佐伯啓思の一覧
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ユーザーレビュー
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自由にまつわるジレンマから説き起こし「個人の自由」について相対化した見方を提示した本。
自由と一口にいってもいろいろある。
・自然権として自由と国家の存在を前提とした市民の自由
・共和国を前提とした普遍的自由と多文化社会を前提とした多元的自由
そもそも自由というのが自由な言葉なので、XXの自由と
...続きを読むいえば、様々なところで互いに対立が起きるのは当然なのだが、問題は、自由という名のもとに、自由が抱えている規範がおそろかになってしまうということだ。
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と最後まで読んで、自由が個人の選択の自由であることを認めたうえで、実は、その背後に価値の問題を二層想定することがポイントであるいうのが斬新であった。一つは、「共同体としての善」によって個人の選択が評価されるということ。もう一つは、共同体を超えて、さらに「義」とでもよぶほかない価値に自ら殉じるという次元があるということ。この二つが導入されることで、リベラリズムだけでは、納得感のある答えにたどり着けない問いに答えることができる。テロ、援助交際、無差別殺人、さらには、自殺する自由。自由が規範とセットであるなど初めからわかっていたような気がするし、それは、結局こうした基本条件のもとに何をするか、ということが大事だと思えば、当たり前のことなのだが、いつのまにか、手段の目的化が進んでいるというのは、皮肉な話だ。
Posted by ブクログ
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著者・佐伯啓思氏は、経済学が経済を扱うには、経済現象は複雑過ぎると言い、経済学が扱っているものは、経済学が『経済』と定義しているものに過ぎないという。
また、経済学が政治に介入し、経済現象を形作っているとも。
『経済学の思考法』というタイトルだけあって、経済学の哲学面、考え方に重きを置いている。
...続きを読む
目次
第1章 失われた20年 構造改革はなぜ失敗したのか
第2章 グローバル資本主義の危機 リーマン・ショックから
第3章 変容する資本主義 リスクを管理できない金融経済
第4章 『経済学』の犯罪 グローバル危機をもたらす市場中心主義
第5章 アダム・スミスを再考する 市場主義の源流にあるもの
第6章 『国力』をめぐる経済学の争い 金融グローバリズムをめぐって
第7章 ケインズ経済学の真の意味 『貨幣の経済学』へ向けて
第8章 『貨幣』という過剰なるもの 『希少性の経済』から
第9章 『脱成長主義』へ向けて 現代文明の転換の試み
第1章の『失われた20年』において著者は、この間の経済成長は、リストラなどによる労働コストの削減による企業業績の回復によるものであり、この間の構造改革は、新自由主義の論理により、供給側ばかりに焦点が当たり、需要側に焦点が当たっていなかったと説明する。
雇用調整で1企業の効率性を高めても、失業者や賃金の低下を招けば、需要は伸びず、GDPを押し上げる効果をもたらさないと。
著者のこの説明により、結局、トリクルダウン理論は機能しなかったし、景気がいいと言いつつ、一般庶民にその景気感を実感できない理由が理解できた。
第4章において、1930年代の世界大不況の後、ケインズ経済学が、1970年代の世界経済の混乱の後には、シカゴ学派を中心とする市場競争中心の経済学が勃興したが、第3の危機である2008年の世界金融危機後には、対応する経済学が存在しないという。
そして、第7章において、金融市場が発展すれば、金融市場の内部でお金が回り、実体経済での投資へは向かわないという。
そして、実体経済から金融経済への資本の移動を食い止める自動調整メカニズムが作動しないため、不況の長期化が起こるという。
そして、今日の先進国には、もはや高度な経済成長は不可能であると述べる。
ケインズが経済活動においての時間を重視したように、著者の言うように、将来の期待値により、企業や家計は、ストックしたり、投資するものだと思う。
新自由主義が席巻した事により、以前よく聞かれた、この説明が、いつの間にか聞かれなくなった。
そして、経済学とは、希少性をめぐる学問とされるが、著者は『欲望』は、過剰性により生み出され、財貨を『希少』化させると主張する。
第9章の『脱成長主義』へ向けてにおいて、佐伯啓思氏は、1970年代後半に存在した2つの可能性、新自由主義とベルが主張していた公共的計画を重視する『ポスト工業社会』の構想を提示し、後者の可能性はなかったのかと想像する。
大事なのは、将来の社会像を構想する力であって、決して、人間が経済学の奴隷になってはいけないと結論付ける。
非常に有意義な読書体験であり、得るものが大変大きかった。
Posted by ブクログ
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リベラリズムの立場をわかりやすく整理した上で、現在、私たちが自由に倦怠している理由を探ろうとする。全体主義への反省から自由な状況で、何を目的として生きるのかを議論できない状況が、かえって自由の意義を見えにくいものにしているという論旨。本筋とは違うけど、ハイエクやフリードマン、ロールズ、アマルティアセ
...続きを読むン、ドゥオーキンの立場の説明がわかりやすかった。
Posted by ブクログ
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『「成長」というものにこだわるのをやめよう』
いつまでも、経済成長なんて続くもんじゃない!
誰かに言ってほしかったし、そう思っている人がいると知って、何だかホッとしました。
Posted by ブクログ
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執筆のきっかけを「(現代で掲げられる『自由』に対し、)あまりに違和感や不気味な感じを持たざるを得なかった」とし、その違和感の根源を「自由」への議論を通じて探った本。佐伯啓思2冊目。
冒頭、現代では人類共通の目標のように掲げられる「自由」に対して、イラク戦争を「フセイン政権からの解放(自由化/民主化
...続きを読む)」とし正当化したアメリカを持ち出すことで疑問を提示する。
そこからリベラリズムの根幹である、何事も個人の自由を侵害すべきではないとする思想に対し、背景を探っていく。
君主による抑圧の時代において、自由は「抑圧からの解放」を目的とし推進されてきた。
概ね抑圧は去った現代でも、万人が理解しうるその背景を掲げたまま「自由」は推進され続けている。
目的を達するための手段であった「自由」は、いつの間にか目的になった。
ここに違和感の根源を指摘する。
自由主義の旗本において主観性を排除した市場競争は正当化されるが、しかしどんな政策であれ「誰が報酬を享受すべきか(『善』であるか?)」という道徳的判断が背景にあり、自由主義はその事実から目を背けていると批判する。
自由を唱えても、社会から是とする承認からは逃れられないだと。
自由は目的があって初めて論じられる概念で、目的として掲げてしまうと方向性を失った虚構となってしまう。
現代に跋扈する民主主義至上やフェミニズムは、この罠に陥っているのだろう。
その事実から目を背けるのは、欺瞞である。
「神は死んだ」と絶対的な存在を否定し、世界は人による仮構としたニヒリズムに陥ることは嘆かわしいことではない、しかし「自らがニヒリズムの世界に生きていることを自覚せず、自らの正義の絶対性を疑わない独善」は最悪のニヒリズムだと批判する。
軽率な「自由」の持つ違和感はまさにこれだろう。
批判はこの辺で、では自由に生きるには?という問いに対しては、どう存在するにせよ共同体に属することを自覚すること、その上で自分の成すべきこと(天命)を見つけること。
縛りがあって初めて輝きを持つ「自由」は、共同体の中でこと活きるとする。儒教の仁義と同じような思想。
個人の感想として、現代においては、国家よりも厳格ではなく小規模な共同体の「ポリス」を重要視し、ポリスの構成員として「善い」ことをすることを是としたアリストテレスの思想に立ち戻るのがいいのではないかと思った。
次は数ヶ月塩漬けにしてる「ニコマコス倫理学」を読もう…
Posted by ブクログ
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