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作品一覧
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-<全体=内部+境界+外部>であり、境界は内部→外部、また外部→内部と意味を変容し得る──。他に類を見ない数学的・哲学的スタイルで近代日本文学の常識を覆した『意味の変容』。若き日を放浪のうちに過ごした異能の作家・森敦が、光学工場やダム建設現場での思索を結晶させた究極の私小説であり、その理論を代表作『月山』などにおいて具現化した文学論でもある。新編にあたり、空海の足跡を辿りつつ真言密教を独創的に読み解いた『マンダラ紀行』、京城で過ごした幼少期に始まる豊饒な半生をユーモラスに語り尽した『十二夜』を併録。森敦の思想の全貌を明らかにした決定版。
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-独自の創作理論を打ち立てた、二大巨人による実践的文学論。文学の<現在>はここから始まる――独自の文学世界を打ち立てた二大巨人=小島信夫&森敦による長篇対談。昭和20年代半ばからの知己である二人が、これまでの交遊を振り返りつつ、創作理論の<現在>を縦横に語り合う。悲劇と喜劇、内部と外部、小説におけるモデル問題、夢と幻想、演劇論など、多岐にわたるテーマを通して、二人の文学の根柢に迫る、スリリングでアットホームな試み。幻の未刊長篇対談、待望の文庫化。 ◎小島信夫「この対話は色々の問題をもってきて、互いに論じるというようなものとは大分ちがう。問題も材料も互い自身である。これは息苦しいものであるし、空を切ることもあるので、ときどき散歩をすることもある。ときには、自分自身をダマす必要もある。(略)今月、悲劇、喜劇という言葉が出現して、私は刺戟をうけた。まどろみかけた目がひらいた思いがした。(略)今回のような談話の中での文脈の中でおどり出たのだから、これは生きた言葉である。生きた言葉であるだけに、今後何度も俎上にのぼり、たのしまなければならない。」<「第四回・追記」より>
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4.3
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4.0太宰治らとの交遊から芥川賞受賞までを随想。 昭和49(1974)年、62歳にして『月山』で芥川龍之介賞を受賞した著者だが、弱冠20歳で華々しく文壇デビューした後、筆を擱(お)き長い長い流浪の旅に出たのは何故か。あまり世に知られていない、空白の40年間が垣間見える随想録である――。菊池寛に見出され、横光利一の推輓により、毎日新聞で『酩酊船(よいどれぶね)』を連載するなど前途洋々、将来を嘱望された若手作家だった森。同時代を生きた朋友・太宰治、壇一雄との交遊、太宰が『走れメロス』を執筆したエピーソードや、井伏鱒二や尾崎一雄、川端康成、谷崎潤一郎、志賀直哉らの名も日常生活を語る中で登場する。奈良や山形月山などで暮らした日々も綴られている。主に新聞の文化欄に掲載された文章だが、どんな短文にも筋が通った森流論理が窺える。
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ユーザーレビュー
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Posted by ブクログ
「食って、寝て、起きそして食べる」
森敦(1912-1989)の『月山』は1974年に第70回芥川賞を受賞した作品で、
森は62歳、黒田夏子が75歳で受賞するまでは最年長記録だったそうです。
この度文春文庫で新装版が出たので手にとってみました。
そして驚愕で身が震えるほど感動しました。
月山の麓にある古ぼけたお寺に一冬居候することになった「私」。
本を読むでもなく、絵を描くでもない私は、
寺の仕事手伝うでもなく雪深い農家をただぶらりとし、農家の人々の話を聞く。
「私」がやったことといえば、お寺の隙間風を防ぐため
お寺にあった古い古い祈祷帖の和紙で蚊帳をつくっただけ。
あとは寺男のじいさまが -
Posted by ブクログ
おもしろいから読んだらいいと思う。ひどいと思う。「と思ってた」ことを無理矢理わかりやすく説明してもらってるけどしてもらえばしてもらうほどちんぷんかんぷんな説になってそれでも真顔で神妙にしてるへんたいのおっさんを興味深いな〜と思って眺め続けてる暇な快楽だけど妙に言ってることがふとわかったりしてエクスタシー! 感じたと思ったらまださらに話と転換が続いてて「お、おっ」てコケて(リアクション)また聞いてる、って感じですか違いますかそうですか。いやもう大好き(で、興味向かない時は話聞かない自由なボケていたらくOKな自分を許せる直球なおっさん。と勝手にしてる。)意味の変容だよね〜、とそのタイトルには勝手に
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Posted by ブクログ
森敦さんといえば最高齢(62歳)で芥川賞を受賞したという印象、
それは1974年のことで
のちに(2013年)黒田夏子さんが75歳で受賞なさって記録が塗り替えられた
そのことも話題になった
すなわち、世に知られるのが遅いということである
そのような作家の作品は奥深いかもしれない
という期待を裏切らない、森敦さんの『月山』を初読みで
なるほど、ストーリの内容としても文章としても味わい深いのであった
枯淡かな思えば、この物語の主人公の年齢はまだ若いらしい
「未だ生を知らず
焉(いずく)んぞ死を知らん」
などと扉に掲げて、実社会からの逃避して
月山という奥深い雪山寺での極貧生活 -
Posted by ブクログ
森敦の放浪生活のいったんが書かれているとはいえ、やはり記憶に強く残っている物語が繰り返し語られることが多く、わけても作品ともなった月山での生活は特別なものだったようだ。すっかり荒廃した注連寺(ちゅうれんじ)で一冬過ごすことを決めたというのだが、雨戸も朽ちてぼろぼろでふすまと障子をたてて古い祈祷簿で蚊帳をつくりその中で過ごしたという。吹雪けば雪が吹き込んでくるかような様子だったようで、さながらサバイバル生活。
そうかと思えば奈良での暮らしもなんどとなく描かれる。まるでコピーでもしたのかというくらいにほぼ同じ文章が長々と必ずついてまわることにちょっと感動を覚えるくらいだ。奈良公園からつらなる