川北稔の作品一覧
「川北稔」の「砂糖の世界史」「史的システムとしての資本主義」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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ビジネス・実用
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Posted by ブクログ
"p12 カナダの国旗に描かれている「かえで」のマークは『砂糖かえで』と言われている
p15 サトウキビの栽培には適度の雨量と温度が必要なうえ、その栽培によって土壌の肥料分が消耗して土地が荒れるため、次々と新鮮な耕地を求めてどんどん移動していかないと行けない性質がある
p24 エチオピアが原産地だったコーヒーはインドネシアのジャワやブラジルやコロンビアにたどり着き、プランテーションで作られるようになった
p25 ヨーロッパからアメリカに移されたもので馬があるため、西部劇の世界は「コロンブスの交換」無しにはありえなかった
p28 砂糖あるところに奴隷あり。
p29 金平糖、カステラはポルトガル語から来ているが、ポルトガル人が奴隷をアフリカで獲得し砂糖プランテーションを作ることが容易だったから
p34 アメリカの先住民はインディオと呼ばれるが、コロンブス時代のヨーロッパ人がその土地をインドだと勘違いしたから。また、スペイン人の持ち込んだ病気などによってほとんど死滅してしまい、残ったのは岩山と海賊だけ
p39 砂糖生産ばかりになってしまったカリブ海などはモノカルチャーといわれるようになった
p64 砂糖は昔、医薬品として扱われていた。白くて甘くて高価だから。効かないわけがないといわれていた。
p73 茶は紅茶も緑茶も、もともとは同じ葉っぱで加工の工程で紅茶になるらしい
p77 茶と砂糖は当時は高級なもので、ステイタスシンボルのために茶に砂糖を入れていた。アホ
p80 イギリスでは19世紀になると刑務所の囚人でさえ紅茶を飲むようになった。その結果、イギリスでは茶葉は1枚も取れないのに紅茶といえばイギリスを思い浮かぶようになりました。
p84 クロムウェルが東インド会社の組織を変更し、世界で最初の株式会社を作った
p96 コーヒーハウスという情報交換センターのようなカフェのような場所で科学革命が起きた。ニュートンもここの会長を勤めている。コーヒーハウスでは取材や集会があったり、新聞を読むのも誰かが声を出して読み上げ、みんながそれに耳を傾けるというものもあったりした
p97 南海泡沫事件(サウスシーバブル)がバブル経済の語源である。内容は南海会社という会社がスペイン領植民地に奴隷を売りさばいたりしていており、大変儲けていた。それにつられて他の会社も株価が高騰し、中には全く内容のない会社も株価が高騰した。そして1720年になると急に株価が急落し、紙屑同然になってしまった。これがサウスシーバブル事件である
p103 コーヒーハウス(喫茶店)がなくなった理由:1665年にペストが流行り、死体を大きな穴に投げこまなければならない状態になり、田舎に逃げ惑う人たちがいっぱい発生しました。また、1666年でも「ザ・ファイア」(火事)が発生しました。それでもコーヒーハウスはすぐに復興した。
自由に色んな人たちが出入りするところがコーヒーハウスの良いところでしたが、クロムウェルの革命などが続いて社会に上下関係が生まれるようになった。それにより同じ階層の人しか集まらないようになり、「クラブ」というものに変わっていった。
また、お酒が出るようになったり、賭け事が行われるようになり、治安が悪くなっていったことも要因としてあげられる。これは「チョコレートハウス」と呼ばれるようになった。
p123 ボイコットという言葉は小作人に厳しくしすぎたために、小作人からボイコットされたアイルランドのイギリス人地主「ボイコット大佐」の名前から生まれたもの。
p129 フランスでは家庭に入ってきにくいコーヒーが主体だったためにカフェが存続した。紅茶が主体だったイギリスは家庭でも取り入れやすいものだったため、コーヒーハウスははやらなくなった。
p136 1820年代にバンホーテンが粉末チョコレート(ココア)をつくった。1875年にはネスレが作った粉ミルクを混ぜて、スイス人のダニエルペーターがミルクチョコレートを作った。
p137 バレンタインデーはチョコレートと全く関係ない。昔のイギリスには牧師が子供たちに小遣いとして小銭をあげるという習慣はあった。
p139 セリで売られる黒人の赤ちゃんの絵が衝撃的
p149 「パンチ」は元々アルコール飲料でこれがいつしかフルーツパンチになった。これはアルコールの入っていない飲料である
p153 明治になってから沖縄を除いて砂糖が輸入されるようになり、日本のサトウキビ栽培は維持できなくなった。ただ、高級品であった珍重され和三盆は生き残った。
p173 今のティーカップには下に敷くソーサーがついており、レモンや角砂糖など置くが、本来はもっと深いものであの受け皿に注いで冷まして飲んでいた。
p193 砂糖には主にサトウキビとサトウダイコン(ビーツ、てんさい)があり、味も異なるらしい
p203 まとめ:砂糖は主にカリブ海で生産されたが、労働力はアフリカから黒人奴隷として導入されたし、砂糖のほとんどはヨーロッパで消費された。"
Posted by ブクログ
少しはイギリスの歴史(せめて近代史)を学ぼうと思い、手にとった一冊。先ず、経済発展を供給側の事情(労働者、技術、素材等)から読み解くのではなく、需要側(消費者、或いは彼らの生活の変容等)の変化に帰せて理解するという著者の視点が面白い。この視点を表現するべく、本書はイギリスの家族構成やライフサイクルといった話からスタートする。例えば、イギリスは早い時期から単婚核家族/晩婚の社会であり、更に14歳前後から約10年に渡りどこかよその家に奉公に行く(著者はこれをライフサイクル・サーヴァントと呼ぶ。例えば徒弟)という家族の特徴があったが故に、若者はロンドン等の都会を目指した等。そしてこのシステムを土台として都会に人が集まり、社交という文化やファッションという世界が生まれ、それが需要の基盤となった、という流れ。
また、本書はイギリスの衰退論に関しても議論を展開している。著者の結論としては、経済成長の指標だけを見ると必ずしもイギリスの成長は他欧州国に見劣るものではなく、故にこの「衰退感」を生んでいるのは、常に右肩上がりの成長を求める「成長パラノイア」という考え方なのではないかというもの。確かにイギリスは第一次産業革命で他国よりも先に経済発展を果たしたが故に、重工業に代表される第二次産業革命時には、既存の制度や慣習等が足枷となり、他国程の成長を実現できなかったという点はよく指摘される。一方で、自国の成長率のみを見ると必ずしも衰退している訳ではなく、この衰退感は他国との相対的な成長率の比較により生み出されていると考えるのが妥当である。これは今の日本が置かれている状況と酷似しているように思え、またこの成長パラノイアという考え方が、近年のナショナリズムの根底に流れているようにも思える。
総じて、歴史的な事実を学ぶことに加え、需要側の視点を押さえるというのが本書から得た学びであった。例えば、第四次産業革命とも言われる近年のAIの急速な発展は、まだまだ需要側が成熟していない(どう使えばよいのか分からない)状況にあるように思える。この不安定感故に、AIで自動生成した画像/動画を使ってYoutubeで収益を上げる等の、到底社会に何か付加価値を生んでいるとは思えないお金の稼ぎ方をする人が出てくる訳である。次第に需要側が成熟し、AIによる付加価値創出の型のようなものが出来上がってくればこのような事例は淘汰されるはずだが…。近年はどうも供給側が需要を引っ張っていくパターンの方が多いように思える。勿論、両者揃っての市場である訳なので、どちらが完全に優位という訳ではないのだが、何だか人の生活やニーズとかけ離れた技術やサービスが多く提案され、生活者側が四苦八苦しているように感じてしまう。大きく捉えると、これはイギリスの第一次産業革命の成り立ちと逆であり、これが今の時代の特徴であるとも言える。この、「供給主導の市場」という大きな視点を持ちつつ、世の中のニュースを長期的に眺めてみると、何か面白い発見ができるかもしれない。
以下、特に印象に残った箇所
・ジェントルマンというのは、近世以降のイギリス社会の支配階層のことで、女性はレディと呼ばれました。膨大な不動産を所有して、その貸し賃で、上流の生活をする人たちのことです。具体的には大地主がそれにあたりました(中略)毛織物業の経営者やその労働者である織布工のように、自ら労働をえ報酬を得れば、原則として、ジェントルマンの地位を失うとされていました(p.37)
・ぜいたく禁止法は、中世から近代にうつっていく近世という時代に、中世の身分制秩序が崩れていくのを止めるために、世界中の国で出された法です。これがイギリスでは、世界で最初に全廃されました。この点は経済史としても、生活の歴史という点から見ても大きな意味があります(p.52)
・給料が上がった翌日は喜んで寝て暮らすというパターンから、給料が上がったといってますます働くというパターンに変わっていくのは、いつのことだったでしょうか(中略)もともとは経済の発展のためには低賃金が望ましいという考え方が、重商主義にはありました。つまり労働者は、痛めつけて食えないようにしておけば、必死に働きに来るけれども、食えるくらいの給料を与えてしまうと、働きに来なくなるという発想でした。それが、アダム・スミスの前後になると、賃金を高くすればするほど、人は働くと見るようになったのです(中略)ここに見えるのは、賃金の上昇分を消費の拡大に向けはじめた労働者の姿であり、それを「ぜいたく」として非難するのではなく、需要の拡大として評価する新しい経済理論の展開です(p.89〜91)
・「神の時間」から「商人の時間」へという有名なテーゼです。「時間」は、神が人間に試練の期間として与えたものであるので、これを利用して利子をとってはならないという「神の時間」の概念が、宗教改革以後に、逆に、「時はカネなり」という「商人の時間」にすり替えられるという話です(p.118)
・そもそもイギリスをはじめ、ヨーロッパ全体が、毛織物の世界であったのに対して、産業革命は綿工業からスタートした、と誰もが言います。このパラドックスをまず頭に置いておく必要があります。伝統的な毛織物業は、なぜ爆発的な発展をしなかったのか、ということです。毛織物業を展開していこうとするとき、近世では輸送コストの問題もあったのでしょうが、植民地で羊を飼うという発想はありませんでした(中略)それに対して綿織物は、海外でまさに世界システムを通じて、原料を手にいれることができました。カリブ海、インド、のちにはエジプト、アメリカ南部などに劇的な変化を起こして、そこから綿花を手に入れるという方法を取りましたから、綿業は劇的に発展することができました。それが発展のための前提条件ということです(p.160)
・鉄も大いに使うし、コットンも使うし、アジアにあるような陶器も使うという生活のパターンができて、そのうえに乗っかって産業革命が成立するということです。そのような生活ができるということは、消費需要がある、つまり、生活様式の変化が、かなり先行しているということになります。この変化を前提にして、生産の革命が成立していくと、私は考えています(p.167)
・一度、産業革命が起こってしまうと、二回目の産業革命は実際にはなかなか起こらない。ドイツやアメリカ、日本は後から産業革命を起こしたから、はじめから第二次産業革命のようなものになっている。ドイツやアメリカで第二次産業革命が起こったとき、第一次産業革命の定着していたイギリスは、にわかに転換することができなかったというわけです。イギリスの社会も、教育も、技術も、産業構造も、すべてが「陳腐化」していったのです。一度できたさまざまな制度や枠組み、急には転換できず、のちの歴史展開をきめていくという考え方は、マルクス主義者ではない「制度学派」と呼ばれる研究者グループのあいだでも、「経路依存」として知られています(p.236)
・サッチャーは、労働組合の力が強くて、福祉に傾いたこの国は衰退している、だから、あらためて「ブルジョワ」革命をやると言いました。いわゆる新自由主義的な経済学にもとづいて、経済合理主義を徹底する、ということです(p.244)
・だからわれわれにとって問題なのは、成長パラノイアということであって、俗に衰退と言われているものはそれほど悲惨なことではない、というのが長年歴史研究に携わってきた私の結論のひとつです(p.250)