<日本のおみやげ文化は近代の所産である。その鍵を握ったのは、鉄道網の整備と保存技術、そして付随する「物語」だった。>
日本のおみやげが特異な存在であることを知ったのは、個人的には学生時代だっただろうか。
「おみやげ」と言われて日本人がまず思い浮かべるのは、各地の地名がついたり土地の名産が原料として
...続きを読む使われていたりする食べ物(往々にして饅頭やクッキーなどの甘い物)だろう。だがこうしたものは外国ではほとんど見られない。ボストン饅頭やパリ・サブレなどというものはない。食べ物をみやげにする事例は皆無ではないが、日本ほど多くはない。英語でsouvenirといえば、その土地を訪れた記念品として旅に行った本人が自分のために買う場合が多いようである。
世界的に見れば特異な日本の「おみやげ」はどのように生まれたのか。鉄道をキーワードにして追ったのが本書である。
タイトルと表紙の絵で気楽な本であるように感じられるが、資料も多く、情報には細かく注がついて出典が記載されている。ある意味、学術研究報告書のようでもある。それもそのはず、科学技術研究費の助成を受けた研究成果の一部をまとめたものなのである。
かといって読みにくいかといえばそんなことはない。むしろ、くだけすぎないところに好感が持て、落ち着いて読める本である。
現在、一般的に知られる「おみやげ」の起源は意外に新しい。
江戸時代の旅には時間が掛かった。そのため、みやげものには工芸品などの非食品が多かった。食品でも乾燥した保存のきくもの。軽く・かさばらず・腐らないものである。○○餅などの食べる名物は茶店で供されるのが普通で、持ち帰るものではなかったのだ。
この時代の名物が生まれたのは、街道沿いや寺社などだった。みやげの語源には、諸説あるようだが、本書では「宮笥(みやけ)」説が紹介されている。「笥」とは供物を入れる入れ物。神仏に供えたものを分配し、これを持ち帰ったことからきているという説である。これに土地の産物を意味する「土産」が当てられた。
出掛けた先で買ったものを留守番のものに持ち帰る素地は日本には昔からあったと考えられるわけである。
近代となり、鉄道網が発達していくにつれて、「おみやげ」の中身や生まれる場所に変化が現れる。峠や街道の要所としてそれまで栄えていた場所も、鉄道から外れ、人の流れが減ると、その土地の賑わいはなくなり、みやげは消失していく。代わりに栄えていくのが乗降客の多い駅の周辺である。遠くから多くの客を運び、客はみやげを買っていくという図式だ。
ただ菓子を始めとする食品が主流となるには、もう1つの要件が満たされる必要があった。保存性である。
明治期には羊羹のようなものでも日持ちがせず、変質や腐敗などの問題があったようである。業界が取り組むことで、材料や包材に改変が加えられ、徐々に品質が安定して維持されるようになっていく。
近年、鉄道でなく自動車で旅行をする人も増え、また団体旅行ではなく個人旅行が増えていることにより、また「おみやげ」の様相は変わっていきそうである。「道の駅」が発展し、個性的な商品が売れる。
それでもなお、形を変えつつ、旅先で買ったものを親しい人に配るという風習は根強く残っており、日本の「おみやげ」はさほど近いうちに姿を消すものではなさそうである。
具体的な事例はいくつも挙げられていて、それぞれに興味深いが、個人的に一番印象深かったものを1つ紹介したい。
岡山のきび団子である。
日清戦争は近代日本が経験した最初の大きな対外戦争である。当時、山陽鉄道は、兵士輸送の要であった。全国から広島に兵士が集められ、宇品港から出征していった。現在でもきび団子を商う岡山・廣栄堂の初代はこの好機を見逃さなかった。桃太郎の扮装をして、広島に出向き、「日本一の吉備団子」として帰還兵士に売り込む。この戦略があたった。そもそもが、「吉備団子」には黍が不可欠なわけではない。「吉備」=「黍」の音の一致と、外敵である「鬼」を成敗するイメージの重ね合わせが当時の空気にぴたりとはまったのだ。
桃太郎伝説は各地にあるのに、なぜ桃太郎=岡山のイメージが定着したかといえば、(控えめに言っても)日清戦争が一因であるのは間違いないだろう。
ものが売れるには理由がある。おいしいだけではダメなのだ。土産物の場合、人の流れ+保存性、そしてとどめは土地と絡めた「物語性」なのだった。