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Posted by ブクログ
・直ちに三浦つとむを思ひ起こさせる書名の石川九楊「日本語とはどういう言語か」(講談社学術文庫)を、 現在読みかけてゐる。正確にはまだ読み始めである。しかし、その最初のあたりだけでもいろいろと感じるところがある。後に書いてあるかもしれないが、そこまで読むことなく、とりあへず自分の感じたことを書いてしまはうといふことで、ここに書くことにした。的外れかもしれない。ご寛恕を乞ふ次第である。
・序章「日本語の輪郭」もおもしろいのだが、書名になつてゐる第一章「日本語とはどういう言語か」は章題通りの内容でやはりおもしろい。その小節題は、例 へば「言葉は乱れるものである」「すべての言(はなしことば、tetu注)は抱合語的、孤立語的、膠着語的、屈折語的である」「音声、音韻は文字が作る」 などとなつてをり、なかなか刺激的である。かういふので日本語を説明してゐるのだから、当然、日本語は膠着語であるといふ議論が出てゐる。本書では、それ 以前にこの三分類が問題にされる。これはごく端的に、「自らの西欧語がいかに高度な言語であるかを説明するための植民地主義的、帝国主義的発達史観の説である。」(36頁)とされ、更に別の言ひ方で、「語と文が明確に分けられないときは抱合語に分類され、日本語でいう助詞が声調に溶けてしまって文字として 記されなければ孤立語であり、また助詞が詞と分類できると把えれば膠着語で、詞と分けられないと把えれば屈折語とみなされるといふこと以上ではない。」 (44~45頁)とされる。確かにかういふことであらうと思ふ。孤立語は中国語のみ、膠着語はその周辺、朝鮮、日本、モンゴル等、そして「屈折語とはアル ファベット言語の別名である。」(43頁)となれば、植民地主義的云々といふのも納得できるといふものである。かういふ人だから「言葉は乱れるものである」といふ言ひ方も出てくるのであらう。この節は「いつものことながら、『日本語が乱れている』といわれ、『美しい日本語』『正しい日本語』などという言 葉が、またぞろ飛び交うようになった。」(30頁)と始まる。「またぞろ飛び交う」のである。筆者の「美しい日本語」に対する嫌悪が知れる。「個別の日本語の美しいスタイル表現はありえても、日本語が構造的に『美しい』とは、全く手前味噌な風説で云々」(同前)になると、このまま日帝批判になるのではないかとさへ思へてくる。これは「正しい日本語」に対して言ふのであらうが、それにしてもさう言ふ人は「構造的に『美しい』」日本語と普通に言つてゐるのであらうか。さうだとしたら「構造的に『美しい』」とはいかなることをいふのか、これが私には分からない。「言葉は生きて活動しているから……自らの姿を次々 と変えようとする。」(同前)これは当然である。みだりに言葉の乱れといふのはをかしい。だから、「美しい日本語」に対する嫌悪は私にも分からないわけではない。しかし、それが「構造的に『美しい』」となると私には分からなくなる。文法的に正しい日本語であるのならば分かる。例へばら抜き言葉である。この 文法的が構造的の意味であるのかどうか。たぶん違ふのであらう。失礼ながら、もしかした筆者が勝手に敵に難癖をつけて、自分の土俵に引き込まうとしてゐるだけかもしれないと思ふ。そんな筆者に思へるのである。本書にはその他にもいろいろとおもしろさうなことが書いてある。私には、例へば上の三分類はおもしろいと思へたが、下の「構造的に『美しい』」日本語は分からなかつた。馬の耳に念仏の類で私には響かないだけではあらうから、この先どんなに響くものが出てくるか楽しみではあるが……。
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