檀上寛のレビュー一覧
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第3巻は明代史。第1巻では中華と夷狄の抗争、第2巻では華北と江南の南北対立、第3巻では草原を含む大陸中国と東南沿岸の中国との相克を描く。筆者は、明初はこれらをなんとか統一王朝に整理・収斂され、多様化・多元化にも一元化・画一化の枠がはめられた時代と説く。この体制はやがて弛緩し、破綻して清朝の時代を迎えるわけだが、筆者はこの極度に統制を強めた明初体制が、中国社会の体制的帰結として表れているとも指摘している。強固に統治しないと、多様性・多元性が頭をもたげ体制をあやうくするのだ。現代中国の体制の要因を、歴史的見地から見事にひも解いてくれているように思う。
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疾病と政治的混乱の中、最下層民から成り上がった男の記録。日本でいえば豊臣秀吉にあたるがスケールは比べようも無い。
聖賢と豪傑と盗賊の要素が入り混じっていたとあるが頷ける。戦乱の中で日々勉強して知見を広めた事、鉄の掟で経済力に勝る敵を打ち破る、明の建国後の復興に成功するなどはやはり英雄と言える。彼の資質もあったが妻である馬皇后と硬骨漢ともいうべき参謀劉基の存在が大きかったものと思われる。
大量殺戮による事で評価が下がるが功臣たちの奢りも原因だった事は否めない。
最後の皇孫に対する思いは秀吉の秀頼に対する思いに通じるものがある。
それにしても彼の顔は実際のところどうだったのだろう。 -
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これまで詳しくなかった明朝について、見通しを得た。
モンゴル(元朝)の退潮後、どのように立て直すか?が課題だった明初。中国の秦に発する国家が社会をコントロールする流れ、それは見た目は儒家で、やっていることは国家の支配論理(法家)。これはおそらく現代の中国でも流れている、西洋の近代思想とは違う流れ。中間団体の存在を許さず、支配者と被支配者が直接対面する。
気候の冷涼が終わり、社会全体が「銀」の世界的繋がり、貨幣経済の興隆を受け、社会の要請と、明朝の仕組みが不適合を起こし、対応できないまま、滅んでいく。
大きな世界史的視点で言えば、モンゴルの時代=大陸の時代から、大航海時代=海の時代に力点が切り -
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岩波新書の「シリーズ中国の歴史④」は、「陸海の交錯ー明朝の興亡」と題された1冊。これまでの3冊とは異なり、単一の明朝300年の歴史叙述にフォーカスされる。
①中華と夷狄の抗争、②華北と江南の南北の対立、③草原を含む大陸中国と東南沿海の海洋中国との相克、以上の3つの対抗軸が「明初体制」によっていったんは一元化・画一化される。
この明初の「絶対帝制」は、儒教の論理に裏打ちされていた(本書でしばしば参照されるp.34の図8)。国家の側からの「支配の論理」と社会の側からの「被支配の論理」が、儒教の理想世界と現実世界への適用、これが明初に厳格な体制として確立し、海外を含む「中華世界システム」も朝貢一 -
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明朝というと、洪武帝が創業の功臣や臣下を何度もかつ大量に処罰し、皇帝専制体制を打ち立てたこと、甥建文帝から永楽帝が帝位を簒奪したこと、鄭和の大遠征、北虜南倭、前期倭寇・後期倭寇、秀吉の朝鮮出兵といった断片的なトピックとしての知識くらいしかなかった。
著者は本書において、明朝の歴史的意義を次のように説明する。①中華と夷狄の抗争、②中国史を貫く華北と江南の南北対立、③草原を含む大陸中国と東南沿海の海洋中国の相克、この3つのせめぎ合いが、14世紀の危機において飽和点に達し、元明革命の王朝交代となったこと、そしてこれらの課題に一定の解答として出されたのが明初体制だとする。
農業に基礎を置