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アリストテレスによって弁論術・詩学として集成され、近代ヨーロッパに受け継がれたレトリックは、言語に説得効果と美的効果を与えようという技術体系であった。著者は、さまざまの具体例によって、日本人の立場で在来の修辞学に検討を加え、「ことばのあや」とも呼ばれるレトリックに、新しい創造的認識のメカニズムを探り当てた。日本人の言語感覚を活性化して、発見的思考への視点をひらく好著。
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Posted by ブクログ
(p.26)「森羅万象のうち、じつは本名をもたないもののほうがはるかに多く、辞書にのっている単語を辞書の意味どおりに使っただけでは、たかの知れた自分ひとりの気もちを正直に記述することすらできはしない、というわかりきった事実を、私たちはいったい、どうして忘れたのだろう。本当は、人を言い負かすためだけで...続きを読むはなく、ことばを飾るためでもなく、私たちの認識をできるだけありのままに表現するためにこそレトリックの技術が必要だったのに。」
レトリックとは、ことばをたくみにもちい、効果的に表現すること、そしてその技術 レトリックの目的は、2つ ・説得の技術であること ・芸術的は、あるいは、文学的な表現の技術であること ローマで集大成したレトリックの理論システムは5科目 ①発想:アイデアを発見する ②配置:序論―陳述ー論証ー反論ー...続きを読む結論 ③修辞:表現方法 ④記憶:話ことばとしての記憶術 ⑤発表:発表の仕方、顔、姿勢、手のあげかた、所作 そのうち、現代のレトリックとは、③の修辞にあたる 比喩の種類について紹介しました。まとめると以下のようになります。 直喩:シミリー、シミリーチュード Simile 「~のような」「~みたいな」などの直接的な表現を使って、わかりやすく例えること 隠喩:メタファ metaphor 「~のような」「~みたいな」などの表現を使わずに、あるものを別のもので例えること 換喩:メトニミー metonymiy何かを表現するとき、その事柄と深く関係しているもので置き換えること 提喩:シネクドキ synecdoche 上位概念を下位概念で、または下位概念を上位概念で表すこと 誇張法:Hyperbole 主張を大げさにする修辞技法のこと。 誇張法は、強い印象を想起させる、あるいは強い印象を生むのに用いられる。文字通りの意味に取るものではない 列叙法:Accumulatio あらかじめ作られたポイントを、簡潔かつ力強い方法で再び表す修辞技法のこと。スピーチの総括での漸層法使用に用いられることが多い 緩叙法:Litotes 修辞技法の1つ。直接的な主張をせずに、その逆の意味のことを否定する方法をいう 他 対句、擬人法、擬態法、倒置法 和歌のレトリックは、 掛詞、枕詞、助詞、縁語、本歌取り、体言止め、見立て、折句、句切れ、対句、反語、呼びかけ 目次 序1 レトリックが受けもっていた二重の役わり 序2 レトリック、修辞、ことばのあや 1 直喩 2 隠喩 3 換喩 4 提喩 5 誇張法 6 列叙法 7 緩叙法 本書のなかのおもなレトリック用語 おもな引用文献 あとがき 佐藤信夫または ことばへの信頼(佐々木健一) ISBN:9784061590298 出版社:講談社 判型:文庫 ページ数:332ページ 定価:1230円(本体) 発行年月日:1992年01月 発売日:1992年06月10日第1刷発行 発売日:2018年06月12日第44刷発行
これまでレトリックを胡散臭いもの、口のうまい人の武器のようなものと捉えていた。しかし本書によって、従来からある言葉では表しにくいような新しい発見や概念をできるだけ忠実に表現するために発達した技巧である、と捉えることができるようになった。 よって(遅ればせながら)、今後の読書の楽しみとして文章表現の面...続きを読む白さを味わうという意識を持つことができた。
(2)猫は猫でない、の修辞について *走ることの最も遅いものですら最も速いものによって決して追い着かれないであろう。なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず、したがって、より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならないからである (アリストテレス全...続きを読む集 自然学から引用) 問.アキレスは亀の何を追いかけているのか。 ○運動するが変化しない どんなにアキレスと亀の間に距離があってもアキレスが最も速いものであり亀が最も遅いものであるのだから、アキレスは亀にいずれ追いつくと仮定する。しかし追いつかれた亀がアキレスの意欲した瞬間のあの亀と同じだとは限らない。例えばアキレスが亀に一年間かけて追いついたとする。このときアキレスが亀に追いつこうと意欲した瞬間の亀は生涯独身を貫いていて、一年後の亀は結婚して離婚したとする。だとすればアキレスが追いつくことになるのは「結婚して離婚した亀」であって「生涯独身を貫く亀」ではない。両者は同じ独身であっても別様の亀なのだから有限の速さで追いかけるのであれば生涯独身を貫く亀に追いつけない。同様にアキレスが10歳の少年を70年かけて追いついたとしても、そこで追いつかれるのは80歳の老人であって10歳の少年ではない。これと全く同じことが亀や少年から見たアキレスにも言えるわけだから、「アキレスが亀に追いつく」という表現は実態に即したものではなく、文字通りには「既にこのアキレスでないものが既にあの亀でないものに追いつく」となる。反対にアキレスが亀を追いかけているのなら、それは変化しないものが変化しないものを追いかけている。変化しないものとはアキレスと亀に最初に与えられた名前と速さのことで、最も速いものと最も遅いものという規定が運動するよりも前に変化の可能性から外されている。 ●変化するが運動しない したがって、ここで考えられる変化とはアキレスや亀の個々の状態について言われる変化ではなく両者の関係の変化である。つまり追いかけるアキレスが後ろで追いかけられる亀が前というその前後関係が変化の対象になるわけで、アキレスが亀に追いついた状況は、亀がアキレスに追い越されて前後関係が反対に変化する直前の転換点として理解される。そのため大事なことはアキレスが亀に追いつくかどうかではなく、前後関係が反対に変化することなのだから、これによってアキレスと亀の運動は余分なものになる。つまり「五分後にアキレスは亀に変身[変化]し、亀はアキレスに変身する」と最初から決まっているのであれば、わざわざアキレスは亀に向かって動く必要がなくなる。その必然的な変身によって見ため上はアキレスと亀の前後関係が反対になる。また偶然的な変身によりアキレスがたまたま亀になり、亀がたまたまアキレスになれば同じことなのだから結局のところアキレスと亀は自分たちがそれぞれ反対のものへ変身する瞬間をずっと待っていればよいので、アキレスは亀に追いつかなくても構わない。以上のように、アキレスと亀の問題は運動と変化の齟齬として理解できる。すなわち運動するときはアキレスがどんなに速く迫っても、追いつかれた亀は少しだけ未来の亀であって、追いついたと言えるためには現在から未来のあらゆる亀を同じ一なる亀として見做さなければならず、運動するより前に変化を否定することになる。また変化する対象が前後関係である場合には、アキレスと亀が文字通り反対に変身することでアキレスが亀に追いつく転換点を通過しなくなるわけで、運動すれば変化が否定されねばならず変化すれば運動が不要なものとなる。 ○推移性と非推移性 それではアキレスと亀の運動とは具体的に何であるのかと言うと、それは「徒競走」である。そして徒競走という運動を構成している性質として速さが与えられて、それぞれ「最も速いもの」と「最も遅いもの」に規定される。ここでアキレスほど速くもなく亀ほど遅くもない存在としての「私」がアキレスと亀の間に位置している、と考えてみる。すると進行方向に沿って直近の走者同士の速さを比較するとき推移的な関係が成り立つ。 (a1)アキレスは私より速い (b1)私は亀より速い (c1)アキレスは亀より速い もとよりアキレスは最も速いものであり亀は最も遅いものなのだから(c1)は当然のことなのだか、大事なのはアキレスは亀よりも速い、と言うときアキレスでもなく亀でもない私の存在は既に飛び越されて言明しているということである。別の言い方をすればアキレスと私と亀がそれぞれの一定の速さで徒競走をしているとき、私がアキレスと亀の間に位置している必要はなく、例え私がアキレスの後ろに位置していても、または亀の前に位置していても(a1~c1)の推移は成立する。つまり私の位置と無関係にアキレスは亀よりも速く進むのだから、それによってアキレスは亀に近づいて行く。しかし徒競走という運動を構成している性質は速さだけではなく、「順位」もまた徒競走を構成する性質の1つである。速さの場合と同様にアキレス、私、亀の三者がいるとき自分より上の順位を追い越す可能性についての関係は次のように表わされる。 (a2)3位は2位を追い越せる (b2)2位は1位を追い越せる (c2)3位は1位を追い越せない どんなに3位が速く運動して1位が遅く運動しても3位が1位を追い越すことはできない。なぜなら、ある順位の者を追い越す可能性をもつのはその順位の直後の順位の者と自分と同じ順位の者だけだからである。例えば学年最下位が猛勉強をしてテストで学年トップになったとする。しかしこれを「学年最下位が学年トップを追い越した」と表現するのは誇張を含んでいる。というのも実際には学年最下位はまず1つ上の順位の者を追い越し、さらにもう1つ上の順位の者を追い越し、そうやって1つずつ順位を繰り上げていって学年2位となり学年トップを追い越すからである。これに対して「頭のよさ」の場合はアキレスが私より頭がよく、私は亀より頭がよいのなら、そのまま推移してアキレスは亀より頭がよい。徒競走で追い越すためには速さが必要なので(a2~c2)は(a1~c1)を前提としているが、速さの推移性と順位の非推移性は中間の走者の位置取りに関して別の特徴をもっている。つまり頭のよさの推移性と違って学年順位の非推移性が成り立つためには3位のアキレスと1位の亀の間に2位の私が必ず位置していなければならない。これはアキレスと亀の運動における変化の対象が前後関係ではなく順位関係であることを意味している。ところで、ある瞬間に突然3位のアキレスが亀に変身[変化]して同時に1位の亀がアキレスに変身したとする。これを順位変動の有限性の観点からみると何らかの不正な手段によってアキレスと亀がいつの間にか入れ替わったと判断する他ないだろう。あるいはもし、3位のアキレスと2位の私が変身し合って、同時に2位の私と1位の亀も変身し合ったとするとアキレスは2位の位置で亀に追いつくことができるが、その一方で2位であった私は3位と1位に分裂して存在するという奇妙な光景がうまれ、アキレスが変身した私のほうは3位ではなく繰り下げ4位となってしまう。つまり順位変動が妥当であるためには3位のアキレスが2位の私を追い越すか、あるいは1位の亀が2位の私に追い越されるかした上で最も速いアキレスが最も遅い亀を追い越さなくてはならない。アキレスと亀の間にいる走者を1つずつ媒介にして順位の上げ下げを複数回おこなうことがアキレスと亀の運動を徒競走として理解する要点である。そのため亀の婚姻歴や老人と少年の年齢差は変化の対象として数えられず、順位の非推移性が運動の契機となっている。 ●亀は2匹いる そこで2位の者と1位の者を一纏めにして「先頭集団」と呼んでみる。すると3位の者が2位の者より速ければ1位を含む先頭集団へ問題なく追いつくことができそうに思えるが、必ずしもそうなるとは限らない。というのも3位よりも下の順位の者を一纏めにした「後方集団」が3位の者を追い越す可能性があるからである。そうなれば先頭集団を追い越せるのは後方集団であってかつて3位だった者ではなくなる。そこで次に3位の者を後方集団に含めて「3位を順位の上限とする後方集団」と「3位より上の順位による先頭集団」に二分してみる。すると後方集団と先頭集団の間にそれらとは別の走者がいなくなるわけだから、後方集団は先頭集団に追いつくことができる。しかるに上記の考え方は徒競走における推移性と非推移性の区別を失効させるものである。走者の全体を「アキレスの順位を上限とする後方集団」と「アキレスより上の順位による先頭集団」に二分するとき、前者は形式的に2位となり後者は形式的に1位となる。そのように順位関係が規定されることによって、徒競走という運動の性質である(a1~c1)と(a2~c2)の並存は(c1)と(b2)の等しさへ還元して片付く話になってしまう。しかしアキレスと亀の運動では順位関係は既定されておらず不定なのだから、上記の考え方では「後方集団のアキレスは亀のいる先頭集団に追いつく」と言うことはできても「このアキレスはあの亀に追いつく」と言うことはできない。別の言い方をすると上記の考え方はそれぞれの集団内での順位変動を捨象することで成り立っているのである。もしアキレスが1人であるとするならば、(a1~c1)と(a2~c2)の並存する性質を満たす徒競走の運動を充分に表現するためには亀が2匹以上いないといけない。アキレスが亀に追いつこうと最初に意欲したとき、前方には2匹の亀がぴったりと重なり合っていた。繰り下げ3位のアキレスは自分が3位であることに気づかずに亀を追いかけるが、その間に同位置首位の2匹のうち競争心の強い1匹の亀が単独首位を狙ってわずかに速さを増す。必然的に2匹の亀は1位と2位に分かれ、やがて三者の中で最も速い3位のアキレスは最も遅い2位の亀に追いつくが、そのときアキレスは前方に亀が先んじていることを認め自分が2位であることに気づく。そしてアキレスは再び意欲して亀を追いかけるのだが、この新たな徒競走において前方の亀がいったい何匹重なり合っているのか、それとも1匹だけなのか当のアキレスには知るよしもない。冒頭のパラドックス語りというのは例えるなら予告編だけを見て本編を語っているようなものであって、それぞれの走者に順位が伴ってこそ徒競走の運動は順位の変化と共に語られるのだから、 (追いつかれる)亀は(先んじている)亀でない ⇒(2位の)亀は(1位の)亀でない 以上のように、アキレスと亀々の運動はそれが徒競走である限りで推移性と非推移性の区別を亀の自己否定を媒介にして表現されるため、3位のアキレスは2位の亀に追いつけるが1位の亀に追いつけない。 [21.1222]
「言葉と事象は元から1対1で対応しているものだ」という、思い上がりを見事に正してくれる。 機微な感情も含め、さまざまな物事に対し、如何に文章に落とし込み、かつ相手に同じ感覚として共有できるかを追求しているレトリックは、決して過去の遺物ではなく、現代人にこそ学ぶ点が多いと考える。
本書によれば、レトリックは決して無駄で冗漫なものではなく、むしろ言語にとって必要不可欠なものだ。ここで取り上げられているのは全体の一部分でしかないということなので、著者の他の本も当たってみたくなる。柔らかな語り口によって、読む者に新たな言語認識を与えてくれる良書。
今まで意識することなく使っていた言葉が、どれだけレトリックに、比喩に、暗喩に満ちているものか。 これまで考えたことのない視点で言葉や文章を捉えられるように解きほぐしてくれるような、著者の取っつきやすい言葉が印象的だ。 1000円以上する本ではあるが、そして題名だけ見ると難解な本に感じられるが、多...続きを読む少無理をしてでも読んでおくべき本だ。 言葉への無意識の安定に揺さぶりをかけてくれるような一冊。
「森羅万象の内、実は本名を持たないもののほうがはるかに多く、辞書に乗っている単語を辞書の意味通りに使っただけでは、多価ノしれた自分一人の気持ちを正直に記述することすら出来はしない、というわかりきった事実を、私達は一体、どうして忘れられたのだろう。本当は、人を言い負かすためだけではなく、言葉を飾るため...続きを読むでもなく、私達の認識をできるだけありのままに表現するためにこそレトリックの技術が必要だったのに。」 直喩 隠喩 換喩 提喩 誇張法 列叙法 緩叙法
ーーーアリストテレスによって弁論術・詩学として集成されたレトリックは、言語に説得効果と美的効果を与えようという技術体系であった。著者は、さまざまの具体例によって、日本人の立場で在来の修辞学に検討を加え、「ことばのあや」とも呼ばれるレトリックに、新しい創造的認識のメカニズムを探り当てた。日本人の言語感...続きを読む覚を活性化して、発見的思考への視点をひらく好著。 ネットでの評判を見て珍しく買ってみた新書 普段俺たちが何気なく使っているレトリック。 その比喩や誇張法の類を、古典修辞学書や小説の引用をもちいて機能の解剖を行う。 中でも1,2章の直喩、隠喩と7章の緩叙法が 「書かれていること」と「比較されていること」と「表現されていること」の関係が頭の中で繋がって非常に気持ちよかった。 300ページちょいにしてはお値段が張るが、一節一節が脳に揺さぶりをかけてデフラグされているような感覚も味わえるのでけっこーオススメ!
日本語の世界を覗いてみたい、と思うきっかけになりました。最終的に選んだのは文法の世界でしたが、それでも、私にとってとても大切な本です。
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