宮崎市定の作品一覧
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ユーザーレビュー
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宮崎市定が書いた『科挙』という題の書籍には二つあり、一つは筆者が出征前に書いて、たまたま金庫に保管されていたのが戦災を免れ、前後に出版され、今は絶版しているもの。もう一つは、初代の内容に満足のいかない筆者が改めて執筆し直した内容で出版されたもので、即ち本書。後者には、区別するために副題「中国の試験地
...続きを読む獄」がつけられた。
筆者は戦争に出て、よほど見たくないものを見たんだと思う。本書中に度々日本軍のことが出てくる。それがあってか、それとも元々思っていたのかは知らんが、巻末近くで述べている数文が非常に感慨深かった。
「どんなに手柄をたてた将軍にも、政治の最高方針には参与せしめないという制度は……無情……に見えて実は政治の最高の眼目なのである。……軍隊は国家を保護するためにこそ存在すべきで、それが国家・国民の支配者になられてはたまらない。」p.209
中国は文治国家で、特に宋代以降は文が武を抑える構造が顕著になったらしい。同時代の欧洲がまだまだ武に頼る政治から抜け出せなかったのに対して、欠陥こそあれ、中国は文をもって政治の中心としていたと。それを支えていたものの一つが科挙であった。
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・魯迅の『孔乙己』(竹内好 訳, 岩波文庫) を前に一度読んだがよく理解できず。解説や脚註を読んでもピンと来ず。それが、本書『科挙』p.206に『孔乙己』の三文字がでてきてようやくその背景を知れた。棚から牡丹餅。
・中国でよくみかける屋根のついた門、状元坊と呼ぶらしいが、あれが科挙で状元になったお祝いに国の助成金と郷里の後援で建てられるいわば記念碑だとは知らなかった。勿論、今見られるもののうちの大半は偽物だと思うが、それでも次から見る目が変わりそう。
Posted by ブクログ
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18世紀後半のビスマルク体制から第一次世界大戦後のヴェルサイユ・ワシントン体制までの国際情勢を中心に書かれた概説書。
ドイツ帝国の宰相ビスマルクは、宿敵フランスを孤立させるとともにヨーロッパにおける戦争を防止するため、ドイツを中心とする一元的で複雑な外交関係の蜘蛛の巣を作り上げた。
しかし、ビス
...続きを読むマルクに引導を渡した若き新皇帝ヴィルヘルム2世は大英帝国への挑戦を決意し、独英関係の対立関係が深刻化したことが第一次大戦の要因となった。
第一次世界大戦は、ロシア革命を引き起こし、初の社会主義国であるソビエト連邦を誕生させた。
大戦の主戦場になったヨーロッパ諸国は、新たな戦争の形態である総力戦を戦い、長期持久戦を耐え凌ぐ中で、大きく疲弊していった。
戦局の行方に決定的な影響を与えたのはアメリカの参戦だった。理想主義的な新国際秩序を提唱するウィルソン大統領の判断により大軍を欧州戦線に派遣したアメリカは、国際経済の面でも英仏をはじめとする連合側諸国を支援し、前世紀の覇権国であったイギリスの地位ととって変わることになった。
パリ講和会議で自らの描いた理想主義を実現しようと意気込んだウィルソンであったが、その構想は英仏日などの列強が画策した旧時代の秘密外交によって否定され、強硬的な対独包囲網の性格を持つヴェルサイユ体制が形成された。
「民族自決」のスローガンに期待を込め、列強に奪われた諸権益の奪還をねらった中国の目論見も、列強からはまんまと黙殺された。
パリ講和会議で大きな不満を残した米・中は、その穴を埋めるためにワシントンで国際協調路線に沿ったアジア太平洋方面の新秩序を作るために、軍縮会議を開催した。
ワシントン体制は、第一次世界大戦で中国・太平洋方面で著しく勢力を強めた日本を抑止するための対日封じ込め戦略に基づいて形成され、のちにアジア太平洋方面の覇権をめぐって勃発する日米戦争の序曲ともなったのであった。
Posted by ブクログ
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貴族勢力を削ぐために遥か隋の時代から始まった科挙制度。受験資格にほぼ制限がなく、権力の世襲や軍部勢力の拡大も抑制できるこの制度がいかに当時優れていたかは、王朝が交代しつつも長年にわたって広大な土地に中央集権国家を持続できたことが証明している。
しかし優れていたからこそ清代まで続いてしまい、近代化され
...続きを読むた外圧に耐えることができなかった。
童生から進士にいたるまでの気が遠くなるような試験地獄が、ドラマを観るようにリアルに想像することができた。
この本が書かれたのが今から60年近く前であることに驚いた。特に後序の筆者の見解は現在依然として問題となっており、筆者の先見の明に脱帽である。
Posted by ブクログ
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中国の官吏登用試験であるあの科挙を論じたもの。清代後期の爛熟した科挙制度を中心に実態とその周辺の社会風俗、思想、さらに歴史におけるその得失を論じている。科挙のことを知りたいならこれ一冊で大体間に合うと思う。単に科挙制度そのものを論じるだけでなく、中国の一般社会における科挙と受験者、合格者の位置づけに
...続きを読むも触れられていて、中国社会の理解につながると思う。中国は昔から貧富の格差はひどく、金持ち士大夫層と貧乏庶民で二分されていたことがわかる。またそのためなのか、独特の道徳観念があり、道教思想に言が及ぶ。
「科挙に応じようという者は多くは有閑階級の子弟である。彼らは金もあるしひまもあるので、一番淫に陥り易い。したがって特にこの淫を厳しく戒めるのである。その次は金のある勢いにまかせて貧乏人を困らせることである。一方女子の貞操を守ってやったり、貧乏人の困難を救ってやることは無常の功徳として奨励し、科挙及第という褒美を惜しみなく与える。この思想を裏返せば、人類は本来対等なもので、平等に平和な生活を営む権利があるのだが、ただ貧富の懸隔があって、上に立つ者と下に位するものがあるばかりなので、上のものは決して勢いに任せて下のものの生活を脅かしてはならぬというにある。(pp.163-164)」
といった道徳観が格差の弊害の緩和に役立っていたことが読み取れる。また、あとがきで科挙試験の壮絶さと比して、日本の受験戦争が言及され、終身雇傭制を封建的で前近代的(!)として、受験戦争の原因と見、批判している。なかなかおもしろい。もし先生が今の派遣・請負奴隷やワープアとかを見たらどう思うんだろう。競争原理と格差の広がりの肯定の新自由主義な社会で生きづらくなってきたが、どうにかするには、結局、無理でも道徳観念の普及しかなさそう。負け組やできない人を笑ってはいけない。道徳観の変化も面白い。女子の貞操を守ってやるなどといった観念は現在は完全に消滅しているだろう。
Posted by ブクログ
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この時代に関して必要十分かつ網羅的にも詳述されており、ベルリン会議からヴェルサイユ会議まで過不足なく描かれたこの時代の主にヨーロッパの通史で日本語で読める書籍の推奨書籍の一冊に上げることができる内容がある。
Posted by ブクログ
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