教育 - 講談社 - 講談社学術文庫作品一覧
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 日本を代表する国語学者の代表作「口語篇」(1950年)と「文語篇」(1954年)を1冊に収録した初の文庫版。 ヨーロッパの言語学に依拠した明治以降の国語学に抗して独自の体系を築いた稀代の学者・時枝誠記(1900-67年)。人間の心の中で起きる言語の働きに注目し、言語を実体的な対象として捉えることを拒む時枝は、文の構成要素となってそれに対応する意味を生み出す「詞」と、それを心の中で生きさせる働きそのものである「辞」を区別する。そして、「辞」が「詞」を包含し、そのまとまりがより大きなまとまりに包含されていく「入れ子構造」を基本に据え、「言語過程説」と呼ばれる独自の理論を築き上げた。 言語過程説は『国語学原論』(1941年)として発表されたが、この一般理論は具体的な日本語を説明できなければ、単なる理論で終わってしまう。だから、時枝は口語と文語のそれぞれについて、文法の詳細な解説を形にする必要があった。それこそが、本書にほかならない。 「時枝文法」の全容を明らかにした本書は、日本語に潜む文法の実相を、広い読者に向けて、全力で説き明かそうとした渾身の作であり、日本語について考える上で避けて通ることのできない不滅の古典である。読みやすさに配慮して旧字体は新字体に変えつつも、かな遣いについては時枝自身が望んだ「旧かな遣い」を保持した本文庫版を、前田英樹氏による情熱あふれる「解説」とともに味読する喜び。 【本書の内容】 [口語篇] はしがき 第一章 総 論 第二章 語 論 第三章 文 論 第四章 文章論 [文語篇] はしがき 第一章 総 論 第二章 語 論 第三章 文 論 第四章 文章論 注意すべき動詞活用例 解 説(前田英樹)
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4.0薩英戦争と下関戦争、開港をめぐる激しい外交戦、熱い政治談義、刺激的な国内旅行そして戊辰戦争― 英国青年外交官が「幕末日本」を全身で体感する! 攘夷の嵐が吹き荒れ、政局が緊迫する文久二(一八六二)年、一人のイギリス人通訳官が日本の地を踏んだ。 西郷隆盛ら雄藩・幕府の要人、果ては天皇、あるいは市井の人々との出会いを重ね、日本文化の奥深さに魅了され、そしてときには命の危険を乗り越えながら、彼は日本史上の最大転換点を目撃する。 日本人が長く読み継いできた幕末史の第一級証言を、英国外交史研究を踏まえた新訳で読む。 イギリス外交史、日英関係史を研究する訳者が、これまでの研究蓄積を踏まえ、本書の歴史的意義を問い直す、懇切な解説掲載。
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4.0「ハードボイルド」で「アナーキー」な、現代人には到底受け入れがたい中世社会を活写しながら、そこに存在する中世人独自の秩序を魅力的に描いてきた著者の原点! 「荘園制と室町社会」および原本に未収録だった幻の博士論文「序章」の一部と「終章」を収録。「喧嘩両成敗」も「大飢饉」も「耳鼻削ぎ」も、すべてはここから始まった――。 流罪に処されると、そのほとんどが道中で殺害されてしまい流刑地にたどり着くことさえできない一方で復讐を目的に自害し、また諸大名の軍勢が御所を取り巻いて将軍に異議申し立てを行うかと思えば、没落が確定した大名屋形には都市民衆が火事場泥棒に押し寄せる――。室町時代は現代人の目にはなんとも騒がしく物騒な社会に映る。しかし、それはよく言われる「自力救済」の暴力のみが支配する無秩序なものでは決してなかった。多様でいささか奇異な法慣習や民間習俗を分析対象としながら、その背景にある複雑で微妙なバランス織りなされる中世人の論理を、著者ならではの筆致で活き活きと豊かに描き出す。 さらに、そのようないわば中世的文化の「野蛮さ」が、江戸時代最初の100年を通していかに変容しひっそりと払拭されていくのか、それでもなお残りつづけているものとは何なのか、各主題を通じてその変容が浮かび上がる。 禁酒令、耳鼻削ぎ刑、梟首(晒し首)、都市民衆に開かれた禁裏など、魅力あふれる意外な視点から、中世社会を動的かつ大きな展望のもとに描いたデビュー作の決定版! (原本:吉川弘文館、2004年) 【本書の内容】 序章 ふたつの室町文化 第1部 室町社会の法慣習 第一章 「御所巻」考――異議申し立ての法慣習 第二章 中世社会の復讐手段としての自害――復警の法慣習 第三章 政権抗争劇のなかの都市民衆――掠奪の法慣習 第四章 室町幕府「流罪」考――失脚者の末路をめぐる法慣習 第五章 室町殿の紛争解決法――紛争解決の法慣習 第2部 室町時代の都市生活 第一章 足利義持の禁酒令について 第二章 正長の徳政一揆と山門・北野社相論 第三章 ある室町幕府直臣の都市生活――『碧山日録』と「春公」についてのノート 第四章 荘園制と室町社会 第3部 戦国時代の文化変容 第一章 室町後期における都市領主の住宅検断 第二章 織豊政権の成立と処刑・梟首観の変容 第三章 「耳鼻削ぎ」の中世と近世 第四章 戦国期における禁裏空間と都市民衆 終 章 あとがき 学術文庫版あとがき
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3.5本書は通称「イブン・ジュバイルの旅行記」、原題「旅路での出来事に関する情報覚え書き」の全訳です。才智あふれるジュバイルが美文で綴ったこの「旅行記」は、12~13世紀にあっては優れたメッカ巡礼案内として広く読まれ、また後にはイブン・バットゥータ(14世紀)などの旅行記のお手本とされ、多くの旅行記編者が都市の記述を「借用」してきました。そして現在、中世イスラム社会の事情を知る上では欠かせない、貴重な文献となっています。 敬虔なイスラム教徒で、ムワッヒド朝のグラナダ太守に書記として仕えていたジュバイルは、太守が戯れに「酒盃七杯飲むべし」と下した厳命に抗えず、禁を犯してしまいます。それを悔いた太守が盃七杯に金貨を満たして与えると、ジュバイルは罪を償うためにその金貨を元手にメッカ巡礼に旅立ちました。キリスト教徒の巡礼者と同船してアレクサンドリアへ。メッカでは大モスクやカアバ神殿の威容に触れ、メディナからバグダッドへ。そして「東方の真珠」ダマスクスでウマイヤ大モスクに圧倒され、十字軍支配下にあったエルサレムでは、かのサラーフ・アッディーン(サラディン)の勝利の目撃談に触れる……。ベドウィンの襲撃、船の難破に遭うなど、艱難辛苦の旅を詳述した「旅行記」ですが、十字軍時代の地中海東方事情を知るための基本図書でもあります。 〈原本:『旅行記』関西大学出版部、1992年〉 【目次より】 まえがき(監訳者による) 1 グラナダ~エジプト 2 メッカ巡礼 3 聖都メッカ 4 メディナ~バグダード 5 マウシル~アレッポ 6 ダマスクス 7 アッカ 8 シチリア~アンダルス
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4.0大名はいかに戦ったか。民衆はいかに生き抜いたか。日本はいかに変容したか。戦後日本史学の巨人が、戦国時代というものの全体像を描き出した決定的論考。戦国大名たちはいかに統治し戦ったか。人々はいかにして戦乱の時代を生きたか。新技術によって木綿や鉄砲が普及し何が変わったか。後北条氏の台頭から豊臣政権まで、時代の全体像と動因を、明晰かつ生き生きと描き出す!―四つの「時代を見る目」で読み解く―第一に、群雄だけでなく全社会層の動きを構造的にとらえる。第二に、動乱のもたらす社会変動を、もっとも深奥から考える。第三に、革新と創造の時代として描く。第四に、世界史的な視野の中で見通す。解説(本郷和人・東京大学史料編纂所教授)より―永原の研究成果は、対峙する人間を選ばない。どんな立場から歴史を研究するにせよ、それが実証的であれば必ず、彼の到達に直面する必要に迫られる性質のものである。研究者は永原の提示した推論に学ぶ。それを学んで、乗り越えるべく努力を重ねていく。ある研究者は、努力の末に、永原論のある部分を乗り越えることに成功するだろう。ある研究者は懸命に挑戦しても、永原論の確かさを追認するだけにとどまるだろう。ともあれ、彼の研究業績は、後からやってくる研究者のチャレンジを静かに待っている。乗り越えられることを待っている。この意味で永原は実にフェアーで、尊敬すべき先達なのだ。中世史の良心というべき偉大な研究者、それが永原である。※2000年刊『戦国時代 16世紀、日本はどう変わったのか』(小学館ライブラリー)上下巻の合本復刊【主な内容】戦国時代の開幕惣・一揆と下克上の社会状況「世界史」の成立と新技術関東・東北の争覇戦中国・四国の戦い軍事力の構成領国経済体制都市と商人九州の情勢とキリシタン大名畿内政権と京・堺大名国家と日本国織田信長の進出一向一揆と本願寺「天下布武」
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 古典落語を中心に講談、浄瑠璃、歌謡などに現れる江戸の地名を採録。秋葉の原、池の端、永代橋、お歯黒溝、神楽坂、角海老、兼康、思案橋、痔の神様、とげ抜き地蔵。落語・講談・浄瑠璃・狂歌など大衆芸能にはその時代々々の地名が人々の日常を伴って生き生きと登場する。江戸・明治期のこれらの地名はその後どこへ消え、どう変わったのか。町名、橋・坂名、寺社、大名家、妓楼など1500余を収録し、解説する。(講談社学術文庫)
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-幕末の黒船、ペリー艦隊で来日し、ペリー自身の日記や公式記録とは異なる視線で日米交渉の一部始終を目撃した首席通訳による貴重な記録。 1837年、日本人漂流民を送還しようと浦賀に来航した米商船モリソン号に同乗したサミュエル・ウイリアムズは異国船打払令により砲撃を受けマカオに退去したが、日本人船員から日本語を習い、ペリー日本遠征の通訳として1853年艦隊に同行。沖縄、小笠原諸島を経て久里浜に上陸し、開国を求める米大統領フィルモアの親書を浦賀奉行に渡した。翌年再び日本に来航して神奈川条約を締結した。鎖国の重い扉をこじ開ける「むずかしい任務を達成するための欠くべからざる奉仕」に尽力したとペリー提督が称賛した首席通訳の随行記には、遠征への冷静な目と日本人に対する優しい眼差しがあった。 下田で密航を企て黒船に乗り込んだ吉田松陰、金子重之輔に応対し、「明らかに教養のある人物だった」とその人柄を見抜く眼力も備えていた。また黒船来航の報に急遽出島から駆け付けたオランダ大通詞・森山栄之助など幕府の様々な役人や沖縄の宮廷高官とも交流。さらに散策で訪れた横浜、下田、箱館などでの植物や魚類、花鳥風月から住民の風俗、性格まで好奇心のままに詳細に観察、外国人による幕末日本の貴重な記録としても高く評価される。〔原本:『新異国叢書8 ペリー日本遠征随行記』雄松堂出版、1970年刊〕
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4.2古来、日本は中国からどのように見られてきたのか。金印受賜、卑弥呼と邪馬台国、倭の五王、「日出ずる処」国書、「日本」国号、朝鮮半島と動乱の7世紀、遣唐使、僧侶や商人の活躍、蒙古襲来、勘合貿易、倭寇、秀吉の朝鮮出兵。そこに東アジアの中の日本が浮かび上がる――。中国歴代正史に描かれた1500年余の日本の姿を完訳する、中国から見た日本通史。※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-本書は、明治十九年初版発行、昭和十一年新訂版発行、昭和四十九年に小社より復刻版を刊行した『大日本人名辞書』(全五巻)をそのままの内容で縮刷し、学術文庫に収録するものである。本書はもと田口卯吉の編集にかかり、独創的な名辞典として広く流布普及した。以来半世紀にわたって改訂増補を重ね、ここにみる「新訂版」として完成した。人物の網羅、記事の精確、収録の広汎等我が国人名辞典の王者として不朽の名著である。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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4.0日本の東洋史学が生んだ20世紀の巨人、宮崎市定(1901-95年)。広範な領域にわたる魅力的な著作の数々から、全集未収録作品を含め、これまで文庫に収録されてこなかったものを中心に精選したアンソロジー。長年の愛読者はもちろん、宮崎史学初めの一歩にも。 「歴史は須(すべか)らく世界史でなければならぬ。事実、私の研究は常に世界史を予想して考察して居り、世界史の体系を離れて孤立して個々の事実を考えたことは一度もない」(『アジア史研究』第一、「はしがき」より)。出発点となった宋代史研究をはるかに超えて、中国史のあらゆる時代、さらに西アジア史や古代日本史にまで及ぶ優れた業績は、いずれも偉大な歴史家の理念に力強く裏打ちされている。 鋭く細やかな洞察、時間・空間ともに壮大な展望を予感させるスケールの大きさと独創性、生き生きとした人物描写、これらを可能にする文章力……。枚挙に暇がない魅力ゆえに、宮崎の作品は、専門家にとどまらず長きにわたって多くの読者を得てきた。専門とする時代・領域ともに異なりながらも、宮崎への思い入れが嵩じて評伝を著し話題になった西洋古代史研究者の井上文則氏もその一人である。その井上氏が、歴史家としての宮崎市定、とりわけその人となりがわかるような作品を厳選、解説では宮崎の人生のなかにそれらの作品を位置づける。 中国の歴史は中国周辺の民族に代表される素朴主義と、中国社会そのものである文明主義の入れ替わりの歴史であったと喝破し、素朴主義に共感を寄せる「素朴主義と文明主義再論」。本作品をはじめとする宮崎独自の雄大な歴史観、そして古代・中世・近世史、さらに文化史についての各論を通して、巨峰宮崎市定の威容に迫る決定版セレクション! 【本書の内容】 1 歴史の見方 世界史序説 素朴主義と文明主義再論 歴史と塩 『宋詩概説』吉川幸次郎著〔書評〕 2 歴史学各論 ・古 代 中国上代の都市国家とその墓地――商邑は何処にあったか 条支と大秦と西海 ・中 世 晋武帝の戸調式に就て 六朝時代江南の貴族 清 談 ・近 世 五代宋初の通貨問題梗概 王安石の黄河治水策 雍正時代地方政治の実情――シュ批諭旨と鹿洲公案 ・文化史 シナの鉄について 江戸時代におけるシナ趣味 3 全集未収録作品 大きな静けさ はしがき〔『地獄の決闘』〕 中国漢代の都市 中国における易占の発達 付録 宮崎市定と青木木米(リチャード・ピアソン&一枝?・ピアソン) 解 説(井上文則)
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4.0ゴミは、「なげる」? 「ほかす」? 「うっちゃる」?「明後日の次の日」、あなたの町では「やのあさって」?「しあさって」?全国2400箇所の調査記録をもとにした「お国言葉」の一大パノラマ。さまざまな方言が列島に広がるさまを地図に表すと、そこから日本語の豊穣な世界が見えてくる!辞典としても使えて方言の基礎知識も満載!国立国語研究所が総力を傾けて製作した『日本方言地図』をもとに、言葉がいかに伝播し、姿を変え、生成していくのかを描き出す。懐かしい言葉の記録でもあり、日本の長い歴史の探究でもあり、あたらな言葉の動態を探る探究でもある、無二の地図帳。「方言は日本人の心のふるさとであると同時に、日本語に新たな活力を与えるエネルギー源でもある。共通語は周囲の方言を吸収しつつ成長を続けてきた」(本書より)【本書の内容】第I部 自然/第II部 人間と生活/第III部 動植物音韻編 方言の基礎知識
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5.0清朝末期、半世紀にわたって権力を握り続けた西太后を、側近として見つめた女性による迫真の手記。 満洲人外交官の父親のもと、フランスで語学力を身につけた著者・徳齢は、1903年から1905年まで、通訳兼女官として晩年の西太后に仕えた。そこで目にしたのは豪華な食事と太后自ら演出した劇に時を費やす贅沢な日常だった。普段は離宮・頤和園で過ごし、正式な宮廷行事の時のみ、何十人もの女官や宦官を連れた大行列で紫禁城に赴いた。西太后はキリスト教を嫌い中国古来の風習を誇りにしながら、写真など西欧技術には関心をもち、ロシアから来た曲馬団にも大興奮。聡明な著者に心を許し、戊戌の変法の内幕や、自ら「生涯唯一の誤り」という義和団の乱の真相を語る。そして、後にアメリカで文筆家として大成する著者のジャーナリスティックな視線は、陰険な宦官たちや、不遇の皇帝・光緒帝の実像など、宮廷の人々にも向けられていく。 本書の原著Two years in the Forbiddencityは英語で執筆され、西太后が没して3年後の1911年、辛亥革命の年に上海で刊行されて、いまも版を重ねている。 [日本語版原本:『西太后に侍して』生活社1942年、研文社1997年] 目次 訳者序文 第一章 序の巻 第二章 宮中にて 第三章 宮中の芝居 第四章 西太后との午餐 第五章 西太后の覲見 第六章 西太后に侍して 第七章 宮廷の事ども 第八章 宮眷たち 第九章 光緒皇帝 第十章 皇后様 第十一章 私どもの服装 第十二章 西太后とコンガー夫人 第十三章 西太后の画像 第十四章 光緒皇帝の万寿節 第十五章 中秋節 第十六章 万寿山の離宮 第十七章 召見の間 第十八章 新年の行事 第十九章 海の離宮 第二十章 結びの巻 解 説 (加藤徹)
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 〈ことば・情報・交易を一手に担う! 江戸と西洋を繋いだ知られざる異才たち〉 江戸時代にあって、唯一の西洋世界との窓口となった、長崎・出島。 そこで、難解なオランダ語を身につけ、通商・外交の現場で一心に働く者たちがいた。 彼らはどのような出自で、いかに学び、職務を務め、“西洋近代”に対峙したか。 歴代の通詞たちの顔ぶれ、通日の語学学習と実務のディテールを、膨大な資料を博捜した著者ならではの解像度で一望。 蘭学史研究の第一人者が、彼ら「阿蘭陀通詞」の実像を丹念に探り出す! 江戸時代の国際交流を深く知りたいひと必携の書。 ■本書より 大航海の時代、波濤を乗り越えて現われた南蛮人。全く異質のヨーロッパ文化を運んできた。一転、鎖国と呼ばれた時代を迎えても、その流入は、変わることはなかった。日蘭貿易で継続されていたからである。もたらす担い手が替わっただけだったのである。しかし、「ことば」のうえでは大転換がみられたのである。 「ことば」としては、南蛮人の用いる主としてポルトガル語から、紅毛人の使用するオランダ語への転換であった。来日の南蛮人は難解な日本語の習得に努め、布教と貿易に従事した。日本で南蛮文化の開花をみた。一転して、禁教と密貿易厳禁の政策に転換、その維持、存続のために、来日のオランダ商人には日本語の習得を許さず、替わってわが方がオランダ語の用意をしなければならなくなった。これは、当時の日本人にとっては大転換であった。 本書では、右にみえた転換によって必要となったオランダ語の通訳官「阿蘭陀通詞」の実態追究に努めることにしたいと思っている。 ■本書の内容 I 阿蘭陀通詞とオランダ語 一 実務が育てる語学 二 南蛮から紅毛へ、語学条件の大転換 三 阿蘭陀通詞の養成 II 長崎の阿蘭陀通詞 一 通詞採用の任命と辞令 二 職階と役料 三 職務と加役 四 通詞会所と通詞部屋 五 異国船と通詞 III 江戸の阿蘭陀通詞 一 江戸番通詞の参府御用 二 参府休年出府通詞の参府御用・ 三 天文台詰通詞の御用と私用 四 江戸からの出張通詞 IV 多才で多彩な阿蘭陀通詞たち ※本書の原本は、2016年に『江戸時代の通訳官 阿蘭陀通詞の語学と実務』として吉川弘文館より刊行されました。
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3.0学術文庫ですでに、『中世ヨーロッパの城の生活』、『中世ヨーロッパの都市の生活』、『中世ヨーロッパの農村の生活』、『大聖堂・製鉄・水車』、『中世ヨーロッパの家族』、『中世ヨーロッパの騎士』が好評を博している、ギースの「中世ヨーロッパシリーズ」の7冊目。本作では、人間の社会を構成する最も基本的な単位、「家族」と、その核心をなす「結婚」から、中世の社会史を掘り下げる。初訳。古今のあらゆる社会において、「家族」は、人が食べ、学び、経済生活を送る普遍的な場であったが、同時に、常に変化し続けるものでもあった。今日の家族は、ヨーロッパ中世が生み出した歴史の産物なのである。古代には、貴族の一夫多妻は当然であり、ローマ時代の「ファミリア」は、血族だけでなく奴隷や召使いをも含んでいた。中世の1000年間に、「解消不能な一夫一婦制」という原則はどのように定着し、「夫婦と子どもたちが一つの家に住む」という家族観はなぜ生まれたのか。14世紀の大災厄、黒死病以降に、家族のあり方や、子どもへの接し方はどう変わったのか。貴族や中流階級、農民や職人など、様々な人々の「結婚」と「家族」の進化の道筋を丹念に描く。[原著:Frances and Joseph Gies, Marriage and the Family in the Middle Ages,1987 ]目次/第一部 起源 第一章 歴史家、家族を発見 第二章 原点――ローマ人、ゲルマン人、キリスト教/第二部 中世前期 第三章 ヨーロッパの家族――五〇〇―七〇〇年 第四章 カロリング朝時代 第五章 アングロ・サクソン時代のイングランド/第三部 中世盛期 第六章 十一世紀の家族革命 第七章 十二世紀――新しいモデル 第八章 黒死病以前の農民たち――一二〇〇―一三四七年 第九章 貴族の系譜――長子相続がもたらす危機 第一〇章 中世の子どもたち/第四部 中世後期 第一一章 黒死病の影響 第一二章 中世後期の農民の家族――一三五〇―一五〇〇年 第一三章 イングランドの土地持ち紳士階級の家族 第一四章 十五世紀のフィレンツェ――商人の家族/第五部 中世末期 中世の終わり 第一五章 遺産/訳者あとがき
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5.0中国・明代の儒学者、王陽明。その当時、新儒教として学術思想界の主座にあった朱子学の論理構造を批判的に継承した彼の実践的儒学は、陽明学として結実する。近世以降の中国のみならず、わが国でも大塩中斎や吉田松陰、西郷隆盛ら、変革者たちの理論的背景となった思想とは何か。陽明学の最重要書籍を原テキストにしたがって読み解き、その精髄に迫る。※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-「あの世の闇」すら光り照らす猫の目を敬い、蛇の脱皮する姿に「復活」を想起し、糞玉を押す黄金虫に太陽を運ぶ神を想う……。ナイルの恵みで農業国として繁栄したエジプト中王国ー新王国時代。時に神と崇め、時に恐れ敵対した動物たちとエジプト人との関係や、動物ミイラの作り方、当時の社会や宗教観まで活写した、異色歴史書! 内容一部紹介 ◎古代エジプト人と猫の暮らし◎ *夢に大きな猫が出たら吉兆。大豊作になる。 *猫女神バステトは出産の神。新婚夫婦は欲しい子供の数だけ、護符に猫の絵を描く。 *火事になったら火を消すよりも猫を助けよ。 *飼い猫が死んだら家族全員、眉を剃って喪に服す…等 序 文 第一章 猫 世界最古の家猫図/オシリス神話/女神バステト/猫の聖地ベニ・ハッサン/パケト信仰/猫のミイラと棺/闇を退治する目/ネフルよ、ネフルよ/ブバスチスの「猫王」/バステトの祭り/猫の墓/エジプト人の愛猫心 第二章 犬 アヌビス信仰/西方の者/絵画と彫像/『二人の兄弟の物語』/エジプト犬のミイラ 第三章 蛇 二つのエジプト/『難破船水夫の物語』/悪蛇アポピス/翼ある蛇 第四章 ライオン 大スフィンクス/王たちとライオン/ライオン狩り 第五章 黄金虫 スカラベと太陽神/『死者の書』の図像/記念スカラベと印章スカラベ/護符スカラベ 第六章 鰐 ナイルの暴れん坊/ソベク神殿/オシリスを救う神 第七章 ハゲワシ 白い女神ネクベト/王冠飾りと棺の飾り/ハヤブサとトキ 第八章 牛 雄牛の神/雌牛の神 第九章 驢馬、馬、駱駝 砂漠と不毛の神/夷狄のもたらしたもの/洗浄の主役/奉仕のみの動物 学術文庫版解説・・・・・・・ 河合 望(金沢大学古代文明・文化資源学研究所所長 金沢大学新学術創成研究機構教) 古代エジプト略年表 本書は『古代エジプト動物記』(文藝春 1984年刊)を改題したものです。 現在では差別的とされる表現が含まれていますが、本書が執筆された時代環境を考え、また著者が故人であることから、そのままにしてあります。差別の助長を意図するものではありません。
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-発音も不明な謎に満ちた文様――エジプト聖刻文字、楔形文字、ヒッタイト文書、ウガリット文書、ミュケーナイ文書。主要古代文字が解読されるまで推理、仮説、検証を重ねた、気の遠くなるような忍耐と興奮の軌跡を、言語学と旧約聖書研究の泰斗が、平易かつ正確に描写。数千年を超えた過去との交流を先人とともに体感できる、心躍る書!(解説・永井正勝) まえがき 第一章 言語と文字 高津春繁 第二章 エジプト聖刻文字の解読 関根正雄 第三章 楔形文字の解読 関根正雄 第四章 ヒッタイト文書の解読 高津春繁 第五章 ウガリット文書の解読 関根正雄 第六章 ミュケーナイ文書の解読 高津春繁 学術文庫版解説 永井正勝(人間文化研究機構人間文化研究創発センター特任教授) 索引 地図 内容紹介 両者の解く古代文字解読の世界は、解読当時の学者達や社会の常識を踏まえつつ、解読者の心境を代弁するかのような語り口でなされている。そこに時折加えられる古代社会の記述も相まって、読者は解読当時の様子をこの目で見ているかの如く本書を読み進めていくことができる。(略)本書の魅力は、文化に対する深い理解と愛を持った卓越した研究者の手になる部分が大きい。 ――――――「解説」より *本書の底本は『古代文字の解読』(岩波書店 1964年10月刊)です。文庫化にあたり読みやすさに配慮して、旧字を随時、常用漢字に置き換え、送り仮名も新字対応とし、ルビの追加を行い、明らかな誤植は訂しています。 経年などにより説明が必要と思われた箇所は、編集部註として[ ]で補足いたしました。「最近」「現在」などの表記につきましては、原本が出版された一九六四年時点の時制といたします。 本書には現在では差別的とされる表現も含まれていますが、著者が故人であることと差別を助長する意図はないことを考慮し、原本刊行字の文章のままとしております。
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4.0急成長を遂げた周辺国からの侵略恐怖、増加する貧窮移民の不安、友好国へのぬぐいがたい不信、新たな感染症の脅威……「ドラキュラ」の恐怖と魅力の源泉には、黄昏を迎えた大英帝国の外国恐怖症があった。ゴシック・ホラーの金字塔に織り込まれた、ヴィクトリア朝イギリス社会の闇を描き出す! 世界でもっとも有名な吸血鬼「ドラキュラ」。 数ある吸血鬼作品のなかでも特権的な地位を得て、現代に至るまで映像化が繰り返され、日本では吸血鬼の代名詞にもなっています。 そのドラキュラの恐怖と魅力の源泉には、19世紀末イギリス社会に蔓延する深刻な外国恐怖症がありました。 「太陽の沈まぬ帝国」、「世界の工場」と謳われた栄光は過ぎ去り、軍事・経済ともに急成長を遂げつつある周辺国からの侵略恐怖、増え続けるユダヤ人など貧窮移民への不安、搾取してきたアジアの植民地から入ってくる新たな感染症の脅威……。 落日の大英帝国に生きる人々は心の奥底で何を恐れ、そしてドラキュラは生みだされたのか。 『パンチ』などに掲載された風刺画をふんだんに使いながら、ゴシック・ホラーの金字塔から読み解く世紀末ヴィクトリア朝の社会! イントロダクション 第1章 ドラキュラの謎 第2章 ドラキュラの年は西暦何年か 帝国主義の世紀末 第3章 侵略恐怖と海峡トンネル計画の挫折 第4章 アメリカ恐怖と「栄光ある孤立」の終焉 反ユダヤ主義の世紀末 第5章 ユダヤ人恐怖と外国人法の成立 第6章 混血恐怖とホロコースト パストゥール革命の世紀末 第7章 コレラ恐怖と衛生改革 第8章 瘴気恐怖と細菌恐怖 おわりに――ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究 増補 もうひとつの外国恐怖症――エミール・ゾラの〈猥褻〉小説と検閲 学術文庫版あとがき 引用史料一覧 コラム 吸血鬼の系譜/シャルコーの催眠術/一八九三年一〇月二日のピカディリ・サーカス/ダイヤモンド・ジュビリー/火星人/海峡トンネル・パニック/ベアリング銀行の投機失敗/ロスチャイルド一族の結婚/ロンドンとテムズ川の汚染……ほか
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-港とは、いつの時代でもその時代の生産力と流通システムの決定的な影響を受ける、いわば「歴史の鏡」である。本書は、横浜で港湾経済史を研究してきた著者が、古代から現代までの世界の港の発達と、それをうながす生産・流通関係などの歴史を、ひとつの「物語」として描いた「港から見た世界史」である。 人類史上、漁労から発生した港は、古代オリエントや地中海、また中国においても、権力者が所有する軍事的・政治的な場であったが、やがて商取引を行う「交易の場」として発展を始める。ビザンチウムからベネチアへ引き継がれた中世の経済的伝統、大航海時代のセビリアやリスボン、オランダ全盛時代のアムステルダムを経て、産業革命期のロンドンに全く新しい時代の港が現れる。内陸の工業都市の発達により、それまでの商人船主は貿易商人と船主に分化し、港は単なる船着き場としての「ドック」から、巨大資本と行政によって多くのドックが統一された「ポート」へと変貌するのである。さらに20世紀後半には、ニューヨークに代表される大港湾で、コンテナ輸送とコンピュータ・システムによる「海運の大革命」が起こっている。 巻末解説を、イタリアの港町や東京など水辺の都市史の研究を深めてきた陣内秀信氏(法政大学特任教授)が執筆。〔原本:朝日新聞社、1989年刊〕
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3.5講談社創業100周年企画として2004年~05年に出版された全集「中国の歴史・全12巻」の学術文庫版が、いよいよ刊行開始。本全集は、2014年には中国で、2016年からは台湾で翻訳出版され、そのレベルの高さと視点の新しさから累計で150万部を超えるベストセラーになっている。 待望の文庫化、第1回配本は、第1巻と第2巻の同時配本。第1巻では、長年、中国での遺跡発掘を手掛けてきた著者が、「三皇五帝」や「盤古伝説」などで知られる中国の神話の表す史実を探り、「夏王朝」「殷王朝」の謎に迫る。 中国の古代文明といえば、かつては「黄河文明」を指したが、現在では、長江流域をはじめ、各地の多様な自然環境から展開した多元的な古代文明と理解されている。現在の中国のさまざまな地域社会や風土を考える際にも、こうした先史時代から続く地域文化の脈絡を無視できないのである。約1万年前の新石器時代、南北の文化地帯の周縁でアワ・キビ農耕や稲作農耕が生まれ、そこから牧畜型農耕社会と遊牧社会が分離し、さらにその周辺には狩猟採集民が存在した。こうした基本的生活様式が誕生した中から、いかにして初期国家が生まれたのか。最古の王朝とされる夏王朝と二里頭文化の関係とは――。 文庫化にあたり、原本刊行後の重要な遺跡と発掘成果を大幅に加筆。〔原本:2005年、講談社刊〕
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4.0ジャーナリズムで、また学問の世界でも普通に使われる用語、「イスラーム世界」とは何のことで、一体どこのことを指しているのだろうか? ムスリムが多い地域のことだろうか、それとも、支配者がムスリムである国々、あるいはイスラーム法が社会を律している地域のことだろうか。ただ単に、アラビア半島やシリア、パレスチナなどの「中東地域」のことを指しているのだろうか? 本書は、高校世界史にも出てくるこの「イスラーム世界」という単語の歴史的背景を検証し、この用語を無批判に用いて世界史を描くことの問題性を明らかにしていく。 前近代のムスリムによる「イスラーム世界」の認識、19世紀のヨーロッパで「イスラーム世界」という概念が生み出されてきた過程、さらに日本における「イスラーム世界」という捉え方の誕生と、それが現代日本人の世界観に及ぼした影響などを明らかにする中で、著者は、「イスラーム世界」という概念は一種のイデオロギーであって地理的空間としては存在せず、この語は歴史学の用語として「使用すべきではない」という。そして、地球環境と人類史的視点から「新しい世界史」を構想し叙述する方法の模索が始まる。 本書は刊行当時、歴史学者・イスラーム学者の間に議論を引き起こし、アジア・太平洋賞特別賞を受賞した。文庫化にあたり、原本刊行後の議論を踏まえて「補章」を加筆。〔原本:『イスラーム世界の創造』東京大学出版会、2005年〕
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4.0一六世紀、スペイン人によるアメリカ大陸征服史が始まる。黄金を探すコロンブス、ピサロ、コルテス……。抵抗する、モクテスマ、トパック・アマルなどのインディオたち。栄華を誇った帝都と文明は、いかに滅ぼされたのか? 西欧と非西欧の壮絶なる戦いの記録を、既存の、スペイン人主体の史料では触れられなかった「敗者の視点」から再検証、植民地時代から現在へ続くラテンアメリカの被征服史を辿る。 プロローグ 黄金の夢 第一章 コロンブスの目指したジパンゴ 第二章 冒険者バルボア 第三章 メキシコの発見 第四章 首都の攻防 第五章 対決 第六章 「悲しき夜」 第七章 英雄の敗北 第八章 太平洋と中央アメリカ 第九章 南の海の探検 第一〇章 カハマルカの悲劇 第一一章 クスコ占領 第一二章 征服者たちの争いとインカ 第一三章 アラウコの国とパンパ 第一四章 ムイスカの黄金 第一五章 エル・ドラードとアマゾンの国 エピローグ 征服者たちの黄昏 あとがき 年表 民族と地域 人名検索 2002年小学館より刊行されました
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5.0平安時代後期から戦国時代の終わりまで、中世をになった特徴的存在が武士団です。 「土」と結びついたイエ支配権の強力さと独立性、生活の実際と意識のあり方、10世紀初頭の武士団の実体と鎌倉武士団への発展の過程、「板碑」が語る武士団の歴史、安芸国の小早川氏に見る鎌倉的武士団から南北朝・室町的武士団への変貌の経過と武士団の支配下の荘園の様相、北陸の雄たる朝倉氏の城下町、越前一乗谷の考古学的発掘の成果をとり入れた戦国武士団の一面。そして中世から近世へと移りゆくなかで武士団が喪失した「自立性」への惜しみない哀悼。 本書は、日本中世史の泰斗が「中世武士団」という社会集団の実態と特色、そして中世社会の構造を、歴史書、文学作品、碑文、考古学資料を駆使し鮮やかに描き出し、高い評価を受け続けている作品です。30年以上前の著作ではありますが、学生や研究者にとっては今なお必読書であり、一般読者層にとっては最良の日本中世史入門といえる名著です。 〔原本/1974年、小学館「日本の歴史」12巻『中世武士団』〕 ※本書の原本は1974年、小学館より「日本の歴史」第十二巻『中世武士団』として刊行されました。講談社学術文庫収録にあたっては、同社より1990年に刊行された「文庫判 日本史の社会集団」第三巻『中世武士団』を底本とし、2005年に山川出版社から刊行された「石井進の世界」第二巻『中世武士団』を参照しました。 【目次より】 中世武士団の性格と特色――はじめに 曾我物語の世界 敵討とその周辺 「兵」の館をたずねて 「兵」から鎌倉武士団へ 板碑は語る 武士団とは何か 小早川の流れ(一)――鎌倉時代の歩み 小早川の流れ(二)――南北朝・室町時代の武士団 埋もれていた戦国の城下町――朝倉氏の一乗谷 失われたもの、発見されるもの――おわりに
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-紀元前338年、ギリシャ敗戦! その後「民主政」はどうなった? 教科書に載らない歴史の真実を明かす、第一人者によるアテネ「亡国」のドラマ。 * 紀元前338年、アネテやテーベを中心とするギリシア連合軍は、フィリポス2世とアレクサンドロス率いるマケドニア軍に歴史的な大敗を喫した。アテネが誇る民主政はしかし、それを契機にかつてない平和と繁栄を謳歌する――。デモステネスら政治家たちの闘いの跡を追いつつ、アレクサンドロス躍進の陰で「黄昏」と呼ばれたアテネの実像を明らかにする、第一人者による画期の書! * [目次] はじめに 序章 「黄昏のアテネ」に迫る 1 「黄昏のアテネ」とデモステネス 2 「政治家」と「政治グループ」 第1章 決戦へ 1 デモステネスの生きた時代 2 デモステネスの前半生 3 反マケドニアの政治家として 4 「宿敵」アイスキネスとの対立 第2章 敗戦――マケドニアの覇権 1 戦後処理 2 デモステネスの活躍 3 アレクサンドロスの時代の幕開け 4 マケドニアの傘の下で 第3章 対決――「冠の裁判」 1 裁判が始まるまで 2 「弁論家の戦い」 第4章 平穏――嵐の前の静けさ 1 デモステネスの隣人たち 2 アテネ民主政の姿 3 動乱の前ぶれ 第5章 擾乱――ハルパロス事件 1 ハルパロス事件とは 2 事件当時のアテネの情勢 3 ハルパロス裁判 4 裁判の背後の人間模様 第6章 終幕――デモステネスとアテネ民主政の最期 1 民主政アテネの最後の闘い 2 愛国者たちのそれぞれの最期 終章 1 デモステネスの遺したもの 2 「黄昏」の民主政 史料について 主要参考文献 関連年表 あとがき 学術文庫版へのあとがき
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3.7明日、何を着ていこう――冠婚葬祭をのぞけば、服選びで色がもつ意味を気にする人はいないだろう。ところが中世ヨーロッパではそうはいかない。たとえば緑は恋を、青は誠実さを意味し、黄は忌避される色だった。中世の色は現代よりもはるかに饒舌で、絵画や文学で描かれた人々の衣服の色には、単なる色の美しさや好みを超えた、さまざまな意味が託されている。中世の人びとはどんな色に囲まれ、どんな気持ちで色を身につけていたのか、あるいは目の前の人物が纏う色から何を読みとっていたのか。 多彩な史料から複雑で精緻な色彩コードを読み解き、中世人の日々の感情生活を豊かに描き出す。あの絵画もこの伝説もいっそう深く理解できる、色が語る中世世界への招待!(カラー口絵付き。電子書籍版はオール・カラー図版) 待ちに待った初めての逢瀬。恋焦がれた女性が鮮やかな青に緑のオウムをちらしたドレス着て現れたら、相手の男性は有頂天になるだろう。なぜなら、そのドレスの意味するところは「誠実にあなたを愛します」。ところがある日、夢に現れた彼女が全身緑の衣をまとっていたら、悲嘆に暮れてしまうかもしれない。青が意味する誠実さに対し、緑は恋の色であると同時に変動の色でもある。彼女の心変わりが青を脱がせ、緑を着せたのだ――。 このように単なる色の好みや色づかいの美しさを越えて、中世の色は複雑な精神世界を織りなしている。「中世の色は饒舌であり、中世の人びとは意味もなく色をつけることはない」。たとえば黄色には負のイメージがつきまとい、縞柄は道化師や娼婦、気まぐれな運命女神のものである。権威と権力を示す赤、醜い色からやがて「悲しみの色」として大流行する黒……。 ブリューゲルやジョット、ヤン・ファン・エイクの絵画、数々の華麗な装飾写本の挿絵に、アーサー王物語をはじめとする騎士物語、貴族の家計簿や財産目録など多彩な史料から、当時の染色技術も視野にいれつつ、色彩に込められたメッセージを読み解き、色から見えてくる中世世界を描き出すのが本書である。 グリーンゲイブルスのアンはなぜ「赤毛」を嫌ったのか、ルーレットやバカラなどのカジノ台はなぜ緑のフェルトでおおわれているのか、囚人服は縞柄で、スーツにダークカラーが多いのはなぜなのか。現代社会に今なお息づく色彩に秘められた歴史に迫る!(原本:『色で読む中世ヨーロッパ』講談社選書メチエ、二〇〇六年) 【本書の内容】 序 章 色彩文明の中世 第1章 中世の色彩体系 第2章 権威と護符の赤 第3章 王から庶民までの青 第4章 自然感情と緑 第5章 忌み嫌われた黄 第6章 子どもと芸人のミ・パルティと縞 第7章 紋章とミ・パルティの政治性 第8章 色の価値の転換 終 章 中世人の心性
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-有史以来、格差は存在した。近代以降、上流階級が自らの力を見せつけるために、余暇や服装・家具・住宅・美食などの代行消費をするようになる。その虚栄心が消費の本質である。有閑階級は消費を牽引するので、社会的に保護される一方、下層階級の消費を減少させ、新しい思考や適応に必要な努力を削ぐ。消費社会に内在する格差の構造を見事に抉りだした社会経済学の古典です。読み易い訳文、充実の訳注、「附論」付き増補新訂版。(講談社学術文庫)
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4.0〔あなたはまだ、義満の"本当の凄さ"を知らない〕 朝廷権力の「肩代わり」から「主体」の政権へ――室町幕府を読み直す画期的論考! かつて京都には百メートルを超える巨大な塔が建っていた。この「大塔」、眩く輝く金張りの仏閣、華やかな祭礼― 首都京都の強大な経済力を背景に空前の「大規模造営」を為した室町幕府は、朝廷を凌ぐ威光を確立したのである。 弱体政権論を覆し、足利政権が「権力」と「権威」を掌握してゆく過程とはいかなるものであったか。 絶頂の義満時代を軸に、鋭い筆致で描き出す! 【本書より】 「当時の人々は相国寺大塔を見上げ、また北山第の意匠に驚かされつつ、新たな天下の到来を実感していたのである。」 【本書の内容】 はじめに 第一章 天龍寺―足利尊氏・義詮の時代 1 軍事政権としての室町幕府 2 荒廃する朝廷社会 第二章 相国寺―足利義満の時代2 1 後円融朝の失政 2 足利義満の朝廷改革 第三章 相国寺大塔と北山第―足利義満の時代2 1 相国寺大塔 2 北山殿足利義満 3 財政史から見た義満の権力 第四章 南北朝期の公武関係―研究史的考察 1 「京都市政権」という罠 2 権限吸収論批判 第五章 復興期の社会―足利義持の時代1 1 復興ビジネス 2 室町時代の首都圏 第六章 守護創建禅院―足利義持の時代2 1 守護による寺院創建 2 足利義持の政治 3 公武統一政権 おわりに―虚空を突く大塔 あとがき 参考文献一覧 索引 *本書の原本は、2010年に講談社選書メチエより刊行されました。
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3.0■桓武天皇による平安遷都から摂関政治前夜まで、■ ■明と暗が交錯する歴史を名手が生き生きと描く!■ 貴族たちの豊かな古典文化に彩られた九~十世紀、しかしその繁栄の底流では律令体制の解体が静かに進行し、中央は全国統治の力を失いつつあった。 平安遷都から摂関政治前夜まで、古代国家の崩壊と封建社会の誕生のあいだの長い転換期を政治・社会・文化から多面的に捉え、 表舞台で脚光を浴びる者のみならず、闘争に敗れ表舞台から去っていった人々の姿にも目を配りながら、光と影が交錯する歴史像を描く、無二の論考。 ■ゆるやかに時は移り、世は変わる。―本書より■ 「社会の根本的な変化は、奥底の流れとしてきわめてひそかに、しかもおだやかに進んでいた。したがって、地方や被支配層の発展あるいは国家体制の転換をはっきりと具体的に示す史料は極端に少ない。このもどかしいまでに悠長で不透明な移り変わりこそ、この時代の特徴である」【「まえがき」より】 解説=佐藤全敏(東京女子大学教授) *本書の原本は、一九六九年刊「日本歴史全集」第四巻を元に改訂された「日本の歴史文庫」第四巻として、1975年に刊行されました。 ■本書の内容■ 第一章 律令体制崩壊の端緒 1 平安時代の前奏曲 2 桓武朝の権力と政治姿勢 3 律令体制の矛盾 4 長岡京の暗い影 6 桓武朝の蝦夷征討 第二章 宮廷と詩文と密教と 1 平城朝の悪戦苦闘 2 「平安的なもの」の発展 3 花開く唐風の詩文 4 巨人、最澄と空海 5 渡海僧と仏教の貴族化 第三章 良房・基経の時代 1 承知の変と良房の権力把握 2 反抗者と疎外者 3 基経の天皇廃立 4 律令政治の衰退 5 地方勢力の胎動 第四章 寛平・延喜の治 1 「寛平の治」とその挫折 2 菅原道真の運命 3 延喜の荘園整理令 4 「古今和歌集」なる 5 延喜の太平とその暗転 第五章 承平・天慶の乱と「天暦の治」 1 武者の起こり 2 平氏一族のあらそい 3 東西二つの謀反 4 将門・純友の末路 5 藤原氏と後宮 6 「天暦の治」の内幕 7 退廃の栄え 8 藤原氏の時代へ
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-江戸や大坂など大都市の市中で、あるいは木曽街道の宿場町や四国の農村で、「エエジャイカ、エエジャナイカ」と歌い踊る人々。このお祭り騒ぎは、幕末の日本を観察したイギリスの外交官、アーネスト・サトウの回顧録に記され、島崎藤村の『夜明け前』にも描写される。 徳川時代の末期、慶応3年(1867)夏頃から翌年にかけて、日本の多くの地域で引き起こされたこの熱狂は、いったい何だったのか。日本史上でもあまり類例のない、この不思議な現象の全貌を、各地の史料を掘り起こして明らかにした労作。 さらに、中世の神社史、特に伊勢神宮史に業績のある著者は、この「ええじゃないか」という事象を、古代の常世神や志多羅神信仰から、「永長の大田楽」、近世の伊勢踊りへと至る民衆運動の系譜の中に位置づけ、また、近世の伊勢信仰と「おかげ参り」の大流行、そして幕末の「世直し」との関連のなかで考察する。〔原本:『ええじゃないか――民衆運動の系譜』新人物往来社、1973年刊〕
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-遍歴の精神と鋭い自意識 多彩で豊穣な作品群 大航海時代、文学の世界でも、中世という枠を乗り越え、多くの人々が未知への探究心を抱き新しい旅へと出た。果敢な挑戦心、リアルな人間認識、横溢する創造力。個性が溢れ、新時代の息吹が躍動する多彩な作品群。『ドン・キホーテ』『阿呆船』『ガルガンチュア物語』や『ユートピア』『君主論』『エセー』等の作品を通して、ルネサンスという時代の特徴とその精神を解析する。 ルネサンスの文学は枠の緩んだ、あるいははずれたところから始まる。中世の文学が神への絶対の信仰と地上の君主への忠誠という厳しい枠のなかに置かれていたのにたいして、人間の欲望の解放とともに動き出す。チェリーニの『自伝』のなかの言葉「私は自由にうまれついていたのだから自由に生きるつもりである」こそが、ルネサンスの文学を流れる精神となる。――<本書「まえがき」より>
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3.0キャベツ礼賛者カトー、最高の饗宴を催した解放奴隷トリマルキオ、「真似のできない暮し」をしたクレオパトラ、葡萄酒を愛した詩人ホラティウス、消化不良のキケロ……。養殖の海魚、肥えたヤマネ、乳育のカタツムリなど贅を極めた晩餐から、農夫の質実剛健な食卓まで、二千年前、大繁栄を謳歌した帝国の食文化とは。当時の食材やレシピも多数併録。 永遠なる美食の大帝国で、人々は何をどう食べ、飲んでいたのか? 監察官カトー、武将アントニウス、詩人ホラティウス、『料理書』のアピキウス、解放奴隷、農夫……。当時のレシピも併録 キャベツ礼賛者カトー、最高の饗宴を催した解放奴隷トリマルキオ、「真似のできない暮し」をしたクレオパトラ、葡萄酒を愛した詩人ホラティウス、消化不良のキケロ……。養殖の海魚、肥えたヤマネ、乳育のカタツムリなど贅を極めた晩餐から、農夫の質実剛健な食卓まで、二千年前、大繁栄を謳歌した帝国の食文化とは。当時の食材やレシピも多数併録。 私はなにを語るのでしょう? むろんそれは古代ローマの社会生活や習慣であり、ローマ人の時間の過ごし方や、楽しみ方といったものです。友達と会うこと、愛する人と睦まじく食事をすること、好物の料理を味わうこと。結局のところ、今日私たちがやっていることとそんなに違いはありません。宴会でなにがどのようにふるまわれたかも調査ずみです。また巻末では、いくつか古代ローマのレシピを紹介します。皆様方のお国には、おいしい魚と肉、ハチミツ、それに、ローマ人が好んで用いた品々がたくさんある。だから再現はきっと可能なはずです。――<「学術文庫版によせて」より抜粋> ※本書は1991年、平凡社より刊行された『古代ローマの饗宴』を元に改変をほどこしました。
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-今年7月、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」が日本で23件目のユネスコ世界遺産に指定された。しかし、この世界遺産を構成する古墳の多くは、その被葬者さえ特定されていない。最大規模を誇る仁徳天皇陵や、履中天皇陵、允恭天皇陵などには、本当にその天皇が眠っているのだろうか。天皇陵は、いつ、どのように定められ、管理されているのか、近世・近代史を専門とする著者が、「天皇陵の歴史」と問題点を解き明かす。江戸時代中期、各地の古墳を独自に探査した蒲生君平。幕末期、尊王思想の高まりの中で、陵墓の比定と修補を願い出た宇都宮の藩主・戸田忠至。こうした近世の研究成果の上で、明治政府は、全天皇と皇族の陵墓を決定していった。神話に語られる天皇の実在を「証明」するためにも、墓の確定は欠かせなかったからである。神武天皇陵や仁徳天皇陵はどのように決められたのか、明治天皇陵はなぜ京都にあるのか、大正天皇陵の参拝に大混雑した鉄道と町、昭和初年に新たに皇統に列せられた南朝第3代の長慶天皇の陵はどう探したのか、さらに天皇陵の祭祀の場としての意味、著者が発見した資料「陵墓参考地一覧」からわかること――など、あらゆる論点から天皇陵を検証し、今後の科学的・考古学的調査の必要性を訴える。〔原本:『天皇陵論―聖域か文化財か―』 新人物往来社、2007年刊〕
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-日本の空には、こんなにも多彩な表情がある――。気象現象のみならず、比喩表現、ことわざから、季語、漢詩、詩歌、さらに方言や歌謡曲に至るまで、尽きるところのない「風」と「雲」にまつわる語彙を、豊富な引用でお届けする。最先端の気象用語解説、災害への備えにも言及した、充実の「読んで面白い辞書」。ロングセラー『雨のことば辞典』の姉妹編。文庫書き下ろし。※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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5.0経済発展と民主化を達成し、ますます存在感を高めている「台湾」は、どんな歴史を歩み、どこへ向かうのか。2024年1月の総統選挙を控えて、その歴史と現在を知る文庫版。 その歴史は「海のアジア」と「陸のアジア」がせめぎ合う「気圧の谷間」が、台湾という場所を行ったり来たりした歴史だった。その動きから生じる政治・経済の国際的な激動の中で、多様な人々が織りなしてきた「複雑で濃密な歴史」を見つめることなしに、現在の台湾を理解することはできない。 はるか以前から、さまざまな原住民族(先住民族)が生きていた台湾島が、決定的な転機を迎えたのは17世紀のことだった。オランダ東インド会社が初めて「国家」といえる統治機構をこの島に持ち込んだのである。短いオランダ統治の後、明朝の遺臣・鄭成功ら漢族軍人の時代を経て、清朝による統治は200年に及ぶが、1895年、日清戦争に勝利した日本の植民地支配が始まる。そして1945年に始まった中華民国による統治は、当時の民衆に「犬が去って、豚が来た」と言われるものだった。その中で、本省人・外省人の区別を超えて「台湾人」のアイデンティが育まれ、1990年、直接選挙による第1回総統選で「初の台湾人総統」李登輝が登場する。 『台湾――変容し躊躇するアイデンティティ』(2001年、ちくま新書)を、大幅増補して改題し、文庫化。 目次 はじめに――芝山巖の光景 第一章 「海のアジア」と「陸のアジア」を往還する島――東アジア史の「気圧の谷」と台湾 第二章 「海のアジア」への再編入――清末開港と日本の植民地統治 第三章 「中華民国」がやって来た――二・二八事件と中国内戦 第四章 「中華民国」の台湾定着――東西冷戦下の安定と発展 第五章 「変に処して驚かず」――「中華民国」の対外危機と台湾社会の自己主張 第六章 李登輝の登場と「憲政改革」 第七章 台湾ナショナリズムとエスノポリティクス 第八章 中華人民共和国と台湾――結びつく経済、離れる心? 第九章 「中華民国第二共和制」の出発 結び 補説1 総統選挙が刻む台湾の四半世紀――なおも変容し躊躇するアイデンティティ 補説2 「台湾は何処にあるか」と「台湾は何であるか」 学術文庫版あとがき 参考文献 台湾史略年表 索引
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3.5【平安最大の権力者は何を“後世に残すべきだ”と考えたか】 大河ドラマ『光る君へ』時代考証者が徹底的に読み解く! 原本写真多数掲載。 豪放磊落な筆致、破格の文体、そして抹消された箇所……平安時代最大の権力者は、自らの手で何を書き残したのか。 「披露すべきに非ず。早く破却すべき者なり」と道長が記したのはなぜか。 「望月の欠けたる事も無しと思へば」はいかなる場で詠まれたものだったか。 摂関期の政治、外交、儀礼の生々しい現場から家庭生活と精神世界までを描く世界最古の自筆本日記を、第一人者が徹底的に読み解き、宮廷社会の実像をさぐる。 原文写真・翻刻・現代語訳・解説がそろった、決定版! 【本書より】 『御堂関白記』独特の面白さがある。また、『御堂関白記』を記した藤原道長自体、日本史上でめったにいないほど、面白い人物である。それらの楽しみを、原本の写真とともにたどることは、他の史料ではちょっと味わえない面白さがある。 この本では、その日の記事に何が記されているかに加えて、その日の記事がどのように記されたのか、また、どのように書写されたのかに視座を据えて、記述のてんまつ、また書写のてんまつを明らかにしたい。本来、歴史学というのは、史料を読み込んでいき、それを読み解くというのが基本的な姿勢である。世間では古代史というと、好き勝手な推論を積み重ねている ものと思われているかもしれないが(実際、『御堂関白記』や道長についてもトンデモ本が流布しているらしいのは嘆かわしいかぎりである)、史料にどう向き合うかという姿勢を伝えることこそ、歴史学者の本来の使命であると考える。 結果的には、自分が楽しんだだけではなかったかと恐れているが、自分が楽しいことはきっと楽しんでくれる人もいるはずであるという思い込みに支えられて、この本を世に出す。 【本書の内容】 序 章 『御堂関白記』とは何か 第一章 権力への道 ――政権獲得、彰子入内・立后など―― 第二章 栄華の初花 ――敦成親王誕生、一条天皇崩御など―― 第三章 望月と浄土 ――摂政就任、威子立后、出家など―― 番 外 『御堂関白記』自筆本の紙背に写された『後深心院関白記』 終 章 再び『御堂関白記』とは何か 年譜/略系図/主な登場人物紹介/関係地図を掲載 *本書の原本は、2013年に講談社選書メチエより刊行されました。
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4.0竜巻と共に天に昇り、海底深く龍宮に潜る。天空から海底まで自在に駆ける霊獣は、古来、皇帝から人民まで、中国人が最も愛する瑞祥だった。この想像上の生きものは、いつ、どのように誕生し、人々の暮らしに浸透していったのか。中国・日本・インドの龍とギリシア神話のドラゴンとの比較。龍を食べる怪鳥、正倉院に収められた龍の骨と歯の正体。四方から財宝を寄せると言われた「銭龍」や、薬用「龍眼」、中国人が畏れる「辰年の怪」まで、長年に亘る中国取材や様々な文献史料から、龍の逸話を丹念に採取!! 本書は『龍の百科』(新潮選書 2000年刊)を加筆、改題したものです。 目次 一 龍は、どう考えられていたか 二 龍は、どう形づくられてきたか 三 龍は、どのように自然界に潜むか 四 龍は、どう変わってきたのか 五 龍は、どのように語られてきたか 六 龍は、どう暮らしにかかわるか おわりに 索引 学術文庫版あとがき