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Posted by ブクログ
オビから引用。
「
(1)国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
(2)The train came out of the long tunnel into the snow country.
原作では汽車の中にあった視点が、英訳では汽車の外、それも上方へと移動している。……よく見ると、川端の原文には『主語』がないのである」
もう、この部分だけで言い尽くしちゃってる感がありますが、めちゃくちゃ面白くないですか?
ここから日本語は「虫の視点」で、英語は「神の視点」を持つ言語だという展開をしていくんだけど。
語順が違うから訳しにくいとか、古文では主語がなくて、でも行為者がコロコロ変わるから注意とか、まぁそんな程度の意識でしたよ(笑)
「ドアが閉まります」と「ドアを閉めます」も面白くて、主客間の分断・対峙を避けるために「行為者がいない」ことが好まれるとある。
そういう所を、主張がないとか、責任回避するとか悪く言われる。確かに、言語と文化は密接に関わるものだし、その言語と文化に根差して人は育つのだから、きっとそうなのだろう。
でも、それを汚点とするのは誰、という話だろう。
後半は、そんな英語もかつては「虫の視点」だったんですよという話。
それから、三上章の『象は鼻が長い』における主語不要論が日本において抹殺されてきた理由?について述べている。
ちょっと攻撃的過ぎて、私はそんな言わんでも、と引いてしまったのだけど、私たちが主語と習っているものは主語ではない(ようだ)。
主語と主題と主格の違いという、この辺はもうちょっと勉強しなきゃな、と思います。。。
ともあれ、こういう視点の違いって、どんな風に双方にイメージされているのか、もっと知りたい。
Posted by ブクログ
第一章「神の視点」と「虫の視点」。川端康成の名著「雪国」の冒頭の文章「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」を英訳と比較して、日本語は虫の視点で見るが、英語は高みに上った神の視点でみる。この見方は面白かった。虫が進むように少しずつ景色が現れてくるのだ。英訳すると、その視点は失われ、The train came out of the long tunnel into the snow country.と景色は全てが一瞬にして見えてしまう。第二章「アメリカよ、どこへ行く」。第三章「英語を遡る」。第四章「日本語文法から世界を見る」。第五章「最近の主語必要論」。第二章以降は、ここには面白いのだが、日本語文法学界の様子を知らないので、ついて行きにくかった。
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