あらすじ
かつて中国では、官吏登用のことを選挙といい、その試験科目による選挙を「科挙」と呼んだ。官吏登用を夢みて、全国各地から秀才たちが続々と大試験場に集まってきた。浪人を続けている老人も少なくない。なかには、七十余万字にもおよぶ四書五経の注釈を筆写したカンニング襦袢をひそかに着こんだ者もいる。完備しきった制度の裏の悲しみと喜びを描きながら、試験地獄を生み出す社会の本質を、科挙制度研究の権威が解き明かす。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
めっちゃ面白かった
この発行年なのにすごく文章が読みやすい 硬い感じが全然無くてスイスイ読める
科挙って具体的にこんなことをしてたのかという本
途中挟まれる小話豆知識面白い
Posted by ブクログ
今も版を重ねることがよく分かる面白さ。1,000年以上前の時代から続いた仕組みで、「優秀な人材を広く遍く見出す」との建前で、貴族体制の解体を行ったというのが「なるほど」のポイント。
Posted by ブクログ
◯とても面白かった。科挙の制度に関する説明だけかと思いきや、それを深掘りして中国の時代及び文化的背景にも触れつつ、後序として我が国における試験地獄も考察している。
◯さらに、文章がうまく実に読ませる。どんどん読める。リズムも良ければユーモアもある。科挙試験でも受けたら中々良い文章を書くとして、中の円に記名されそうだと思った。
Posted by ブクログ
学問が極まると、その筆致にユーモアが自然とにじみ出てくるものなのだろうか。
あらゆるものを調べつくしたからこそ、このようなおかしみのある描写が可能なのだと思う。
タイトルを見て、糞まじめな内容だと思っていた向きは、ぜひこの碩学の一流のユーモアを感じてもらいたい。
中公新書の数ある名著の中でも個人的にベストの一冊となりそう。
あとがきに、日本の終身雇用制と大学について触れられており、その制度のあり方を鋭く批判している。指摘は今なお有効であり、この国が全く進歩していないことが分かる。
Posted by ブクログ
宮崎市定が書いた『科挙』という題の書籍には二つあり、一つは筆者が出征前に書いて、たまたま金庫に保管されていたのが戦災を免れ、前後に出版され、今は絶版しているもの。もう一つは、初代の内容に満足のいかない筆者が改めて執筆し直した内容で出版されたもので、即ち本書。後者には、区別するために副題「中国の試験地獄」がつけられた。
筆者は戦争に出て、よほど見たくないものを見たんだと思う。本書中に度々日本軍のことが出てくる。それがあってか、それとも元々思っていたのかは知らんが、巻末近くで述べている数文が非常に感慨深かった。
「どんなに手柄をたてた将軍にも、政治の最高方針には参与せしめないという制度は……無情……に見えて実は政治の最高の眼目なのである。……軍隊は国家を保護するためにこそ存在すべきで、それが国家・国民の支配者になられてはたまらない。」p.209
中国は文治国家で、特に宋代以降は文が武を抑える構造が顕著になったらしい。同時代の欧洲がまだまだ武に頼る政治から抜け出せなかったのに対して、欠陥こそあれ、中国は文をもって政治の中心としていたと。それを支えていたものの一つが科挙であった。
-----
・魯迅の『孔乙己』(竹内好 訳, 岩波文庫) を前に一度読んだがよく理解できず。解説や脚註を読んでもピンと来ず。それが、本書『科挙』p.206に『孔乙己』の三文字がでてきてようやくその背景を知れた。棚から牡丹餅。
・中国でよくみかける屋根のついた門、状元坊と呼ぶらしいが、あれが科挙で状元になったお祝いに国の助成金と郷里の後援で建てられるいわば記念碑だとは知らなかった。勿論、今見られるもののうちの大半は偽物だと思うが、それでも次から見る目が変わりそう。
Posted by ブクログ
試験制度と聞くと、やはり一番、科挙が有名じゃないかと思います。
官使登用制度として1300年以上の歴史をもつ制度は、世界に類をみません。
本書を私が読んだ理由としては、中国で現行実施されている大学入学試験(高考)を考察する上で、
科挙制度が、どのように影響しているかという点を理解したいと思ったからです。
東洋史学の泰斗である宮崎市定先生の、軽妙な語り口に、どんどんページが進みました。
科挙制度を客観的に紹介すると同時に、その制度の時代背景、導入にいたった経緯、理由まで、
非常にわかりやすく書かれています。さすが、中国史の泰斗です。
中国語の書籍でも、科挙を紹介する山ほどありますが、
宮崎先生ほどの、わかり易く説明した本に出合った、ためしがありません。
さて本書で重要なことは、副題が「中国の試験地獄」としていることです。
試験という制度は、本来、国を支え、発展させる上で、
優秀な人材を見つけることが第一の目的です(科挙自体は、貴族の勢力を抑えつけることも、大きな目的の一つ)。
しかし、時が経てば、本来の精神が希薄化し、
試験に合格するためのノウハウと不正行為が氾濫するようになります。
そして、膨大な量の書物を暗記でき、それを試験場で、表現できるか(答案に書き写せる能力)
という競争へと堕落します(いい意味で使うなら変化する)。
また、試験に参加する人数も、どんどん増え、試験が、地獄と化します。
現に試験に受からなかった者が、その恨み辛みをもって、
朝廷を転覆させる例は、中国史を垣間見れば、多く見受けられます。
また本書の副題で試験地獄と記しているのは、この本が出版された60年代~、
日本の学生は、まさに受験戦争の真っ只中にいたからです。
宮崎先生が、まえがきにも、あとがきにも記しているのは、
日本で、地獄化している試験制度を憂いてのことです。
この『科挙』という書籍自体の出版が、
その当時の日本の試験制度を批判したものとなっています。
それから半世紀後の現在は、試験地獄は、以前よりも圧倒的に緩和しました。
大学全入時代には当の昔に突入し、今は、深刻な少子化と、
毎年のように大学が経験破たんする事態になっています。
入学試験にいたっては、無試験で入れる大学も多数あり、四則演算も怪しい、
また、大学生の4分の1が、「太陽は東に沈む」と答える事態になっています。
宮崎先生がご存命なら、ここまでの状態になるなんて、想像できなかったと思います。
試験の歴史を知ることは、政治を知り、社会を知り、人を知ることでもあります。
宮崎先生のような、博学かつ読者をひきつけるような文章を書く学者は、かなり稀です。
他の宮崎氏の著作(特に岩波文庫から出版されている『中国史』がおすすめ)も手にとってみることをおすすめします。
Posted by ブクログ
高校時代に人から薦められて読んだ。科挙について書かれた名著である。科挙についての詳細が事細かに書かれている。驚いたのは当時のカンニング技術。命懸けのカンニングだね。
Posted by ブクログ
県試、府試、院師、歳試、科試、郷試、挙人覆試、会試、会試覆試、殿試
世界一過酷な試験とされる科挙には、上記の試験が存在する。清時代にはすべて行われていた。試験地獄と言われるだけのことはある。
殿試を首位で通過すると「状元」と称せられる。人生で最高の栄光を勝ち得たことになり、小説の主人公にもよく状元の才子が登場する。浅田次郎の「蒼穹の昴」にも登場していた。
そもそも、科挙を実施するにいたった理由はなんなのか
1400年前に存在した科挙、ヨーロッパはまだまだ封建制度で、一般市民から官僚を登用することは考えられなく、中国の科挙が斬新な制度であった。
科挙を実施する理由は、貴族への牽制
世襲的な貴族政治に打撃を与え、天子の独裁権力を確立するためにあった。
また、科挙に合格することは、大衆からの尊敬のまなざしを得る以外に、実利があった。一般市民が富貴になるための唯一といっていい手段であった。
科挙の理想と現実
科挙の素晴らしいとされる点は、「だれでも受けられる」ということ。しかし、上記の試験をすべて受けるには相当の費用が発生する。万人には等しく開かれていなかったという方が正確である。しかし、家柄も血筋も問わず、力のあるものはだれでも試験を受けることができるという精神だけでも、当時の世界ではその比をみない進歩したもであったといえる。
唐から宗の時代では、中国の教養レベルは世界でトップクラスであったとされる。それがなぜ、清の末期には西洋に後れをとっていたのか。それは、
国が科挙という試験だけに注力し、学校(大学)で教育を怠ったためである
とされる。これはかなり納得。 科挙の試験内容は、「四書」「五経」が中心となる。国が教育に金をかけて学校をつくらずとも、民間で教育は行われるが、それは試験対策の教育でしかない。 自然科学などを教えるには、学校という箱と、最先端の知識人そして制度が必要であった。 これを怠ったため、中国の知識レベルは、清末期に西洋にかなり遅れをとることとなった。
日本は明治維新後、学校制度を整え、自然科学をはじめとする学問を早期に教育しはじめた。その結果が、日清戦争、日露戦争での勝利をもたらしたのだろうか。
教育の重要性を再認識させられる。
この本の最後の章に、日本の教育と科挙について述べていた
アメリカの教育は、日本はど入学難はないが、教師からいやというほどたくさんの宿題を負わされ、山のような参考書と取り組むといったものである。
「日本の試験地獄は、アメリカのそれに比べと性質が非常に遠い、むしろ中国の過去における科挙の試験地獄の方に近い。これはいったいなぜだろう。それが東洋と西洋との文化の相違なのか、あるいは世界史的に見て、社会発達段階の相違なのであろうか」(引用:本文P214)
この『科挙』を読んで、
今の日本の教育の問題点をたくさん含んでいた。
解決できない問題なのか、人は案外成長できない生物なのか
教育機会均等の問題、今の試験制度では計りえない優秀な者の選抜方法などなど
噂通りの名著でした。感動☆
Posted by ブクログ
さすがに宮崎市定先生の著作である。巻頭で言っていたとおり、筆者の私情は極力避け、事実関係だけをたんたんとドキュメンタリー・タッチで書き進めている。
そのため物語としても読み応えがあった。
宮崎先生の著書はいたるところで引用されており信頼性の高さも伺い知ることができる。
ぜひ宮崎先生の他の著書も見てみたい。
Posted by ブクログ
中国の皇帝(天子)は天の命を受けて領土人民を統治する。だが一人でその仕事をすることは不可能なので,手足として官僚を用いる。古代には貴族が天子の補助者であって,王朝が交替しても古い家柄の人間は引き続き権力を握ることができた。それが六世紀に変わる。隋初代の文帝は,生意気な貴族を排し有能な人材を集めようと,公正なペーパーテストによって官僚を登用することを始めた。これが科挙である。以降,千四百年近くにわたってこの制度は続く。中国の歴代王朝では文官による支配が絶対であり,軍人の格は低い。もちろん前王朝の天命が尽きるころには社会が乱れ,腕力がものをいう世界になるが,それは一時的なもの。混乱がおさまれば新たな皇帝のもと再び文官支配が始まるのであり,例外はない。そんなわけで,男子に生まれた以上は,科挙に及第して官僚になるのが人生の目標である。合格者は進士と呼ばれ大変な名誉だし,なんと言っても官僚の役得で甘い汁がたっぷり吸える。それだけに競争率は高く,合格するための努力は並大抵でない。この本は,科挙制度が良くも悪くも最も完備された清代を中心に,その受験事情を解説する。執筆者は,昭和を代表する東洋史学者。
受験勉強は早くも生まれる前の胎教から始まる。妊婦は行いを正しくし,不快な雑音を避け詩経に耳を傾ける。もちろん生まれてみないと性別はわからないから,もし女の子だと一族そろってがっかりする。科挙を受けられるのは男に決まっていた。男の子は幼くして日本の「いろは」に当たる千字文を習得し,少年期には全部で四十余万字という四書五経を諳誦,詩作の腕も磨き,試験に備える。
試験は何段階にもわたる。まず,国立学校に入学するための試験(童試)がある。これは,県試,府試,院試の三段構えになっていて,受験生は各段階でふるいにかけられ,絞り込まれていく。これに受からないと,科挙の受験資格を得られない。つまり童試は科挙の予備試験である。もっとも国立学校に入るといって,そこで何かを教わるわけでもない。皆科挙に向け独自に猛勉強する。学校だから先生がいて,生徒を教育する建前だが,予算も乏しく受験に役立つ指導もできないので,だれも先生を尊敬しない。皆勝手にやる。
次の科挙も大きく分けて三段階ある。各地方で行う郷試,北京で行う会試,天子の面前で行う殿試である。なかでも倍率百倍という郷試は苛烈をきわめ,悲喜交々多くの逸話が残っている。
郷試の様子は次のようである。戸のない独房のような部屋が万ほども用意され,受験生はここで問題を受け取り,二泊三日して一つの答案を搾り出す。これを三回繰り返し,都合三本の答案で合否が決まる。一回の試験中,会場と外界をつなぐ唯一の門は封印され,中で死人が出ようとも決して開くことはない。各部屋では三枚の板を壁の間に渡してそれぞれ物置棚,机,腰掛とし,そこでひたすら答案を練る。腹が減ったら持ってきた饅頭を口にし,あるいは持参の土鍋で炊事をする。睡魔が襲えばこれまた持参の煎餅布団で仮眠を取るが,夜が更けても隣室の蝋燭が煌々としていればそううかうかしてもいられない。落ちれば次の郷試は三年後である。幾度も失敗するうち気付けば五十六十という老受験生も珍しくない。儒教にも因果応報の考え方があり,行いの良いものは試験でも得をし,普段から素行のよろしくない者は試験で苦しめられるという。過去にあくどいことをしていた人がよく郷試の場で亡霊に取り殺されるのは迷信としても,試験の苛酷さに発狂する者はひきもきらない。本書の副題に「中国の試験地獄」とあるのは決して誇張ではない。
試験には不正がつきもの。そこで公平を確保するため,周到な仕組みが用意されていた。試験会場への入場時は当然厳重な持ち物検査,身体検査があり,豆本などの持ち込みを防ぐ。答案は,筆蹟で解答者が知れないよう全て係員が書き写し,それを採点する。これは賄賂をとって採点者が手心を加えるのを防ぐため。それだけ念を入れても,カンニングシャツを持ち込むとか,買収した採点者に自分の答案を特定させるため解答に暗号を忍ばせるとかいった不正は後を絶たなかったらしい。発覚した場合の罰は厳しく双方死刑もありうる。
どの段階の試験も,科目はほぼ儒教古典の範疇にある。合理主義的な考え方は要求されない。これは科挙の長い歴史を通じて変わることがなかった。また,非常に狭き門であるため,合格させてくれた試験官を師とあがめる風潮が自然と生じる。これが官界の派閥形成につながり,しばしば政治を混乱させた。そしてついに二十世紀初め,巨大な近代化の波濤にさらされていた時代遅れの科挙は廃止される。とはいえ,公平な試験によって人材を発掘するという科挙の根柢にある思想は,飛び抜けて世界に先んじていた。西洋の多くの国では十九世紀も後半になってようやく官僚になるための試験が始まったという。その前は人の上に立つのは貴族に限られていた。この点に関しては中国は千年以上先をいっていたわけだ。
後序で,執筆当時(1963年)の日本の受験戦争と,科挙の比較考察をしているのも興味深い。進士に及第すれば一生涯官職にありつける。一流大学出の学生がこぞって就職する日本の大企業も,終身雇傭制をとる。出世コースがこのように決まり,社会が固定化していることが,試験地獄を生むのではないか。鋭い観察だ。
Posted by ブクログ
" その民間の教育をともかくも継続させたのは科挙が存在するからであるが、この科挙が本当に役に立つ人材を抜擢するには不十分であることは、中国でも古くから指摘されていた。経学のまる暗記や、詩や文章がいったい実際の政治にどれだけ役立つであろうか。それは単に古典的な教養をためすだけにすぎない。官吏として最も大切な人物や品行は、科挙の網ではすくいあげることができない、というのが古来の科挙反対論であった。" p.204
"科挙及第の進士は、天子からその名誉ある地位を授けられたものにはちがいないが、同時に彼らは知識階級の輿論(引用注:よろん、人々の議論または議論に基づいた意見、「世論」は世間一般の感情または国民の感情から出た意見)からその栄誉を承認された者でもある。それでなければどうして試験官の一挙一動、合格者成績の一上一下が社交界の話題の焦点となることができようか。この点から見ると、科挙は形をかえた一種の総選挙であるともいえる。" p.211
"日本の試験地獄の底には、封建制に非常に近い終身雇用制が横たわっており、これが日本の社会に真の意味の人格の自由、就職の自由、雇用の自由を奪っているのである。" p.213
科挙の大雑把な構成。各試験と、通過して与えられる称号。
童試 生員
歳試 挙子
郷試 挙人 英語ではマスターと訳される。
会試 進士 英語ではドクターと訳される。
非常にシステマチックで不正を許さぬよう工夫している。しかし清代には絶対王政の悪い面が出て、殿試なるものが登場し、
会元天下才 会試の一番は天下第一の文才
殿元天下福 殿試の一番は天下第一の幸福者
という諺が生まれたという。
とはいえ科挙の試験官と受験者が合格後に師弟の契を結ぶことが慣例となり、派閥のもととなったという原因があり、ならば殿試によって天子が進士の師たらんとしたのは無理もない。
科挙というものはせいぜい国立大の入試あるいは国家公務員の試験くらいに考えていた。つまり私事であって、それほど大事ではないと。想像を遥かにこえた天下の一大事であり、大規模な国家事業であったと認識を改めた。
その一方で、進士の謝恩の儀式で正客帰参の後、雑役夫が場内に踊りこんで残った料理を掠奪する風習もあったという。改めさせようとしてもついに改まらなかったそうな。
p.158 のエピソードはFSSにおける天照宇宙の出来事のよう。
p.161 十二国記の覿面の罪はなにか発想の源があるのではないかと思いつつ探り出せていない。唐代の道教の実践道徳の根底に横たわる思想、天罰の概念は積算し寿命にまで食い込むとある。
武科挙、というものを知り得たことは望外の喜びであった。
後序が文系学者特有の放言で終わらなければ最高評価を与えたであろう。
Posted by ブクログ
科挙を突破して進士になるための道のりは長く険しい。そもそも科挙に臨むためにはその資格がなければならず、その資格を得るためにまずは学校に入学しなければならない。この学校試からしてすでに厳しい。県、府、院の三段階の試験をクリアしなければならず、受験生として適格かどうかの条件もある。試験内容は40万以上の文字の暗記のほか、詩作なども課せられる。そのため、勉強をする時間を確保でき尚且つ優秀な家庭教師を付けることができる地方の有力者の息子に圧倒的なアドバンテージがあるのは否めない。
学校試を突破して貢生となり、ようやく科挙に挑むことができる。科挙も地方での郷試、中央での会試、宋代以降は皇帝自らが試験に携わる殿試の三段階を経なければならない。それらをクリアしてようやく進士になることができる。
試験官の煩雑さを見るとマンパワーに頼っている点は否めないが、試験の形式や不正防止などかなりシステマティック。元代に一時中断はされるものの、隋から清まで為政者が変わってもずっと行われていたというのは興味深い。殿試が導入されてからは特に、「皇帝陛下によって選んでいただいた」点が強調されている。回答の作法についても皇帝に対する謙りが随所に義務付けられているので、試験を経験する中で皇帝権力への絶対的な服従が自然と染み込んでいく。
特に興味深かったのは、科挙試験の最中に幽霊の目撃談が多々あったというところ。狭い貢院に缶詰にされて試験に臨むため、精神的に不安定になったことが多分に影響していたであろうことが窺える。
また、不正行為を防止する策が具体的で感心した。出題後一時間ほど経つと試験官がやってきて、答案の現段階で書けている末尾に印判を押す。そのタイミングで全く書けていなかったのに最終的に回答用紙がきっちり埋められていた場合、検印後にカンニングした可能性がある、というもの。
また、文官を登用する科挙のほか武官を登用する武科挙というものもあったが、軍人の世界は実力主義のためあまり重要視されてなかったという。さらに、科挙で拾いきれなかった優秀な人物をとりたてるための制科という不定期の試験も行われていた。
厳しい競争を勝ち抜けば華々しい未来が開けるが、当然その裏では多くのものが振り落とされ辛酸を嘗めている。そして時折、挫折を経験した彼らは王朝へ反旗を翻す。その代表例が唐末の黄巣、清末の太平天国の首領洪秀全らである。その意味で言えば、科挙は皇帝に忠誠を誓う人間を生み出す一方で、反乱分子を生み出すこともある諸刃の剣とも言える。
科挙が「教育を抜きにした登用試験」というのは言い得て妙。
Posted by ブクログ
近年何かと話題になる中国。
その中国の歴史に多大なる影響を及ぼした科挙についてまとめた一冊。
オトラジで紹介されていて気になって購入。
副題の通りの“試験地獄”だけれど、ある意味では誰にでも門扉が開かれているフェアな制度だった側面も見逃せない。
どの時代も教育にはお金がかかることを再認識させられた一冊。
Posted by ブクログ
これまたマニアックな内容だが、非常に面白かった。科挙がこれほどシステマチックに運営されていたなんて想像すらしていなかった。中国はこういう歴史があるから侮れない。
Posted by ブクログ
清代の科挙を例にとって、試験の詳細を紹介していく。途中挿入されるエピソードが人間味があって面白い。
もともと貴族に対抗するため隋唐代に導入されたものが、文を尊ぶ知識階級のあり方と融合して社会に根強くあり様が紹介されている。科挙が根強くことがなかった日本とは異なる社会層が中国には形成されていたのだろう。
Posted by ブクログ
試験、試験、試験…
現代日本にも通ずるところのある、中国の試験地獄「科挙」の実態を客観的に記載する。
受験する側も実施する側も、相当の苦労を要する厳正な試験であったことがわかる。
反面、巧妙な不正や、妖怪変化的な逸話が多数言い伝えられたりしているのも面白い。
Posted by ブクログ
科挙制度について。
科挙制度ができた背景から、一定の効果をもたらし、そして形骸化し、廃止に至るまでの歴史を描いている。
名前は聞いたことはあったけれど、具体的な試験内容、科挙の受験生、試験管などのエピソードなどもたくさんあり、おもしろく読めた。
Posted by ブクログ
科挙、というよく知っていると思うことを
いかに知らないかを知ることができる。
科挙をとりまく様々な話題を
わかりやすく、そしてとっつきやすく書かれていて読みやすかった。
Posted by ブクログ
タイトル通り科挙について扱った書。山内昌之先生が高校時代、友人に勧められた著作らしい。
科挙の内容が非常に詳細なのはもちろん、科挙が及ぼした影響、他の国との試験との国際比較(特に科挙と近代教育社会の比較)。また有名な科挙落第者の分析もされている。
封建主義から公平に民衆から官僚を選抜するという民主制へシフトさせるシステムが1400年以上も前に確立していた。そして弊害もあったが殿試や制科(優秀な老学者を取り立てるための制度)と改良を重ねる。けれども日本が学校教育を中心とした近代教育に目覚め、発展するのを目の当たりにし、清朝末期その制度は崩壊する。
西洋と比べ、日本や中国が学校よりも試験を重視する傾向(例えば、欧米に比べ学校に入るのは難しいがでるのが簡単)にあるのは科挙の影響であるという指摘は面白かった。そして今日の教育問題の主流である機会の平等うんぬんもこの当時からあったことにも気付かされた。受験者のレベルが高くなり差がつかなくなると試験が悪問になる傾向、それに伴うカンニングや替え玉受験の巧妙化も同様。歴史は繰り返すんだな。
科挙にはいろいろな指摘はあるものの宋時代、文治主義の影響で平和になり、中国文化は発展する。「軍隊は最良の召使いであるが、それが主人になったら最後、最悪の主人公になる」という本著のイギリスのことわざの引用のように、民間の科挙出身の進士が輿論をもって世論を制し軍部を抑えたことに科挙のよさがある。
Posted by ブクログ
大学時代に読まねばならないと思っていた本。やっと読めたのがうれしい。
中国の科挙についての概説本。新書の為に分かり易く書いてあるので便利。その上、中国史の通史で書かれているので勉強になる事が多い。
宮崎市定の文章は読みにくいと勝手に思っていたが、(新書だからかもしれないが)読みやすかった。
Posted by ブクログ
1400年も前から誰にも開かれた(建前でもあるが)登用試験があり、王朝が変わっても受け継がれてきたとは!
実は中国の歴史では、一王朝の創業期以外には概して平和で、そこには科挙に起因する民度の高さやシビリアンコントロールが存在していたという点に驚いた
Posted by ブクログ
ほとんどの世界で役職といえば世襲で成り立っていた6世紀。地方政府の勢力を削ぐため、地方高官は全て中央政府から任命派遣されることとなった。そのため中央での官史有資格者の保持のため出来た試験制度が、科目による試験選挙制度、科挙。これが終了するのが20世紀前半というのだから、恐れ入る。だが、常に効果を発揮していたわけでもなさそうだということは、幾度も繰り返される政権交代や、他国との競争力の違いからも明らかだ。改められず、膨大な古典の暗記のみを必要とする試験問題、中央に数百人を一度に集めて試験を開催するための施設、不正を防ぐために何度も繰り返される審査。そして特にあげられるのが、教育の不備。ろくな学校制度がないせいで、まともに試験対策するならば莫大な金をかける必要があり、結局は資産がある名家が有利になるという構造だ。
しかしこうしてデメリットをならべて見ると、現代日本においても反面教師として参考にできる点は多い。というか、いつの時代も似たようなことで悩んでるのは興味深い。このような複雑性の高い問題は、アルゴリズムや評価式の創出により一気に解決されうるのか。他分野も含め、調べてみたい。
Posted by ブクログ
1テーマ解説本だが出来はすばらしい。
壮大な歴史と過程がある科挙の制度について非常に綿密に解説しているとともに、ユーモアのある具体例が随所に描かれていて非常に面白い本に仕上がっている。何かについて書くときはこのくらい物事に精通してから書くべきであるという手本のような本ではないか。