛られ、何から自由になりたいのか。ことばによって残された心の断片に渾身の学問的想像力で肉薄する、日本古代文学研究史上の記念碑的作品にして、無二の名著。 -
数の日本史
暗算は得意なのに、なぜ日本人に理数嫌いが多いのか。その原因には、歴史的・構造的な要因があるのではないか? 物理学の泰斗がそんな素朴な疑問から、古来、人間の文化・文明に欠かせない「数の知識」と日本人社会とのかかわりを、たどってみるとーー。 12進法を使って土木建築を行ったといわれる縄文時代、ピタゴラスの定理で平城京を作り、飛鳥時代に日本初の元嘉暦を生む。奈良時代には正確な計測が不可欠な班田収授の法を採用するも、平安時代には「金勘定はいやしい仕事」と一気に理数離れが起こるーー。江戸時代の寺子屋と算術教育、日本初のサイエンス・和算の誕生、明治時代の算術から算数への大変換、そして戦後の数教育まで、5000年超の通史を豊富なエピソードで活写。理数科は単なる技術を支える手段ではない。数理に対する関心と尊敬心が高まる、ユニークな数学読本!/解説:上野健爾(京都大学名誉教授 四日市大学関孝和数学研究所長) 筆者の言葉) 「歴史家は数学に興味を持たない人が多く、科学史家はそれぞれの専門を守っている。理系に身を置いてはいるが、数学や歴史学に素人の筆者が本誌を書くに至ったのは、こんな事情であまり知られていない数の日本史に、現代人に強く訴えるものがあると感じたからである。 (中略) 社会の専門化によって閉塞感に悩んでいる現代知識人にとって、日本文化の意外な再発見と解放感をもたらすだろう」 -
華族誕生 名誉と体面の明治
明治二年に誕生し、現行憲法の発効と同時に消滅した華族制度。そこでは誰が華族となり、「公侯伯子男」の爵位はどのように決められたのか。また、爵位をめぐってどんな人間模様が描き出されたのか――。豊富なエピソードをまじえて華族制度の誕生を解説し、歴史上の意義を問う。実体が忘れられて久しい、名誉と体面の保持に拘泥した特権階級に光を当てた、華族研究の必読書。 -
カタリ派とアルビジョア十字軍 中世ヨーロッパの異端運動
中世キリスト教最大の異端運動、カタリ派とは何か。その起源からアルビジョア十字軍による制圧までをドラマチックに描く。 「異端」とは、キリスト教の内部にあって、教会が確定した教義とは異なる解釈を立てる者たちである。カトリック教会は、ユダヤ教やイスラム教など「異教」に対しては緊張をはらみながらも時に寛容さを見せたが、「我らこそが真のキリスト教徒である」と信じて疑わない異端者に対しては、徹底的な刑罰と弾圧を加えた。 12-13世紀には大小さまざまな異端運動が存在したが、なかでも、東方のマニ教を思わせる「善悪二神論」を唱え、教会制度を拒み、ローマを指して「娼婦の家」「悪魔の神殿」と謗る「カタリ派」は大きな脅威だった。とくに南フランスに広がったカタリ派を「アルビジョア派」と呼ぶが、ローマ法王インノケンティウス3世は、それに討伐軍「アルビジョア十字軍」を差し向ける。 当時の南仏は、パリを中心とした北部の人々を「フランス人」と呼び、みずからは「フランス人」とは考えない独自の社会だった。しかし、20年におよぶ陰惨な戦いは、フランス国王の征服戦争として終結し、異端の終焉とともに南仏社会を変質させていく。 巻末解説を図師宣忠氏(甲南大学教授)が執筆。 〔原本:『世界のドキュメント(4)異端者の群れ』(新人物往来社刊、1969年)の改訂新版『異端者の群れ―カタリ派とアルビジョア十字軍』(八坂書房刊、2008年)〕 目次 はしがき 序章 聖ベルナールの怒り 1 呪いの町 2 信仰の掟 3 異端の運動 4 カタリの発現 第一章 南フランスの風雲 1 南部の国々 2 吟遊詩人 3 豊かなる南ガリア 4 軽い土と重い土 5 不完全封建制 第二章 異端カタリ派 1 バルカンの遠き祖たち 2 異端の書 3 善き神と悪しき神 4 絶望の戒律 5 異端者の群れ 6 完徳者と帰依者 第三章 アルビジョア十字軍 1 アルビジョア派 2 ローヌ河畔の惨劇 3 ベジエの虐殺 4 カルカッソンヌの攻囲 5 征服者シモン・ド・モンフォール 第四章 百合の紋章 1 フランス人との戦い 2 ミュレの合戦 3 王旗の登場 4 異端審問 後日譚 あとがき 解説(図師宣忠) 人名索引 関連略年表 -
歌舞伎十八番集
天保三年、市村座において七代目市川團十郎が4度目の『助六』を上演する際に「市川海老蔵流寿狂言十八番の内」と銘記したのに始まる歌舞伎十八番。以来、三百年にわたり庶民の人気を博してきた『鳴神』『暫』『勧進帳』『景清』『毛抜』などの原作脚本に、古典演劇研究の泰斗が詳細な註釈をつけた歌舞伎ファン待望の鑑賞ガイド。歌舞伎を深く味わうための必携の書。毎日のように人気の歌舞伎役者がマスコミに登場する空前の歌舞伎ブーム。なかでも十三代目市川團十郎襲名で注目されるのが市川家代々の当たり狂言十八種目。いわゆる「歌舞伎十八番」は、天保3年(1832)3月、市村座において七代目市川團十郎が四度目の『助六』を上演する際に「市川海老蔵流寿狂言十八番の内」と銘記したのに始まる。本書では人気演目の『勧進帳』『助六』『暫(しばらく)』『景清』『毛抜』『鳴神』『外郎売』などの解題と、江戸時代以来の台本をもとに校訂した脚本に懇切な註釈をつけて歌舞伎研究の泰斗が解説。歌舞伎原作の魅力を堪能できる歌舞伎鑑賞手引きの決定版である。原本:『評釈江戸文学叢書 歌舞伎名作集』(下巻)〈内容〉 1 歌舞伎十八番解題 ●歌舞伎十八番の意義 ●演目とその由来 不破/鳴神/暫/不動/うわなり/像引/ 勧進帳/助六/押戻/外郎売/矢の根/関羽/ 景清/七つ面/毛抜き/解脱/蛇柳/鎌髭 ●人気演目の成立とあらすじ 『勧進帳』/『景清』/『矢の根』/『毛抜』『鳴神』/『暫』/『助六』2 歌舞伎十八番原作脚本と詳細註釈●『勧進帳』●『景清』●『矢の根』●『毛抜』●『鳴神』●『暫』●『助六所縁江戸桜』3 付録●『暫』のせりふ・つらね集●『外郎売』のせりふ4 解説 児玉竜一・早稲田大学教授、演劇博物館副館長「河竹繁俊と歌舞伎十八番集」*電子版は、「暫」の旧編(82ページ相当)も収録した増補版になります。 -
神々の構造 印欧語族三区分イデオロギー
人類はいかにして「神」を創り、「世界」を描いたのか? 比較神話学・言語学の巨星、時に構造主義やレヴィ=ストロースの先駆ともされるジョルジュ・デュメジルが、自身の「三区分イデオロギー」――印欧語族(インド・イラン人、古代イタリア人、ゲルマン人……)は世界を「聖性/戦闘性/豊饒性」の三要素からなるものとしてとらえ、かつそれぞれの機能に対応する神々を奉じていた――のエッセンスをまとめた、コンパクトかつダイナミックな神話学入門! 神話に現れる「秘密の「3」」とは? [目次] 序文 第一章 社会的・宇宙的な三機能 第二章 三区分神学 第三章 神学、神話、叙事詩における種々の機能 研究史と文献案内 注 訳者解説 ジョルジュ・デュメジルと印欧語族研究 訳者文献案内 (*本書の原本は1987年に国文社より刊行されたものです。) -
川の文化
日本中の子供たちが親から聞かされる叱責の言葉――お前は川の橋の下から拾われてきた――が、意味するところは何か? 民俗学者による「川と日本人」をめぐる調査と考察。島国日本は、「海の国」であると同時に、豊かな「川の国」でもある。大小の河川は、上流から河口まで、多彩な風景と、文化・風土をかたちづくってきた。舟運と川船、川の狩猟、渡しと橋、年中行事、信仰と伝承など、豊富な事例で語りつくす。(講談社学術文庫) -
漢詩の名句・名吟
漢詩は、平安時代から現代まで、多くの日本人の心をとらえてきた。その歴史・地理的な背景や、日本の漢詩受容を押さえて、丁寧に作品を読み解き、漢詩の豊かな抒情の世界に遊ぶ。奔放自在な「詩仙」李白、謹厳実直な「詩聖」杜甫、閑寂の自然詩人・王維など、珠玉の名作を読む醍醐味を味わいつつ、自由闊達に読むことをも可能にする最良の入門書。 [本書の内容] 序章 漢詩をどう読むか I 李白と酒 II 月の光 III 登楼・重陽 IV 杜甫の律詩 V 蘇州詩話 VI 閑寂・江南の春 VII 旅愁・シルクロード VIII 唐詩と日本人 -
カント 美と倫理とのはざまで
この生は生きるに値するか。 世界は人間にとって意味ある生を保証するか。 美と崇高、あるいは世界の目的論的理解をめぐる『判断力批判』の考察は、生の目的、および世界の存在の意味をめぐる真率なる思考に貫かれている。テクストの隠されたモチーフをも跡づけつつ碩学がよみがえらせる、鮮烈なる「カント」! [目次] まえがき 第1章 美とは目的なき合目的性である――自然は惜しみなく美を与える 第2章 美しいものは倫理の象徴である――美への賛嘆は宗教性をふくんでいる 第3章 哲学の領域とその区分について――自然と自由あるいは道徳法則 第4章 反省的判断力と第三批判の課題――美と自然と目的とをつなぐもの 第5章 崇高とは無限のあらわれである――隠れた神は自然のなかで顕現する 第6章 演繹の問題と経験を超えるもの――趣味判断の演繹と趣味のアンチノミー 第7章 芸術とは「天才」の技術である――芸術と自然をつなぐものはなにか 第8章 音楽とは一箇の「災厄」である――芸術の区分と、第三批判の人間学的側面 第9章 「自然の目的」と「自然目的」――自然の外的合目的性と内的合目的性 第10章 目的論的判断力のアンチノミー――反省的判断力の機能と限界について 第11章 「究極的目的」と倫理的世界像――世界はなぜこのように存在するのか 第12章 美と目的と、倫理とのはざまで――自然神学の断念と反復をめぐって あとがきにかえて――文献案内をかねつつ (*本書の原本は2017年に講談社より刊行されたものです。) -
神主と村の民俗誌
氏神から産土神、株神を祀る。集落や同族、一家で神々を招くたびに役割を果たす神主の仕事とは? 祈祷・祭りと村の暮らしを描く。 -
韓非子 全現代語訳
鋭い人間洞察が時を超えて突き刺さる、不滅の君主論! 人間は利のために動く。君臣の間に愛はない。 徹底した現実主義的人間観に基づく実践的君主論にして、春秋戦国の乱世下に法家が磨き上げた統治思想の極致。 「矛盾」「守株」など秀逸な譬えを交える軽妙さ、 理想的統治を語る峻厳さ、 儒家への鋭い批判、 そして不合理な現実政治への悲憤― 抑揚に富んだ語り口を生き生きと伝える碩学の名訳で、全文を読む。 【本書「解説」より】 人間性一般についての洞察の鋭さ、権力の場における人間関係の分析の綿密さ、独裁国家という枠内でではあるが、君主の心術探究の深刻さ、という点ではいずれも韓非のほうがマキャベリより一段と精彩があり、ルネサンス期のマキャベリと比べても、不思議に古くないのである。韓非の眼がその時の瑣々たる政治現象をつきぬけて、人間の本質に迫っている故であろう。 【本書の内容】 [第一巻] 初見秦/存韓/難言/愛臣/主道 [第二巻] 有度/二柄/揚権/八姦 [第三巻] 十過 [第四巻] 孤憤/説難/和氏/姦劫弑臣 [第五巻] 亡徴/三守/備内/南面/飾邪 [第六巻] 解老 [第七巻] 喩老/説林上 [第八巻] 説林下/観行/安危/守道/用人/功名/大体 [第九巻] 内儲説上七術 [第十巻] 内儲説下六微 [第十一巻] 外儲説左上 [第十二巻] 外儲説左下 [第十三巻] 外儲説右上 [第十四巻] 外儲説右下 [第十五巻] 難一/難二 [第十六巻] 難三/難四 [第十七巻] 難勢/問弁/問田/定法/説疑/詭使 [第十八巻] 六反/八説/八経 [第十九巻] 五蠹/顕学 [第二十巻] 忠孝/人主/飭令/心度/制分 解説・年表・地図 *本書は1969年に筑摩選書として、1996年にちくま学芸文庫より刊行された『韓非子』(上下巻)を原本とするものです。 -
漢文法基礎 本当にわかる漢文入門
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 漢文」とはなにか 受験参考書をはるかに超え出たZ会伝説の名著、待望の新版! 訓読のコツとは。助字の「語感」をどう読み取り、文章の「骨格」をいかに発見するか――。漢文読解の基礎力を養い、真の「国語力」を身につけるために、1970年代より形を変え版を重ねながら受験生を支え続けてきた名著を修補改訂。大学入試攻略などは当たり前、第一人者が気骨ある受験生、中国古典を最高の友人としたい人へ贈る本格派入門書。 基礎とはなにか。二畳庵先生が考える基礎ということばは、基礎医学とか、基礎物理研究所といったことばで使われているような意味なんだ。(中略)基礎というのは、初歩的知識に対して、いったいそれはいかなる意味をもっているのか、ということ。つまりその本質を反省することなのである。初歩的知識を確認したり、初歩的知識を覚える、といったことではなく、その初歩的知識を材料にして、それのもっている本質を根本的に反省するということなのだ。――<本書より> ※本書は1984年10月に増進会出版社より刊行された『漢文法基礎』(新版)を大幅に改訂したものです。 -
漢方医学 「同病異治」の哲学
江戸時代に吉益東洞(一七〇二-一七七三)が礎をつくり、華岡青洲(一七六〇-一八三五)が西洋医学と融合させ、独自の進化を遂げた日本漢方医学。同じ病でも人次第で治療が変わる「同病異治」の哲学とは何か? 高齢化社会で多病を抱える患者への対応、200種を超える生薬を組み合わせ、がん治療の補助療法としての期待も高まる今、病との付き合い方を変える、東洋思想医学の可能性を考察する。漢方では関節リウマチであっても一人一人、また昨日と今日ではその性質が違うと考える。こうした極めて東洋的な考え方は、これからの医療を考える上で重要であろう。西洋の文化が直線的で四角定規であるのに対し東洋の文化は曲線であり、円である。わが国が担うべきは、単に薬という物質的なものだけでなく、文化的・精神的な考え方もひっくるめた、真の東西医学の融合ではないだろうか――「まえがき」より(本書は2013年、講談社選書メチエより『漢方医学』の題名で刊行されました。) -
官僚の研究 日本を創った不滅の集団
深夜におよぶ激務、たび重なる不祥事、「官邸主導」でゆがむ人事。近年では、官僚を志望する東大生も激減しているという。しかし、明治以来の政治・経済を動かし、日本社会の枠組を創ってきたのは、霞ヶ関のエリート官僚たちであり、そのパワーは今も不滅である。「官僚」とは、一体どんな人々なのか。その歴史と生態を、自らも官僚体験のある現代史家が、計量的・実証的に明らかにしていく。 明治初年の「官員さん」のうち、薩長出身者はどれほどの割合を占めたのか。華族・士族・平民の内訳は、どう推移したのか。上級官僚の実父はやはり官僚だったのか、あるいは軍人、商人が多いのか。帝大卒優位のなかに食い込んだ私学は? また、戦前の「革新官僚」と言われた人材のなかには、政党主導の戦後官僚社会であればたちまち弾き出されるような個性派や情熱家も多かった。毛里英於莵、奥村喜和男、菅太郎といった「奇才」や、女性官僚の第一号などの群像を紹介。 戦後は占領政策により「天皇の官吏から公僕へ」「中央集権から地方分権へ」と改革が進むなか、各省庁の「家風と作法」はしっかりと守られ、新たな「吏道」も探究されていく。 「文庫版のあとがき」として、平成・令和の変遷を加筆。〔原本=『官僚の研究:不滅のパワー・1868―1983』1983年、講談社刊〕 -
カール・クラウス 闇にひとつ炬火あり
稀代の作家・ジャーナリスト・編集者カール・クラウス(1874-1936年)。ただ一人で評論誌『炬火』を編集・執筆し、激動する世界の中で権力や政治の堕落・腐敗に〈ことば〉だけで立ち向かったクラウスは、ベンヤミンやウィトゲンシュタインが敬愛した人物にほかならない。著者が深い思い入れと情熱を注いだ本書は、生い立ちから雑誌での活動、代表作の紹介まで、巨人の全貌を描いた日本語による唯一の書物である。 -
合本 ビゴーが見た日本人/明治ニッポン/明治職業事情
1882年に来日し、17年間の滞在生活をおくったフランス人画家ビゴーは、その卓越した描写力で、写真や活字では記録し得なかった日本人の本質を鋭く描きとった。 学術文庫ロングセラー「ビゴーが見た」シリーズ三作の合本版。 『ビゴーが見た日本人』 文明開化とともに訪れた日本の近代化。そこには、劇的な社会変化に戸惑いつつも、たくましく生きる人々がいた。そんな彼らの姿と変貌する日本を描きつづけた在留フランス人画家ジョルジュ・ビゴー。日本で過ごした17年間に彼が残した多くの作品から漫画・挿画・銅版画など、百点を厳選。愛着とアイロニーに満ちた諷刺画を通して見る日本人論。 『ビゴーが見た明治ニッポン』 文明開化に揺れる人々、フランス人画家が赤裸々に描く当時の生活……明治政府を皮肉る痛烈な諷刺画のほか、西洋文化にとびついた人々の滑稽な姿、日本的風習にあふれた庶民の生活、日本軍に従軍して描いた戦争報道画など、100点の作品を通して、近代化する日本の活況を明らかにする。 『ビゴーが見た明治職業事情』 激動の明治期、人々はどのような仕事をしていたのか。仏人画家ビゴーは、洋服屋、牛肉屋、鹿鳴館職員といった西洋化により登場した職業など、働く人々の姿を諷刺も交え克明に記録した。国会議員らエリート層の豪奢で珍奇な暮らしぶりとは対照的に、人口の9割を占める下流階級の人々が懸命に働く姿は、明治の格差社会を痛切に感じさせる。100点超の作品を紹介し、背景を解説する。 -
切手の歴史【電子特典付き】
1840年――日本で天保の改革が行われていた頃、イギリスで誕生した小さな紙片が、世界の通信網を一気に変えた! 発売初日に410万枚も売れた「ペニー・ブラック」伝説。東欧で大ブレイクしたヌード切手の謎。19世紀末に、毎週5万フラン(当時の大英博物館館長の年俸10年分)もの大金をつぎこんだ、オーストリアの貴族蒐集家。12歳の少年が売った1セント切手が50年後に1億円相当に高騰するオークションのからくり。ドイツ独裁時のヒトラーの切手と崩壊後の顛末や精巧な贋作から幼稚な偽物まで玉石混合、切手偽造名人列伝まで・・・・・・。奇跡・珍事の数々や、ユニークなアルミ金箔、異形デザイン紹介など、切手を愛し、蒐集に生涯を捧げた暦学者による、ユニークかつ白眉の切手学・入門書。 「趣味の王者・王者の趣味」といわれた、切手の歴史と魅力を網羅する! (撮り下ろし図版も満載!!) ★国王の顔に消印禁止! イタリア ★なぜ天地逆? 逆刷500文切手の妙 日本 ★世界一優雅で繊細な凹版切手 オーストリア ★名画に加筆…切手と著作権をめぐる事件 アメリカ ★0が17桁! インフレ切手に窮余の策を ハンガリー 三角、八角、ダイヤ型、金箔にアルミ箔まで…変形、珍素材切手も大集合! 本書の原本は、1976年10月、講談社より刊行されました。 文庫化にあたり、底本切手画像の劣化を解消するため、解説者・田辺龍太氏の私物撮影を施しました。 -
宮中五十年
明治35年、学習院在学中の著者は宮中に召し出された。4、5人の少年たちとともに、大人たちが出入り禁止の奥御殿で天皇に仕えるのである。10歳の少年が近くで見た明治天皇は、大声で厳しく、几帳面ながら、優しい思いやりを見せた。「大帝崩御」後は、昭憲皇太后、大正天皇、貞明皇后、秩父宮らに近侍し、半世紀を宮中に仕えることとなる。近代史研究者にたびたび引用されてきた重要史料の、初の文庫化。原武史氏が解説執筆。 -
旧約聖書の思想 24の断章
昏迷きわまる現代に、旧約聖書は3000年の時を超えて何を語りかけるか。ニヒリズム、愛、終末等の主題のもとに旧約から24の断章を選び、ニーチェ、キルケゴールら数多の解釈、思想史を渉猟しつつ、新たな読みを提示。時に芸術の内に旧約を見、時に旧約からエイズや援助交際等、現代が抱える諸問題をも考究する。碩学が現代に甦らせる旧約の思想世界。 【目次より】 1.隠れた神 イザヤ書四五章15節 2.ニヒリズム コーヘレス書一章2節 3.偶像禁止の根拠 出エジプト記二○章4節、申命記五章8節 4.創造 創世記一章26―27節 5.愛児の献供(1)哲学者の解釈 創世記二二章1―2節 6.愛児の献供(2)地平の融合 創世記二二章14節 7.沈黙 イザヤ書六二章6―7節 8.知恵 創世記三章4―5節 9.他宗教との関係 出エジプト記二○章2―3節、申命記五章6―7節 10.「宗教」批判 サムエル記下一二章24―25節 11.罪と赦し 詩篇五一篇5―6節 12.頑迷預言 イザヤ書六章9―10節 13.西洋精神史との関係(1)文学・絵画の場合 士師記一六章17節 14.西洋精神史との関係(2)彫刻・音楽・思想の場合 出エジプト記三四章29節 15.西洋精神史との関係(3)アモラリズム ヨブ記三一章35―37節 16.愛(1)愛の3つの形 申命記一○章17b―19節 17.愛(2)新約における愛敵 箴言二五章21―22節 18.愛(3)旧約における愛敵 レビ記一九章18節 19.愛の秩序(1)愛の7つの形 申命記六章5節 20.愛の秩序(2)統合論と代贖論 ミカ書六章8節 21.終末(1)終末論の三類型 アモス書五章18節 22.終末(2)終末論の胡散臭さ アモス書五章24節 23.終末(3)義と愛 アモス書九章14―15節 24.終末(4)苦難の神義論 イザヤ書五三章4―5節 -
旧約聖書を読み解く
「旧約聖書」とはどんな書物なのか? 「旧約聖書」は、古代イスラエル(ユダヤ)の民の千年以上にわたる歴史を背景として成立した、さまざまな文書を39巻にまとめたものです。その編纂は長期に及び、増補・改訂を含む複雑な過程を経てできあがったと言われています。 ユダヤ教ではイエスをキリスト(メシア)と認めないため、「新約聖書」は存在しません。「旧約聖書」のみが聖典とされ、「タナハ(TaNaKh)」と呼ばれます。一方キリスト教では、イエスによる「新しい契約」を記した「新約聖書」に対し、それ以前の書を「旧約聖書」と位置づけます。本書は、こうした「新約」との関係を視野に入れながら、「旧約聖書」を読み解いていく本です。 古代イスラエルの民たちは、エジプトを脱出後、遊牧的生活から定住へと移行し、やがて王国を築きます。しかし、その後も南北分裂など不安定な時代が続き、王国の崩壊以降はエジプト、ペリシテ、アッシリア、ペルシアといった大国の支配下に置かれました。 このような歴史的状況のもとで成立した「旧約聖書」は、各時代を生きた人々が、伝えられてきた過去の出来事の意味を問い直し、新たな解釈を加えてきた「伝承の歴史」と言えます。そこに収められた物語や掟は、歴史的経験の中に意味を見いだそうとする営みの結晶です。 同様に、「旧約聖書」において、歴史は「神が語りかける場」「神の意志が示される場」として描かれます。創世記の原初の物語に始まり、アブラハムの旅立ち、出エジプト、王制の成立と崩壊、バビロン捕囚、そしてユダヤ教の成立――。こうした流れは、すべての被造物を救おうとする神の救済史として、一貫した意味を帯びています。 神との契約とは? 安息日の規定とは? 「約束の地」とは? 旧い契約から新しい契約への移行とは? 苦難の歴史を生きた民たちが出来事の描写に込めた意味を、原典ヘブライ語の語義や各文書の成立年代、文章構成に目を配りながら丁寧に繙いていきます。 *本書の原本は、2006年に日本放送出版協会から刊行されました。 [本書の内容] はじめに 第一章 旅立つアブラム 第二章 アブラハムと契約を結ぶ神 第三章 七日目には仕事をやめねばならない 第四章 飲み水がないと不平を言う民 第五章 ヨルダン河の東岸で――申命記という本 第六章 約束の地へと入る民 第七章 「我々にはどうしても王が必要なのです」 第八章 「お前か、イスラエルを煩わす者よ」 第九章 動乱の時代に静けさを説いた預言者イザヤ 第十章 捕囚という現実に預言者が見たもの 第十一章 平和といやしを与えるための苦しみ 第十二章 ユダヤ教の成立 関連年表 あとがき 解 説(田島 卓)
表示されていない作品があります
セーフサーチが「中・強」になっているため、一部の作品が表示されていません。お探しの作品がない場合は、セーフサーチをOFFに変更してください。