哲学・宗教・心理 - 筑摩書房 - ちくま学芸文庫作品一覧

  • 新版 プラトン 理想国の現在
    NEW
    4.0
    「理想」という語は、明治の時代、プラトンの「イデア」の訳語として造られ、定着した。そしてプラトンの最高傑作『ポリテイア』(『国家』)が『理想国』の標題で出版され、近代国家建設をめざす多くの日本人の希望の拠りどころとなる。だが、新たな理想社会を創らんとするその熱情は、やがて全体主義に利用される運命を辿った――。かくも激しく人々の魂を突き動かしたプラトンの理想主義哲学とは、果たしていかなるものか。『ポリテイア』の核心を読み解くことで、哲学という営みが切りひらく最良の地平を描き出す。初学者への案内として「プラトン『ポリテイア』を読むために」を付した決定版。
  • 道教とはなにか
    -
    中国は儒教の国ではない! 道教こそが今でも生き生きと脈打ち、人々から篤い信仰を得ている。「道教がわかれば、中国のことはまるごとわかる」と魯迅は言ったが、中国人の精神構造を知るための鍵は道教なのである。では道教とはなにか? この問いに対する答えは単純ではない。なぜなら、道教は教理、哲学、経典を中心にした宗教体系ではなく、呪術、儀礼、戒律を基礎とした民族宗教であって、文献・資料からだけではその全貌を窺い知ることができないからである。本書では文献による歴史的理解は当然のこととして、東南アジアの華人街の現地調査も踏まえ、中国人のこころの拠りどころとしての「気の宗教」の本質を紹介する。冒頭に初学者のための「道教をめぐるQ&A」を付す。
  • 翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない
    4.2
    中学生の翔太と猫のインサイトが、「いまが夢じゃないって証拠は?」「心があるって、どういうこと?」「たくさんの人がいる中で、自分だけが『ぼく』なのはなぜ?」といった問いをめぐり対話する。「私」が存在することの奇跡性や可能世界、正義原理、言語ゲームなどの諸問題を取り上げる予備知識のいらない哲学入門。
  • あいだ
    4.0
    自己が生命の根拠に支えられて世界と出会う行為的原理である「あいだ」。その構造を、ゲシュタルトクライス理論に拠りつつ、ノエマ・ノエシスの円環的関係を西田哲学の「行為的直観」と関連づけて、多面的に解き明かす。自己が主体として生きるということは、生命一般の根拠の「おのずから」の動きにかかわると同時に、間主体的な世界を維持することではないか。ユクスキュル、ブーバー、レヴィナスらへの言及を通じて自他の関係を考察し、ダブル・バインド仮説の可能性を改めて問う。独自の学問的地平を切り拓いた著者の世界をわかりやすく示す。
  • アイデンティティが人を殺す
    3.9
    集団への帰属の欲求とは何を意味するのか。この欲求が他者に対する恐怖や殺戮へとつながってしまうのはなぜなのか――。グローバル化の進展は、さまざまな文化の保持者たちの基盤を揺るがし、時に偏狭で排他的な帰属意識を生み出してしまう。複数の国と言語、そして文化伝統の境界で生きてきた著者は、本書のなかで新しい時代にふさわしいアイデンティティのあり方を模索する。鍵となるのは、「言語」だ。言語を自由に使う権利を守ること、言語の多様性を強固にし、生活習慣のなかに定着させること、そこに世界の調和への可能性を見る。刊行後、大きな反響を呼んだ名エッセイ、ついに邦訳。文庫オリジナル。
  • 青色本
    3.9
    「語の意味とは何か」ーー本書はこの端的な問いかけから始まる。ウィトゲンシュタインは、前期著作『論理哲学論考』の後、その根底においた言語観をみずから問い直す転回点を迎える。青い表紙で綴じられていたために『青色本』と名付けられたこの講義録は、ドラスティックな思想転回が凝縮した哲学的格闘の記録である。
  • 阿含経典1
    4.7
    ブッダはなにを語り、どのように説いたのか。その教えを最も純粋なかたちで伝える最古層の重要な仏教経典の集成。阿含=アーガマとは伝承されてきた聖典を意味する。これらの経典群のなかには、あらゆる宗派を超えた仏教の原初のすがたがあり、その根本がある。本書は厖大な阿含経典群のなかから、よく古形を保ち、原初的な経と判定される諸経をとりあげ、パーリ語原典からの現代語訳と注解で構成。第1巻は、ブッダの悟りの内容を示す「存在の法則(縁起)に関する経典群」と、その法則に即して人間をかたちづくる要素を吟味した「人間の分析(五蘊)に関する経典群」を収録する。
  • アメリカ言語哲学入門
    4.0
    20世紀後半の現代哲学に、最も先鋭的かつ重要な潮流をなした、アメリカ言語哲学。その最前線を形づくってきた、サール、クリプキ、デイヴィドソン、クワイン、ローティら哲学の巨人の思想を、言語行為論、指示理論、根本的解釈説、メタファー論、反表象主義などの主要な議論から精査する。その考察から、彼らの視点には、実はデカルトやロックらの近代観念説やヨーロッパの解釈学とも通底するものがある、という事実が明らかになってくる。西洋哲学全体の流れの中で最先端のアメリカ言語哲学の核心に迫る、絶好の一冊。
  • いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか
    4.4
    霊学研究の諸成果に関心を寄せる人々の中には、そのような人生の高次の謎を口にする者が一体どこからその知識を得たのか、という点に疑問をもたざるをえない人もいるであろう。本書はまず第一にこのような人のために役立ちたいと望んでいる。霊学は人生の高次の謎の本質に深く係わろうとする。この霊学からの発言の根底にある諸事実を吟味しようとする人は自力で超感覚的な認識を獲得しなければならない。本書はそのための道を記述しようとしている。四大主著の一冊。
  • 維新の夢 ──渡辺京二コレクション1 史論
    5.0
    『逝きし世の面影』の著者渡辺京二は、日本近代史の考察に、生活民の意識を対置し、一石を投じてきた思想家である。その眼差しは表層のジャーナリズムが消費する言説の対極にある。本巻には、西欧的な市民社会の論理では割り切ることのできない、大衆の生活意識にわだかまる「ナショナル」なものを追求した「ナショナリズムの暗底」、明治国家への最大の抵抗者としての西郷隆盛を常識的定説から救抜する「逆説としての明治十年戦争」、北一輝と日本近代の基本的逆説の関連を問う「北一輝問題」など、日本近代史を根底から捉え返すことを試みた論考を集成する。
  • 一百四十五箇条問答 ──法然が教えるはじめての仏教
    -
    法然が登場する以前、仏教は驚くことに、一部のエリートのためだけに存在する宗教だった。漢文で書かれた難解な経典が読めること、日常生活を気にせず修行に打ち込めること、が条件だったからだ。しかし実際に苦しみ、救済を必要としたのは、文字も読めない市井の人びとに他ならない。そこで法然は、誰でも、いつでも、どこでも実践可能な「念仏」を柱とする浄土宗を打ち立てた。この『一百四十五箇条問答』は、法然の教えに惹かれながらも、従来の仏教との違いに戸惑ったり、生活を改めなければならないのかと不安に思った人びとの145の疑問に、法然がやさしく答えたもの。浄土仏教や法然その人を理解するための、またとない入門書となっている。
  • 意味とエロス ――欲望論の現象学
    4.0
    現象学こそがわれわれがとりうるもっともラディカルな哲学態度であり、そして、その可能性をさらに推し進めることのなかにこそ、現代思想の混迷を突破する道がある。著者の哲学的デビューの書であり、その原点をいまもくっきりと指し示す本書は、読者に哲学することの意義と歓びを感じさせずにはおかない。
  • インドの思想
    3.0
    長い歴史と多数の異なった民族から成り、広大な地域の中で様々な伝統文化を併存させている国インド。日本人には想像もできないほど人々の考え方の振幅は大きいが、その精神的豊かさには瞠目すべきものがある。多様でありながらインドの底流をなす思考方法とは何か。本書では、国名「インド」の由来やインダス文明の興隆から説き起こし、ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教、『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の二大叙事詩、論理学など、インドを特徴づける主要な思想のエッセンスを、仏教・インド哲学研究の泰斗が解説する。
  • 英米哲学史講義
    3.7
    英米哲学の諸潮流は、「経験」を基盤に据えるという発想に導かれている。それは、ロックやヒュームらの「経験論」を共通の源泉とするためだ──。ベンサム、J.S.ミルに発する「功利主義」。フレーゲとラッセルを先駆に、ウィトゲンシュタイン、クワインをへて現代に連なる「分析哲学」。パースが提唱しアメリカを体現する思想となった「プラグマティズム」。そして、ロールズやノージックらの「正義論」。本書は、こうした英語圏の哲学的系譜を、経験論を基点として一望のもとに描き出す。主要哲学のつながりを明快にとらえる、入門書決定版!
  • 「おのずから」と「みずから」 ──日本思想の基層
    -
    日本語において「おのずから」と「みずから」は、ともに「自(ずか)ら」とあらわす。成ることと為すこと、物と自己、自然と自由を意味するが、截然と分けられず、両者には交差・共和・相克する「あわい」がある。そこに見られる日本人の基本的発想とは何であり、それはまたどのような思想文化を育んできたのか。本書は、思想・宗教・文学・芸能の諸領域を広く深く行き来しながら、日本人の自然と自己との相関的認識、超越と倫理との関わり、そして無常観と死生観を根源から問いなおす。倫理学者・日本思想史家である著者の代表作。
  • 科学哲学への招待
    4.3
    古代・中世のアリストテレス的自然観を克服し、信仰や迷信から独立することで17世紀に近代「科学」は誕生した。しかしパラダイム転換はくり返され、20世紀には科学技術に伴うリスクも叫ばれるようになる。科学哲学の第一人者がこうした決定的な転換点に光をあてながら、知の歴史のダイナミズムへと誘う。科学神話が揺らぐ今だからこそもう一度深く掘り下げる、入門書の決定版。
  • 科学と仮説
    4.5
    数学はなぜ科学といえるのか、連続体や幾何学空間の概念はどこから生まれたか、仮説にはどういう役割と種類があるか、科学は自然に対してどういうスタンスをとるべきか――。「ポアンカレ予想」の提唱者としても名高い科学者が、数学・物理学を題材に、関連しあう多様な哲学的問題を論じる。「幾何学の公理や物理学の原理は、人間が自由に決めた定義、あるいは人間の精神が創った規約である」という「規約主義」の立場を打ち出した。科学の要件に迫り、刊行時大反響を呼び、アインシュタインら若き科学者たちを「何週間か呪文をかけられたように」高揚させたという科学哲学の古典。オリジナル新訳。
  • カトリックの信仰
    5.0
    人間が神の知恵と愛に与るとはいかなることか──。近代日本のカトリシズムを代表する司祭・岩下壮一が、豊かな学殖と明晰さでキリスト教の真理を闡明した記念碑的名著。公教要理(カテキズム)の概説書としていまだ類例がないだけでなく、深遠で難解な神学は本書により日常の信仰の糧へと一変した。時に表出するプロテスタンティズムや近代哲学への峻烈な批判は、人間精神を主観性の牢獄から解放し、再び霊的実在へ開かんとする著者生涯の意図から発しており、それは神の恩寵の賜物=カトリックの信仰においてこそ実現すると説く。
  • 鎌倉仏教
    4.0
    法然、栄西、親鸞、道元、日蓮、一遍―彼らを開祖として鎌倉時代に相次いで勃興した新たな宗教運動は、日本思想史上の頂点をなすと広くみなされている。「鎌倉(新)仏教」と呼ばれるこの潮流は、民衆を救済対象に据えたという点において、とりわけ高く評価されてきた。だが、新仏教の意義は、はたしてこの民衆的性格に言い尽くされるのか? 本書では、旧仏教との異同を深く掘り下げて考察することで、鎌倉仏教の宗教的特質の核心をあざやかに浮き彫りにする。思想家である前につねに実践の人であった偉大な宗教者たちの苦悩と思索の足跡をたどり、中世仏教の生きた姿をとらえた好著。
  • 柄谷行人講演集成1995‐2015 思想的地震
    3.5
    われわれは、もはや脱構築ではなく、建設をこそ語らねばならない──。あらゆるものが瓦解したこの20年間に、思想家・柄谷行人は、はたして何を考え、語ってきたか。本書は、その崩壊が誰の眼にも明らかとなった1995年以降の講演を著者みずから精選した、待望の講演集である。近代文学の使命とその盛衰を反照的に論じた「近代文学の終り」、日本にいつしか根づいた特異な民主主義観を、近代における個人化という根源から再考する「日本人はなぜデモをしないのか」など、計11本の講演を収録。その言葉には、いま最も必要とされる強靭な思想が確かに宿っている。学芸文庫オリジナル。
  • 柄谷行人講演集成1985‐1988 言葉と悲劇
    -
    ソシュールからウィトゲンシュタインへ、西田幾多郎からスピノザへ──。1980年代後半の代表的講演を収録した本書で、柄谷は哲学、文学、宗教、言語学、経済学、数学など多様な領野を自在に行き来しつつ議論を繰り広げる。そこで執拗に追求されるのは、言語コミュニケーション(交換)における人間の悲劇的条件であり、他者との交通を可能にする普遍性がいかに生み出されうるかという問いである。いまなお多くの示唆に満ちたこれらの講演は、後の柄谷理論の展開を予感させるのみならず、批評という営み自体をも再審に付す魅力的な内容となっている。旧版の内容を再構成し、改稿を加えた決定版。
  • カント入門講義 ――超越論的観念論のロジック
    -
    我々が生きている世界は、心の中の世界=表象にすぎない。その一方で、しかし同時に「物自体」はある、とも言うカントの超越論的観念論。そのカラクリとして、基本的なものの見方・考え方の枠組みが人間の心にはあらかじめセットされているとカントは強調したわけだが、この点を強調することによって、その哲学は、後年の哲学者達の思想的転回に大きく貢献したと著者は説く。平明な筆致で知られる著者が、図解も交えてカント哲学の要点を一から説き、各ポイントが現代の哲学者に至るまでどのような影響を与えてきたかを一望することのできる一冊。
  • 学習の生態学 ──リスク・実験・高信頼性
    -
    医療現場、原子力発電所等、一つ間違えば大きな事故が生じうる組織において、学習はどのようになされるか――。失敗を含む「日常的実験」の繰り返しこそ、現場での学習の資源である。本書では、このリスクを伴う試行錯誤を許す空間を「学習の実験的領域」と呼び、法的・経済的諸条件に影響され、組織ごと、状況ごとに変動するその不安定なありようを明らかにする。フィールドワークや豊富な民族誌的資料をもとに、学習を社会科学のテーマとして扱い、状況的学習論といった従来の理論モデルを超える新たな枠組みを示した。事故と安全、科学技術、組織といった具体的文脈のもとでの学習を考える、数々の概念装置を与える書。
  • 記号論
    4.0
    文字、数字、音符、絵画、人の表情や動作、空に浮かぶ雲のたたずまい……人間にとって世界は膨大な記号の集積だ。世界を解読するのにも、表現するのにも、記号は不可欠のツールであり、われわれは日常においてそれを疑うことなく用いている。しかし記号の使用は、無制限にいつも成り立つものなのか? こう問い直すことで世界や人間の営みを解明する糸口が開ける。たとえば、心をめぐる謎を解く手がかりも、記号と心についての常識を疑ってみるところから得られるのだ。さまざまな領域における記号の構造を解説し、それを読み解く最強の技術、論理学の基礎へと、最小限の道具立てで易しく誘う。
  • 旧約聖書の誕生
    5.0
    旧約聖書はユダヤ教・キリスト教の正典であり、また、その宗教的権威を離れても広く人類の文化のなかで大きな影響を与えてきた。しかし、その中身はそれぞれが矛盾し錯綜したテキストの集合であり、多くの現代人にとっては通読することすら困難だというのが現実だろう。本書は、旧約聖書をその歴史的状況の中に置き直し、「創世紀」「出エジプト記」「ヨブ記」「雅歌」…等々の文書が成立した時代とそれらが背負っていた思想的課題からの解読を試みる。各文書の個性から、なぜ旧約聖書というまとまりのある書物が成立し権威を持ったのかまで、イチからよくわかる旧約入門の決定版。
  • 近代日本思想選 九鬼周造
    4.0
    〈媚態〉〈意気地)〈諦め〉という三つの契機から、日本的美意識「いき」の構造を解明した九鬼周造。ハイデッガーやベルクソンらに師事し、豊かな方法的視座を身につけたこの哲学者にとって、人と人とのめぐり逢いの謎は、自身の実存ともあいまって生涯を覆うものであった。「偶然性」の哲学の誕生だ。のちにそれは、日本文化論における「自然」の思想においてひとつの帰結をみる。没後、時代ごとに異なる光が当てられてきた九鬼の哲学。本書は、自伝的エッセイからヨーロッパでの講演、人生観、晩年の詩論まで、その全体像と独創性を一冊で提示する。
  • 近代日本思想選 西田幾多郎
    -
    東洋思想の絶対無を根底に据え、それを理論化して西洋哲学と融け合う独自の哲学を打ち立てたとされる西田幾多郎。「純粋経験」「場所」「非連続の連続」「永遠の今の自己限定」「行為的直観」「絶対矛盾的自己同一」――。それら中心概念はいかにして生まれ、いかなる変転を遂げていったのか。その理論的変遷と射程を追跡できるように、本書には、『善の研究』をはじめ、西田哲学のエッセンスとなる最重要論考が収められる。西田におけるナショナリズムを照射する「日本文化の問題』と、生命哲学への道を開く未完の論考「生命」は文庫初収録。
  • 近代日本思想選 福沢諭吉
    -
    近代日本を代表する思想家であり、その体現者でもあった福沢諭吉。本書では、彼の思想の広がりとその今日的意義を明らかにすべく、『学問のすすめ』『文明論之概略』については最重要箇所のみの抄録とし、それ以外の多種多様な著作群から幅広く論考を精選。『通俗民権論』『国会論』などの政治論から「尚商立国論」のような商業論、「瘠我慢の説」「明治十年丁丑公論」といった時事評論、さらには天皇論や婦人論までをバランスよく配置した。政治思想史・政治哲学を専門としてきた編者ならではの観点から編みあげられた清新な福沢像。文庫初収録論考多数。
  • 近代日本思想選 三木清
    -
    活動的に哲学するとはいかなることか―。戦前日本を代表する知性として思想界を牽引した三木清。非業の死によりその哲学は未完に終わったが、それゆえに今日なお可能性を示唆してやまない。ハイデッガーからの決定的影響、マルクス主義の哲学的掘り下げ、そこから前景に浮かび上がる歴史という問題、そして同時代の政治への関与。三木の思考には時代との格闘の跡が生々しく刻印されている。本書は、主著『歴史哲学』などを中心に、1920年代の前期から30年代以降の後期まで、三木哲学の新たな読解に資するテクストを精選して構成。未来の思考を切り拓く力をいまここに伝える。
  • 空海入門 ──弘仁のモダニスト
    5.0
    真言宗の開祖であり、傑出した思想家・芸術家。唐代の新しさを日本へ移入し、「個人」と「自由」を発見した“モダニスト”。それが空海である。9世紀、弘仁時代の先鋭的表現ともいえるこの人物は、生涯にわたり自らの探求心につき動かされていた。高野山が空海にとって特別な地であり続けた理由も、そのことを無視しては理解できない。空海における自己探求とはどのようなものであったのか? 本書では、『性霊集』『三教指帰』『請来目録』など、空海自身の著作の読解と足跡の探訪を通して彼が生きたであろう時空を共有し、その実像に迫る。稀有な個性の魅力と同時代性を深い共感とともに伝える入門書。
  • クオリア入門 ――心が脳を感じるとき
    3.6
    人間を世界のほかのあらゆるものと区別するのは「心」の存在だ。そして、われわれの心の中のすべての表象は、クオリアというそれ以上分割できない単位からできている。風にそよぐ木々の動きや葉の色、鼻孔をふるわす芳香――さまざまなクオリアたちを表象する〈心〉が、脳内にいかにして現象するか。さらにクオリアと「私」の心を結ぶ「志向性」の新たな展開とは? 脳科学の現在から「私の心」の見取り図へ。模索する独創的思考の息づかいが感じられる格好の入門篇。
  • クレオール主義
    4.7
    「クレオール主義」とは、なによりもまず、言語・民族・国家にたいする自明の帰属関係を解除し、それによって、自分という主体のなかに四つの方位、一日のあらゆる時間、四季、砂漠と密林と海とをひとしくよびこむこと――。混血の理念を実践し、複数の言葉を選択し、意志的な移民となることによってたちあらわれる冒険的ヴィジョンが、ここに精緻に描写される。「わたし」を世界に住まわせる新たな流儀を探りながら、思考の可能性を限りなく押し広げた、しなやかなる文化の混血主義宣言。一大センセーションを巻きおこした本編に、その後の思考の軌跡たる補遺を付した大幅増補版。
  • 啓蒙主義の哲学 上
    4.0
    啓蒙主義は、すでに乗り越えられた浅薄な思想なのか。のちの思想家たちから「反省哲学」「過去の思想」という烙印を押されてきたが、はたしてそうか。18世紀啓蒙主義の「明るい鏡」を現代批判の鏡として位置づけ、自らそれとの内面的対決を果たした著者は、批判精神に満ちた鋭い洞察力で、啓蒙主義の思考形式から「美学」の誕生までの諸側面を余すところなく分析し、その統一的結びつきを解明する。哲学者カッシーラーが従来の批判を排し、啓蒙主義思想の再評価を打ち立てた古典的名著。文庫化にあたり全編改訳。上巻は啓蒙主義の思考形式、自然観と自然科学、心理学と認識論、宗教の理念を収録。
  • 〈権利〉の選択
    4.5
    “right”に「権利」という訳語があてられたとき、そこには特殊日本的な背景が作用し、それ自体が一つの独自な解釈を表すものとなった。「力と利益」の意味を含む日本の“権利”の思想は、「正しいこと」を意味する西洋の“ライト”の思想とどの程度異なり、また、どの点で共通しているのか。この問いを考察の糸口として、我々が「権利」と呼ぶ思考装置の問題点と限界を明かし、その核心に迫る。福沢諭吉、西周、加藤弘之ら日本の思想家をはじめ、ロック、ドゥオーキン、ロールズ、セン、ニーチェらを導き手とし、理念と力の錯綜した関係を解きほぐした著。
  • 原始仏典
    4.3
    仏教経典を片端から読破するのはあまりに大変だが、重要な教えだけでも知りたい―本書は、そうした切実な希望にこたえるものである。なかでも、釈尊の教えをもっとも忠実に伝えるとされる、「スッタニパータ」「サンユッタニカーャ」「大パリニッバーナ経」など、原始仏教の経典の数々。それらを、多くの原典訳でも知られる仏教思想学の大家が、これ以上なく平明な注釈で解く。テレビ・ラジオ連続講義を中心に歴史的・体系的にまとめたシリーズから、『原始仏典1釈尊の生涯』『原始仏典2人生の指針』をあわせた一冊。
  • 現代思想の教科書 ──世界を考える知の地平15章
    3.9
    現在、私たちを取り巻く「知」の数々は、20世紀以降の世界がおかれた4つの状況から発生する。本書ではそれを、ポスト・グーテンベルク状況、ポスト・モダン状況、ポスト・ナショナル状況、ポスト・ヒューマン状況と名づける。そして、そこから浮かび上がってくる「イメージと記号論」「情報とメディアの思想」「ナショナリズムと国家」など、15個のトピックスに切り分け、ソシュール、レヴィ=ストロース、フーコーという巨人たちの思想を読みなおしていく。ありきたりの哲学教科書では学ぶことのできない、現代思想における全ての最重要論点を、一から平明に解く15章の徹底講義。
  • 原典訳 原始仏典 上
    -
    原始仏典はブッダの教えを最も忠実に伝える経典である。本書は膨大な諸経典のなかから主要なものを精選し、パーリ語・サンスクリットの原文から翻訳。ブッダの実際のすがたを浮かび上がらせるアンソロジー。上巻収録作品 仏伝に関する章句/偉大なる死(大パリニッバーナ経)/経典のことば/シンガーラへの教え/本生経(ジャータカ)/長老の詩(テーラ・ガーター)
  • 行動する仏教 ──法然・親鸞の教えを受けつぐ
    3.8
    従来の仏教は、生きる上での「苦」の原因を、前世からの因縁や個人の心の奥底に巣食う強烈な自我に求めてきた。しかし、戦争で命を落としたり原発事故の被害に遭うことは、個人の過去や心のありように原因があるのだろうか。そうではなく、政治や社会構造に問題があるのではないか。ならばその苦の原因を取り除く行動を、いまや仏教は起こさなければならない。「すべての衆生を救わずにはいられない」という仏教徒の第一の使命に立ち返り、法然・親鸞によって確立された浄土仏教を受け継ぎながら、その教えの中味を現代的な形に作り変える。行動する仏教=エンゲイジド・ブッディズムの意欲作。
  • 国家とはなにか
    -
    国家とはなにか、国家が存在しているとはどういうことか。こうした根本問題を透徹した思考で解き明かす。まず、国家を存立させ、その諸活動を生み出している根本要因とは何かが考察され、暴力をめぐる運動の中にそれがあることが見極められる。その上で、その根本要因からいかなる歴史的条件の下で現在のような国家のあり方が生み出されていったのかが論じられる。主権とはなにか、国民国家はいかにして形成されたのか、国家と資本主義はどのような関係にあるのか。こうした問題を一貫した視座から論じ切った記念碑的論考。
  • 思考の技法
    3.0
    あらゆる知的創造は、“準備”“培養”“発現”“検証”という四つのプロセスを踏むことで生み出される。では、人間がもつ思考の可能性を最大限活用し、「ひらめき」を意識的に生み出すような方法とはどのようなものか――。バーナード・ショーらとともにフェビアン協会の中心人物であったイギリスの政治学者・社会学者グレアム・ウォーラス(1858‐1932)。彼は、混迷を深める危機の時代にあって「思考」がなによりも重視されるべきと考え、そのメカニズムを原理的に究明しようとした。ジェームス・ヤング『アイデアのつくり方』の源泉ともされる創造的思考の先駆的名著、待望の邦訳。
  • 死にいたる病
    3.7
    絶望とは、人間の精神のみが罹る「死にいたる病」である。キリスト教会の欺瞞を批判しつつ、無限なる神との関係における有限なる自己(単独者)をめぐって、絶望と罪との諸形態を徹底的に分析し、考え抜く――精神の教化と覚醒のために。自己疎外に陥った現代人の魂の、その核心への肉薄が、今なお鮮烈に読む者を捕えて離さない実存主義哲学の古典。20世紀の思想に広範な影響を与えたキルケゴール晩年の思索を、デンマーク語原点から訳出し、詳細を極める訳注と解説を付す。
  • 社会思想史講義
    4.5
    社会思想は、その時代の社会がかかえる問題を解決しようと、思想家が格闘しつつ生みだすものである。本書はルネサンス以降の歴史を、3つの流れで捉える。すなわち、民主主義・資本主義社会はいかなる思想的過程で形成されたか、近代社会に顕在化した問題を解決するためどのような社会思想が生み出されたか、そして20世紀以降どのような問題が発生したか。著者が指摘する「現代社会の問題」とは、個人の自立性を押しつぶす官僚制化・大衆社会化・管理社会化であり、さらに資本主義社会の矛盾・弊害の克服を目指したはずの社会主義諸国の行き詰まりまでを含む。長らく読み継がれてきた簡潔で定評ある入門書。
  • 宗教以前
    3.5
    われわれの祖先の素朴な宗教的感覚は、仏教が輸入されてもなお生き続け、ついには仏教そのものを日本的なものへと変容させる根強さを持っていた。近代に入り、科学との出合いや共同体の崩壊を経ても、その感覚は人々の心から完全に消え去ることはなく、今日にいたっている。とりわけ「死」といった日常を超える問題に対する時には、この素朴な感覚が、当然のように顔を出す。本書では、民俗学・歴史学の手法により、日本人の伝統的な宗教意識の諸相を明らかにする。そしてそこを起点に、日本人を救う普遍的な宗教のあり方を探る。民俗学者と宗教家、二人の碩学の出逢いによって生まれた伝説の名著。
  • 宗教生活の基本形態(全) ──オーストラリアにおけるトーテム体系
    -
    宗教の本質的要素=宗教生活の基本形態を明らかにした古典的名著を清新な新訳で送る。上下巻を合本した「完全版」、待望の電子化。【上巻】序論「探求の目的」と、宗教の定義を検討しアミニスム、ナチュリスムなどの主要学説を批判した上でトーテミスム研究の略史を扱った第一部「前提問題」、さらに第二部「基本的信念」のうち、トーテミスムの概念を掘り下げ、その原理であるマナの概念を析出する第七章までを収録。【下巻】霊魂と精霊の概念を扱う第二部「基本的信念」の後半に続いて、禁忌の体系や供犠、また償いの儀礼や聖概念の両義性を検討する第三部「主要な儀礼的態度」を収める。「結論」では、研究結果を再検討し、共通の行為としての宗教儀礼が社会を「作り直す」根源的行為であることを解明する。詳細な訳者解説を付す。
  • 宗教の深層 ──聖なるものへの衝動
    3.0
    科学的世界観の浸透によって、近代人は聖なるものの喪失という不自然な生を強いられている。世俗化する時代にあって、救済はいかにして可能となるのだろうか。本居宣長や夏目漱石、柳田國男などの作品と人生に近代における求道の跡をたどり、聖性を希求してやまない人間の宗教意識の根源に迫る。
  • 宗教は国家を超えられるか ──近代日本の検証
    4.3
    国民の統合を前提とする近代国家は、人々の生活や文化のすみずみにまで関与し、そこに国家の意思を貫徹しようとする。しかし私たちは国家を相対化し、対抗する精神を必要とするのではないか──。近代天皇制において日本はどのように国民の「臣民化」をはかったのか。「国家神道」のもとに国民を統合しようとしてきた歴史は、いまの私たちにどんな課題をつきつけているのか。近代日本がつくりあげた文化的枠組みの構造と実態を、宗教という視点から再検討し、国家中心主義を超える道がどこに、どのように用意されていたかを探る。
  • 修験道入門
    3.5
    国土の8割が山という国柄から、日本には世界にも稀な山岳宗教がおこった。仏教や民間信仰と結合して修験道という特殊な信仰ができあがり、これが日本人の宗教の原点を形成したのである。霊山の開祖たち、山伏の厳しい修行、兜巾・篠懸・金剛杖・法螺貝など特別な服装や持物。それらの起源と意味を追いつつ、修験道の歴史とそこにあらわれた精神を、宗教民俗学の泰斗が平明に説く。修験道があらゆる庶民信仰を包含しつつ、日本特有の宗教文化を作り上げてきたさまが見えてくる名著。
  • 朱子学と陽明学
    4.2
    儒学は、中華帝国の正統思想として2000年の長きにわたり君臨してきた。その儒教史上に燦然とかがやく二つの学派がある。南宋の朱子によって体系化され、やがて明・清および朝鮮で体制教学となった朱子学であり、それを明の王陽明が批判的に継承し展開した陽明学だ。日本を含む東アジアの思想文化に決定的影響を及ぼしたこれらの流派は、はたして何を唱えたのだろうか。朱子学・陽明学が誕生した時代背景とその問題意識に焦点をあてることで、通俗的理解とは大きく異なる実像が見えてくる。両教説の異同を明快に説き、壮大な思想体系の全体をあざやかに一望する、入門書の決定版!
  • 須弥山と極楽 ――仏教の宇宙観
    -
    須弥山とは、高さ約56万キロメートル、天神らが暮らす想像上の高峰である。5世紀頃インドで書かれた仏教論書『倶舎論』はこの須弥山を中心とする壮大な宇宙を描き出し、仏教が宇宙をどう捉えたかを詳細に解説した。本書は、『倶舎論』を基礎に他説も参照し、仏教宇宙観を簡明に記す。人間より優るが欲望の虜である天神とはいかなる存在か。「蛆虫に骨をうがたれる」といった地獄の責苦、世界を構成する四大と極微、宇宙の消滅と生成のサイクルなど、幅広く解説。後代に現れる極楽浄土の思想をも取り上げて、人生を苦とし、輪廻と解脱の思想を根底とするこのユニークな体系の変遷をたどる。長年読み継がれてきた入門書。
  • 新・建築入門 ──思想と歴史
    4.0
    建築は、一見すると哲学とも思想とも関係のない即物的なもので、定義など簡単にできそうである。ところが、建築ほど定義しづらいものはない――。20世紀末、構築的なものへの批判に晒され混乱をきわめた「建築とは何か」という問いに、著者は建築史と思想史を縒り合わせながら、真正面から立ち向かう。一本の柱が原野に立てられた太古から、ゴシック、古典主義、ポストモダニズム建築まで。建築様式の歴史的変遷の背後にはどのような思想があったのか。本書は、ひとつひとつ思考を重ねつつ、歴史的視座を与えようとした意欲的主著である。著者自身による自著解説を付した、待望の文庫版。
  • 神智学
    4.0
    「本書の中で、超感覚的世界の若干の部分を叙述するつもりである。感覚的世界だけを通用させようとする人は、この叙述を空疎な想像の産物と見做すだろう。しかし感覚界を越えてゆく道を求める人なら、もうひとつの世界を洞察することによってのみ、人間生活の価値と意味が見出せる、という本書の観点をただちに理解してくれるだろう。」(本書より)「秘教」の思想を、明晰な思考に導かれた新しい総合文化へと再編し、個人の自己実現と社会の進歩へとつながる可能性を提示した、シュタイナー四大主著の一冊。
  • 神秘学概論
    5.0
    本書は、シュタイナーの四大主著の一冊であり、その思想の根幹が綴られている。肉体、エーテル体、アストラル体、自我という人間存在のヒエラルキアを解明し、宇宙論、人間論の中で、めくるめくような宇宙史の壮大な展望の下にマクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人間)との関わりをあとづけ、進化の法則と意識の発達史、古代秘儀の本質、輪廻転生論、悪魔論、霊的認識の方法などを記し、過去と現在と未来についての常識をくつがえした前代未聞の神秘学大系が展開される。
  • 新編 分裂病の現象学
    5.0
    実践的な臨床の経験から、分裂病(統合失調症)を治療すべき異常なものとする論理に与することなく、人間という矛盾に満ちた存在そのものに内在している自己分裂に根差したものとする地平から紡ぎだされた珠玉の初期論文。西田哲学における自‐他論や時間論を敷衍し、分裂病者の自閉性や体験の基本的構造に注目することにより、自我障碍よりも人と人との「あいだ」における自己の自己性の危機、自己と身体との乖離を論じる。
  • 親鸞からの手紙
    -
    親鸞が、もっとも信頼する人びとや、最愛の弟子たちと交わした、胸を打つ手紙の集成。その現存する手紙全42通の現代語訳と解説で親鸞の心中に迫る。最新の親鸞研究の成果にもとづき、全書簡を書かれた順に構成。これにより、子息善鸞の義絶事件などの人間的苦悩と、煩悩具足の凡夫であることの自覚から、ひたすら阿弥陀仏の本願(専修念仏)に帰命する姿が、より鮮明に立ち現れる。それは、仏教を貴族や支配階級のもとから解放し、真に民衆のものとして、多くの衆生を獨世から救おうとする姿にほかならない。現代にも脈々と生きる、親鸞の力強い実践思想へのこのうえない入門書。
  • 親鸞・普遍への道 ──中世の真実
    -
    親鸞はいかなる人物か。その思想はどのような今日的意義をもっているのか。親鸞に親しむほどに既成教団を否定せざるをえず、浄土真宗の末寺に生まれながらあえて寺院を離れた著者が、一市民として全存在をかけて親鸞の求道に分け入る。自己の無力を知り弥陀の本願に依ることでどのような者も救われるという「絶対他力」の教えは、ケガレを忌み、占い、苦行や作善、祖先崇拝に救いを求めた中世人に、いかばかりの衝撃をもたらしたか。中世の「聖なる世界」の構造をトータルに把握し、そのなかで親鸞が切り開いた「絶対他力」という「普遍への回路」を明らかにする、渾身の著。
  • 神話学入門
    -
    神話は人類にとって普遍的であるが、同時に一見捉えどころのないものでもある。神々と人間の関係が疎遠になり、信仰が動揺してきたとき、神話ははじめて客観的・意識的に眺められるようになった。こうして「神話とは何か」という問いかけが、その没落とともに始まった。「神話学」の誕生である。本書はヨーロッパにおいて発達した神話学研究の系譜を丁寧に辿りつつ、定義と分類、様々な解釈を詳述し、重要な側面を余すところなく紹介する。神話とその背景としての民族・文化・社会、世界像や儀礼との関係を泰斗が解き明かす定評ある入門書。
  • 自己・あいだ・時間 ──現象学的精神病理学
    5.0
    精神の病態を一時的な疾患としてではなく人生全体の示す歴史的な歩みとして位置づけ、独自の思想を重ねてきた著者の代表的論考のかずかず。自己と他者の「あいだ」の病態として捉えられてきた分裂病を、「時間」の病態として、現象学的な思索を展開する。とりわけ鬱病者の“あとのまつり”的体制に対し、分裂病者が“前夜祭”的な時間体制をもつという新しい構図は世界的に大きな波紋を広げた。他者や世界との「あいだ」、自己自身との「あいだ」の歴史性における患者の生のあり方を追究した本書は、精神病理学と哲学を自由に横断する独創的な学問的達成であるといえよう。
  • 自発的隷従論
    4.3
    なぜみずから屈し圧政を支えるのか。圧制は、支配される側の自発的な隷従によって永続する――支配・被支配構造の本質を喝破した古典的名著。シモーヌ・ヴェイユが本作と重ねて20世紀の全体主義について論じた小論を併録する。
  • 自分ということ
    3.0
    「自己」とか「自分」とは、私たち個人の内部的ななにものかだろうか。自分の「自」は「おのずから」の「自然」となり、また「みずから」の「自分」となり、両者の間で根源的な生命は躍動する。自己あるいは自分とは、私の内部にあるものではなくて、私と世界との、総じて人と人との「あいだ」にあるのだ。自己の自己性にかかわる危機として分裂病(統合失調症)や離人症を取り上げ、「あいだ」の時間性や、自己の「もの」的ありよう・「こと」的ありように光を当てる。著者の内面の歴史を背景に語られる木村哲学への最初の一歩。
  • 重力と恩寵
    4.4
    「重力」に似たものから、どうして免れればよいのか? ――ただ「恩寵」によって、である。「恩寵は満たすものである。だが、恩寵をむかえ入れる真空のあるところにしか入っていけない」「そのまえに、すべてをもぎ取られることが必要である。何かしら絶望的なことが生じなければならない」。真空状態にまで、すべてをはぎとられて神を待つ。苛烈な自己無化の意思に貫かれた独自の思索と、自らに妥協をゆるさぬ実践行為で知られる著者が第二次大戦下に流浪の地で書きとめた断想集。歿後に刊行され、世界に大反響を巻き起こした処女作。
  • 自由の哲学
    4.5
    「外なる世界と内なる世界、外なる法則性と内なる道徳性との間に横たわる深淵は、ただ自由な魂だけがこれに橋をかけることができる」(本書「あとがき」より)。刊行後100年以上経つ現在も、まばゆい光芒を放ち続ける、シュタイナー全業績の礎をなしている認識論哲学。社会の中で否応なしに生きざるを得ない個としての人間は、個人の究極の自由をどこに見出すことができるのか。また、思考の働きは人類に何をもたらすのか。シュタイナー四大主著の一冊。
  • 神社の古代史
    3.0
    古代の人々の生活や信仰、祭りの中から神社は各地で発生した。では彼らはどのような神々を祀ってきたのだろうか。明治以降の国家神道の影響を受ける以前の“祭祀の原像”を求めて、主要な神社の成り立ちや特徴を解説する。取り上げられる神社は大神(おおみわ)神社、伊勢神宮、宗像大社、住吉大社、石上(いそのかみ)神宮、鹿島神宮、香取神宮などで、それらは大和王権の国家運営が進むに従い、それぞれに役割を付与され性格づけられて、律令体制下の神社制度として確立していくことになった。日本古代史における神社の起源と変遷をていねいに辿り、その存在意義を考察する。
  • 人知原理論
    5.0
    事物が存在するということは、それが知覚されているということである──。ジョン・ロックの経験論哲学の批判的継承者たるジョージ・バークリー(1685-1753)は本書『人知原理論』において、こう断言する。それは裏返せば、知覚されないものは存在しない、つまり私たちの心から切り離された「物質」なるものなど存在しない、ということだ。様々な批判にさらされながらも、ヒュームやカント、ドイツ観念論など後の哲学思想に多大な影響を与えたバークリーの思想とはいかなるものか。その透徹した論理にひめられた核心が、平明このうえない訳文と懇切丁寧な注釈により明らかになる。主著、待望の新訳。
  • ジンメル・コレクション
  • 聖書の起源
    3.7
    キリスト教の正典、「聖書」──その奥にひそむのは、古代オリエントやギリシアのあらゆる神々の姿が織り込まれ、ユダヤ民族悠久の歴史が幾重にも積み重ねられた、多文化的な空間であった。異教のバァール神話の死と復活のドラマ。ギリシア神話のアドニスとアフロディテの出会いと別れの物語。エーゲ海であがめられた治療の神アスクレピオス。治癒神イエス登場の背後には、これら異端の神々の系譜を透かし見ることができる。従来の宗教学的解釈では光をあてられることのなかったこの歴史を、宗教人類学の視線から掘り起こし、のちの聖書の読みを決定づけた古典的名著。
  • 精神現象学 上
    3.5
    感覚的経験という最も身近な段階から、数知れぬ弁証法的過程を経て、最高次の「絶対知」へと至るまで──。精神のこの遍歴を壮大なスケールで描き出し、哲学史上、この上なく難解かつ極めて重要な書物として、不動の地位を築いてきた『精神現象学』。我が国でも数多くの翻訳がなされてきたが、本書は、流麗ながら、かつてない平明な訳文により、ヘーゲルの晦渋な世界へと読者をやさしく誘う。同時に、主要な版すべてを照合しつつ訳出された本書は、それら四つの原典との頁対応も示し、原文を参照する一助となす。今後のヘーゲル読解に必携の画期的翻訳、文庫オリジナルでついに刊行。【※本電子書籍版には、紙書籍版本文の上欄、下欄に付した4つの原典(グロックナー版全集第二巻、ホフマイスター版、ズールカンプ版全集第三巻および大全集版〔アカデミー版〕)とのページ対応は含まれません。】
  • 精選 シーニュ
    -
    20世紀フランスを代表する思想家モーリス・メルロ=ポンティ(1908-61)が死の前年にまとめた論集『シーニュ』。同書には、言語学、絵画論、人類学への言及や、フッサール論、ベルクソン論、マキアヴェッリ論など、おもに中期から晩年にかけて執筆された多彩な論考が収録されており、その多中心的な思想を一望するうえで欠かせない一冊となっている。本書ではそのなかから、ニザンとサルトルとの関わりが美しく綴られた序文のほか、「間接的言語と沈黙の声」「哲学者とその影」など重要論考6本をセレクトし、新訳。清新な訳文と懇切丁寧な注釈・解説により、その真価が明らかとなる。
  • 生の仏教 死の仏教
    -
    仏教は死後の救済のためのものだと思われたり、思想として知的に享受するものだと理解されることが多い。しかしそれは誤りだ。仏教はこの世を生きるための教えであり、その教えは念仏などの「行」を行うことで初めて意味を持つ。異国アメリカに仏教を広めた京極逸蔵は、仏教国でありながら仏教が根付かない日本に向け、彼の地から一つの提案をした。それが本書で説かれる「六波羅蜜」の実践だ。六波羅蜜は仏教徒の倫理規範というだけでなく、それを実践することが宗教的な目覚めへの近道ともなるからだ。専門用語に丁寧な説明をルビで付した、心底わかる仏教入門。
  • 責任と判断
    4.3
    「歯車理論」や「小物理論」の虚偽を突き、第三帝国下の殺戮における個人の責任を問う「独裁体制のもとでの個人の責任」、アウシュヴィッツ後の倫理を検討し、その道徳論を詳らかにする講義録「道徳のいくつかの問題」など、ハンナ・アレント後期の未刊行論文集。ユダヤ人である自らの体験を通して全体主義を分析し、20世紀の道徳思想の伝統がいかに破壊されたかをたどる。一方、人間の責任の意味と判断の能力について考察し、考える能力の喪失により生まれる“凡庸な悪”を明らかにする。判断の基準が失われた現代こそ、アレントを読むときだ。
  • 禅のこころ ――その詩と哲学
    -
    禅とは何だろうか。古来、仏の悟りの真髄をこころからこころへと伝えてきたため、その世界に参入するのはなかなか難しい。本書はこの難問に応える。禅の世界は、坐禅修行を通して真実の自己とは何かを究明し、同時に現実世界において平常心に生きる道であることを解き明かす。そこに開かれる、自然や他者との不二の境地は、まさに詩となり、味わいに富む言葉に結晶する。その禅的境涯にひそむ理路は、「言語」「時間」「身心」「行為」などの哲学的探究の展開ともなる。禅を、今を生きるための思想として、多くの人の身近なものとすべく意図された、他に類例のない入門書。
  • 相対主義の極北
    4.2
    すべては相対的で、唯一絶対の真理や正しさはない――この相対主義の「論理」を相対主義自身にも適用し、極限まで追いかける。その最果ての地で、どのような風景が目撃されるのか? 本書では、ルイス・キャロルのパラドクス、マクタガートによる時間の非実在性の証明、デイヴィドソンの概念枠批判、クオリア問題等を素材に、「相対化」の問題を哲学する。相対主義を純化し蒸発させることを通して、「私たち」の絶対性を浮き彫りにすると同時に、その「私たち」も到達しえない“他なるもの”の姿を鮮やかに描き出す。ダイナミックな哲学の思考運動が体感できる名著。
  • 増補 死者の救済史 ──供養と憑依の宗教学
    -
    数々の未練を残してこの世を去った死者たち。その無念に、残された者は何をしてあげることができるのか。この問いに日本人は古くから執心し、多種多様な解決策を練り上げてきた。祟りと祀り、穢れと祓い、供養と調伏、そして死者との直接の交流である憑依。これらをさまざまな角度から再検討し、さらに比較宗教学的な見地を織り込むことで、生者と死者とが邂逅する局面と、そこで行われる交流や対決、取引に新たな光を当ててゆく。文庫化にあたり、靖国神社を集合性と個人性との相克の場として捉えた論考「靖国信仰の個人性」を増補した決定版。
  • 増補 十字軍の思想
    -
    聖地エルサレムを異教徒たちから奪還すべく、中世ヨーロッパで構想された「十字軍」。それは神の名において行なわれる聖なる戦争であり、参加者に救済をもたらすとして、無数の人々を戦いに熱狂させ、ムスリムの大量虐殺をひきおこした。制度としての十字軍は16世紀末に終わりを迎えるが、9.11以降、現代まで続く一連のテロ事件と、それに対する欧米社会の反応は、「十字軍」が決して過去の歴史ではないことを明らかにしている。なぜ「聖戦」は繰り返すのか? 対立の根源にあるものとは? 十字軍の思想1700年の歴史を辿り、いまなお世界を脅かす確執の構造を解き明かす。
  • 増補 性と呪殺の密教 ──怪僧ドルジェタクの闇と光
    5.0
    性行為の歓喜が心身の力を極限まで高め、究極の智恵をもたらすという理論を根拠に、修行に導入された「性的ヨーガ」。不正義の人が悪事を成す前に、浄土に送り届けることは救済にほかならないという思想に基づく「呪殺」。チベット密教には、いまだ秘匿された教義が数多く存在する。なぜそうした奥義がチベットで歓迎されるに至ったのか。その背景を解き明かしつつ、知られざる神秘に迫る。国や地域と時代を問わず、宗教にあまねく内在する暴力とエロティシズムの原理にまで鋭く切り込んだ一章を増補。宗教の本質を抉り出す驚異の密教入門書。
  • 増補 責任という虚構
    4.3
    人間は自由意志を持った主体的存在であり、自己の行為に責任を負う。これが近代を支える人間像だ。しかし、社会心理学や脳科学はこの見方に真っ向から疑問を投げかける。ホロコースト・死刑・冤罪の分析から浮き上がる責任の構造とは何か。本書は、自由意志概念のイデオロギー性を暴き、あらゆる手段で近代が秘匿してきた秩序維持装置の仕組みを炙り出す。社会に虚構が生まれると同時に、その虚構性が必ず隠蔽されるのはなぜか。人間の根源的姿に迫った著者代表作。文庫版には自由・平等・普遍の正体、そして規範論の罠を明らかにした補考「近代の原罪」を付す。
  • 増補 日蓮入門 ──現世を撃つ思想
    4.0
    日蓮の思想は、近代日本において超国家主義者に信奉されるなど、時に危険なイデオロギーとも目されてきた。だが、実際の著作を読んでゆくと、真の日蓮は一筋縄ではゆかない、実に多面的な思想家であることに気付くだろう。政治権力に挑戦する闘う思想家、孤独で内省的な理論家、ユートピアを思い描く夢想家、おおらかな現実主義者など。魅力的なその人柄に触れつつ、『立正安国論』『三大秘法抄』などの遺文をひとつひとつ読み解き、多彩で奥深い思想世界を探る。ちくま新書版に増補をくわえて刊行する。
  • 増補 ハーバーマス ──コミュニケーション的行為
    3.0
    人間には暴力・抑圧に支配されず対話を交わし、相互理解に到達する理性の力が与えられている。宗教や因習など非理性的な力を脱した近代社会において、民主的な原理はようやく一人立ちしたが、同時に支配のシステムは強大に、そこから生じる人間疎外も強固になり、コミュニケーション的理性の可能性は十分には実現できなかった。異なる利害を持った人間が意思を疎通し、行為を調整しあうにはどうしたら良いのか。あくまでも人間のコミュニケーションへの信頼を保とうとするハーバーマス。その全貌をとらえた一冊。
  • 増補 靖国史観 ――日本思想を読みなおす
    3.5
    靖国神社の思想的根拠は、神道というよりも儒教にある! 本書は靖国神社創設の経緯をひもときながら、文明開化で儒教が果たした役割に光をあて、明治維新の独善性を暴きだす。気鋭の歴史学者が「日本」の近代史観に一石を投じる檄文。「国体」「英霊」「維新」の三章に、文庫化に際して新章「大義」を増補。
  • 大衆の反逆
    4.2
    一九三十年刊行の大衆社会論の嚆矢。二十世紀は「何世紀にもわたる不断の発展の末に現れたものでありながら、一つの出発点、一つの夜明け、一つの発端、一つの揺籃期であるように見える時代」、過去の模範や規範から断絶した時代。こうして、「性の増大」と「時代の高さ」の中から《大衆》が誕生する。諸権利を主張するばかりで、自らにたのむところ少なく、しかも凡庸たることの権利までも要求する大衆。オルテガはこの《大衆》に《真の貴族》を対置する。〈生・理性〉の哲学によって導かれた予言と警世の書。
  • 歎異抄
    4.3
    没後七五〇年を経てなお私たちの心を捉える、親鸞の言葉。わかりやすい注と現代語訳、今どう読んだらよいか道標を示す懇切な解説付きの決定版。本書では、著者長年の探究の成果による清新な解釈に基づいて、親鸞の「信」を掘り下げ、宗教から遠い世間を生きる私たちの心にひびく、新しい読みかたを提示する。
  • 『歎異抄』講義
    -
    『歎異抄』は親鸞の弟子・唯円が、親鸞の死後、師の教えとは異なる解釈が弟子たちの間から出てきたことを歎き、親鸞の教えを再確認するために記したもの。親鸞、そしてその師・法然の教えのエッセンスが詰まった重要な一書であるが、その内容を理解するのはひじょうに難しい。それは、世間の常識では理解しがたい宗教の論理で全編が貫かれているからだ。本書はその宗教の論理を理解し、教えが自分のものになるようにと、碩学が一般読者に向けて行った読書会の記録。懇切丁寧な説明はもちろんのこと、参加者からの質問や感想が、浄土仏教の理解を大いに助けてくれる。
  • 大嘗祭
    3.0
    本書は歴史的資料を博捜して、大嘗祭を構成する儀礼である斎田点定、大嘗宮の造営、大嘗宮の儀、廻立殿の儀等を詳述し、全体像を明らかにする。大嘗祭の原型を探ることで可視化する、秘儀の象徴性とその本質とは。資料として、「天神寿詞」、「登極令」、および関連年表等を付す。
  • 大乗とは何か
    -
    幅広く衆生の救済を目指す大乗仏教運動は、西暦紀元前後にインドで胎動し始め、東アジアを覆うほどの伝播をなして今日に至る。「釈尊の初期仏教に立ち返れ」と説く般若経を先駆経典とし、その中心思想「空」はナーガールジュナ(龍樹)によって基礎づけられた。「大乗諸仏と私」「大乗の展開」「大乗の諸相」の三部からなる本書は、「菩薩」という言葉の来歴、空の考え方、経典成立の問題など、大乗の諸側面に迫った、仏教学の泰斗最後の論考集である。仏教入門としてもまたとない書。
  • 知性の正しい導き方
    3.5
    名誉革命後の混乱と喧噪のなかで、人間の自由と自主独立について徹底的に思考し、新たな論理学に基づいた知性のあり方を探究したロック。彼は、知性は誰にでも平等に備わっており、訓練や努力を重ねることで改善できるはずだ、と言う。近代の代表的思想家が伝授する、自分の頭で考えるための実践的メソッド。
  • 知的創造のヒント
    3.7
    あなたに最適な知的創造のヒントがここにある。常に心構えを柔軟にしておくコツから忘却の効用、雑談のすすめ、メモをとる是非や本の読み方まで著者の実践法を紹介します。個性的な思考スタイルを身につけ、知的創造性を発揮するための実践トレーニングが満載の一冊。あきらめていたユニークな発想ができるようになる知的習慣術。
  • 中国の知恵 ──孔子について
    3.5
    孔子の生きた時代(前551?‐前479)、世は戦乱にあけくれ、殺戮と陰謀にみちていた。そのような状況下、孔子は、人間にとって重要なのは相互に愛情をもつことだとして「仁」の思想を唱え、政治はその実践であるとした『論語』を生みだす。その後『論語』は儒教の教典として崇拝され、文学的香気にあふれた含蓄深い名句の数々は、人間讃歌、人類永遠の古典として、現代に至るまで多くの人々に読みつがれている。本書は、表題作ほか、孔子と『論語』に関する初心者向けの論考六篇で構成。中国文学最高権威の著者が、人間孔子の精神と『論語』の思想を明らかにした入門書の名著。
  • 中世賤民の宇宙 ──ヨーロッパ原点への旅
    4.7
    差別はどこから生まれてくるのだろうか? ヨーロッパにも職業差別・身分差別は存在したのだろうか? 本書は、『ハーメルンの笛吹き男』で西洋中世の被差別民の存在に初めて光をあてた著者が、賎視と身分差別の問題に正面から取り組んだ、阿部史学の代表的著作である。西洋中世において、キリスト教の浸透による時空観念の一元化と死生観の転換によって、畏怖の対象であった職業を賎視するようになる過程を考察する。「ヨーロッパ中世賎民成立論」のほか「ヨーロッパ・原点への旅」「死者の社会史」等も収め、“小宇宙”と“大宇宙”をキーワードに西洋中世の人々の心的構造の核に迫る。
  • 中世の覚醒
    5.0
    12世紀の中世ヨーロッパ、一人の哲学者の著作が再発見され、社会に類例のない衝撃を与えた。そこに記された知識体系が、西ヨーロッパの人々の思考様式を根底から変えてしまったのである。「アリストテレス革命」というべきこの出来事は、変貌する世界に道徳的秩序と知的秩序―信仰と理性の調和―を与えるべく、トマス・アクィナスをはじめ、キリスト教思想家たちを激しい論争の渦へと巻き込んでいった。彼らの知的遺産は、現代にどのような意義を持つのであろうか。政治活動の発展と文化的覚醒が進んだ時代の思想を物語性豊かに描いた名著。
  • 哲学の誕生 ──ソクラテスとは何者か
    3.0
    哲学はソクラテスとともに始まったと見なされてきた。だが、何も著作を残さなかったソクラテスが、なぜ最初の哲学者とされるのか。それを、彼とその弟子のプラトン、アリストテレスという3人の天才による奇跡的な達成と考える従来の哲学史観では、致命的に見落とされたものがある。ソクラテスが何者だったかをめぐり、同時代の緊張のなかで多士済々の思想家たちが繰り広げた論争から、真に哲学が形成されていく動的なプロセスだ。圧倒的な量の文献を丹念に読み解き、2400年前、古代ギリシアで哲学が生まれるその有り様を浮き彫りにした『哲学者の誕生:ソクラテスをめぐる人々』の増補改訂版。
  • デカルト入門講義
    5.0
    科学者であったルネ・デカルトは、自然科学の礎たりえる知識をもとめ、第一哲学=形而上学の再構築に乗り出す。なにひとつ信じられるものがない「懐疑」を出発点に、それでも絶対疑えない原理「我あり」へ、更に「神あり」「物体あり」へと証明をすすめる。本書はその哲学をまず『省察』『哲学の原理』など主著を追ってわかりやすく解説。ついで『世界論』『人間論』を通して、近代哲学の理解に不可欠な自然学的論理を説明する。スピノザ、ロック、バークリ、ライプニッツ、カント、フッサール等々、その後のすべての西洋哲学に強烈な影響力を持ち続けたのは何故か。
  • 東方キリスト教の世界
    4.5
    東方キリスト教は、ロシア正教など東ヨーロッパを中心に広がる東方正教会や、主に中東で広まった東方諸教会などを包括するものである。使用言語も多岐にわたりその歴史も複雑なため、日本語での情報は限定されてきた。本書はそうしたなかで、長らく基本情報を提供してきた名著だ。西洋古典学・ビザンツ学・スラヴ文献学の横断的研究で傑出した業績を残した研究者が、東方キリスト教全体を扱いつつも、教義や歴史にとどまらず、巡礼・神秘思想・教会建築・イコン・天国/地獄表象など幅広く信仰文化にまで踏み込む。
  • 道徳および立法の諸原理序説 上
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    イギリス近代を代表する思想家にして法学者ジェレミー・ベンサム(1748‐1832)。本書は、近体功利主義の創始者として知られる彼の代表作と目される記念碑的著作である。ここでベンサムは、人間の快と苦痛のみに基礎づけられた功利性の原理をもとに個人と共同体のありようを徹底的に解析し、そこから真に普遍的な法体系を導出しようと試みる。その挑戦はわれわれをどこに導くのか? 刊行より200年以上経てもなお倫理学、法哲学、政治思想など広範な分野に圧倒的な影響を与え続けている名著を、このうえなく清新かつ平明な訳文で送る。上巻は「第13章 罰すべきでない場合」まで。文庫オリジナル。
  • 読書の学
    5.0
    言語は、事実のコミュニケーションのための媒体であるばかりではない。言語自体がまた人間的事実であり、そこに集約されている著者の態度が精密に読み込まれてはじめて、読むことは十全な読書となる。論語・史記から契沖、宣長、徂徠にいたるまで、漢籍や和書を縦横にし、著者の内部に生起し蓄積する感情・思考・論理を通して内的事実に降り立つ実践を展開する。事実に触発される意識をたどり、読書論を超えて学問論にいたる。著者の悠然たる文学的逍遙につき随って、その思考の筋道をつぶさに経験する一巻。
  • 内的時間意識の現象学
    4.0
    現代哲学、思想、そして科学にも大きな影響を及ぼしている名著の新訳。フッサールの現象学はなによりも学問の基礎づけを目指すが、その際「いちばん根底に横たわる」問題が時間である。時間は一瞬で流れ去るのに、多くのものはなぜ持続的に「存在する」ということが可能なのか。フッサールは、「客観的時間」というものへの信憑を括弧に入れて、それが意識のなかでどのように構成されるのかを解明する。そして、時間を構成する意識それ自体が時間のなかに現れてくるという根本的な事態に光を当て、「意識の壮大な生体解剖」を行う。詳密な訳註と解説を付し、初心者の理解を助ける。
  • ナショナリズム ──その神話と論理
    3.0
    日本ナショナリズムは、なぜ第二次大戦という破局的帰結にいたったのか。それ以外の可能性は本当に存在しなかったのか。──これが、かつて自らも日本浪漫派に熱狂した青年であった橋川文三が生涯抱え込んだ難問であった。この問いに向き合うべく、橋川は明治維新前後の黎明期へと遡行し、その起源に肉薄する。水戸学から松陰へと至る士族の流れと中間層における国学の系譜との相克。その間隙を衝くように行われた明治政府の国民統合政策。「隠岐コミューン」に託したもう一つの可能性……。日本ナショナリズムの形成過程をダイナミックに描き出す、第一級の古典。
  • 日常的実践のポイエティーク
    4.3
    読むこと、歩行、言い回し、職場での隠れ作業……。それらは押しつけられた秩序を相手取って狡智をめぐらし、従いながらも「なんとかやっていく」無名の者の技芸である。好機を捉え、ブリコラージュする、弱者の戦術なのだ――。科学的・合理的な近代の知の領域から追放され、見落とされた日常的実践とはどんなものか。フーコー、ブルデューをはじめ人文社会諸科学を横断しつつ、狂人、潜在意識、迷信といった「他なるもの」として一瞬姿を現すその痕跡を、科学的に解釈するのとは別のやり方で示そうとする。近代以降の知のあり方を見直す、それ自体実践的なテクスト。
  • 日本奇僧伝
    3.0
    かつて日本にもしばしば奇跡を起こし奇矯な振る舞いをもって人々のこころに強い印象を与えた異能・反骨・隠逸の出家たちがいた。いわゆる名僧高僧ではないために残された史実は少なく、口伝でその活躍が伝えられてきたわけだが、むしろ本当かどうかはわからないその逸話の真実らしさにこそかつての日本人はリアリティーを感じていたのだ。橋を架け道路を開いた行基が魚の切り身を小魚に変えた話、歌人として有名な西行が人造人間を作った話など、エピソードで語る25人の奇僧の姿。
  • 日本人の死生観
    5.0
    日本人は生きることと死ぬことをどのように考えてきたのだろうか。長明、芭蕉、千代女、馬琴、良寛など代表的な古典の中に日本人の死生観を辿り、「死」を前提に生き方を考え、「死」の意味をあらためて見つめなおす。日本人の心性の基層に今日も生きている伝統的な死生観を現代に生きる私たち自身の問題として考える指針の書。「死」の偉大な先達から「終い方」の極意を学んでみたい。
  • 人間の条件
    4.4
    条件づけられた人間が環境に働きかける内発的な能力、すなわち「人間の条件」の最も基本的要素となる活動力は、《労働》《仕事》《活動》の三側面から考察することができよう。ところが《労働》の優位のもと、《仕事》《活動》が人間的意味を失った近代以降、現代世界の危機が用意されることになったのである。こうした「人間の条件」の変貌は、遠くギリシアのポリスに源を発する「公的領域」の喪失と、国民国家の規模にまで肥大化した「私的領域」の支配をもたらすだろう。本書は、全体主義の現実的基盤となった大衆社会の思想的系譜を明らかにしようした、アレントの主著のひとつである。
  • ニーチェ入門
    3.7
    現代思想に多大な影響を与え、今なお多くの著作が読み継がれているニーチェ。しかしアフォリズム的に書かれたその文章は、他の哲学者にはない魅力である一方で彼の思想の核心を捉えにくくもしている。ニーチェは終生何について考えていたのか? 実はそこには「健康と病気」をめぐる洞察がある、と著者は述べる。みずからも病に苦しみつつ、その経験の中から「身体の健康とは何か、精神の健康とは何か」という身近な問題意識への思索を深めていったのだ。ニーチェの生涯や思想、キーワードを平明に解説し、その思想のもつアクチュアリティを浮かび上がらせる入門書。

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