利休の死について、そもそも利休の時代に、政治から独立し芸術のために命を懸けるような近代西洋的な意味での芸術家は存在しえないとし、「お茶と権力」の文脈で解読しているところが興味深い。
秀吉が天下をとり間もなく、利休ももはや茶の世話をするだけの存在ではなく、秀吉の意向を非公式に外に伝達するという政治的
...続きを読むな存在になってしまっていた。
そうなると天下人秀吉にとって、利休を同席させない方が良いという判断を下すことにつながった可能性が高い、というのが本書の説。
利休の茶はいやおうなく政治性を帯びることになってしまったため、利休が政治的には引退して茶席に引き籠るという選択肢は残されていなった、
よって「追放」され生命を断たれるほかなかった、とのこと。
鎌倉時代ほどではないにせよ、桃山時代においても権力者の転落の後は死しかありえないわけで、十分説得力があると思った。
また、文化的に武家を馬鹿にする公家に対応し、足利義満は能楽という、信長・秀吉は茶道という新しい文化で対抗という説明文脈は非常にわかりやすい。
最終的にそれらは朝廷・公家に認められたわけであり、権力者の眼力とともに、選ばれた新文化にそうなる魅力と高尚さがあったことも指摘せざるを得ない。