講談社 - 講談社学術文庫作品一覧
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4.0革命後、ジャーナリズムが勃興したフランスで一気にブレイクした「生理学」シリーズ。現代の「スーパー・エッセイ」のたぐいですが、バルザックの観察眼にはなかなか唸らせられます。冒頭の定義があります。「役人とは生きるために俸給を必要とし、自分の職場を離れる自由を持たず、書類作り以外なんの能力もない人間」現在と同じではありませんか! 付録に、一九世紀の役人文学3篇を追加。(講談社学術文庫)
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5.0いつ、誰によって、どんな目的で作られたのか。その源流は何か。どのような人たちに伝承、利用されてきたのか――。日本の言語文化史の中核であった「いろはうた」に秘められた日本語の歴史と、そこに見えてくる現代語表記の問題に迫る。日本語をめぐる知的な営為のあり方を探り、従来の国文法を超克した日本語の姿を描く、日本語史研究の古典的名著。
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3.0「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」(川端康成)は英語で「The train came out of the long tunnel into the snow countory」(サイデンステッカー)。世界を表現する際の「視点」 の違い。英語は「神の視点」を得ることによって主語の誕生を準備したが、「虫の視点」を持つ日本語にはそれは必要なかった。英語の歴史を踏まえ両言語と文化の違いを考察。
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-ヘロドトスとトゥキュディデスは、ともに紀元前5世紀のギリシア、最盛期のアテナイに生きた歴史家である。しかし二人はいずれも、自らを「歴史家」とみなしてはいなかった。この時代、まだ歴史というジャンルは存在しなかったからである。ギリシアの文学的伝統のなかから「歴史叙述」という新たなジャンルを創設し、さらに「歴史学」への一歩を踏みだした二人の実像を描き、今後の課題を考える歴史学への入門書。 ペルシア戦争を主題として、ギリシアからオリエントの地理・歴史と伝承を網羅し、「歴史の父」と呼ばれるヘロドトスの著述は、東地中海世界を自由に飛翔するかのように想像をふくらませ、時に荒唐無稽なエピソードも盛り込まれる。一方、ヘロドトスより一世代ほど若いトゥキュディデスは、「先輩」のこうした手法を批判し、近代歴史学にも通じる史料批判で確かな事実を重ねて、アテナイとスパルタが覇権を争ったペロポネソス戦争を記録した。しかし、ヘロドトスは本当に、後世の歴史家が批判するように「嘘つき」だったのか? そして、トゥキュディデスが書かなかった事柄のなかには、どんな史実が隠されているのだろうか? 個性豊かな二人の天才歴史家に、再び教えを請うべき時が来ている。 [原本:『ヘロドトスとトゥキュディデス――歴史学の始まり』山川出版社2006年刊] 目次 1 二人の歴史家と二つの戦争 2 ヘロドトスは嘘つきか? 3 新しいヘロドトス像 4 ヘロドトスの描いた史実 5 トゥキュディデスの「ヘロドトス批判」 6 トゥキュディデスが書かなかったこと 7 歴史叙述から歴史学へ あとがき 学術文庫版あとがき
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4.3院政期の上皇が、鎌倉時代の武士が、そして名もなき多くの民衆が、救済を求めて歩いた「死の国」熊野。記紀神話と仏教説話、修験思想の融合が織りなす謎と幻想に満ちた聖なる空間は、日本人の思想とこころの源流にほかならない。仏教民俗学の巨人が熊野三山を踏査し、豊かな自然に育まれた信仰と文化の全貌を活写した歴史的名著が、待望の文庫化。
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4.5『吾輩は猫である』を1905年に発表し、文壇に登場してから絶筆となった1916年の『明暗』まで、10年余りの作家活動で人生を深く考察した夏目漱石。その読み手として著名な直木賞作家・出久根達郎氏が、「漱石の作品のすべてが人生を論じている」として選んだ随筆、講演、書簡などから、人間と人生を凝視した警句と人生訓を読み取る。(講談社学術文庫) ※この電子書籍の底本である、講談社学術文庫の原本は、2001年4月に講談社より講談社文芸文庫として刊行されました。『漱石人生論集』は、講談社学術文庫を底本とし電子化した電子書籍のほかに、講談社文芸文庫を底本とし電子化した電子書籍も配信中です。電子書籍の講談社文芸文庫版には、電子書籍の講談社学術文庫版に収録されている「解説」(出久根達郎)が収録されていません。
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-日本人にとって「軍隊」とはなんだったのか。大日本帝国軍隊は、天皇に直隷するまさに「天皇の軍隊」であった。天皇は軍人の「頭首」として、斃れた将兵の魂魄を守る者としても存在した。しかし、天皇の名による軍隊生活の実態とは…。徴兵の恐怖感、凄惨な私的制裁、兵士たちの性生活と花柳病、遺された家族の貞操…。戦争が長期化するなかで、軍隊は大衆化し、軍官僚は肥大化して「天皇の軍隊」は大きく変質していった。(講談社学術文庫)
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3.8数学には人類の長いあいだの経験が集積されている。細かい計算や技巧の歴史としてではなく、ものの見方、考え方の歴史としてその道程を振り返るとき、目のまえには見たことのない数学の「風景」が広がるだろう。数学の歴史は私たちの思想の歴史にほかならない。数を数えることから現代数学までを鮮やかにつなぐ、数学入門の金字塔。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-本書は、主著『エチカ』で知られるバールーフ・デ・スピノザ(1632-77年)がその執筆活動の初期に残した代表作の一つです。 従来『神、人間および人間の幸福にかんする短論文』が最も早い著作と考えられてきました。しかし、近年の研究では本書『知性改善論』こそ、1656年後半から61年前半に書かれた最初期の論考である、という説が有力になりつつあります。アムステルダムにユダヤ人として生まれ、ユダヤの教育を受けたものの、1656年には破門されるに至ったスピノザが、デカルトやベーコンの哲学を会得した上で、「神」について、無限なる属性としての思考と延長について独自の見解を紡ぎ、語り始めた、画期となる著作です。 精神と全自然との合一の認識、永遠無限なるものへの愛、揺るぎない幸福の追求など、本書には『エチカ』のモチーフをはっきり見て取ることができます。おそらくは時間のなさゆえに本書は未完のまま放置されましたが、しかしその哲学は『エチカ』に引き継がれ、さらなる発展と深化を遂げていくことになります。その意味で、本書はスピノザが「哲学者」になる過程を記録した生々しいドキュメントであるとともに、著者自身による最良の『エチカ』入門でもあると言えるでしょう。 『知性改善論』については、長らく畠中尚志訳(1931年、改訳1968年)が読み継がれてきました。本書は、気鋭の研究者が最新の研究成果を取り込みつつ、充実した訳注とともに「今日の日本語」でスピノザを読めるようにと全力で完成させた待望の新訳です。 [本書の内容] 読者に告ぐ 〔導 入〕 〔方法の規定〕 〔方法の第一部〕 〔方法の第二部〕 訳 注 文献一覧 訳者解説
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-名著、復刊。 ソフィストとは「にせものの知識を売物にして人を欺くような言論を試みる者」というような悪名を被されているが、本来はけっしてそのような悪い意味ではないのだというところに、本書の著者は出発点をおく。そしてソフィストの概念を克明に追求して明らかにし、ソフィストが西洋の思想史において持つ意味や果たした役割を積極的に評価し、その上で古来ソフィストに冠せられてきた悪名の由来を丹念に解き明かそうとするものである。
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4.1〈わが国初のノーベル賞に輝く湯川博士、生涯の記念碑的作品〉 〈1946年の初版*以来、学問に志す多くの若者達の心をとらえ続けてきた名著!〉 「中間子」を発見し素粒子物理学を大きく前進させた著者が、現代物理学の物質観を、そして同時に、今日の自然科学的なものの見方・考え方を、だれにもわかる平易な言葉で説く、不朽の科学入門。 「目に見えないものの世界」への旅立ちを伝える諸篇には、深く豊かな知性が光り、「真実」を求めてのあくなき思索が生み出した珠玉の言葉には、ひとつの確かな思想がある。 現実は痛切である。あらゆる甘さが排斥される。現実は予想できぬ豹変をする。あらゆる平衡は早晩打破せられる。現実は複雑である。あらゆる早合点は禁物である。(本書「真実」より) *本書の原本は1946年に甲文社より刊行されました。 【本書の内容】 第一部 1.理論物理学の輪郭 1 自然哲学 2 近代物理学 3 現代物理学 2.古代の物質観と現代科学 1 古代インドの自然観 2 現代の物質観との対比 3 因果と時間の問題 3.エネルギーの源泉 1 物質の構造 2 放射線の本体 3 力とエネルギー 4 原子内のエネルギー 5 太陽のエネルギー 4.物質と精神 1 二つの通路 2 物理学的世界 3 物質から精神へ 4 科学の根源 第二部 1.半生の記 2.ガラス細工 3.少年の頃 4.二人の父 第三部 1.物理学に志して 2.科学と教養 3.真実 4.未来 5.日食 6.眼の夏休み 7.読書と著作 8.話す言葉・書く言葉 9.『現代の物理学』 10.『物質の構造』 11.『ピエル・キュリー伝』 12.目と手と心 13.目に見えないもの 14.思想の結晶
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3.520世紀最大の哲学者マルティン・ハイデガーが第二次大戦後に行った「技術」をめぐる三つの講演。瓶(かめ)や橋、家屋といった身近な物から出発し、それらの物がどのようなあり方をしているのかを考え、ついには「世界」に到達する講演「物」と「建てること、住むこと、考えること」、そしてモノとヒトを資源として用いながら膨張を続ける現代技術のシステムを問う「技術とは何だろうか」。第一級の研究者による決定版新訳!
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-明治中期の下層民の生活を克明に記録したルポルタージュ。徳富蘇峰の「国民新聞」に連載され、明治26年11月に民友社より刊行された。文明開化に沸き、日清戦争を目前にして「一等国」入りしつつあった明治日本の帝都には、すでに都市開発と経済成長に取り残された「貧民窟」がいくつも形成されていた。「東京論」の一つの視座として、また、現代の「格差社会」を考えるためにも必読の書。巻末解説を坪内祐三氏が執筆。(講談社学術文庫)
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3.0本書は、現象学を土台にして幾多の哲学者や思想家を扱ってきた第一人者が「近代哲学の祖」ルネ・デカルト(1596-1650年)との「対話」に挑んだ記念碑的な1冊です。 よく知られているように、デカルトはあらゆる学問を修めた末、そこに自分が求める「真理」はないことを悟りました。そうして「世界という大きな書物」と向き合うために旅人として生きることを選んだものの、やはりそこにも「真理」を見出すことはできませんでした。そうしてたどりついたオランダの地で、まさに生死を賭けた思索に取り組むことになります。それが、少しでも疑いうるものはすべて斥けて「絶対に疑いえない」ものを目指す「方法的懐疑」と呼ばれる思索でした。 その過程でたどりついたのが「われ思う、ゆえにわれあり(私は考える、ゆえに私は存在する)」という、よく知られた命題にほかなりません。しかし、それは決してデカルトが到達した最終結論でもなければ、デカルトが求めた「真理」でもありませんでした――本書は、そのことを哲学者との真摯な「対話」の中で明らかにしていきます。この命題はデカルトにとっては通過点にすぎず、方法的懐疑が導き出したのも「近代的自我」とされる「私」では決してなかった。ならば、その思索はいったいどこに進み、何を明らかにしたのでしょう? 本書は『方法叙説』(1637年)と『省察』(1641年)という二つの主著をていねいに読み解きながら、驚愕すべき結論に向かっていきます。著者とともに歩んでいくことで、「哲学」とはいかなる営みなのか、そして本当に「考える」とはどういうことなのかを実際に体験することができるでしょう。 [本書の内容] 序 章 哲学とは何か 1 死んだものとの対話 2 「よき生」のために 第一章 「われ思う」のは誰か 1 夢 2 狂 気 3 「私」とは何か 第二章 「われ思う」に他者はいるか 1 観念の起源へ 2 「無限」ということ デカルト小伝 読書案内
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4.5ルネ・デカルト(1596-1650年)の代表作は、この新訳を待っていた――。 本書の訳者を務める小泉義之氏は、哲学や精神医学から現今の政治に至るまで、幅広い問題をめぐって繊細かつ大胆な思考を展開してきた。その根底に、自身が『意味の論理学』の翻訳をしたジル・ドゥルーズの哲学があることは、よく知られている。 だが、小泉氏自身の「原点」として厳然と存在し続けているのは、ルネ・デカルトにほかならない。最初の著書『兵士デカルト』(1995年)から四半世紀、ここに渾身の新訳をお届けする。 多くの訳書で採用されている『方法序説』ではなく『方法叙説』という日本語題を採用したことも含め、本書は細部に至るまで、小泉氏にしかできない思考と工夫が浸透している。 今後、デカルトの最も有名な著作を読むとき、この訳書を無視することはできないはずである。 [本書の内容] 第一部 第二部 第三部 第四部 第五部 第六部 訳者解説 文献一覧
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3.7イマヌエル・カント(1724-1804年)が1795年に発表したこの小著の日本語訳の主なものは四種類あります(高坂正顕訳(1949年)、宇都宮芳明訳(1985年)、中山元訳(2006年)、池内紀訳(2007年))。それらはすべて『永遠平和のために』というタイトルで出され、多くの読者の手にされてきました。 では、なぜあえて新しい訳を出すのか――練達の訳者は、思案した末、やはり新しい日本語訳が必要だという結論に達して、本書を仕上げました。その一例は、本書第1章のはじめにある「Friede, der das Ende aller Hostilitaten〔原文はaにウムラウト〕bedeutet」という個所です。既存の訳の訳文を一覧にすると次のようになります。 (高坂正顕訳)「平和とはあらゆる敵意の終末を意味し」 (宇都宮芳明訳)「平和とは一切の敵意が終わることで」 (池内紀訳)「平和というのは、すべての敵意が終わった状態をさしており」 (中山元訳)「平和とはすべての敵意をなくすことであるから」 これらの日本語を読むと、カントは誰もが「敵意」を捨て、心のきれいなよい人になった状態を「平和」と呼んでいる、と思うのではないでしょうか? そのとおりだとすれば、ほんの少しでも「敵意」を抱くことがあるなら、決して「平和」は訪れない、ということになります。しかし、そもそも「敵意」をまったく抱かないなどということがありうるのだろうかと考えると、カントは現実離れした理想を語っていたと感じられてきます。 でも、ここでちょっと考えてみよう、と本書の訳者は言います。原文にある「Hostilitaten」を「敵意」と訳すのは本当に正しいのだろうか、と。確かに「Hostilitat」(単数)は「敵意」だけれど、カントがここで書いているのは「Hostilitaten」という複数形です。これは「敵対行為、戦闘行為」を意味します。だから、この個所は次のように訳すべきでしょう。 (本書)「平和とは、あらゆる戦闘行為が終了していることであり」 上の四種の訳文とはずいぶん意味が異なるのではないでしょうか。こんなふうに、この著作は現実離れした理想を語ったものではなく、現実から離れずに「永遠の平和」というプロジェクトを提示したものなのです。カントの本当の意図は、本書を通してこそ明らかになるでしょう。 [本書の内容] 第1章 国どうしが永遠の平和を保つための予備条項 その1/その2/その3/その4/その5/その6 第2章 国と国のあいだで永遠の平和を保つための確定条項 永遠の平和のための確定条項 その1/永遠の平和のための確定条項 その2/永遠の平和のための確定条項 その3 補足 その1/その2 付 録
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-明治35年、学習院在学中の著者は宮中に召し出された。4、5人の少年たちとともに、大人たちが出入り禁止の奥御殿で天皇に仕えるのである。10歳の少年が近くで見た明治天皇は、大声で厳しく、几帳面ながら、優しい思いやりを見せた。「大帝崩御」後は、昭憲皇太后、大正天皇、貞明皇后、秩父宮らに近侍し、半世紀を宮中に仕えることとなる。近代史研究者にたびたび引用されてきた重要史料の、初の文庫化。原武史氏が解説執筆。
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-円周率、√2、微分・積分、時間、無限……人類はこうして「問題」を解いてきた! 大家による究極の歴史ガイド。 数学がイデアの世界の産物だった古代ギリシアから、現実世界に埋め込まれたルネサンスを経、「時間」を取り込んだニュートンとライプニッツの微積分、そして「無限」を導入し両者の統合を果たした解析学へ――。数学が2000年以上にわたって切り拓いてきた歴史の道程を、「問題」と格闘する精神の軌跡として簡潔明瞭に描く、啓蒙の大家による入門書の決定版!(解説:上野健爾) [目次] はじめに 序章 聞いてみたいこと 第1章 深い森へ 1 円周率 2 ピタゴラスの定理 3 平行線の公理 4 ツェノンの逆理 第2章 近世に向けての旅立ち――文明の流れのなかで 1 中世から近世へ 2 火薬と大砲――運動に向けての視線 3 コンパス 4 活版印刷 5 時計 第3章 ヨーロッパ数学の出発 1 デカルトの“方法” 2 ニュートンの『プリンキピア』 3 微分・積分の創造――ニュートンの流率 4 ライプニッツの無限小量 第4章 数学の展開 1 開かれた社会へ 2 バーゼル問題の解と『無限解析』 3 オイラー――無限のなかの算術 4 無限小量への批判 第5章 関数概念の登場 1 変化するもの 2 関数、グラフ、極限 3 微分――関数への作用 4 積分――関数のひろがり 5 微分と積分――数学の2つの方向 第6章 解析学の展開 1 テイラー展開と因果律 2 複素数 3 正則性 4 波立つ変化 おわりに 数学の歩みをふり返って (解説 数学の世界の爽やかな拡がり 上野健爾)
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4.2格差拡大、雇用不安、デフレ、グローバリズムの停滞……。「構造改革」以降、実感なき好景気と乱高下する日本経済。過剰な貨幣発行がもたらす問題、「複雑な“経済現象”」と「理論重視の“経済学”」の乖離など、現代資本主義が直面する困難を徹底的に検証。 アダム・スミスから金融理論、リーマンショックからアベノミクスまで、経済学の限界と誤謬を提示する。 内容抜粋 「経済学」がひとつの思想でありイデオロギーであるとすれば、今日の支配的な経済学の考え方とは異なった「経済」についての見方はできないか。「稀少な資源の配分をめぐる科学」というような経済学の典型的な思考方法ではない、別の思考様式はないのか、ということだ。―――学術文庫版「はじめに」より 目次 学術文庫版「はじめに」 第1章 失われた二〇年――構造改革はなぜ失敗したのか 学術文庫付論 第2章 グローバル資本主義の危機――リーマン・ショックからEU危機へ 学術文庫付論 第3章 変容する資本主義――リスクを管理できない金融経済 第4章 「経済学」の犯罪――グローバル危機をもたらした市場中心主義 第5章 アダム・スミスを再考する――市場主義の源流にあるもの 第6章 「国力」をめぐる経済学の争い――金融グローバリズムをめぐって 第7章 ケインズ経済学の真の意味――「貨幣」の経済学へ向けて 第8章 「貨幣」という過剰なるもの――「稀少性」の経済から「過剰性」の経済へ 第9章 「脱成長主義」へ向けて――現代文明の転換の試み あとがき――ひとつの回想 学術文庫版あとがき 2012年刊行、講談社現代新書『経済学の犯罪』を改題、 大幅加筆修正したものです
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3.0「国民の存在は日々の人民投票である」―― この有名な言葉が見出される本書は、エルネスト・ルナン(1823-92年)が今からちょうど140年前、1882年3月11日にパリのソルボンヌで行った名高い講演の記録です。 文献学者として出発したルナンは、その手法を用いて宗教史に取り組み、コレージュ・ド・フランスの教授に就任しましたが、イエスを「比類なき人間」だと断言したことで物議を醸しました。その主張は1863年に『イエスの生涯』(邦訳・人文書院)として出版され、たちまち大ベストセラーとなって名を馳せます。 そんなルナンが、なぜ「国民」について論じることになったのか? そのきっかけは普仏戦争(1870-71年)での祖国フランスの敗北にあります。第二帝政の崩壊、パリ・コミューンの騒擾、そしてアルザス・ロレーヌの割譲といった政治的悲劇を目のあたりにした宗教史家は、にわかにナショナリストとしての顔を見せ始め、政治的な発言を積極的に行うようになりました。その白眉とも言うべきなのが、敗戦から10年あまりを経て行われた本書の講演にほかなりません。 振り返れば、フランス革命に起源をもつとされる「国民国家」の根幹をなす「国民」とは、いったい何なのでしょう? ルナンは、人種、言語、宗教、さらには利害の共通性、国境など、さまざまな要因を検討した上で、それらのいずれも「国民」を定義するには不十分であることを明らかにします。そうして至りついたのが「国民とは魂であり、精神的原理です」という主張でした。国民という「魂」を形成しているものは二つ――過去の栄光と悔恨の記憶、そしてともに生きていこうとする意志です。これら二つを現在という時の中に凝縮した形で述べた定義が、冒頭に挙げた「国民の存在は日々の人民投票である」だったのです。 本書は、フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』(1808年)と並ぶ「国民」論の古典中の古典として読み継がれ、アーネスト・ゲルナー『国民とナショナリズム』(邦訳『民族とナショナリズム』岩波書店)、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』(邦訳・書籍工房早山)など、20世紀のナショナリズム研究を生み出す基礎になりました。その流れは、グローバリズムの進展の中で逆説的にも国民国家が存在感を増している今日もなお継続されています。 にもかかわらず、本書は日本では文庫版で読むことができずにきました。最適任の訳者を得て実現した明快な新訳は、現代世界を理解するために不可欠の1冊となるはずです。
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4.3ガリレオにしか作れなかった高倍率の望遠鏡に、宇宙はどんな姿を見せたのか?──1609年7月に初めて製作した望遠鏡の倍率は3倍。その4カ月後には、他の誰にも追随できない20倍の倍率を実現したガリレオは、翌年初頭から天体観測を開始した。人類が初めて目にしたレンズの先には、月の表面の起伏が、天の川をなす無数の星が、そして木星をめぐる四つの衛星が現れた。人類初の詳細な天体観測の貴重な記録、待望の新訳!※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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4.21932年、国際連盟がアインシュタインに依頼した。「今の文明においてもっとも大事だと思われる事柄を、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてください。」選んだ相手はフロイト、テーマは「戦争」だった――。宇宙と心、二つの闇に理を見出した二人が、戦争と平和、そして人間の本性について真摯に語り合う。養老孟司氏・斎藤環氏による書きおろし解説も収録。
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-東京は京都より敬語が多い? 「ご遠慮ください」は失礼? 「お前」は敬語だった? 貴人は「する」より「なる」? 「敬語は日本語の美しさである。しかし、度をすぎるとうんざりする。」敬語はなぜ生まれたのか。尊敬と相殺される親愛の感情は、どう表現したらいいのか。原日本語、上代から奈良、平安、そして現代へ。敬語の起原と変遷をたどり、情況にふさわしい使い方を考える。一級の言語学者がじっくり向き合う、敬語の歴史と実用。(解説・滝浦真人) 底本:『日本の敬語』角川新書、1959年 【本書の内容】 第一章 序説 一 英語と日本語 二 日本の敬語は文法的 三 日本の敬語は相対性敬語 四 敬語の起原と階級 五 敬語の起原とタブー 六 アイヌの妻女 七 アイヌの婦人語と敬語 八 アイヌ代名詞の構造 九 日本代名詞の構造 一〇 名詞の敬称 一一 結 論 第二章 起原:どうして日本の敬語が起ったか 一 原日本語と敬語法 二 上代日本語の敬語法1 「ます」考 三 上代日本語の敬語法2 「せす・けす・めす・をす・なす・こやす」考 四 上代日本語の敬語法3 「たまふ」考 五 上代日本語の謙称動詞1 「たぶ・たばる・まつる」考 六 上代日本語の謙称動詞2 「まをす(申)」考 第三章 変遷:奈良から平安への敬語のずれ 一 上代敬語と古代敬語の対比 二 平安時代の敬語助動詞の起原 三 奈良・平安の相違 四 万葉語における「頂戴す」について 五 「見めす」の忘却 六 「せす」のまちがい 七 御立為之の誤訓 八 物語文学と敬語 九 後代の敬語 第四章 現代の敬語:どうあり、どうなるべきものか 一 序 論 二 名詞・代名詞 三 動詞 四 地方別 五 現代敬語の無軌道さについて 第五章 結論 一 敬語のとどかない名歌 二 歌から見た敬語の本質 三 結びの言葉 付録 これからの敬語 解説 滝浦真人
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-文久二年十月、正使三條實美、副使姉小路公知の両勅使東下。将軍家茂と相見し、攘夷実行、親兵選貢を旨とする勅書を授くるに、家茂勅諚奉戴の答書をたてまつる。巷間、志士による私刑横行し乱世の兆し顕著にして、幕威ますます墜つ。一方、幕府を通ぜず諸大名に直接命令を下されるがごとく朝権一層伸張し、天皇親政の実を半ば現呈せんとする形勢。今や「尊皇攘夷」は理想でなく現実となり来った。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-文久二年五月勅使大原重徳、添役島津久光東下、将軍家茂と相見し、慶喜を後見職、春嶽を総裁職に任ずべき勅旨を伝達。長藩、開国航海の看板を撤去、尊皇攘夷に転向。久光、幕府をして勅命奉承実施するに至らしめ、八月京都へ復命すべく上京の途に就く。行列川崎を過ぎ生麦へ差し掛かりし時、日本の風習を知らざる英人供先へ騎馬にて乱入。言語通ぜず、供頭一名を殺害。世にいう生麦事件を惹起す。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-文久元年五月、長藩長井雅楽は航海遠略を公武合体の楔子とすべき旨趣の口上書を朝廷に提出、朝幕間を周旋するも同二年正月十五日、坂下門外に於て閣老安藤対馬守が水戸浪士らに要撃される事件出来で頓挫。天下の大勢は長井流の公武合体策の実現すべからざるを見、薩藩島津久光は大兵を率いて上洛、朝主幕従公武合体を主唱、同年四月二十三日、尊攘派有馬新七ら薩藩士同士の乱闘、寺田屋事件起る。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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5.0井伊大老横死後幕府の実権を握った久世・安藤は、大老の遺策となった和宮降嫁を朝廷との軋轢緩和の一とするも、乾坤一擲、外夷掃除の大力量はなかった。時に公卿岩倉具視、御降嫁を公武合体の楔子とすべく天皇の諮門に答えて上書。はじめ忌避していた和宮もついにこれを承諾。「惜しまじな君と民とのためならば身は武蔵野の露と消ゆとも」と詠じて東下。自ら将軍家茂の御台所としてその生涯を捧ぐ。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-万延元(1860)年一月、咸臨丸浦賀を出港、我が遣米使節一行も米艦に乗り品川を出帆。ワシントンに着し閏三月二十八日米大統領に謁見、条約書の交換を了す。翌文久元年、東洋における列強勢力角逐のとき、露人対馬の一角を占拠、対馬は露・英の争地となる。秋に英艦隊司令官、対馬に至り露艦隊の不法を詰問、露艦撤去。されど「前門虎を拒み、後門狼を進む」の危惧は拭えず、開国初期の緊泊は続く。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-春雪舞う、芝愛宕山上に会合したる水薩脱藩浪士、三々五五時刻を見計らい下山、大老の襲撃の機を窺う。時に万延元年三月三日午前九時。この日上巳を賀すべく井伊直弼に登らんとして桜田門外に来るや、彼の義盟十八士、降りしきる雪を衝いて行列を襲う。満目白皚々の積雪原を血に染めたる一瞬の激闘は終り、大獄の元凶斃れ、佐幕の諸侯驚愕し、その方嚮に迷い、天下の志士その志を得、ここに明治維新遂行の序幕は上がったのであった。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-島津齊彬逝きて以来、天下の大名、起って敢然井伊と抗衡せんとする者一人だになく、安政六年井伊の位置は天下無敵を驕り、その探偵政治による志士狩りは燎原の火となりて広がるも、諸藩みな拱手して形態を観望、自藩より犠牲者を出すに至る。即ち、藩では西郷隆盛を遠島に、長では吉田松陰を江戸に護送、越は藩の長城たる橋本左内を幕史の犠牲に供す。かくて草莽崛起を説く松陰の処刑をもって惨刑酷法を極めたるは粛清は終焉を告ぐ。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-安政五年九月中頃、老中間部詮勝入洛参内に及び、攘夷鎖国の方針に対し、「只今争端を開き候ては容易ならざるの御一大事」との諸大名の建議を逆手に執り、条約調印の止むを得ざる事情を「御氷解」し、「鎖国の良法」引戻しを俟つとの事実上の勅許を得るや、俄然、井伊直弼武断強行策を命ず。間部らは飢狼の群羊に闖入するが如く、正義派に対し讒講誣曲の言説を逞しうし公卿衆を威嚇、辞官、落飾を迫り、維新史空前の大獄へ突入した。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-井伊大老の水・尾・越藩主に対する措置は、専断調印に劣らぬ刺戟を至尊に与え、遂に「賜勅水戸」の緊迫事態を招く。直弼その出処は齊昭にありと猜定、京都の気勢を挫く第一着手として水戸を圧迫。次いで京都不逞の徒を退治せんとする刹那九條関白の辞職の報に接し驚愕、直ちに酒井所司代の赴任を急がせ、奸賊の手先召捕りを間部老中に訓令、上洛を促す。かくして九月七日の梅田雲濱捕縛を皮切りに暗雲惨憺たる一大悲劇は開始された。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-安政五年四月二十三日、継嗣問題切迫の瀬戸際、疾雷耳を掩うに及ばぬ迅速をもって井伊直弼大老に就任。主眼は水戸派退治・反一橋派であり、勢い紀州派と不可分に絡む日米修好通商条約の幕府責任調印を断行。違勅面責のため登城したる慶喜・齊昭・慶恕・慶永らを罰する決意を固め、五年六月二十五日慶福継嗣を発表。七月四日将軍家定危篤、五日急遽面詰登城組の処分裁決を発表。七月六日家定死去。時局は暗転緊迫の度を加え来った。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-時艱にして偉人を憶う。田沼時代の悪政改革の気運が、松平定信を推薦し、老中主座に就かしめ、彼を刺戟し、旧来の陋習を一新せしめた。が、彼は眇乎たる時代の一偶像にあらず。ひとたび相位に坐るや、かかる時勢を促進し、壊廃せんとする幕政を緊粛し、世にいう「寛政改革」を断行。次いで異学禁制を発し国内の思想統一を図る一方、尊号問題において、朝幕勢力の権衡を賭け、崩壊寸前の幕威を維持し、徳川政権中興の業を達成した。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-世にいう「田沼時代」とは、田沼意次が側用人ないし老中として実権を握っていた明和四年から失墜する天明六年に至る十九年間をさす。本書は、この間の幕政腐敗の因を賄賂の問屋意次の執政によるとしつつも、彼のオランダ癖が期せずして蘭学の恢弘を促し、前野良澤・杉田玄白・大槻玄澤ら蘭学者を輩出、山師平賀源内の活躍を助長、さらに工藤平助による北方脅威論に及ぶなど、時代を歴史の流れの中で据え開国気運の胚胎の必然を説く。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-山崎闇齋・山鹿素行・熊澤蕃山らは共に元禄以前における徳川時代の思想界の代表者であり、その立論に異同あるも国家的自覚心の鼓吹者となった。加うるに徳川光国を開山とする水戸史学は、彼らの高尚、空遠なる理論よりも実行可能性を追究、宗教的熱血を帯びるに至った。本篇は、かく朱子学と史学の濫觴が、一川を左岸と右岸に沿って流れ、維新の大河氾濫に至るを望見しつつ、日本固有思想が国民間に醗酵し、凝結したかを物語る名篇。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-元和二年(1616)四月家康逝きて、慶安四年(1651)四月家光没するまでの三十七年、すなわち秀忠・家光の二代間に、徳川幕府はあらゆる方面において、中央集権の設備結構を成就。対皇室、対公家、対大名、対外国、対庶民、いずれも幕府中心主義、幕府安全第一主義、幕府至上主義から演繹せらざるものではなく、かつそれらはあたかも潮の押し寄するがごとく、歩一歩ずつ、すべての権力を江戸なる幕府の将軍に集注し来らしめたのだった。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-島原の乱の原因はヤソ教徒の反乱か、苛斂誅求の結果か―。関ヶ原の役から三十年余の間に徳川幕府の一切の仕組は整頓せられ、爾来二百有余年の泰平は維持せられた。本篇はその間における歴史過程、特に、従来の歴史家に閑却せられてきた宗教的弾圧と鎖国政策との至緊至切の関係を説きつつ、何故に幕府当局者は鎖国令を徹底励行せしめるに至ったか、かかる形勢を馴致せしめたる徳川幕府の自存主義の是非を後世史家の問う雄篇である。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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