江戸時代(たぶん綱吉の時代?)に千住から東北の松島、平泉を経て、日本海側に出て、そこから新潟経由でずっと琵琶湖まで南下して最後は大垣で終わるという紀行文。『地球の歩き方』的な場所の説明(歴史とか)+その前後を含めた芭蕉自身がやったこと+感想+俳句(芭蕉と一緒に行った弟子の曾良の句も)、という内容。ドナルド・キーンの解説、英訳がついている。
まず『おくのほそ道』がこんな短い話だとは思わなかった。ドナルド・キーンも書いているが「文庫本にすれば五十ページ足らずしかないテキスト」(p.88)で、字面を追うだけならすぐに出来てしまう。あと弟子と行ったということも知らなければ、てっきり東北に行って帰ってきた話かと思いきや、北限は平泉とかその辺で、そっから日本海側に行って大垣で終わるなんて思いもしなかった。あとは俳句が一杯あるのかと思いきや、思ったほどには俳句だらけという訳でもないのも印象と違っていた。「江戸を出発する前に松島の月を何よりも楽しみにしていたようであるが、松島についても俳句を一つも作らなった。松島に幻滅したというわけではないが、なにか真底、感動的な風景の前に立つと、芭蕉は口を閉じる傾向があった。松島の風景を見事な散文で描いたが、俳句は曾良に任せた。」(p.90)だそうだ。てっきり「松島やああ松島や」みたいな句が出てくるのかと思っていた。
というのが全体的な話。あと解説には「どの旅にも不安が付き物だが、芭蕉は楽しみの多い旅行になるだろうと期待していた」(p.88)と書いてあるが、おれの印象では、結構「旅は大変、怖い、死ぬかもしれない、心細い、疲れた」みたいなネガティブなことがたくさん書かれている気がする。特に16の「飯塚」なんて「持病さへおこりて、消え入る計になん。」(p.41 英訳はI had an attack of my usual complaint, so severe I almost fainted.って「消え入る」はfaintedなのか、とか思った)とか、「遥かなる行く末をかゝえて、斯かる病覚束なしといへど~」(英訳 I felt uneasy over my illness, recalling how far away our destination was, but I reasoned with myself that when I started out on this journey to remote parts of the country it was with an awareness that I was risking my life. Even if I should die on the road, this would be the will of Heaven.)って、なんか江戸時代にアジアにやってくる宣教師みたいな感じだ。今の日本人からするとアフリカを彷徨うような感じなんだろうか。
あとは英語。古文とか本当に普段読んだことないので、って古文というほどの古文ではないのかもしれないけど、まず古文を読んで、あんまりよく分からず、次に英語を読んで、こんなこと言ってたの?とか、これどういうこと?とか思ってまた古文を読み返す、という感じで進めていったので、意外と読むのに時間がかかった気がする。
あとは面白いと思った訳のメモなど。「野夫といへども、さすがに情けしらぬには非ず。」(p.31 那須)は"He was only a rough, country fellow, but he was not without feelings." (p.151)。あと羽黒のところで「風土記」(p.56)が出てくるが訳はgazeteer(p.118)で、gazetteという単語を知らなかった。あと象潟の、「松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。」(p.60)というのも、なんか象潟の人が怒りそうな気がするが、とりあえず面白いと思った。ちなみに英語は"Matsushima seems to be smiling, but Kisakata wears a look of grief."。他にもいくつかあったので、もう1度通読して確かめる必要がある。
東北の地名が色々出てくるので、大学の時に青春18きっぷであちこち旅行したことを色々思い出した本でもあった。最後の大垣だって、東海道線乗れば絶対乗り換える駅だし。こういう有名な日本の本というのをもっとこれから読んでみたい。(18/12/28)