作品一覧 2021/02/25更新 永楽帝――華夷秩序の完成 試し読み フォロー 明の太祖 朱元璋 試し読み フォロー 陸海の交錯 明朝の興亡 試し読み フォロー 1~3件目 / 3件<<<1・・・・・・・・・>>> 檀上寛の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 明の太祖 朱元璋 檀上寛 面白かった!ほんとうに 朱元璋は、理想を現実にするために、常に前を向いて進み続けた人なんだと思った。実際どうかは知らないけど、そう考えると熱い気持ちになれるから良い。 Posted by ブクログ 陸海の交錯 明朝の興亡 檀上寛 明初体制は「固い体制」 だった。それは里甲制、身分・職業・移動の規制、現物経済の維持、朝貢一元体制などあらゆる面で国家が社会に規制をかけるものだった。この体制はそれまでの①中華と夷狄の抗争、②華北と江南の対立、③大陸中国と海洋中国の相克、これらを克服するのに必要だったのである。それは「近代世界システ...続きを読むム」と異なる「中華世界システム」を生み出した。この明代に一つの画期を求め1巻丸ごとその歴史に充てる。そして明初体制とその後の経済社会の変化や北虜南倭との関係、明朝崩壊との関係が背景を含め、わかりやすく説かれる。 Posted by ブクログ 明の太祖 朱元璋 檀上寛 元朝政治が政治闘争で乱脈をきたし、統治能力を失い叛乱が多発したことから筆が始まる。 明朝の構成員は功臣武官の淮西集団と知識人文官の浙東集団に大別。双方で対立はあったがいずれも南人であり、北方との統合を朱元璋は期す。 科挙実施も、合格者(=官僚)が南人ばかりを見て中断。 南人官僚や地主の不正蓄財を解消...続きを読むするために、胡藍の獄や六諭発行などの政策が行われたとの著者主張。 朱元璋自身の猜疑心もあるが、何より各人が己の分を守る理想的な儒教国家を成立させるために法を用いた厳格な他律的国家を作ろうとした。 Posted by ブクログ 明の太祖 朱元璋 檀上寛 明王朝を立てた朱元璋は、即位後の残虐性がことさら取り上げられるが、モンゴル支配以来の華南の官民社会構造や、彼の部下たちの派閥争いなどの背景があり、そのモンダイヲ乗り越えるために画一的な価値観を示そうと強権的な手法に走ったのだと理解した。現代中国の構造理解にまでつながる、貴重な伝記。 Posted by ブクログ 陸海の交錯 明朝の興亡 檀上寛 靖難の役(靖難の変)は明朝初期に燕王が建文帝に対して起こした内戦で、勝利した燕王が永楽帝となった。靖難は「君難を靖んじる」という燕王側の主張であり、君側の奸を除くという大義名分だった。結果は権力の簒奪であるが、最初は建文帝側が諸王の勢力を削ぐために、冤罪で諸王を削藩し、庶民に落としたり、自殺に追い込...続きを読むんだりした。これが問題であった。 Posted by ブクログ 檀上寛のレビューをもっと見る