民俗学者と宗教者(仏教)の出逢いによって生まれた名著と背表紙にありましたが、それに相応しい本でした。平安時代は祖先を大切にしながら、藤原北家の主流(冬嗣・良房・基経)でさえも祖父の墓の場所を知らなかった! それは墓を不吉として忌み嫌うということから来ていたという説明は説得力があります。日本人の罪から
...続きを読むの解除法は表面を拭く消毒薬、西洋人のそれは内から大掃除する下剤という説明は実にわかりやすい喩えです。近世日本にも「世俗内的禁欲」を説く宗教が存在したと、M・ヴェーバーへ反論を主張しているという内藤莞爾「宗教と経済倫理」、中村元「日本宗教の現代性」の紹介も興味深いところです。新興宗教の中では100万人を超える大教団はいずれも神がかりから脱却し、「歴史性」と「社会性」の真理基準をみたす努力を行った教団であるという分析もそれに通じるのではないでしょうか。また科学と宗教については、近世科学の成立の基盤そのものに宗教的精神が内在していたという説明は非常に公平な指摘です。アニミズムや多神教を追い払った西欧にまず科学的自然観が成立したということは考えてみれば当然なのですが、日本ではまだまだこの点の偏見が強いようです。そしてプロテスタントが完全にアニミズムを否認したのに対して、カトリックはミサという唯一の秘蹟に集中させてという説明も大変分かりやすく参考になります。